ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

ホー・ツーニェン「百鬼夜行」を観に行った日のこと。

豊田市美術館で開催されていたホー・ツーニェンの個展「百鬼夜行」は二回観た。でもあともう一回は観たかったな…というくらいの見応えだった。

一度目に観た時は、妖怪という古典的・土着的な存在に新しい命を吹き込む手法の鮮やかさ、視覚・聴覚を完全に奪い去っていく表現の斬新さに圧倒された。ちょうど美術館に向かう車の中で聴いていた、折坂悠太の「心理」にも通じるところがある気がして、なるほどエッジーなコンテンポラリー・アートはフォーマットは違えど通じるところがあるんだな、と思ったりしていた。(サウンドプロダクションでエンジニアの葛西敏彦氏のクレジットを見つけたこともその思いを強くさせた)。とはいえこれは一度見ただけではとても全容を把握できるものではないと思い、12月から開催されていた「旅館アポリア」を観てから再訪しようと思ったのだった。

 

「旅館アポリア」は2019年のあいちトリエンナーレに制作されたインスタレーションの再展示。喜楽亭という豊田市に戦前から存在した料亭旅館そのものを主役にして、その建物が見てきたであろう戦争の記憶を、映像と音響を駆使して召喚する異形の体験だった。そのアイデアと技術にまたしても張り倒されたのだが、その根底にある日本の軍国主義とその論理的支柱となった哲学者たち、あるいは戦争プロパガンダに協力しながら戦後は無言を貫いた文化人に対する厳しい眼差しに驚かされた。私も含めて2019年のあいトリで多くの人たちが目を奪われていたのは「表現の不自由展」のことばかりだったが、トヨタ自動車の城下町というガチガチに保守的な街で、かくもエクストリームな作品が展開されていたとは。すっかり見逃していた自分を恥じると共に、このタイミングで再展示してくれた豊田市の芸術関係者の皆様に感謝したい気持ちになった。もしある種の人々に目をつけられたら、理不尽な事態に陥るリスクは高かったように思うので…。

 

「旅館アポリア」を経て再び相対した「百鬼夜行」から受ける印象は、やはり前回とは違うものだった。初めて観た時は、妖怪が生息する森羅万象の中に、戦争や軍国主義者も含まれているという印象だったのだが、今回はむしろ、現在・未来の現実社会に再び軍国主義という脅威を出現させてはならないという主題が先にあり、それを妖怪というキャラクターにトランスフォームさせたようにすら思えたのである。もう少し端的に言うと、妖怪を隠れ蓑にして、「旅館アポリア」と同じ強度のメッセージをより多くの人に送りたかったのでは、という気がしたのだ。

最終日間近ということもあり会場は満員で、小さな展示室への入室を待っている間に閉館時間が来てしまい、すべての作品をじっくり観ることは叶わなかったけど、観覧後は前回以上に気分が高揚した。帰りの車の中で妻に向かって「社会との繋がりを反映した作品だけがアートでしょ」「俺たちはアーティストって言葉を簡単に使いすぎている」「Mステのゲストをアーティストって呼ぶのはおかしいでしょ。歌手って呼ぼうぜ」などと暴論を開陳し呆れられた。