濱口竜介『悪は存在しない』という映画は石橋英子からライブの時に映写する映像を制作してほしいという依頼から始まっている。その映像作品と石橋のライブ演奏が組み合わされたパフォーマンスには『GIFT』という名前がつけられ、濱口自身が編集したセリフのある映像が『悪は存在しない』となった。よって音楽好きの濱口ファンとしては絶対に観たいやつなのだけれども、今まではなかなか機会がなかった。しかしこの12月の日本ツアーでは、鳥取県のjig theaterで開催されることを知った。鳥取は義父の出身地。しかし私はまだ訪れたことがないし、妻も30年以上行っていない。そんな誰かの古い故郷を訪れるために車を飛ばすなんて、まるで『ドライブ・マイ・カー』じゃないか。そんな安易なアイデアに導かれて、半ば衝動的に予約した。鳥取県がどこにあるのかもよく分からないまま。
物置で眠らせていたもらいもののスタッドレスタイヤに交換して迎えた当日の朝。昼からの回を予約していたので、朝早く出る必要がある。常に盛大に寝坊する妻には「鳥取までは7時間かかる」と2時間サバを読んで伝えてあったので、予定よりも1時間遅れで出発することができた。約400キロ・5時間。よほどのことがない限り、14時半の開演には間に合うはず。
日本海側の天気は大荒れと聞いていたのでいつ雪が降ってくるかと身構えながら三重、兵庫、岡山と通過するもずっと晴天。12月の紅葉を眺めながら鳥取県湯梨浜町に到着。
汽水湖である東郷池の厳しさと優しさが混ざった景色が、高速を一気に走り抜けてきた私を労ってくれる。少し時間があったので、近くにあるカフェ・HAKUSENへ。これがもう湖の上に建っているような素敵なカフェで、窓の外は一面の水。しかも湖とはいえ海と繋がっているので、目の高さくらいまで波飛沫が飛んできて窓に当たる。すぐそばに見える、波に揺さぶられながら果敢に漁をする小さな鵜の姿に胸が熱くなるが、たぶんそんなことでエモくなっているのは私だけ。みなさん、居心地の良い空間で美味しいお茶とスイーツを楽しんでいらっしゃる。この野趣と気品のバランスが最高。このまま景色を見ているだけで一日過ごせるな…と思っていたら、石橋英子さんがスタッフと共にコーヒーを買いにきた。気がつけばいい時間である。きっともう会うこともないであろう鳥たちに挨拶して、会場へ。
カフェから約2キロのところにあるjig theaterは学校の跡地のような建物で、湖が一望できる高台に立っている。見事な銀杏の木から落ちた葉が駐車場を黄色く埋める光景に、この世ではないところに来たような感覚になる。三階まで階段を上がって教室を改装したようなロビーに入ると、壁に大きく「ようこそjig theaterへ」という濱口竜介のサインが。やばい。
客席も普通の映画館とは全然ちがっていて、なんなら寝転べるんじゃないかというくらいに大きなクッションというか、ソファのような椅子になっている。普段よりも椅子が多く出ているとのことだったけど、それでもこのゆったり感はすごい。もうこのまま寝れてしまいそうだ…。開演前に劇場の方から注意事項のアナウンスがあったけど、これもとても和やかなもので、地元のお客さんからの愛されぶりを感じた。しかしこの土地に、二回公演で計100人くらいの人を集めるのは本当にすごいことだと思う。
オンタイムで石橋英子が登場。スクリーン脇に設置されたブースに座る。ざっと並んでいる機材を観たところ、PCとたくさんのエフェクター、ミキサー、フルートとマイクが置いてある。客電が落ちて、即興でフルートのループが作られていくと、さっきまでの和やかさは一変。別世界の緊張感が走る。「悪は存在しない」は二回観ているので、大体のシーンは覚えているつもりだけど、「GIFT」との間にそれほど大きな差は感じない。サイレント映画版の「悪は〜」と想像してもらえば8割くらいは合っているのではないか。ただ、少しだけ時間軸が変わっていたり、あちらにはなかった、あるいはあったはずのショットが増減することによる、わずか2割の変化が作品の印象を変える。ざっくり言うなら、より作品の抽象度を上げ、観る者の想像力をかき立てる効果を生んでいたように思う。特に花の人物像にミステリアスなものがあり、巧との関係性にもより深いものがあるように感じた。
しかし、このパフォーマンスの主役はやはり石橋英子のライブ演奏である。スクリーンを観ながら水挽町に没入しつつ、音の出し入れによって今ここにしかない、新しい世界が現れては消える。この日の演奏では、住民説明会のシーンが一つのクライマックスのように思われた。「悪は〜」ではここに音楽は流れていなかったはずなので、石橋英子がこのシーンに見出した風景を初めて感じることになるのだが、切迫感をもって鳴らされるドラムが、何か取り返しのつかないことに対する警告のように響いた。そしてもう一つのクライマックスは、当然あの衝撃的なエンディングシーンに訪れる。ここも僅かな、しかし明確な映像の違いがあり、巧と花、そして鹿の関係性に何か深い秘密が仄かされているような印象を受けた。山でしか生きることができないものだけが共有する禁忌のような何か。それを巡るめまぐるしい葛藤が、あの数分間にはあったような気がしている。そのことは、あの映画の音楽はなぜあんなにも重く悲しいのかという、私にとって最大の問いに対する(一つの)答えのようにも思った。
映画館での演奏ということで、果たして音響はどうなんだろうと思っていたが、スタジオの空気まで封じ込められた音が神経を直接触ってくるような、繊細かつダイナミックな音に感動した。
物販では石橋さんがCDにサインをしてくださったので、何か気の利いた感想の一つも言いたかったけど、たった今経験してきたことがまったく頭の中でまとまらず「素晴らしかったです」とだけお伝えして劇場を後に。するとシアターを出てすぐの壁に、いかにもインスタントカメラで撮った写真が貼り付けてあることに気づく。なんだこれ…と思ってよく観ると『SUPER HAPPY FOREVER』を観た人なら分かる「あの写真」だった。なんだよこの心憎さは…。ついさっきカフェを出た時に感じた「もうここには来れないかも」というさびしい気持ちは、「やっぱそんなことないかも…」と変わっていた。
jig theaterに行くならもう一つ行かなければならない場所があった。それがちょうどカフェとシアターの間にある書店・汽水空港。東郷清丸がライブをやった時からずっと気になっているお店だったのだけれども、湖畔に立つ佇まいからしてもう最高が確定していた。お店に入ると何か懐かしい気持ちになったのは、安城カゼノイチに通じる空気があったからだろう。
(太平洋側から見れば)日本の最果てに位置する場所で、一切の妥協がないラインナップの本屋さんがあるというのはなんと感動的なことか…と店内を徘徊していると、北沢夏音著「Get back, SUB!」と目が合う。ここで出会うのかよ、と震えた。そしてお店の壁には濱口竜介、坂口恭平などのサインがあったが、一番目立っていたのは我らが東郷清丸だった。頼もしい。店主のモリテツヤさんと少しお話しさせてもらったところ、翌日はこの間読んだばかりの「ストリートの思想」をテーマにしたトークショーがあるという。なんとしても参加したいと思ったが、18時スタートではさすがに愛知まで帰れない。泣く泣く諦めるが、店を出る頃には「必ずここにまた来よう」という決意が固まっていた。私ももういい大人なので、ちょっとセンスがいいくらいのお店では動じないくらいに心の皮膚が硬くなっているが、今日はずっと驚かされっぱなしである。
夕暮れの絶景に後ろ髪をひかれながら車を出してすぐ、またしても石橋英子さんとスタッフにすれ違う。皆さんもこの夕陽を見に来られたのかしら…とちょっと嬉しくなる。この景色はあまりにもドラマチックすぎて、逆に映画の舞台にはならないよな…と思ってしまった。
鳥取駅近くのホテルに着く頃にはすっかり暗くなり雨が降ってきた。ようやく日本海らしい気候になってきたぞ…と思いつつ、あたりをつけていた居酒屋に向かうが、見事にどこも満席。やむなく学生さんしかいない激安焼き鳥屋さん(飲み放題60分980円)にイン。しかしそこも私たちで満席になってしまった。メニューには刺身すらなく、日本海の海の幸を口にできないまま死ぬのかと凹む。このままじゃ終われないぜ…とこれまたあたりをつけておいたレコードを聴かせてくれるというバーへ。壁にずらっと並んだ山下達郎と竹内まりやのレコードが私たちを見下ろしてきて、ここもちょっと違ったかなと不安になるが、今夜この街で俺たちを受け入れてくれるのはここしかないのだ。腹をくくってマスターと達郎放談。結局すぐに楽しくなってめちゃくちゃ飲んだ。かつて出張で訪れた郡山のバーでも、名古屋の居酒屋でも、初めて会ったお客さんや店主と達郎の話で意気投合していたことを思い出した。一時期はよく通っていたけど思想の違いで足が遠のいた近所のソウルバーも、もともと達郎繋がり。音楽ファンにとってこんな強力な共通言語もない。だからこそ、あのアップデートできない偏屈さが惜しまれる。
ホテルに帰還後、いい大人なのに「ナミビアの砂漠」状態を経て(タクシーのシーン…)、長い一日が終了。
2日目。この日は鳥取砂丘を見てから義父の実家があった町まで移動する予定。だが、隣にいるナミビアのライオンが起きない。二日酔いらしい。なんとかチェックアウトして喫茶店に行こうとするも、シジミ汁しか飲みたくねぇし車から降りられねぇとおっしゃる。仕方なくセブンイレブンで味噌汁を買い、お湯を入れて駐車場で朝食。鳥取まで来てこれですよ。でもまあケリー・ライカートの「ウェンディ&ルーシー」っぽいとも言えるし、うまくいかない日だって人生いつかは全てがいい思い出。そう自分に言い聞かせてみるが、この死体のような何かを一日助手席に乗せて運搬するのかと思うとつらい。憐れみの3章じゃないんだから…
鳥取砂丘に着くも、もちろん観に行くのはわたし一人。外は嵐のようなみぞれ混じりの雨と風。しかしここまで来て見ないわけにもいかないと外に出ると、目の前に広がるのは一面の砂と山、はるか遠くに見える日本海。急に雨も上がり、遠近感が狂う景色に圧倒されながら、一人で「デューン 砂の惑星」ごっこを堪能。すごい楽しい。せっかくだからちょっとくらい見たほうがいいんじゃない?と手負いのライオンを電話で呼び出すと、ノソノソとやって来たが、なぜか元気。砂丘を見た瞬間、いきなり二日酔いが治ったらしい。アトレイデス家の魔法のおかげだろう。もしくはセブンイレブンで買ったヘパリーゼ効果。
奇跡的に生き返ったゾンビを乗せて、砂丘に砂を運んでくる川の流れを遡り、中国山地へとひた走る。目指すは兵庫と岡山の県境にある若桜町。途中で見かけたコメリで『ドライブ・マイ・カー』のように防寒具を買いたくなるが、私はすでにダウンジャケットを着ていた。念のため不測の事態に備えてガソリンは入れておく。都市部を抜け、田園地帯をしばらく行くと、目に映るものが山と川しかなくなり、世界がぐっと狭くなる。若桜鉄道の線路とも長い時間並走したが、電車の姿を見ることはなかった。それだけ本数が少ないのだろう。すれ違う車もほとんどなく、この先に果たして本当に町があるのかと、いよいよ不安になるくらいの山と山。マウンテン・マウンテン。しかしその間に切り拓かれたわずかな平地に、義父の生まれ故郷はあった。
町役場の駐車場に車を停めて、Googleマップで検索すると生家はすぐに見つかった。8年前に人手に渡った建物には、カフェの看板がかかっている。その場でLINEで義父母に写真を送り、この建物で間違いないことを確認。しかしお店には人の気配がなく、営業はしていないようだった。残念だが仕方ない。せっかくここまで来たのだからと土砂降りの中を駅前を歩いてみると、生家にかかっていた看板と同じ名前のカフェがある。もしかしたら何か分かるかもしれないとお店に入ると、そこは北欧と民芸のテイストがミックスされたような素敵なお店だった。コーヒーを運んできてくれた男性に、このお店と生家の場所にあるカフェとの関係を尋ねると、あちらのカフェは数年前にクローズし、駅前のこの場所に移転してきたとのこと。前の店舗、つまり義父の生家は、今はオーナーの住居になっていると教えてくれた。つまり、私たちがいるこのお店のオーナーが、生家の主ということである。あの建物が父の実家であったこと妻が伝えると、「もしかしてフクタさんですか?」と尋ね返される。なんでも、このカフェの名前はフクタさんの苗字にちなんでいるという。「フク」という看板を見た時にはまったく気がつかなかったが、そういうことか!そして生家の建物は今も、できるだけ元のまま丁寧に使ってくださっているとのこと。旅の終わりにこんないい話を聞けるなんて、まるで映画みたいじゃないかと思ったが、それは傲慢というものだろう。彼らはただ彼らの良心と美意識に従って、受け継いだものを大切しているだけなのだから。偶然の来訪者である私たちのためではない。とは言え、人手に渡った生家がその後どうなっているか、私たちはもちろん、87歳の義父もわかっていなかった。もしかすると荒れ果てていたり、取り壊されていることも可能性もあった。というか、むしろその方が自然だろう。そう考えると、やはりありがたいという言葉しか出てこない。70年近く前に家を出てからほとんど実家に帰らず、故郷に複雑な思いを抱えていた義父も、このことを知ったらきっと喜ぶだろう。残念ながらオーナーの方は不在だったが、今度近くにゲストハウスをオープンするという。また鳥取に絶対に来なければいけない理由が増えてしまった。
胸を熱くしたまま店を出ると、カフェの前にまだ開業したばかりの、鳥の巣という名前の書店があった。鳥取県の両端に位置する、まさにエクストリームな本屋さんで二日続けて買い物できるなんて。筋の通った選書を見ているうちに、本屋というものは平和のためのインフラではないか、という考えが心に浮かんだ。若い店主さん、頑張ってほしい。
わずか1時間ほどの滞在だったけど、人口2600人の小さな町は、これから先もずっと覚えているであろう深い印象を与えてくれた。
暗くなる前に戸倉峠を越えなければならない。再び国道29号を南東に向かって走る。より深くなっていく森はわずかな日光すら遮り、やがて砂丘へと運ばれる砂になる巨大な岩石が転がっている川は野生味を増していく。まるで「ファースト・カウ」のように、この国の原風景にどんどん近づいている感じがする。きっとこの山河は200年前も今日と同じように悠々と流れ、多くの命を育み、時に奪い去っていたのだろう…などと感慨に浸っていると、山頂に白いものが。あら雪!と思った刹那、私たちの目の前も真っ白な登り坂へと変わった。さっき平地で私を猛スピードで追い抜いていったランクルが坂道で立ち往生しているのを見て、緊張感が一気に高まる。実は雪道を走るのは初めてなのだ。本当にスタッドレスを履いていれば大丈夫なんだろうか…と気が気じゃないが、浅井直樹『らせん・分身・スペクトル』を聴いて心を落ち着かせる。わずかにやって来る対向車とすれ違うたび、大丈夫この道は必ず向こう側に繋がっている、と自分に言い聞かせた。今思えばビビりすぎである。
永遠にも思えた(たぶん実際は30分くらいの)ドライブで峠を越えると、急にまた空が開けて、紅葉と夕陽でオレンジ色に染まった山が現れる。川も穏やかさを取り戻し、イカダで牛を運べそうなくらいに緩やか。さっきまでの雪景色はなんだったのか。日本とは不思議の国である。
帰路もほぼほぼ順調に流れて5時間強で自宅着。5年前に140万円で買ったBMW320の、過不足ない加速と、ハンドルを切った分だけ曲がる操作性、安心感のあるブレーキと接地感のおかげで疲れはそれほど感じない。この車がなければこんな旅は思いつきもしなかっただろう。何歳まで続けられるか分からないけど、この車が走るうちはまだ大丈夫なはず。赤いサーブのようにおしゃれではないがこれからも仲良くしようじゃないか。
行きたいところが多すぎるのは困ったものだけれども、来年も元気に音楽を聴いて、映画を見て、旅に出たい。