ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

ホー・ツーニェン「百鬼夜行」を観に行った日のこと。

豊田市美術館で開催されていたホー・ツーニェンの個展「百鬼夜行」は二回観た。でもあともう一回は観たかったな…というくらいの見応えだった。

一度目に観た時は、妖怪という古典的・土着的な存在に新しい命を吹き込む手法の鮮やかさ、視覚・聴覚を完全に奪い去っていく表現の斬新さに圧倒された。ちょうど美術館に向かう車の中で聴いていた、折坂悠太の「心理」にも通じるところがある気がして、なるほどエッジーなコンテンポラリー・アートはフォーマットは違えど通じるところがあるんだな、と思ったりしていた。(サウンドプロダクションでエンジニアの葛西敏彦氏のクレジットを見つけたこともその思いを強くさせた)。とはいえこれは一度見ただけではとても全容を把握できるものではないと思い、12月から開催されていた「旅館アポリア」を観てから再訪しようと思ったのだった。

 

「旅館アポリア」は2019年のあいちトリエンナーレに制作されたインスタレーションの再展示。喜楽亭という豊田市に戦前から存在した料亭旅館そのものを主役にして、その建物が見てきたであろう戦争の記憶を、映像と音響を駆使して召喚する異形の体験だった。そのアイデアと技術にまたしても張り倒されたのだが、その根底にある日本の軍国主義とその論理的支柱となった哲学者たち、あるいは戦争プロパガンダに協力しながら戦後は無言を貫いた文化人に対する厳しい眼差しに驚かされた。私も含めて2019年のあいトリで多くの人たちが目を奪われていたのは「表現の不自由展」のことばかりだったが、トヨタ自動車の城下町というガチガチに保守的な街で、かくもエクストリームな作品が展開されていたとは。すっかり見逃していた自分を恥じると共に、このタイミングで再展示してくれた豊田市の芸術関係者の皆様に感謝したい気持ちになった。もしある種の人々に目をつけられたら、理不尽な事態に陥るリスクは高かったように思うので…。

 

「旅館アポリア」を経て再び相対した「百鬼夜行」から受ける印象は、やはり前回とは違うものだった。初めて観た時は、妖怪が生息する森羅万象の中に、戦争や軍国主義者も含まれているという印象だったのだが、今回はむしろ、現在・未来の現実社会に再び軍国主義という脅威を出現させてはならないという主題が先にあり、それを妖怪というキャラクターにトランスフォームさせたようにすら思えたのである。もう少し端的に言うと、妖怪を隠れ蓑にして、「旅館アポリア」と同じ強度のメッセージをより多くの人に送りたかったのでは、という気がしたのだ。

最終日間近ということもあり会場は満員で、小さな展示室への入室を待っている間に閉館時間が来てしまい、すべての作品をじっくり観ることは叶わなかったけど、観覧後は前回以上に気分が高揚した。帰りの車の中で妻に向かって「社会との繋がりを反映した作品だけがアートでしょ」「俺たちはアーティストって言葉を簡単に使いすぎている」「Mステのゲストをアーティストって呼ぶのはおかしいでしょ。歌手って呼ぼうぜ」などと暴論を開陳し呆れられた。

コーネリアスと東京五輪、私たちの90年代。2021年9月から11月の話(未来の人へ)

※7月に書いた記事の続きです。

dreamy-policeman.hatenablog.com

 

9/15

Twitterで明日発売の週刊文春小山田圭吾のインタビューが載るというニュースを知る。しかし「小山田圭吾 懺悔告白120分 障害者イジメ、開会式すべて話します」といういかにも週間誌的な下世話なタイトルに、これは果たして読む価値のある記事なのだろうかと怯む。コーネリアスフジロック、自分にとって大切なトピックについてあることないこと書きまくられた夏だったので、マスメディアへの不信は今やトラウマレベルなのである。しかし、インタビュアーがカゼノイチ店主ウエノさんの友人と知り、さらにご本人のツイートを拝見するとフェアな姿勢で執筆されたことが伺えたので、明日の朝一番でコンビニに行くことを決意。

 


9/16昼

週刊文春を入手。文春を買うのは森友学園問題で自死された赤木さんの手記が公開されて以来。あの時は権力による不正を暴こうとする文春の大義を応援する気持ちだったけど、今回はそうは思えない。他の記事に登場する政治家やタレントと違って「世間」というリソースをほとんど利用せず、ひたすらその音楽性だけで活躍してきたミュージシャンがこのような場に引きずり出されるというのは心情的に理解できない。実際、小山田氏のインタビューは「検証 東京五輪」という特集で括られており、もう一本の記事は「組織委 夜の乱倫ピック」と題されたコーネリアスの音楽性とはまったく相容れない内容で心底ゲンナリした。私にとって大切な音楽家の生死に関わる問題も、世間的に見れば東京五輪スキャンダルのアイテムの一つにすぎないということなのだろう。


しかし肝心のインタビューは、タイトルとは裏腹に冷静な内容だった。限られたページ数の中で、この事件の複雑な経緯もおさらいしなければならない構成上、割愛された言葉も多いのだろうが、ROJとQJの原文を読むと浮かんでくる矛盾、つまりROJに書かれたセンセーショナルな行為(排泄物と性的虐待に関するもの)が本当にあったのか?という点については本人が具体的かつ明確に否定したので、ひとまず安心した。


この記事におけるポイントは「いじめ」そのものについてだけではなく、五輪開会式に彼がどう関わっていたのか、あの渦中において組織委員会がどう動いたのか、という内容が半分近くを占めていたことだろう。つまり世間はこの問題は東京五輪スキャンダルの一環として捉えていたのである。だが彼の五輪開会式へのコミットの仕方は、おそらく私を含めた多くの人が想像するよりもはるかに低いものだった。「組織委員会は身体検査をしたのか」という批判も当時はあったように思ったが、そんなことするわけないだろうな、ということが一目瞭然の関係性。想像も交えて雑に表すと「組織委員会電通→開会式チーム→(いろんな人に断られた上で)小山田氏」という関係性。つまり失礼な言い方をしてしまうと、急場しのぎの三次下請けのような扱いで、これが日本を代表するアーティストに対する姿勢か?と怒りすら覚えてしまうし、しかもギャラすら支払われなかったという。まだ作業が発生する前にプロデューサーを降板したという椎名林檎は本当に賢明だったと思うし、よほどリスペクトに欠けた扱いを受けたのだろうと想像してしまう。五輪反対派の人たちは小山田を「悪の祭典の象徴」として叩いていたけど、本丸の中の人たちは痛くも痒くもなかっただろうな…という虚しさ。


ともかく、7月時点で喧伝された内容とは大きく異なる事実が、週刊文春という中立的な(小山田の肩を持つ必要がない)メディアで明らかになった。あの時批判した論客の皆さんも、きっとなんらかの軌道修正を図る必要があるだろう…と思っていたのだが、その予想は見事に外れた。政治家、新聞記者、芥川賞作家、反体制コラムニスト、アルファツイッタラーに健康社会学者にリベラル活動家。誰ひとり反応しなかったのである。このアンフェアな姿勢には心底呆れてしまった。みんな文春くらいいつも読んでるでしょうに。結局この人たちにとって小山田問題というのは、コロナ禍で強行された東京五輪とそれを推進した政府に対する反撃材料であり、数少ない戦果でしかなった。五輪が無事に終わってしまった今となっては、もう利用価値がなく、逆に放免する意味もないということである。私もこれまでは(そして今も少なからず)「こちら側」の立場にいた自覚があるので、その界隈のオピニオンリーダーたちの振る舞いに落胆し、また自己嫌悪にも陥った。


9/16夜

20:00にクイックジャパンの発行元である太田出版が当該記事を書いた社員のコメントを発表。当時はフリーランスの新人ライターであった彼が、あの記事がどのような意図を持って書かれ、なぜ失敗したのか、そして小山田圭吾はどう関わっていたのか、ということが真摯な言葉で書かれていた。ようやく小山田以外の当事者の証言が出てきたことはとても重要なことだし、ご本人の勇気も必要だったとは思うのだけれども、当時は駆け出しだった彼も今や太田出版という組織で一定のポジションに就く立派な大人である。なぜもっと早くこの文章を出せなかったのかと思わずにはいられない。フリーのミュージシャンよりもサラリーマンの方がずっと安全な場所にいることはよく分かっていたはずなのに。せめて

「現場での小山田さんの語り口は、自慢や武勇伝などとは程遠いもの」

「(小山田氏は)この取材を断っていたにもかかわらず、こちらの懇願を見かねて応じてくださった」

という2点の事実については、2ヶ月前に速やかに発せられるべきだったのではないか。何もかもが燃やされ尽くされた後に告白したところで、無責任な世間は一瞥もくれないということは先にも書いた通りである。

 

しかし、この流れでどうしても浮かび上がってしまうのは、RO社の不作為である。「ファースト・イン・ロックジャーナリズム」を標榜した出版社がここまで沈黙し続けるのはどういう意図があるのだろうか。山崎洋一郎氏はコラムの執筆やポッドキャストの更新を止めているが、渋谷陽一社長は相変わらずNHKのラジオ番組を継続中。同じNHKの「デザインあ」は無期限休止中なのに。何度も同じことを言っているけど、今回問題になっているのは「ロッキングオン・ジャパンに掲載された記事の内容」である。そもそも小山田よりも先に応答すべきは、文責を負う彼らではないのか。しかも小山田自身が、「本意ではないインタビュー内容になっていた」「原稿チェックはさせてもらえなかった」という旨を証言しているわけだから、ますますその責任は重くなっている。ちなみ最新号のROJでは山崎氏のコラムと共に、「場末のクロストーク」という編集者同士の対談コーナーも休載されていた。問題となった94年1月号のこのコーナーにおいて、山崎氏と別の編集者が小山田のイジメ行為を称賛するやり取りがあることと、このコーナーの休載は無関係ではないように思う。あのページにこそ、小山田圭吾のインタビュー記事がどのような価値観の下に執筆されたのかを示す証拠であり、それゆえに身動きが取れなくなっている…と思うのは深読みがすぎるだろうか。でもきっと山崎さんにも山崎さんなりの言い分ってものがあると思うんですよね。小山田が憎くて書いた記事ではないわけだし。音楽ジャーナリズム史上最大の事件について当事者の言葉で語らずに後悔しないのだろうか…と思ってしまう。

 


9/17

www.cornelius-sound.com

21:30頃、小山田圭吾本人の謝罪文が公表された。約5000字の長い文章。これまでの文章同様、本人の手によるものと思われる(これは感覚的なものだけど、プロの文章では感じられない不器用な誠実さが強く感じられる)。

前半が、ROJおよびQJ、そしてそれらを改竄して拡散されたネット上の記事に対する真偽の説明。後半がソロアーティストとしての活動を重ねる中での心境が綴られている。

まず前半部分の「少年時代の小山田圭吾は何をして、何をしなかったのか」という説明におけるポイントは「障害児への虐待」「排泄物」「性的暴力」という、当初大きく取り沙汰された三つのキーワードを含む行動ついては、いずれも事実ではない、もしくは多分に本人および編集者による誇張が含まれていることが説明されている。ただこれらの点はQJの原文と文春のインタビューを読めば概ね分かることであり、初めて明らかになった点は多くはない。しかし最もセンセーショナルなROJ誌に書かれた「排泄物」に関する件について、その事実がなかったことを本人から具体的に説明されたことは、私も含めてモヤモヤしていたファンはようやく安堵できたのではないだろうか。もちろんそれでも残ってしまう直接・間接の過ちはあるのだけれども、少なくとも某ブログやそれをソースにメディアが喧伝したような、常軌を逸した暴行に加担したという事実はなかった、と言いきってもいいのではないか。「小山田の言うことなんて信用ならん。証拠がない」と言う人もいるけど、一方で「いじめがあった」というのも小山田氏の発言以外の証拠は出てきていないのである。どちらか一方だけを信じるのはフェアではない。


後半部分は、なぜそのような過ちを起こしてしまったのか、そしてその事実を後ろめたく思いながら、その後20年以上に亘りどのような思いで音楽活動に取り組んできたのかという心境が真摯な筆致で綴られている。その中で強く印象に残った部分を引用する。

「私の社会人としての成長は、ほかの多くの人たちに比べて遅く、時間が掛かってしまったのだと思います。この25年の間で、立派な人間になったとまでは言えませんが、20代当時の価値観とは遠く離れた人間になったと思っています。この件に対する罪悪感をずっと抱えてきたことが、より良い人間・音楽家になりたいという意識を強くすることにも繋がっていました」


「(「デザインあ」の)制作に参加させていただいたことで、自分の音楽が初めて社会との繋がりを持てたような充実感があり、子どもたちの感性を刺激する手伝いをさせてもらえることに、自分の作品作りだけでは味わったことのない種類の喜びを感じておりました」

 

コーネリアスの音楽に興味がない人にとってはこのメッセージがいかに真に迫ったものであるのか、理解することは難しいかもしれない。しかし、少なくともここ数年の彼の表現に接した人ならば、ここに一切の偽りも誇張もないことが理解できるのではないだろうか。7月のブログにも書いたように、彼の音楽の変遷における大きな核は「成長と成熟」だと思っている。そして「デザインあ」展に集まった子供達の目を輝かせた作品たちを生み出す源に、職業音楽家という立場を超えた内的動機があったことは疑う余地はなかった。今回の彼の言葉で、私(たち)がコーネリアスの音楽から受け取ったメッセージは決して間違っていなかったことを確認できたように思ったし、自分がそのメッセージを感じられる側の人間で幸運だったと実感した。もちろん、彼のつくる音楽が素晴らしいから、彼は才能のあるミュージシャンだから、犯した過ちが無かったことになるわけではない。しかし、彼を裁きたいのであれば、その過ちの本当の大きさはもっと正確に測るべきだし、その過ちを自覚した後の歩みは、被告側の証拠として採用してほしいと思う。


9/30

ロッキングオンジャパン10月号の発売日。先月に引き続き、山崎洋一郎のコラムは休載。小山田が説明責任を果たした今も、沈黙継続中。ちなみに彼が司会を務めるメロン牧場は先月分と同じタイミングで収録したと思われる会話が掲載されていた。

しかしもしかするとこうやってグチグチと呪詛の言葉を書き続けるよりも、世間が忘れるのを待つ、ロッキングオン的アプローチが正解なのかもしれない、という気もする。

実際、先日の小山田圭吾の謝罪文が出ても、特に7月のリアクションを修正する有識者はいなかった。そして彼のツイートを見ても、7/16の謝罪文が15,000のリツイート、7/19の辞任を発表した時のツイートが7,600程度だったのに対し、今回のツイートはわずか2,000強。誰も本当のことになんて興味がないのかもしれない。それと同時にこの数字が示唆することは、未だに小山田を許さない「世論」というものも存在しないのでは、ということである。まだ騒いでいるのは、私のような「擁護派」か、配信記事で小銭を稼ぎたいメディアだけなのではないか。実際「「小山田」という見出しをつけただけで文春のwebに掲載されてPV爆上がり!」と無邪気に告白しているライターも見かけたし。東京五輪をめぐる政争の具にされた後は、出版業界の小銭稼ぎに利用されるという構図はちょっと耐えがたい。それでも例えばアイドルやタレントならば、ゴシップメディアと持ちつ持たれつの関係も成立するだろうし、スキャンダルを逆手に取って復活している人もいる。そうした生業の人たちであれば、メディアによる「いじり」も一定程度は許容されるものなのかもしれない。しかし、そもそもコーネリアスというアーティストのコアカスタマーはせいぜい数万人というレベルではないか。日本人の99%はもともと興味がないし、顧客でもないのである。今回は東京五輪という巨大な地雷を踏んでしまったために、タレントや政治家と同じ「公人」扱いをされてしまったが、もともとは狭いエリアで活動する一ミュージシャンなのである。さすがにもういいでしょう。

 


10/5

文化的・経済的、双方の側面から音楽産業の存続を心から祈っているし、この会社が主催するフェスも例外ではない。が、それを差し引いてもなお、この日ロッキングオン社が出した「音楽を止めない。フェスを止めない」というステートメントに対して言えることは一言だけ。恥を知れ。

 

音楽を止めない。フェスを止めない。 (2021/10/05) 邦楽ニュース|音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム)


10/14

ビジネスインサイダーに週間文春で小山田圭吾のインタビューをした中原一歩氏のインタビューが掲載される。

なぜ小山田圭吾は『週刊文春』での独占インタビューに応じたのか?“音楽ロッキン村”問題を今考える | Business Insider Japan

 

このインタビューのポイントは

・これまでいじめ疑惑について小山田氏に取材したメディアはなかった

ロッキングオン社、太田出版共に中原氏の取材を拒否した

・音楽ライターはロッキング・オン社を恐れてこの問題について書くことができない。

という3点だろう。

 

中でも私が気になったのは、音楽ジャーナリズムはロッキング・オン社を恐れている」という点。直接的にロッキング・オンから仕事を受けているライターは多くないかもしれないが、「ROCK IN JAPAN FES」をはじめとする巨大フェスを仕切るRO社と揉めることを望むレコード会社や芸能事務所(つまり多くのライターにとっての実質的なクライアント)はいないだろう。とは言え、音楽家である小山田の光と影の両面を一番正確に書けるのは、毎日新聞でも東スポでも文春でもなく、この業界のメディアであるはず。今までコーネリアスの作品を持ち上げてきた責任だってあるだろうに…と情けない気持ちになるが、では私が本業において自分の顧客を公然と批判することができるかと言われれば、その難しさは理解できる。ましてやコロナで痛めつけられ、さらにパイが縮んでしまった音楽産業である。リスクを背負ってでもやれ、とは言いがたい(ただし当時のRO社に在籍していたライターは別)。なので結局のところ、自分たちが愛するものは自分たちで守るしかない、ということなのかもしれない。今回の一件も、冷静かつ正確に本質を見極めつつ、果敢に行動するファンの方々がたくさんいた。彼らのアクションにはすごく勇気づけられたし、音楽というものが人間にもたらすものの大きさを改めて感じた。他人から疑問符をつけられる行動にこそ人生の醍醐味が隠されているというのが、いい歳して余計なことばかりしている私の経験則なのだけど、今回もそういう結末であってほしい。


10/26

文春オンラインに中原氏の記事が上がる。

当時、和光学園の在籍したOBへの取材を通じて、いじめ疑惑について検証しようという試み。読みものとして興味深いし、公平に事実を捉え直そうというジャーナリストとしての真摯な取り組みには敬意を表したい。しかし、限られた人数への聞き取りによって「無いものを無い」と証明することはとても難しい気もするし、やはり文春というメディアと小山田圭吾のマッチングにどうしても抵抗感がある。とても勝手な感情であることはわかっているのだけども。

 

「圭吾ってそんなキャラだっけ」和光学園同級生が「いじめ告白インタビュー」に抱いた“違和感” | 週刊文春 電子版


10/27

うだうだ言ってても仕方がないので、以前から書きっぱなしにしていた毎日新聞への質問事項をまとめて、問い合わせ窓口からダメもとでメールしてみた。質問の要旨は以下の通り。


①7月15日掲載の初報における事実誤認が発生した経緯


②記事のソースとしてあげられたツイートおよびブログの内容に対する事実確認の有無。また真偽が不明確なアカウントや記事を根拠とする報道の適切性


③記事化にあたってのQJおよびROJの原文チェックの有無


④7月20日掲載の小田嶋隆氏コメントの正確性の確認有無


⑤小山田氏が「過去の雑誌記事には事実と違う点がある」とコメントした点に対する事実確認の有無


⑥初報における事実誤認を訂正しないまま8月以降も小山田氏を糾弾する記事(例:8月19日の記事及びその告知ツイート)を掲載し続けた理由。また誤認を指摘する多くの声に応答しない理由

 


※なお22年8月末現在、質問に対する回答はない。いちいちこんな細かい問い合わせを相手にしていたらキリがないということなんだろうけど、彼らにとっての細事によって社会的に抹殺された人間がいることをどう考えているのか。全国紙の毎日新聞にしてこれなんだから、スポーツ新聞や週刊誌のモラルなど、まったくあてにならないだろうね…。

 


11/4

META FIVEのお蔵入りになったアルバムが発売されるというニュースが突然飛び込んでくる。ただし正規のレコード店を通した流通ではなく、配信ライブチケットの特典というイレギュラーな形でのリリース。とは言えお蔵入りにならずに良かった。問題はアナログとCD、どっちにしようかな…と悩んでるうちに数時間で初回特典付きのチケットが売り切れてしまったことだけ。

 


11/20

METAFIVEのライブ配信日。もしかして小山田圭吾の映像だけカットされたりして…なんてことも頭をよぎらないわけではなかったが、まったくの杞憂。想像を上回る圧巻のパフォーマンスにずっと鳥肌が立っていた。涙腺が緩む瞬間もいくつかあったけど、それをはるかに上回る興奮に包まれていた1時間だった。YMOという日本の音楽の太い幹が50年近くの時間をかけて、Dee-Lite、電気グルーヴCornelius 、KIMONOSと進化しながらMETA FIVEとして結実した様を目撃したという高揚。2021年の東京から世界へ発信されるべき音楽は間違いなくここにあった。そう断言してもまったく問題ないだろう。

この映像が収録されたのは7/26。まさに渦中の渦中にあったタイミングで収録されたものだったわけだけれども、そんなことは微塵も感じさせない鉄壁の演奏だった。そう、この人たちはイエローペーパーのおもちゃではない。日本最高のアーティスト、プロフェッショナルなミュージシャンなのである。

そんな彼らのプロフェッショナルな矜持に触れてしまうと、私はこの日のライブについて、小山田圭吾に焦点を当てて話すことを躊躇してしまう。なぜなら彼はポジティブな意味でこのバンドのメンバーの一人でしかなく、まず語られるべきはバンド全体が作り出すサウンドであるはずだし、中でも最も賞賛されるべきは無観客というアゲインストな条件下で縦横無尽に駆け回ったLEO今井のパフォーマンスであるべきだと思うからだ。要は、この圧倒的な音楽と映像の迫力の前にしては、これまでのスキャンダラスなエピソードや呪詛はすべて忘却の彼方に置いてきてもいいのではないか、という気持ちになってしまったのだ。


残念ながら高橋幸宏は体調不良で不在だったが、独特のメロディやフィルインなど、彼が刻み込んだ誇り高きMETAの紋章は、「いないけどいる」という不在ゆえの存在感を強く意識させるのに十分だった。そしてサポートに入った白根賢一の素晴らしいドラミング!GREAT3マニアの私が歓喜の涙を流したことは言うまでもない。しかもフジロックはここに相対性理論の永井聖一が加わったわけだから、小山田圭吾高橋幸宏の不在は、「TOKYO音楽史の総括」という彼らの存在意義を、結果的に一層高めたと言える気がする。


この文章を書いているのは配信からちょうど24時間が経った11月21日の夜だが、メディアやSNSのネガティブな反応は特にない。時計の針は確実に動き出した、と信じたい。そしていつの日か、2021年に起きたことを振り返る時の一つの証言としてこの文章を残しておく。

 

ボロフェスタ最終日の記憶

名古屋駅で新幹線に駆け込んでから「そう言えばのぞみって京都に止まるんだっけ?」とボケてしまうほど久しぶりの一人旅。19年3月の「うたのゆくえ」以来二年半ぶり、そして初めてのボロフェスタに参加するために京都へ。

しかしこの二年半、京都は常に私の身近にあった。毎週聴いているラジオ番組、岡村詩野さんの「ImaginaryLine」スカート「NICE POP RADIO」、そして「ラジオのカクバリズム」。それらすべてがこの京都α-Stationから放送されているのである。そりゃ勝手な親近感を募らせるのも無理はない。


というわけで、天気がめちゃくちゃ良いこともあり四条駅で地下鉄を途中下車。聖地α-stationを拝んでから(きれいなオフィスビルでした)、歩いて京都御苑の隣に立つKBSホールへ到着。

 

今年20周年のボロフェスタ。例によってに私は予備知識をあまり持たずに行ったのだけれども、ちょっと古くて真面目そうな建物と、手づくり感ある装飾、そして一生懸命はたらく若者たちの姿が目に入った瞬間、これはもう最高のやつだな…と直感。学園祭の青くて甘酸っぱい、そして京都の大学がイメージさせるアナーキーな空気が濃厚に漂っていたのである。


トップバッターはDEATHRO。彼のライブが見たくて開演前から入場していた私だが、その期待をまったく裏切らないスターぶり。彼の音楽性を一言で表すと、ビジュアル系前夜、80年代後半のビートロックのパンク解釈によるオマージュ…ということになるのだろうけど、この日の彼が見せてくれたのはそんな外形的なスタイルなどで語れるものではなかったような気がする。衣装が破れてもステージから落ちて腰を強打しても、それでも全力で跳躍することを止めない人間が描く軌道の美しさ…とでも言えばいいだろうか。最初からめちゃ元気をもらってしまった。


続いてはこの日この場に来ようと思った最大のモチベーション、我らがスカートのライブである。何よりライブを観るのが久々すぎるし、このコロナ禍における彼の葛藤をラジオを通じて聴いていただけに、始まる前から感無量…。しかしに鳴り出した入場SEは、エクソシスト2のサントラから「パズズのテーマ」。そう。ナイポレのリスナー投票で選ばれた新SEである。この堕天使DEATHROから悪魔祓いへの劇的すぎる反転、そして間髪入れずに演奏される名曲「ストーリー」。愛と笑いと感傷が入り混じり、わたしの感情はいきなり臨界点を超えた。

バンド編成でのライブは1年2ヶ月ぶりとのことで、最初は緊張感が漂っていたように思うけど、今までよりも少し柔らかさを増した感のある新しいギターの音に導かれるように、タイトだけど優しいバンドのグルーヴは、どこまでも豊潤。そしてこの日初披露となるタイトルからしてもうグッとくる新曲「海岸線再訪」の、あらゆる感情を飲み込んだ上で鳴らされる開いたメロディと弾むリズムが、これまでの日々で流した涙を乾かしてくれるよう。そしてその輝きは中盤で演奏された「トワイライト」で描かれる長く伸びた影と対比されることにより、いっそうかけがえのないものように思われた。ラストの「静かな夜がいい」で楽しそうにステップを踏む澤部さんの姿に、今日は本当に来てよかったと思う私であった。まだ昼過ぎだったけど。


スカートが終わったところでTURN岡村詩野編集長に遭遇。ついさっきまでイマラジを聴いていたのでめちゃくちゃ変な感じ。毎月のように寄稿させて頂いているものの、リアルでお目にかかるのは二年半ぶり。つまり「うたのゆくえ」以来。いつも親切にしてくださりありがとうございます…。


CHAIを挟んで続いて見たのは本日休演。いつもタイミングが合わなくてライブを観るのは久々だったんだけど、もう感電レベルでしびれた。最新作「MOOD」のモノトーンな色合いをさらにダークに極めたような、暴力の気配すら感じさせるギターとリズム。以前はとっ散らかった天才少年的な才気がユーモアすら漂わせていたと思うのだけれども、今はグッとシンプルに研ぎ澄まされている感じ。初期の北野武映画のような張り詰め具合とでも言おうか。MCで口を開くととぼけた学生さんの風情も残っているのだけれども。一曲目に演奏された「全然、静かなまま」から、エバーグリーンなバブルガムポップを鋭利なズタズタに切り刻み続けるような異形ぶりが圧巻だった。ああまたすぐにでも観たい…。


本日休演の興奮を冷ますために京都御苑を散歩。案内によると明治時代に東京へ遷都してから御所周辺が荒廃したため整備されたとのことだが、とにかく広い。広すぎる。どこまでいっても御苑じゃないか…と途方にくれたところで視界に入ったファミレスで休憩(はるばる京都まで来たのに)。

 

さて。すでに歩数は20,000歩近いが、ここから後半戦。フジロックではGEZANと重なり見ることがかなわなかったTHA BLUE HERB。めちゃくちゃ久しぶりに観るライブだけど、2000年のホワイトステージで刻まれたタトゥーは一生消えることはない。まるで熟練の牧師の説法のような怒涛のアジテーションは、すっかりヨレヨレに縮んでしまった中年の魂に火をつけ、再び滾らせてくる。文字にすればうんざりするような暑苦しいメッセージが無二の説得力を持つのは、各地で真剣勝負を重ねた経験値と、綿密に計算された音楽的快感に裏打ちされているからだろう。BOSSの発声一つひとつがキックやスネアと擦れ合い、ファンクネスを倍化させているのである。これぞ日本のヒップホップ無形文化財。聞けば曽我部さんと同い年、50歳とのこと。俺の「一番いいやつ」はまだ来てない…のだろうか。


そしてボロフェスタの顔であるLimited Express(has gone?)の登場。すっかり足腰がパンパンになったところにドロップされるハードコアパンク祭り。もうやけくそで楽しくなってくる。ついうっかりしてたけど、初めてDEATHROとリミエキを一緒に観たのは、2016年春のメテオティックナイトだった。あの時はECDのライフが観たくて今池ハックフィンへ足を運んだものの、まだこの界隈のバンドのことを全然知らなくて、ただただあっけにとられていたんだよな。今となってはいい思い出だ…なんて感慨に耽っていたら、ボーカルのYUKARIさんが5メートルはありそうな脚立の上に登って歌っていた。なんなんだこれは。もうECDもどっかかから現れてくるんじゃないかっていう生命力。死ぬまで燃やし尽くそうぜNever Die…

 

狂乱のリミエキから一転、Nicoの「These Days」に乗って登場したのはHomecomings 。リミエキと同様、ここ京都をルーツにするバンド。この日の彼らのライブから受けた感覚を表す言葉をあれからずっと探しているのだけれども、ホーリー、神聖という形容詞が最もふさわしいのではないかと思っている。なんと大仰な。しかしそう思ってしまったのだから仕方ない。スケール感を増したメロディーはこの街を包み込んでいく夕闇で、ギターのアルペジオのきらめきはそこに降る星くずのようだった。インディペンデントなお祭りの終わりに鳴らされる、どこまでも青い永遠のインディーロック。こんな学園祭が私の青春にもあってほしかった…と最後に演奏された「Cakes 」を聴きながら思わずにはいられなかった。いやでもコロナ禍をくぐり抜け、会いたい人にたくさん会うことができた今日という日もまた、私にとっての学園祭だったのではないか。胸いっぱいである。

 

そんなわけでなんとなく大団円ムードに浸っていた私の前に、まだまだロックンロールは鳴り止まないぜ…と登場したのはサニーデイ・サービス。この一年で彼らのライブを観るのは4回目だが、それぞれのライブでまったく違う表情があった。そしてこの日の彼らは、若いオーディエンスやスタッフを大御所のオーラや技量で圧倒するのではなく、フラットな関係にある仲間としてステージ上に立ち、伸びやかに演奏していたように思えた。「セツナ」や「さよなら!街の恋人たち」といったロックナンバーではよりタイトになった演奏で胸をかきむしってくるわけだけれども、3回目のやり直しでようやく完走した新曲「TOKYO SUNSET」、今は亡き丸山君の思い出に触れた後に演奏された「若者たち」、そしてアンコールの「サマーソルジャー」は、このボロフェスタという青春を完走したオーディエンス、すべての出演者、スタッフを讃えるように鳴り響いていた。この空気こそが、ボロフェスタの魔法なのか。ちょっと知ったような気になりながら、10時間近く滞在したKBSホールを後にした。

 

誰にも行くことを告げられず、そして誰にも会わないままに帰ってきたフジロックがわずか2ヶ月半前。ボロフェスタでも禁酒、検温、マスク、追跡サイトへの登録といった管理はしっかり行われていたわけだけど、みんなが集まって音楽を楽しむ、その喜びを分かち合うという行為に、後ろめたさを感じなくてもよいという開放感は想像を上回るものがあった。そしてそれはどのライブ、フェスでも一緒かと言えばそういうわけではなくて、作り手の熱量や、出演者の思い入れがダイレクトに感じられるボロフェスタだからこそ、という部分が大きかったと思っている。この日お会いできたすべて皆さま、ありがとうございました。

サニーデイ・サービス「TOKYO SUNSET」

2021年の夏。

俺もおかしかったし、みんなもおかしかった。まだ何も決着がついたわけではないけど、10月13日にリリースされたサニーデイ・サービスの新曲「TOKYO SUNSET」は、この狂った夏を走り抜けたアーティストからの手紙のようなものだと思った。もう少し踏み込んで言うと、この夏に打ちのめされた俺たちの気持ちを代弁してくれた曲なんじゃないか、という気すらしている。


パラリンピックが終わって空っぽの9月」という歌い出しが想起させるのは、逆にあまりにも空っぽじゃなさすぎた8月までのこと。制御不能の新型コロナウィルスの感染に怯える中で開催されたオリンピック・パラリンピックの果てしない混沌。一方で軒並み中止に追い込まれたロックフェスと、石を投げられながら厳戒態勢で開催されたフジロック。今はどれも無かったことになってしまっているけど。

続く「きみからのメール もう一度読んだ」「太陽はいつだってぼくらの側にいるんじゃなかったのか?」というフレーズから連想したのは、真夏の太陽の下で開催されたフジロックを巡って様々なアーティストが表明せざるを得なかったステートメントのことだ。ミュージシャンにとっては音楽こそがステートメントのはずなんだけど。そういえばその昔に「太陽は僕の敵」という曲を書いたアーティストも長い文章を書いていたけど、みんな読んでくれたのだろうか。あれは自分というものと真正面から向き合った誠意の塊のような文章だったと思っているけど、気にかけたりちゃんと反応してくれた人はほとんどいなかったように思う。やっぱり太陽は僕らの側にはいなかった。

 

「移り気なホームレス 変わりゆく街の色をまとってただうろつく」

前のヴァースでの予感が正しければ、ここで言う「ホームレス」とは、定見なくフラフラと言論というバットを振りまわしながら歩く評論家、次から次へと標的を探しまわっているマスコミやジャーナリストのことに思えてくる。本当のホームレスの人たちには失礼すぎる解釈だけど、ホームレスの人たちそれぞれに事情があるのと同じように、評論家やジャーナリストにも、そう振る舞わなければならない理由がある。そんなことまでを汲んだ表現なのかもしれない。

 

そして

「TOKYO SUNSET 言い訳はぜんぶのみこまれてしまう(はあ…)」

「TOKYO SUNSET 涙が出るほど美しいねホント」というサビ。

ソカバンを彷彿とさせるシンガロングなメロディに乗ると、まるで美しい夕暮れを讃えているようにしか聴こえないけど、歌詞だけを抜き出してみると皮肉めいた、うんざりした感情が浮かび上がってくる。例えば小山田圭吾やGotchや太田出版が書いたメッセージがどんなに真摯なものだったとしても、SMASHクリエイティヴマンがどんなに誠実な仕事をしても、そんなことに誰も興味を払ってはくれないという無力感に重なり合う広すぎる空。そんなやるせなさが吐き出されているように思えてしまう。

 

一番の歌詞がこの街を覆った狂気を語ったものだとするならば、二番に出てくる「もしもアベンジャーズがこの街に現れたとしたらオレをやっつけてくれ頼むぜ」という歌詞には、その狂気を飲み込んで生きていかなければならないことへの罪悪感が込められているようだ。例えばサニーデイフジロックに出演した時の葛藤は、外からは想像できないくらいに深いものだっただろう。それでもあえて私は、この感覚は彼らだけのものではなく、私たち自身のものでもある、と言い切ってしまいたい。コーネリアスへの過剰なバッシングに抵抗したり、こっそりフジロックに参加したり、マスクを着けて無言のままライブハウスへ足を運ぶことで、世間というアベンジャーズにやっつけられてしまった私(たち)もまた、投げやりになりそうなくらいの罪悪感の中にいたのである。しかも俺は今までずっとアベンジャーズ側を生きていると思っていたわけで、もう笑うしかない。こんなにあっけなく悪者になっちゃうんだな、という虚無感は、これから先も引きずっていくことになると思っている。

 


長々と自分のトラウマに引き寄せた勝手な解釈を書いてしまった。でも結局のところ、この曲の何が最高なのかと言えば、かくも重くてドロドロした現実を乗せても、サニーデイ・サービスというバンドワゴンはそのスピードを緩めなかった。そして、こんな答えのない憂鬱すらも燃料に変えてしまうロックンロールの魔法を体現してくれたということに尽きると思う。ロックがつくった傷はロックでしか治せない。そう考えると、日本のミュージシャンにとって「2021年の夏」というテーマは何よりもタイムリーで、誰にとっても切実なものだと思うのだけれども、そこに手を突っ込んだ表現に、少なくとも俺はまだ触れていない。またしてもサニーデイ・サービスがファーストペンギンになってしまう光景、ここ5年くらい何度も繰り返されているような気がする。

ともかく、早くこの曲をライブ会場で(声は出さずとも)、彼らとシンガロングできる日が来てほしいし、この夏に打ちのめされた人たちが、新しい季節に進めることを祈っている。

 

2021/11/4追記

「TOKYO SUNSET」のMVが発表に。私の妄想とは一切関係のない、どこまで純情でリアルな高校生の物語。曽我部恵一監督作品。こちらが真説でしょう。しかしこんな清々しく美しい物語を真ん中に置きつつも、私のようなおじさんの葛藤も乗せてドライブしていくサニーデイのロックンロールの懐の深さに、改めてやられている。

 

youtu.be

 

 

 

 

映画「ドライブ・マイ・カー」にまつわる車の話

村上春樹の「ドライブ・マイ・カー」は出たばかりの時に読んだはずなのだけど、その内容はほとんど覚えていなかった。今回、映画を観てから改めて読み直してみたが、やはりあまりピンと来るものがなかった。主人公・家福が抱えていた葛藤が私にとってはそこまで切実あるいは特別なものとは思えないのかもしれない。


それにも関わらず、3時間にもわたる映画「ドライブ・マイ・カー」から一瞬も目を離すことができなかったのは、この映画が結論や主題によって引っ張るものではなく、過程と細部を堪能させる作品だったからということなのだろう。そしてこの過程と細部を丹念に描き込むにあたり、原作と絶妙に設定をずらすことで、村上春樹特有の灰汁のようなものを取り除き、彼の作品とは距離を感じている私のような人間を含めた、多くの人々の琴線に触れることができたように思う。


この「過程と細部の描き込み」という観点において、時代遅れの車好きである私がどうしても語りたくなってしまうのは、なんと言っても映画に登場する自動車たちのことである(もちろん他にも語りたくなるあれやこれやは山ほどある映画なのだけど、そこは然るべき人が然るべき内容を語ってくれるでしょう)。


まずは影の主役と言うべき家福の愛車である赤い車。スウェーデンのサーブ社が1978年から1993年まで製造していた900という名車である。かつてこの車を本気で手に入れようと思った者として、この映画に登場する900の美しさには心底胸を焦がされた。なぜあの時、勇気を出して手に入れなかったのかと悔やんでしまうくらいに。空力特性を意識した先進的なボディライン、運転手の操作性を重視し内側へと湾曲したインストゥメンタルパネル、そして経年変化と相まってシックさを増したボディカラーといったサーブの愛すべき特徴がスクリーンにしっかりと刻み込まれており、こんな魅力的にサーブを撮るなんて…と濱口竜介監督に嫉妬と畏敬が入り混じった感情を抱いてしまった。そして映画のクライマックスで、サーブが古い車体を軋ませながら自らの生まれ故郷にも似た北国へとひた走る姿はあまりにも健気だったし、戦闘機も製造する航空機メーカーというサーブ社の誇り高き出自を思い起こさせるほどに勇壮だった。普段はその大ぶりの皮シートで家福の心の傷を包み込み、いざとなればどこまでも乗員を乗せて駆け抜けていくサーブの忠実さと力強さ。この映画の主役の一人と言っていいだろう。


ちなみに販売時期が日本のバブル期と重なっていたこの車は、こだわりを持ったリッチな人々が、メルセデスBMWオーナーとのセンスの違いを示すための、ややスノッブな選択肢ともなっていた。その象徴的なモデルがイエローのカブリオレ(オープンカー)であり、雑誌のグラビアなどでもよく見かけた記憶がある。原作では家福はこの黄色いカブリオレを所有しており、人気俳優同士のカップルであった家福夫妻のハイセンスな都会性を表す小道具という側面があったことが伺える。しかし、映画に登場する赤いそれは、かくしゃくとしつつも重ねてきた年月を感じさせるサーブ(と言っても年式を考えれば極上のコンディションである。だってサンルーフは動くし、雨漏りだってしないのだから)からは、そうした虚飾はまったく感じられず、ひたすらに家福の質実さを強調する相棒として存在している。つまり、同じメーカーの同じ車種を登場させながらもディテールを微妙にずらすことで、原作とは異なる性格を主人公に宿らさせたということである。どちらが正しいという問題ではないが、やはり私は赤いサーブに乗る家福にこそシンパシーを感じてしまう。もちろん西島秀俊の素晴らしい演技があってこその話ではあるが。


なお、この車と同年代の欧州車を保有したことのある者として付け加えると、高温多湿の日本において30年前に製造されたサーブを広島から北海道まで走り切れるくらいのコンディションで維持するのは、一定の経済力はもちろんのこと、頑なこだわりと車に対する深い愛がなければ絶対に不可能である。

 


また車という観点でもう少し細かい点を書くと、家福を演出家として広島に招いた公的機関の公用車として登場するミニバンが、広島に本社を置くマツダビアンテ(不人気につき17年に生産終了している)だったという芸の細かさも映画のリアリティを高めていた。おそらく誰も意識しないくらいのさりげなさだったとは思うが、同じくらいの細かさがそれ以外の部分、例えば衣装や音楽や録音などにも張り巡らされていたと思えば、あの映画の異常なまでの説得力にも納得がいく。


さらに、岡田将生演じる若き俳優・高槻の愛車がサーブと同じスウェーデンのメーカーであるボルボであったことも見逃せない。しかし、家福のクラシカルなサーブとは対照的に、高槻のボルボはおそらく最新型のV60だったというところがポイントだ。この違いが、同じ女性を愛しながらも、生き方や価値観において相入れない二人の関係性を暗示しているように思えてしまうのである。

 


なお、自動車メーカーとしてのサーブは2010年に事実上姿を消している。この苦い史実もまた、家福やみさきが歩んできた道のりと重ね合わせてみるとどこか示唆的であるように思えてならない。だからこそ、みさきがあの忠実で勇敢な車を、今もまだどこかの国で走らせているというエンディングが、より大きな希望を与えてくれるのである。

2021年8月22日の記録(フジロック3日目)

フジロック最終日。夜更けに降り出した雨も朝には上がり、本日も晴天スタート。天気予報は降水確率90%だったのに。今年の苗場の空はとてもいい奴。

今日は朝から観たいライブが目白押しで、その上で大トリの電気グルーヴまでどう体力をもたせるかというのが最大の課題。

まずは10:30からRed Marqueeで君島大空か、Pyramid Gardenで曽我部恵一ソロかという二択問題を迫られるが、やはり生涯一ファンとしての立場を貫き曽我部ソロへ。

 


10:30- 曽我部恵一@PYRAMID GARDEN

このステージは私が前に来た時にはまだ無かったと思うのだけど、近くで犬や子供が遊ぶ超ピースフルな場所だった。そのせいか曽我部さんの歌声もいつもより優しめかつ子供に関する曲多めだったような。特にソロでも屈指の名曲「Summer ‘71」を聴けたのは嬉しかった。でもやっぱりだんだんとボルテージが上がっていき、終盤の「LOVE SICK」の歌声は本物の山びことなって空に響き渡っていた。とは言えこの日、ロックンローラーとしての曽我部恵一が一番歌いたかった曲は「バカばっかり」だったんじゃないかという気がする。歌詞はあえて引用しないけど。それにしても朝起きて、ご飯食べて、そのままふらっと歩いて曽我部恵一の歌を聴くことができるという非現実感。実はもう死後の世界にいるんじゃないかとすら思ってしまった。

 


ちなみにPyramid Gardenはプリンスホテルの裏側にあるのだけど、「お前、20年経ってもここには泊まれないからな!」と貧乏学生だった私に教えてやりたい。

 


RED MARQUEEのSTUTSに間に合うようにメイン会場へ。しつこいようですが(実際にしつこかったので!)、検温・消毒・荷物検査はもちろん実施。ちなみに会場の水回りにはコゼットジョリが提供したハンドソープと消毒ジェルが潤沢に設置されていた。何度でも手を洗いたくなるいい香り。

しかし暑さと寝不足にやられた中年男性こと私、マーキーの中に入っていく元気がなく、外から眺める。疲労で免疫も下がっているかもしれないので、昨日以上に慎重に行動しなければ。手洗い・消毒・密回避。あとは栄養。

 


12:50- cero @GREEN STAGE

私的メインアクトのひとつ・cero。ワンマンが中止になってしまった無念をここで晴らしてください!と思っていたが、どうもサウンドチェックに苦労している様子で、やや押してスタート。配信スケジュールの関係か、ちょっと慌ただしい。そしてこれは私の体調(この時が疲労のピークだった)のせいかもしれないが、音のバランスも極上のフジロッククオリティには到達していないように思われたことがやや残念。しかし、フジロック・グリーン・配信あり、という大舞台でも、浮足立つことなく今の自分たちが鳴らすべき音と、鳴らしたい未来を提示する誠実さは、なんだかこちらまで誇らしくなってしまうくらいに清々しい。この日の白眉はなんと言っても「Contemporary Tokyo Cruise」から「FALLIN'」そして新曲「Nemesis」までの流れではなかろうか。特に間奏で披露されたポエトリーリーディングは、バンドと観客の立ち位置を鮮やかに入れ替えて、この苗場の山を大きな物語の中に封じ込める魔法のようだった。

配信は途中で終わってしまったと聞いたけど、ライブの最後に高城くんが「まっちゃん、さとちゃん、見てる?」と言いながらカメラに向かって手を振ったシーンは放送されていたのかしら。ちなみにポエトリーリーディングの時に読んでいたノートのカバーには大きく「街」「里」と書いてあった。このぶっちぎりのベストファーザーぶりも音楽の豊潤さに反映されているように思う。

 

 

 

本日の昼食はイエロークリフ。人が全然いない。同行者がノロノロとご飯を食べている時にまた大雨が降ってきて、かなりしっとりしたポテトを食べる羽目になっててウケた。こういうシーンを笑い飛ばせるくらいにはこの二日間で鍛えられた我々だ。

 

 

 

14:55- Ms.Machine @ ROOKIE A GO GO

大雨の中、ルーキーステージ(苗場食堂と兼用)でMs.Machineのライブを。今年の春に観たChoose Life Projectの配信番組でのライブがとても良くて、音源も手に入れたドラムレスの三人組。フジロックという究極の祝祭空間で鳴らされる、ストイックでダークなゴス・サウンドの異物感と、来年の出場権を賭けたオーディションというある種の不平等性を帯びたシチュエーションでも、フェミニストとしてのポリシーを曲げない強さに痺れた。この会場で友人が受けたという差別的な言動を告発した後で、「たとえ投票が最下位でも、私たちが一番最高。必ず大きいステージに上がります」と言い切る姿は、優越的権利を持った男性である自分がどこまでシンパシーを感じていいものかと考えてしまうくらいに、鋭い切れ味だった。ちなみに隣のグリーンでは秦基博ドラえもんの主題歌を歌っていて、このフトコロの深さ、レンジの広さがフジロックだな…と思った次第。

 

 

 

15:50- 羊文学 @RED MARQUEE

続いては同行者が本日一番楽しみにしていた羊文学。私もライブを観るのは初めてだったんだけどすごく良かった。メロディが綺麗なバンド、というイメージだったんだけど、一曲目からJoy Divisionみたいな重いリズムだし、歪んだギターも荒々しさが絶妙にコントロールされていて気持ちがいい。ポップであるためにロックンロールを一切犠牲にしていない音、というサウンドに感銘を受けました。特にドラムの人はシンプルなセットをガンガン叩く様が痛快だったんだけど、帰りの車の中で同行者から「え?あの人、男性だよ」と言われて二度びっくり。自分、いろいろ修行が足りないことを痛感。

 


マーキーを出てトイレに向かうと、MISIAが「君が代」を熱唱する声が聞こえてきてびっくりした。アーティストそれぞれの2021年があるんだな…。

 


ホワイトステージのブルーハーブと重ねるなんて殺生な…と思いながら、GEZANを見るべくレッドマーキーに残る。この時ばかりは配信勢が羨ましかったが、この不自由さがフジロックですよ!と涙目で強がる。でも配信を観ている人とリアルタイムで興奮を共有できるというのは、特に会話がままならない今年のフジにおいては、とてもありがたいものだった。そしてアーティストたちも、出演に対して多くの批判を受ける中で、配信で多くの人が観ていることを心強く思っていることがそれぞれが語る言葉の端々から感じられた。

 


17:40- GEZAN @RED MARQUEE

初めてのGEZAN。サウンドチェックの最後にぞろぞろとステージに現れたのは、聖歌隊のように並ぶたくさんのコーラスメンバー。ライブを無事にやり遂げるという観点ではメンバーを絞った方が無難だと思うんだけど、そもそも目指しているところが違うんだろうな…とライブ前から圧倒される。そして本番がスタートすると、マヒトは巨大なマンモスのような被り物をかぶって登場し、爆発的なダブ処理が加えられた、総勢20名によるノンストップのトライバルビートに合わせて歌い踊り、煽る。まるで獰猛なライオンキングのような世界。不測の事態を警戒して会場最後方にいた私だが、傑作「狂(KLUE)」の身体的快感をさらにバージョンアップさせた狂乱の坩堝に叩き込まれ、一瞬で心のヒューズが飛んでしまった。後半になって降り出した大雨を避けるために人がたくさん流れ込んできたためマーキーを脱出してしまったけど、ものすごい体験をしたという実感がある。

 

マーキー脱出後、GEZANで踊る私の背中を会場の外から眺めていた同行者に「なんでまだそんな元気なの?身体の中になんか入ってるの?ヤバくない?」と言われて恥ずかしくなった。

グリーンステージ前で休憩していると、忌野清志郎トリビュートステージが始まった。メインステージのトリ前でこの企画はちょっと内向きがすぎないか、と思ったりもしたけど、ステージに立つクリス・ペプラーを目撃できてちょっと嬉しかった。生クリペプ、ダンディーだったな…。そしてエセタイマーズとして登場したGotch(に似た人)が「(Twitterでの批判を受けて)ここに来るまで、もう今日で死んでもいいっていう気持ちになっていた」と言葉を詰まらせながら語り出して、そんなに大変なことになっていたのかと驚くと共に、今日もずーっと頭の中にこびりついている、今自分がここにいることの是非について改めて考えさせられる。私も十字架を背負ってる以上えらそうなことは言えないけど、政府がコロナ感染対策に失敗したツケを、特定の産業・職業の人だけ払わせることが本当に正しいことなのか、こうした個別のイシューに国民の議論が集中することによって、もっと根本的な問題への関心が薄れてしまうのではないかという疑問を抱かずにはいられない。そしてGotch氏のミュージシャンとしての、あるいは一人の社会人としての責任を果たそうという姿勢に対する敬意は1ミリも揺らがないですよ、と言いたい。

それにしても「セブンイレブンで流れている(モンキーズの)曲のカバーを歌った忌野清志郎(に似た人の)バンドのニセモノ」というエセタイマーズのプロフィールを同行者に説明するのはとても大変だった。

 

19:30- CHAI @RED MARQUEE

マーキーに戻ってCHAIサウンドチェックでダフトパンクの「Get Lucky」を演奏してくれるサービス精神よ。そして最初から最後まで完璧にショーアップされた本編は完全にワールドツアー仕様になっていて、日本という呪縛から解放された風通しの良さが、特にこの地獄のような2021年においては頼もしく輝いていた。が、きっとコロナが無ければきっと今頃は世界中でライブしていたんだろうな…と思うととても切ない。それにしてもニューウェーブ、ヒップホップ、テクノにR&Bとスタイルも演奏する楽器も目まぐるしく変えていくのだけれども、やることなすこと全てツボを押さえていくずば抜けたセンスに改めて驚愕。数年前、初めて彼女たちのライブを見た妻が「生まれ変わったらCHAIのメンバーになりたい」と言っていたけど、確かに同じ人類とは思えない、ある種の進化すら感じてしまう。それだけに、フジ出演にあたっての迷いを吐露したシーンは、この人たちも私たちと同じ人間なんだなと胸が詰まった。出演した人、出演しなかった人、全員がここまで追い詰められた要因が、自己責任の一言で片付けられていいとは私には思えない。

 


外に出ると苗場食堂で奇妙礼太郎が歌っていたが、さすがにステージが小さすぎて入場規制。これが最後の食事か・・・としんみりしながらもち豚丼を食べる。めちゃめちゃ美味い。さて次は電気グルーヴ。とうとうここまできたぞ。足腰が最後まで持つのか分からないけど。昨日と同じくステージ後方に陣取る。グリーンステージはどれだけ遠くにいても過不足ないサウンドが聴こえてくるし、モニターも観ることができる。この20年の間に、日本中の至るところで野外フェスが開かれるようになったけど、音響のクオリティという点ではやはりフジロックは凄まじい。そしてステージ前の密集を避けるという意味でも、良い音を広く響かせるというのは有効な策のように思われる。

 

 

 

21:40- 電気グルーヴ@GREEN STAGE

そして待ちに待った電気グルーヴの登場。待ちに待った、というのはもちろんこの三日間のことだけではなく、本来なら19年に行われるライブが瀧の逮捕・起訴、そしてコロナにより2年も延期されてしまったという意味でもある。その間、SMASHも電気を待ち続けたし、電気も仁義を貫いて有観客ライブは開催せずに待ち続けた。フジ数日前にその経緯を記録したトレーラー映像がYouTubeで公開されたのは、改めて両者の絆を確認するという意味があったのだろう。電気をステージに呼び込んだのはもちろんSMASH代表の日高氏。このシーンだけでもグッとくるものがある。

そして誰しもがガチガチに力が入るこのシチュエーションで、巨大なホームランを叩き込んだのがこの日の電気グルーヴだった。あの音と光と映像、そしておっさん同士の濃厚なジャレ合いによって生み出された巨大な多幸感は一体なんだったのか。ライブからしばらく経った今もよく分からないまま、とにかくとんでもないものを全身に浴びたという感覚だけが残っている。

一曲目の「Set You Free」の昇天感あるシンセサイザーとギターサウンド、伸びやかな石野卓球のボーカルが飛び込んできた瞬間から、これはただごとではないぞ…という予感に胸が高鳴る。そして「人間大統領」以降の、ドラムマシンにも気合いというものが宿るのか?と思うほど生命力に溢れたビートと「BBE」に象徴される暴走する言語感覚。同行者から「これがテクノって音楽?」と聞かれたが、私にもさっぱりわかりません。とにかくエレクトロニックでファンキーでビザールなダンスミュージック。しかしこんな音楽は世界中にここにしかないから、名前なんてなくても良いのではないだろうか。

そして「恥ずかしながら帰ってきた」ピエール瀧は、完全にスターだった。数百メートル離れた私からもはっきりと見えるオーラ。「どうだ、カッコいいだろ!電気グルーヴだ!」という卓球のシャウトからも伝わってきたように、会場にいる誰よりもこの二人がこのライブを一番楽しんで、誇らしく思っていることがその源なのかもしれない。そしてこの異常な興奮は配信でも余すことなく伝わっていたのだろう。私が苗場にいることを知っている数少ない友人や家族からガンガンLINEが送られてくる。この共有感がまた私の高揚をドライブさせていく。

そしていよいよ大円団。「レアクティオーン」で繰り返される「日本の若者のすべてがここに集まっています」というフレーズを聴きながら、ライトに照らされたオーディエンスを改めて眺める。美しい。俺はこの光景が観たくてここまで来たんだな…と泣けてくる。2021年夏の日本において、この感情がどれだけ罪深いものかということは分かっているつもりではあるのだけど。あの光景は一生忘れないと思う。

ちなみに2000年のホワイトステージでこの曲を聴いた時、CDでは「東京の若者のすべてが…」というフレーズが「日本の若者の…」に変わっていることにとても感動したのだが、あの伏線が2021年に回収されることになるとは思わなかった。人生…!

 

以上で私のフジロックが終了。

とりあえず無事に終わったという安堵と、もう終わってしまったという寂寥が交錯する。今日はほぼグリーンステージとマーキーから動いていないにも関わらず、歩数は30,000歩超。たぶん踊っていた分もカウントされているのだと思う。アホすぎる。ドロドロの身体を引きずってお風呂に行くと、同じようにくたびれた中年男性がみんなドロドロになった電気グルーヴのTシャツを着ており、戦友よ…という気持ちになった。

 

翌日は朝からテントを畳んで帰宅。

途中エアコンが壊れて高速を窓全開のまま走ったり、疲れのあまりサービスエリアで買った栄養ドリンクをそのままゴミ箱に捨てたり…といったトラブルがあったけどそれはまた別の話。

 

あれから1週間以上が過ぎて、今のところフジロックあるいは湯沢町クラスタが発生したという報告もなく、東京の感染者数も一時よりは減少している。しかしフジロックの影響があったのかなかったのか、その判断を下すにはまだ早いのだろう。

会場内での感染対策について付け加えることはないけど、素人ながらに効果が大きかったと思う施策は、「払い戻しを完全フリーにしたこと」だったのではないか。これにより抗原検査で陽性になった人はもちろん、体調に不安がある人が無理をして来場するというケースは、厳しい社会的な視線と相まってほぼ抑え込めたはず。しかし、会場設営費と出演料という固定費がコストのほとんどを占める音楽イベントにおいて、この施策は自分の財布の底に穴を開けるようなものだ。この恐怖に耐えられる主催者が多くいるとは思えない。そして再び全国に広く発出された緊急事態宣言により、8月後半から9月にかけて予定されたフェスやライブは軒並み中止。フジロックが開催できても、音楽産業全体においては、あくまでも点の話にすぎない。産業維持と感染対策を両立させる公的な支援策が必要だと思う。

 

最後まで感染対策の話ばかりになってしまったけど、こんな状況になる前は、日本全国でフェスが開催されるようになった20年代においても、「フジにまだ魔法はあるのか?」というテーマで文章を書きたいと思っていた。その点について結論だけ書くと、苗場に魔法はたしかに存在した、と言い切ってしまいたい。それはあの外界から完全に隔絶した世界や、唯一無二の最高の音響に加えて、この「特別になってしまったフジロック」に出演することを悩み抜いた上で、それでも検査することを選んだアーティストたちのパフォーマンスに、巨大なエネルギーが宿っていたということでもある。そしてきっと来年以降、パンデミックを乗り越えて開催されるフジロックに出演するアーティストは「いつも通りのフジロック」で演奏できるかけがえのなさを思いっきり体現してくれるのではないだろうか。できることなら私もまたその魔法に触れてみたいと心から思う。

 

 

 

 

 

 

2021年8月21日の記録(フジロック2日目)

フジロックに行ってきました。

すみません。

 

出発数時間前まで、開催に対する批判が吹き荒れるTLを眺めながら悩みに悩んだけど、結局最後に勝ったのは、私のエゴだった。

新潟から遠く離れた場所に住む私にとって、フジロックは簡単に行ける場所ではない。距離的にも時間的にも金銭的にも。実際に私が最後にフジロックに行ってから15年も経ってしまった。

そして「観客数を例年の1/3に絞る」「日本で活動するアーティストのみ」という利益面で苦戦が強いられる開催形態になると聞いた時から、97年の第一回に参加し、いい歳をした今でもライブハウスをウロウロしている自分のような者が、今こそ参加すべきなのではないかと思ってしまったのである。コロナウィルスの前ではそれが取るに足りないセンチメントであることは承知の上だけど、フジロックというイベントあるいはSMASHというイベンターに対する敬意と信頼を表したいと思ったし、今私が夢中になっている若いアーティストにとっても、あの舞台がなくなってしまうというのはあまりももったいないことだと思った。


そしてもう一つ参加しようと思った根拠は、コロナ禍以降、ライブハウスや野外フェスにおいて、主催者が感染対策を必死に考え、オーディエンスもまたそれを守っている現場を実際に目にしていたからということもある。みんな自分の大切な仕事場が、あるいは遊び場が無くならないように必死だし、実際に私が行ったイベントでクラスタが発生したことはなかった。もちろん状況は厳しくなっているのも事実だけど、この情勢の下、数々の修羅場をくぐってきたSMASHがいい加減な運営が行うことはあり得ないのではないかと判断した。


なのでまず最初に、今回のフジロックにおけるコロナ対策に関する、私なりの感想を書いておきます。

扇動的な記事でPVを稼ぎたい新潮とか文春とか女性自身には申し訳ないけど、主催者は厳しい感染対策を行っており、お客さんもそのルールとマナーをしっかり守っていた。その結果、例えば毎日10万人近くを動員するプロ野球、同じく毎週数十試合が行われるサッカーと比べて感染リスクが高かったかと言えば、決してそうではなかったように思う。もちろん多くの人が集まる以上、リスクがゼロとは言えないし、対コロナという観点で言えば、開催すべきではないという意見が正しいとは思う。しかし、経済と感染リスクのバランスを取らなければ生きていけない2021年において、フジロックだけがこれほど敵視される理由もないのではないだろうか、というのが結論です。


話を戻します。


そんな様々な葛藤を抱えつつ、そしてそこまで悩むならもうやめておけよというもう一人の自分を助手席に乗せながら、土曜日の夜が明ける前に私は苗場に向かって出発した。雨と霧、そして厳しいカーブが続く中央道を耐えぬいて、9時30分に苗場着。会場至近の駐車場に車を預ける。例年ならこんないい場所を確保できるなんてあり得ないだろう。


会場に入る前にまずはキャンプサイトへ。健康状態を登録したアプリを見せた上で検温、消毒、荷物検査を経てサイト内へ入ることができる。「アルコール持ち込み検査ゆるゆる」と書いている記事もあったけど、かなりしっかりチェックされましたよ。もちろん直前に抗原検査も実施済み。


私は二日目からの参加なので、いい場所にテントを張るのは諦めていたけど、これまたキャンプサイトも空いていた。入口近くの平坦な場所に寝床を確保することができた。


汗だくになりながらテントを立てて会場へ。もちろん再度の荷物検査、消毒、検温あり。天気予報は曇り時々雨だったけど、ピカピカに晴れている。この色の濃い青空と山の緑を眺めて、ようやく苗場に来たんだな…という実感と喜びが湧いてきた。入場ゲート周りの人口密度は通勤時の駅のホームくらいのイメージ。密といえば密だが、人と人が触れることはない。


最初に見えてきたのはグリーンステージのKEMURI。懐かしい景色とあいまって20年前にタイムスリップしそうになる。しかしまずは昼メシを食べたいのだ私はということで、ところ天国で発酵定食とノンアルビールを買ってホワイトステージのカネコアヤノへ…と思ったら係員さんが飛んできてステージエリアでは飲食禁止と注意を受ける。失礼しました…。


12:00- カネコアヤノ @WHITE STAGE

さてホワイトに立つカネコアヤノ。この日のラインナップにおける10年代インディー代表と言ってもいい存在。小さな身体から発せられる気合いが遠目にも伝わってくる、王道のど真ん中を堂々と歩いていくようなパフォーマンスだった。パッと聴くとシンプルな演奏も、実は繊細な音づくりがなされていることがホワイトの最高のPAを通じて身体全体で感じることができたし、特に最後に演奏した「アーケード」の爆発的なアウトロには、勝手にストーンローゼズの名曲「Fools Gold」を見出してしまい、猛烈に興奮した。MCで多くは語らなかったけど、いろいろなことがもう十分に伝わってくるステージだった。カッコいい。

 

通常であればライブの合間はビール飲んだりだべったり…という過ごし方になると思うのだが、なんせアルコールなし・友だちもなしという環境なので、やることと言ったら散歩しかない。森の中のボードウォークを通ってGypsy Avalonへ。ちょうどムジカピッコリーノ楽団が「Just two of us」を演奏していたのだけど、あまりにもスムーズなグルーヴに絶対大人が演奏していると思ったらガチで子供たちがプレイしていて驚いた。

 


13:50  AJICO @WHITE STAGE

そこからまたホワイトに戻ってきてAJICOを観る。旧作にそれほどは思い入れがなかったのだけど、最近出たEP「接続」があまりにも瑞々しいかったので、ライブもぜひ観たいと思ったのである。ベンジーUAも生で観るのはそれこそ00年や99年の苗場や石狩以来かもしれないけど、歌声がまったく衰えていないことに驚く。UAソロの名曲「悲しみジョニー」ももちろん嬉しかったけど、やっぱりAJICOの新曲がフレッシュで良かった。同行者に「あの野球帽を被ったギターの人が、フジロックのグリーンステージ初の日本人ヘッドライナーをやったんだよ」という豆知識を押し付けてちょっと面倒くさそうな顔をされる。

 

14:50- サンボマスター @GREEN STAGE

その後はField of Heavenでスカフレイムスが観たかったけど、同行者がサンボマスターが観たいというのでグリーンステージへ。この日のライブは2021年における人間の感情の全てを、一時間のパフォーマンスに凝縮したような、濃厚で暑苦しく、そして感動的なものだった。会場へ来ること選んだ、あるいは選ばなかった観客のこと、風化しつつある東日本大震災、開催できなかった多くのロックフェスに対する思い。そんな喜怒哀楽に正面から向き合おうという姿勢は、遠くから見れば滑稽で乱暴だったかもしれない。でも、耳を傾けて心を動かされてみる価値は間違いなくあったと思う。「お前らがクソだったことなんて一度もないからな!」という山口の絶叫はずっと忘れないだろう。それにしても3つの巨大モニターにいい感じの山口隆が映し出される光景はすごく良かったな…。

 


ここで最初の雨。しかも雷もセットになったキツめのやつ。苗場の雨はなんでこんなに粒がデカいの…と思いながらカッパを装着したが、すぐ止んだ。涼しい。

グリーンステージの前でゴロゴロしているとクロマニヨンズが登場。同行者に「あの舌をベロベロしてる人が甲本ヒロトだ。ブルーハーツは知ってるだろ?その後に組んだハイロウズも第一回のフジロックに出演しててめちゃくちゃ最高だったんだ…」と本日二度目の日本ロック豆知識の押し売り。

 


17:50- サニーデイ・サービス@RED MARQUEE

本日の私的ヘッドライナーことサニーデイ・サービスの登場。結論から言うと、またサニーデイの最高が更新されてしまった。新ドラマーを迎えて…という枕詞がもういらないくらいに、スリーピースのスリルを保った演奏は一体感を増していたし、曽我部恵一のボーカルもバンドのグルーヴも、これくらい広い会場じゃないと受け止められないでしょ…と思うくらいに伸びやかで巨大だった。そして何よりも、必ずしも熱心なファンだけではないはずのオーディエンスが心から楽しんでいる空気が本当に最高だった。特に「春の嵐」の二番で、バスドラムに合わせてハンドクラップが自然発生した時はなんかもう「ふわぁ…」と心の中で声にならない声が出た。なんなら涙も出てたかもしれない。そして曽我部の「みんな本当によく来たねぇ」という実感が込められた一言から始まった「サマーソルジャー」のかけがえのなさと言ったらもう…。サビの最後、絶叫のような歌声に、この三人も今日の苗場にアーティスト生命を賭けてきたんだな、ということが伝わってくるようだった。できることならグリーンで観たかったと思うけど、生きていれば、生き残ってさえいればまたそんな日も来るだろう。本当に素晴らしかった。

 


レッドマーキーを出ると外はもう暗くなり始めていて、雨のおかげで空気も一層澄んでいた。このトワイライトタイムに、グリーンステージの音響でコーネリアスが観れたのか…と思うとやるせない気持ちになって、夜のボードウォークへ。光に照らされたデコレーションがキラキラしてて美しかったけど、その明滅の向こうに「Mellow waves」が頭の中で鳴ってしまう…。Gypsy Avalonでタコスを食べながら、TwitterKen YokoyamaがMCでいい感じにコーネリアスをいじっていることを知る。来年くらいには復帰できるかも…というイメージが初めて具体的になった気がする。


そしてグリーンへ戻る途中、ホワイトステージのThe Birthdayが目に入る。チバさん、髪は白いけど声はめちゃ若かった。あの発声で30年近く歌えるって一体どういうことなのよ…とモンスターぶりに震えた。

 


21:00- King Gnu @GREEN STAGE

そして本日の真のヘッドライナー・King Gnuがグリーンステージに登場。本当に失礼ながらインディーおじさん的には1ミリも興味がなく、完全に同行者のお付き合いで観たんだけど、これはすごいものを見たぞ…と大変感動しました。ステージの上では炎がバンバン上がって、音響も信じられないくらい音がデカくてクリア。そして何より歌と演奏が、こうしたゴージャスな演出に全く負けないくらいにすさまじく上手い。ファンの方にしてみれば今さらなのかもしれないけど、私はこういうスタジアム級のアーティストを観るのが初めてなので、ものすごく興奮してしまった。特にこの日は多くの90年代レジェンドの変わらぬ勇姿を見せつけられたこともあり、2020年代に輝く若者たちの堂々たるパフォーマンスがひときわ眩しかった。たまにホワイトステージの方角からナンバーガールの音が漏れ聴こえてきて心を乱されないこともなかったが、こちらを観て良かったですよ、ええ。そしてポジティブな感情をめったに表に出さない同行者も喜んでいたので一安心。フジロックに来てることは周囲には内緒なので、配信ライブを観ている体で、友達とLINEのグループで感想を言い合いながら観ていたらしい。


以上で私たちの初日が終了し、出口に向かう。が、ここでこの日一番の密状態が発生。スタンディングゾーンのお客さんは時間差で出すなどの工夫が必要だったかもしれない。それでも隣の人とぶつかるほどの混雑ではなく(二日間で誰かの身体に触れることは一度も無かった)、大声で話している人も見かけなかった。イメージ的にはラッシュ時の駅の階段くらいだろうか。週刊誌やスポーツ新聞としては、ここで思慮のない人間が大騒ぎしてくれないと困るんだろうけど、世間の目に怯えながらクソ高いチケット買ってはるばる山奥までやって来た人間がわざわざそんなことするわけがないのである。


検温・消毒・持ち物検査を経てキャンプサイトへ帰還。あまりにもヘトヘトなので温泉に入浴してから就寝。平たい場所のテント最高。本日の歩数は32,000歩。43歳の俺の足腰。明日も持つだろうか。


ちなみに恥ずかしながら私はアルコールなしには日常を生きられないような人間で、アルコール禁止というルールに耐えられるか不安だったのだけど、究極の非日常であるフジロックにおいてはノンアルコールでも全然平気だった。

 

翌日に続きます(たぶん)。