ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

映画「ドライブ・マイ・カー」にまつわる車の話

村上春樹の「ドライブ・マイ・カー」は出たばかりの時に読んだはずなのだけど、その内容はほとんど覚えていなかった。今回、映画を観てから改めて読み直してみたが、やはりあまりピンと来るものがなかった。主人公・家福が抱えていた葛藤が私にとってはそこまで切実あるいは特別なものとは思えないのかもしれない。


それにも関わらず、3時間にもわたる映画「ドライブ・マイ・カー」から一瞬も目を離すことができなかったのは、この映画が結論や主題によって引っ張るものではなく、過程と細部を堪能させる作品だったからということなのだろう。そしてこの過程と細部を丹念に描き込むにあたり、原作と絶妙に設定をずらすことで、村上春樹特有の灰汁のようなものを取り除き、彼の作品とは距離を感じている私のような人間を含めた、多くの人々の琴線に触れることができたように思う。


この「過程と細部の描き込み」という観点において、時代遅れの車好きである私がどうしても語りたくなってしまうのは、なんと言っても映画に登場する自動車たちのことである(もちろん他にも語りたくなるあれやこれやは山ほどある映画なのだけど、そこは然るべき人が然るべき内容を語ってくれるでしょう)。


まずは影の主役と言うべき家福の愛車である赤い車。スウェーデンのサーブ社が1978年から1993年まで製造していた900という名車である。かつてこの車を本気で手に入れようと思った者として、この映画に登場する900の美しさには心底胸を焦がされた。なぜあの時、勇気を出して手に入れなかったのかと悔やんでしまうくらいに。空力特性を意識した先進的なボディライン、運転手の操作性を重視し内側へと湾曲したインストゥメンタルパネル、そして経年変化と相まってシックさを増したボディカラーといったサーブの愛すべき特徴がスクリーンにしっかりと刻み込まれており、こんな魅力的にサーブを撮るなんて…と濱口竜介監督に嫉妬と畏敬が入り混じった感情を抱いてしまった。そして映画のクライマックスで、サーブが古い車体を軋ませながら自らの生まれ故郷にも似た北国へとひた走る姿はあまりにも健気だったし、戦闘機も製造する航空機メーカーというサーブ社の誇り高き出自を思い起こさせるほどに勇壮だった。普段はその大ぶりの皮シートで家福の心の傷を包み込み、いざとなればどこまでも乗員を乗せて駆け抜けていくサーブの忠実さと力強さ。この映画の主役の一人と言っていいだろう。


ちなみに販売時期が日本のバブル期と重なっていたこの車は、こだわりを持ったリッチな人々が、メルセデスBMWオーナーとのセンスの違いを示すための、ややスノッブな選択肢ともなっていた。その象徴的なモデルがイエローのカブリオレ(オープンカー)であり、雑誌のグラビアなどでもよく見かけた記憶がある。原作では家福はこの黄色いカブリオレを所有しており、人気俳優同士のカップルであった家福夫妻のハイセンスな都会性を表す小道具という側面があったことが伺える。しかし、映画に登場するかくしゃくとしつつも重ねてきた年月を感じさせるサーブ(と言っても年式を考えれば極上のコンディションである。だってサンルーフは動くし、雨漏りだってしないのだから)からは、そうした虚飾はまったく感じられず、ひたすらに家福の質実さを強調する相棒として存在している。つまり、同じメーカーの同じ車種を登場させながらもディテールを微妙にずらすことで、原作とは異なる性格を主人公に宿らさせたということである。もちろんどちらが正しいという問題ではないが、やはり私は赤いサーブに乗る家福にこそシンパシーを感じてしまう。もちろん西島秀俊の素晴らしい演技があってこその話ではあるが。


なお、この車と同年代の欧州車を保有したことのある者として付け加えると、高温多湿の日本において30年前に製造されたサーブを広島から北海道まで走り切れるくらいのコンディションで維持するのは、一定の経済力はもちろんのこと、頑なこだわりと車に対する深い愛がなければ絶対に不可能である。

 


また車という観点でもう少し細かい点を書くと、家福を演出家として広島に招いた公的機関の公用車として登場するミニバンが、広島に本社を置くマツダビアンテ(不人気につき17年に生産終了している)だったという芸の細かさも映画のリアリティを高めていた。おそらく誰も意識しないくらいのさりげなさだったとは思うが、同じくらいの細かさがそれ以外の部分、例えば衣装や音楽や録音などにも張り巡らされていたと思えば、あの映画の異常なまでの説得力にも納得がいく。


さらに、岡田将生演じる若き俳優・高槻の愛車がサーブと同じスウェーデンのメーカーであるボルボであったことも見逃せない。しかし、家福のクラシカルなサーブとは対照的に、高槻のボルボはおそらく最新型のV60だったというところがポイントだ。この違いが、同じ女性を愛しながらも、生き方や価値観において相入れない二人の関係性を暗示しているように思えてしまうのである。

 


なお、自動車メーカーとしてのサーブは2010年に事実上姿を消している。この苦い史実もまた、家福やみさきが歩んできた道のりと重ね合わせてみるとどこか示唆的であるように思えてならない。だからこそ、みさきがあの忠実で勇敢な車を、今もまだどこかの国で走らせているというエンディングが、より大きな希望を与えてくれるのである。

2021年8月22日の記録(フジロック3日目)

フジロック最終日。夜更けに降り出した雨も朝には上がり、本日も晴天スタート。天気予報は降水確率90%だったのに。今年の苗場の空はとてもいい奴。

今日は朝から観たいライブが目白押しで、その上で大トリの電気グルーヴまでどう体力をもたせるかというのが最大の課題。

まずは10:30からRed Marqueeで君島大空か、Pyramid Gardenで曽我部恵一ソロかという二択問題を迫られるが、やはり生涯一ファンとしての立場を貫き曽我部ソロへ。

 


10:30- 曽我部恵一@PYRAMID GARDEN

このステージは私が前に来た時にはまだ無かったと思うのだけど、近くで犬や子供が遊ぶ超ピースフルな場所だった。そのせいか曽我部さんの歌声もいつもより優しめかつ子供に関する曲多めだったような。特にソロでも屈指の名曲「Summer ‘71」を聴けたのは嬉しかった。でもやっぱりだんだんとボルテージが上がっていき、終盤の「LOVE SICK」の歌声は本物の山びことなって空に響き渡っていた。とは言えこの日、ロックンローラーとしての曽我部恵一が一番歌いたかった曲は「バカばっかり」だったんじゃないかという気がする。歌詞はあえて引用しないけど。それにしても朝起きて、ご飯食べて、そのままふらっと歩いて曽我部恵一の歌を聴くことができるという非現実感。実はもう死後の世界にいるんじゃないかとすら思ってしまった。

 


ちなみにPyramid Gardenはプリンスホテルの裏側にあるのだけど、「お前、20年経ってもここには泊まれないからな!」と貧乏学生だった私に教えてやりたい。

 


RED MARQUEEのSTUTSに間に合うようにメイン会場へ。しつこいようですが(実際にしつこかったので!)、検温・消毒・荷物検査はもちろん実施。ちなみに会場の水回りにはコゼットジョリが提供したハンドソープと消毒ジェルが潤沢に設置されていた。何度でも手を洗いたくなるいい香り。

しかし暑さと寝不足にやられた中年男性こと私、マーキーの中に入っていく元気がなく、外から眺める。疲労で免疫も下がっているかもしれないので、昨日以上に慎重に行動しなければ。手洗い・消毒・密回避。あとは栄養。

 


12:50- cero @GREEN STAGE

私的メインアクトのひとつ・cero。ワンマンが中止になってしまった無念をここで晴らしてください!と思っていたが、どうもサウンドチェックに苦労している様子で、やや押してスタート。配信スケジュールの関係か、ちょっと慌ただしい。そしてこれは私の体調(この時が疲労のピークだった)のせいかもしれないが、音のバランスも極上のフジロッククオリティには到達していないように思われたことがやや残念。しかし、フジロック・グリーン・配信あり、という大舞台でも、浮足立つことなく今の自分たちが鳴らすべき音と、鳴らしたい未来を提示する誠実さは、なんだかこちらまで誇らしくなってしまうくらいに清々しい。この日の白眉はなんと言っても「Contemporary Tokyo Cruise」から「FALLIN'」そして新曲「Nemesis」までの流れではなかろうか。特に間奏で披露されたポエトリーリーディングは、バンドと観客の立ち位置を鮮やかに入れ替えて、この苗場の山を大きな物語の中に封じ込める魔法のようだった。

配信は途中で終わってしまったと聞いたけど、ライブの最後に高城くんが「まっちゃん、さとちゃん、見てる?」と言いながらカメラに向かって手を振ったシーンは放送されていたのかしら。ちなみにポエトリーリーディングの時に読んでいたノートのカバーには大きく「街」「里」と書いてあった。このぶっちぎりのベストファーザーぶりも音楽の豊潤さに反映されているように思う。

 

 

 

本日の昼食はイエロークリフ。人が全然いない。同行者がノロノロとご飯を食べている時にまた大雨が降ってきて、かなりしっとりしたポテトを食べる羽目になっててウケた。こういうシーンを笑い飛ばせるくらいにはこの二日間で鍛えられた我々だ。

 

 

 

14:55- Ms.Machine @ ROOKIE A GO GO

大雨の中、ルーキーステージ(苗場食堂と兼用)でMs.Machineのライブを。今年の春に観たChoose Life Projectの配信番組でのライブがとても良くて、音源も手に入れたドラムレスの三人組。フジロックという究極の祝祭空間で鳴らされる、ストイックでダークなゴス・サウンドの異物感と、来年の出場権を賭けたオーディションというある種の不平等性を帯びたシチュエーションでも、フェミニストとしてのポリシーを曲げない強さに痺れた。この会場で友人が受けたという差別的な言動を告発した後で、「たとえ投票が最下位でも、私たちが一番最高。必ず大きいステージに上がります」と言い切る姿は、優越的権利を持った男性である自分がどこまでシンパシーを感じていいものかと考えてしまうくらいに、鋭い切れ味だった。ちなみに隣のグリーンでは秦基博ドラえもんの主題歌を歌っていて、このフトコロの深さ、レンジの広さがフジロックだな…と思った次第。

 

 

 

15:50- 羊文学 @RED MARQUEE

続いては同行者が本日一番楽しみにしていた羊文学。私もライブを観るのは初めてだったんだけどすごく良かった。メロディが綺麗なバンド、というイメージだったんだけど、一曲目からJoy Divisionみたいな重いリズムだし、歪んだギターも荒々しさが絶妙にコントロールされていて気持ちがいい。ポップであるためにロックンロールを一切犠牲にしていない音、というサウンドに感銘を受けました。特にドラムの人はシンプルなセットをガンガン叩く様が痛快だったんだけど、帰りの車の中で同行者から「え?あの人、男性だよ」と言われて二度びっくり。自分、いろいろ修行が足りないことを痛感。

 


マーキーを出てトイレに向かうと、MISIAが「君が代」を熱唱する声が聞こえてきてびっくりした。アーティストそれぞれの2021年があるんだな…。

 


ホワイトステージのブルーハーブと重ねるなんて殺生な…と思いながら、GEZANを見るべくレッドマーキーに残る。この時ばかりは配信勢が羨ましかったが、この不自由さがフジロックですよ!と涙目で強がる。でも配信を観ている人とリアルタイムで興奮を共有できるというのは、特に会話がままならない今年のフジにおいては、とてもありがたいものだった。そしてアーティストたちも、出演に対して多くの批判を受ける中で、配信で多くの人が観ていることを心強く思っていることがそれぞれが語る言葉の端々から感じられた。

 


17:40- GEZAN @RED MARQUEE

初めてのGEZAN。サウンドチェックの最後にぞろぞろとステージに現れたのは、聖歌隊のように並ぶたくさんのコーラスメンバー。ライブを無事にやり遂げるという観点ではメンバーを絞った方が無難だと思うんだけど、そもそも目指しているところが違うんだろうな…とライブ前から圧倒される。そして本番がスタートすると、マヒトは巨大なマンモスのような被り物をかぶって登場し、爆発的なダブ処理が加えられた、総勢20名によるノンストップのトライバルビートに合わせて歌い踊り、煽る。まるで獰猛なライオンキングのような世界。不測の事態を警戒して会場最後方にいた私だが、傑作「狂(KLUE)」の身体的快感をさらにバージョンアップさせた狂乱の坩堝に叩き込まれ、一瞬で心のヒューズが飛んでしまった。後半になって降り出した大雨を避けるために人がたくさん流れ込んできたためマーキーを脱出してしまったけど、ものすごい体験をしたという実感がある。

 

マーキー脱出後、GEZANで踊る私の背中を会場の外から眺めていた同行者に「なんでまだそんな元気なの?身体の中になんか入ってるの?ヤバくない?」と言われて恥ずかしくなった。

グリーンステージ前で休憩していると、忌野清志郎トリビュートステージが始まった。メインステージのトリ前でこの企画はちょっと内向きがすぎないか、と思ったりもしたけど、ステージに立つクリス・ペプラーを目撃できてちょっと嬉しかった。生クリペプ、ダンディーだったな…。そしてエセタイマーズとして登場したGotch(に似た人)が「(Twitterでの批判を受けて)ここに来るまで、もう今日で死んでもいいっていう気持ちになっていた」と言葉を詰まらせながら語り出して、そんなに大変なことになっていたのかと驚くと共に、今日もずーっと頭の中にこびりついている、今自分がここにいることの是非について改めて考えさせられる。私も十字架を背負ってる以上えらそうなことは言えないけど、政府がコロナ感染対策に失敗したツケを、特定の産業・職業の人だけ払わせることが本当に正しいことなのか、こうした個別のイシューに国民の議論が集中することによって、もっと根本的な問題への関心が薄れてしまうのではないかという疑問を抱かずにはいられない。そしてGotch氏のミュージシャンとしての、あるいは一人の社会人としての責任を果たそうという姿勢に対する敬意は1ミリも揺らがないですよ、と言いたい。

それにしても「セブンイレブンで流れている(モンキーズの)曲のカバーを歌った忌野清志郎(に似た人の)バンドのニセモノ」というエセタイマーズのプロフィールを同行者に説明するのはとても大変だった。

 

19:30- CHAI @RED MARQUEE

マーキーに戻ってCHAIサウンドチェックでダフトパンクの「Get Lucky」を演奏してくれるサービス精神よ。そして最初から最後まで完璧にショーアップされた本編は完全にワールドツアー仕様になっていて、日本という呪縛から解放された風通しの良さが、特にこの地獄のような2021年においては頼もしく輝いていた。が、きっとコロナが無ければきっと今頃は世界中でライブしていたんだろうな…と思うととても切ない。それにしてもニューウェーブ、ヒップホップ、テクノにR&Bとスタイルも演奏する楽器も目まぐるしく変えていくのだけれども、やることなすこと全てツボを押さえていくずば抜けたセンスに改めて驚愕。数年前、初めて彼女たちのライブを見た妻が「生まれ変わったらCHAIのメンバーになりたい」と言っていたけど、確かに同じ人類とは思えない、ある種の進化すら感じてしまう。それだけに、フジ出演にあたっての迷いを吐露したシーンは、この人たちも私たちと同じ人間なんだなと胸が詰まった。出演した人、出演しなかった人、全員がここまで追い詰められた要因が、自己責任の一言で片付けられていいとは私には思えない。

 


外に出ると苗場食堂で奇妙礼太郎が歌っていたが、さすがにステージが小さすぎて入場規制。これが最後の食事か・・・としんみりしながらもち豚丼を食べる。めちゃめちゃ美味い。さて次は電気グルーヴ。とうとうここまできたぞ。足腰が最後まで持つのか分からないけど。昨日と同じくステージ後方に陣取る。グリーンステージはどれだけ遠くにいても過不足ないサウンドが聴こえてくるし、モニターも観ることができる。この20年の間に、日本中の至るところで野外フェスが開かれるようになったけど、音響のクオリティという点ではやはりフジロックは凄まじい。そしてステージ前の密集を避けるという意味でも、良い音を広く響かせるというのは有効な策のように思われる。

 

 

 

21:40- 電気グルーヴ@GREEN STAGE

そして待ちに待った電気グルーヴの登場。待ちに待った、というのはもちろんこの三日間のことだけではなく、本来なら19年に行われるライブが瀧の逮捕・起訴、そしてコロナにより2年も延期されてしまったという意味でもある。その間、SMASHも電気を待ち続けたし、電気も仁義を貫いて有観客ライブは開催せずに待ち続けた。フジ数日前にその経緯を記録したトレーラー映像がYouTubeで公開されたのは、改めて両者の絆を確認するという意味があったのだろう。電気をステージに呼び込んだのはもちろんSMASH代表の日高氏。このシーンだけでもグッとくるものがある。

そして誰しもがガチガチに力が入るこのシチュエーションで、巨大なホームランを叩き込んだのがこの日の電気グルーヴだった。あの音と光と映像、そしておっさん同士の濃厚なジャレ合いによって生み出された巨大な多幸感は一体なんだったのか。ライブからしばらく経った今もよく分からないまま、とにかくとんでもないものを全身に浴びたという感覚だけが残っている。

一曲目の「Set You Free」の昇天感あるシンセサイザーとギターサウンド、伸びやかな石野卓球のボーカルが飛び込んできた瞬間から、これはただごとではないぞ…という予感に胸が高鳴る。そして「人間大統領」以降の、ドラムマシンにも気合いというものが宿るのか?と思うほど生命力に溢れたビートと「BBE」に象徴される暴走する言語感覚。同行者から「これがテクノって音楽?」と聞かれたが、私にもさっぱりわかりません。とにかくエレクトロニックでファンキーでビザールなダンスミュージック。しかしこんな音楽は世界中にここにしかないから、名前なんてなくても良いのではないだろうか。

そして「恥ずかしながら帰ってきた」ピエール瀧は、完全にスターだった。数百メートル離れた私からもはっきりと見えるオーラ。「どうだ、カッコいいだろ!電気グルーヴだ!」という卓球のシャウトからも伝わってきたように、会場にいる誰よりもこの二人がこのライブを一番楽しんで、誇らしく思っていることがその源なのかもしれない。そしてこの異常な興奮は配信でも余すことなく伝わっていたのだろう。私が苗場にいることを知っている数少ない友人や家族からガンガンLINEが送られてくる。この共有感がまた私の高揚をドライブさせていく。

そしていよいよ大円団。「レアクティオーン」で繰り返される「日本の若者のすべてがここに集まっています」というフレーズを聴きながら、ライトに照らされたオーディエンスを改めて眺める。美しい。俺はこの光景が観たくてここまで来たんだな…と泣けてくる。2021年夏の日本において、この感情がどれだけ罪深いものかということは分かっているつもりではあるのだけど。あの光景は一生忘れないと思う。

ちなみに2000年のホワイトステージでこの曲を聴いた時、CDでは「東京の若者のすべてが…」というフレーズが「日本の若者の…」に変わっていることにとても感動したのだが、あの伏線が2021年に回収されることになるとは思わなかった。人生…!

 

以上で私のフジロックが終了。

とりあえず無事に終わったという安堵と、もう終わってしまったという寂寥が交錯する。今日はほぼグリーンステージとマーキーから動いていないにも関わらず、歩数は30,000歩超。たぶん踊っていた分もカウントされているのだと思う。アホすぎる。ドロドロの身体を引きずってお風呂に行くと、同じようにくたびれた中年男性がみんなドロドロになった電気グルーヴのTシャツを着ており、戦友よ…という気持ちになった。

 

翌日は朝からテントを畳んで帰宅。

途中エアコンが壊れて高速を窓全開のまま走ったり、疲れのあまりサービスエリアで買った栄養ドリンクをそのままゴミ箱に捨てたり…といったトラブルがあったけどそれはまた別の話。

 

あれから1週間以上が過ぎて、今のところフジロックあるいは湯沢町クラスタが発生したという報告もなく、東京の感染者数も一時よりは減少している。しかしフジロックの影響があったのかなかったのか、その判断を下すにはまだ早いのだろう。

会場内での感染対策について付け加えることはないけど、素人ながらに効果が大きかったと思う施策は、「払い戻しを完全フリーにしたこと」だったのではないか。これにより抗原検査で陽性になった人はもちろん、体調に不安がある人が無理をして来場するというケースは、厳しい社会的な視線と相まってほぼ抑え込めたはず。しかし、会場設営費と出演料という固定費がコストのほとんどを占める音楽イベントにおいて、この施策は自分の財布の底に穴を開けるようなものだ。この恐怖に耐えられる主催者が多くいるとは思えない。そして再び全国に広く発出された緊急事態宣言により、8月後半から9月にかけて予定されたフェスやライブは軒並み中止。フジロックが開催できても、音楽産業全体においては、あくまでも点の話にすぎない。産業維持と感染対策を両立させる公的な支援策が必要だと思う。

 

最後まで感染対策の話ばかりになってしまったけど、こんな状況になる前は、日本全国でフェスが開催されるようになった20年代においても、「フジにまだ魔法はあるのか?」というテーマで文章を書きたいと思っていた。その点について結論だけ書くと、苗場に魔法はたしかに存在した、と言い切ってしまいたい。それはあの外界から完全に隔絶した世界や、唯一無二の最高の音響に加えて、この「特別になってしまったフジロック」に出演することを悩み抜いた上で、それでも検査することを選んだアーティストたちのパフォーマンスに、巨大なエネルギーが宿っていたということでもある。そしてきっと来年以降、パンデミックを乗り越えて開催されるフジロックに出演するアーティストは「いつも通りのフジロック」で演奏できるかけがえのなさを思いっきり体現してくれるのではないだろうか。できることなら私もまたその魔法に触れてみたいと心から思う。

 

 

 

 

 

 

2021年8月21日の記録(フジロック2日目)

フジロックに行ってきました。

すみません。

 

出発数時間前まで、開催に対する批判が吹き荒れるTLを眺めながら悩みに悩んだけど、結局最後に勝ったのは、私のエゴだった。

新潟から遠く離れた場所に住む私にとって、フジロックは簡単に行ける場所ではない。距離的にも時間的にも金銭的にも。実際に私が最後にフジロックに行ってから15年も経ってしまった。

そして「観客数を例年の1/3に絞る」「日本で活動するアーティストのみ」という利益面で苦戦が強いられる開催形態になると聞いた時から、97年の第一回に参加し、いい歳をした今でもライブハウスをウロウロしている自分のような者が、今こそ参加すべきなのではないかと思ってしまったのである。コロナウィルスの前ではそれが取るに足りないセンチメントであることは承知の上だけど、フジロックというイベントあるいはSMASHというイベンターに対する敬意と信頼を表したいと思ったし、今私が夢中になっている若いアーティストにとっても、あの舞台がなくなってしまうというのはあまりももったいないことだと思った。


そしてもう一つ参加しようと思った根拠は、コロナ禍以降、ライブハウスや野外フェスにおいて、主催者が感染対策を必死に考え、オーディエンスもまたそれを守っている現場を実際に目にしていたからということもある。みんな自分の大切な仕事場が、あるいは遊び場が無くならないように必死だし、実際に私が行ったイベントでクラスタが発生したことはなかった。もちろん状況は厳しくなっているのも事実だけど、この情勢の下、数々の修羅場をくぐってきたSMASHがいい加減な運営が行うことはあり得ないのではないかと判断した。


なのでまず最初に、今回のフジロックにおけるコロナ対策に関する、私なりの感想を書いておきます。

扇動的な記事でPVを稼ぎたい新潮とか文春とか女性自身には申し訳ないけど、主催者は厳しい感染対策を行っており、お客さんもそのルールとマナーをしっかり守っていた。その結果、例えば毎日10万人近くを動員するプロ野球、同じく毎週数十試合が行われるサッカーと比べて感染リスクが高かったかと言えば、決してそうではなかったように思う。もちろん多くの人が集まる以上、リスクがゼロとは言えないし、対コロナという観点で言えば、開催すべきではないという意見が正しいとは思う。しかし、経済と感染リスクのバランスを取らなければ生きていけない2021年において、フジロックだけがこれほど敵視される理由もないのではないだろうか、というのが結論です。


話を戻します。


そんな様々な葛藤を抱えつつ、そしてそこまで悩むならもうやめておけよというもう一人の自分を助手席に乗せながら、土曜日の夜が明ける前に私は苗場に向かって出発した。雨と霧、そして厳しいカーブが続く中央道を耐えぬいて、9時30分に苗場着。会場至近の駐車場に車を預ける。例年ならこんないい場所を確保できるなんてあり得ないだろう。


会場に入る前にまずはキャンプサイトへ。健康状態を登録したアプリを見せた上で検温、消毒、荷物検査を経てサイト内へ入ることができる。「アルコール持ち込み検査ゆるゆる」と書いている記事もあったけど、かなりしっかりチェックされましたよ。もちろん直前に抗原検査も実施済み。


私は二日目からの参加なので、いい場所にテントを張るのは諦めていたけど、これまたキャンプサイトも空いていた。入口近くの平坦な場所に寝床を確保することができた。


汗だくになりながらテントを立てて会場へ。もちろん再度の荷物検査、消毒、検温あり。天気予報は曇り時々雨だったけど、ピカピカに晴れている。この色の濃い青空と山の緑を眺めて、ようやく苗場に来たんだな…という実感と喜びが湧いてきた。入場ゲート周りの人口密度は通勤時の駅のホームくらいのイメージ。密といえば密だが、人と人が触れることはない。


最初に見えてきたのはグリーンステージのKEMURI。懐かしい景色とあいまって20年前にタイムスリップしそうになる。しかしまずは昼メシを食べたいのだ私はということで、ところ天国で発酵定食とノンアルビールを買ってホワイトステージのカネコアヤノへ…と思ったら係員さんが飛んできてステージエリアでは飲食禁止と注意を受ける。失礼しました…。


12:00- カネコアヤノ @WHITE STAGE

さてホワイトに立つカネコアヤノ。この日のラインナップにおける10年代インディー代表と言ってもいい存在。小さな身体から発せられる気合いが遠目にも伝わってくる、王道のど真ん中を堂々と歩いていくようなパフォーマンスだった。パッと聴くとシンプルな演奏も、実は繊細な音づくりがなされていることがホワイトの最高のPAを通じて身体全体で感じることができたし、特に最後に演奏した「アーケード」の爆発的なアウトロには、勝手にストーンローゼズの名曲「Fools Gold」を見出してしまい、猛烈に興奮した。MCで多くは語らなかったけど、いろいろなことがもう十分に伝わってくるステージだった。カッコいい。

 

通常であればライブの合間はビール飲んだりだべったり…という過ごし方になると思うのだが、なんせアルコールなし・友だちもなしという環境なので、やることと言ったら散歩しかない。森の中のボードウォークを通ってGypsy Avalonへ。ちょうどムジカピッコリーノ楽団が「Just two of us」を演奏していたのだけど、あまりにもスムーズなグルーヴに絶対大人が演奏していると思ったらガチで子供たちがプレイしていて驚いた。

 


13:50  AJICO @WHITE STAGE

そこからまたホワイトに戻ってきてAJICOを観る。旧作にそれほどは思い入れがなかったのだけど、最近出たEP「接続」があまりにも瑞々しいかったので、ライブもぜひ観たいと思ったのである。ベンジーUAも生で観るのはそれこそ00年や99年の苗場や石狩以来かもしれないけど、歌声がまったく衰えていないことに驚く。UAソロの名曲「悲しみジョニー」ももちろん嬉しかったけど、やっぱりAJICOの新曲がフレッシュで良かった。同行者に「あの野球帽を被ったギターの人が、フジロックのグリーンステージ初の日本人ヘッドライナーをやったんだよ」という豆知識を押し付けてちょっと面倒くさそうな顔をされる。

 

14:50- サンボマスター @GREEN STAGE

その後はField of Heavenでスカフレイムスが観たかったけど、同行者がサンボマスターが観たいというのでグリーンステージへ。この日のライブは2021年における人間の感情の全てを、一時間のパフォーマンスに凝縮したような、濃厚で暑苦しく、そして感動的なものだった。会場へ来ること選んだ、あるいは選ばなかった観客のこと、風化しつつある東日本大震災、開催できなかった多くのロックフェスに対する思い。そんな喜怒哀楽に正面から向き合おうという姿勢は、遠くから見れば滑稽で乱暴だったかもしれない。でも、耳を傾けて心を動かされてみる価値は間違いなくあったと思う。「お前らがクソだったことなんて一度もないからな!」という山口の絶叫はずっと忘れないだろう。それにしても3つの巨大モニターにいい感じの山口隆が映し出される光景はすごく良かったな…。

 


ここで最初の雨。しかも雷もセットになったキツめのやつ。苗場の雨はなんでこんなに粒がデカいの…と思いながらカッパを装着したが、すぐ止んだ。涼しい。

グリーンステージの前でゴロゴロしているとクロマニヨンズが登場。同行者に「あの舌をベロベロしてる人が甲本ヒロトだ。ブルーハーツは知ってるだろ?その後に組んだハイロウズも第一回のフジロックに出演しててめちゃくちゃ最高だったんだ…」と本日二度目の日本ロック豆知識の押し売り。

 


17:50- サニーデイ・サービス@RED MARQUEE

本日の私的ヘッドライナーことサニーデイ・サービスの登場。結論から言うと、またサニーデイの最高が更新されてしまった。新ドラマーを迎えて…という枕詞がもういらないくらいに、スリーピースのスリルを保った演奏は一体感を増していたし、曽我部恵一のボーカルもバンドのグルーヴも、これくらい広い会場じゃないと受け止められないでしょ…と思うくらいに伸びやかで巨大だった。そして何よりも、必ずしも熱心なファンだけではないはずのオーディエンスが心から楽しんでいる空気が本当に最高だった。特に「春の嵐」の二番で、バスドラムに合わせてハンドクラップが自然発生した時はなんかもう「ふわぁ…」と心の中で声にならない声が出た。なんなら涙も出てたかもしれない。そして曽我部の「みんな本当によく来たねぇ」という実感が込められた一言から始まった「サマーソルジャー」のかけがえのなさと言ったらもう…。サビの最後、絶叫のような歌声に、この三人も今日の苗場にアーティスト生命を賭けてきたんだな、ということが伝わってくるようだった。できることならグリーンで観たかったと思うけど、生きていれば、生き残ってさえいればまたそんな日も来るだろう。本当に素晴らしかった。

 


レッドマーキーを出ると外はもう暗くなり始めていて、雨のおかげで空気も一層澄んでいた。このトワイライトタイムに、グリーンステージの音響でコーネリアスが観れたのか…と思うとやるせない気持ちになって、夜のボードウォークへ。光に照らされたデコレーションがキラキラしてて美しかったけど、その明滅の向こうに「Mellow waves」が頭の中で鳴ってしまう…。Gypsy Avalonでタコスを食べながら、TwitterKen YokoyamaがMCでいい感じにコーネリアスをいじっていることを知る。来年くらいには復帰できるかも…というイメージが初めて具体的になった気がする。


そしてグリーンへ戻る途中、ホワイトステージのThe Birthdayが目に入る。チバさん、髪は白いけど声はめちゃ若かった。あの発声で30年近く歌えるって一体どういうことなのよ…とモンスターぶりに震えた。

 


21:00- King Gnu @GREEN STAGE

そして本日の真のヘッドライナー・King Gnuがグリーンステージに登場。本当に失礼ながらインディーおじさん的には1ミリも興味がなく、完全に同行者のお付き合いで観たんだけど、これはすごいものを見たぞ…と大変感動しました。ステージの上では炎がバンバン上がって、音響も信じられないくらい音がデカくてクリア。そして何より歌と演奏が、こうしたゴージャスな演出に全く負けないくらいにすさまじく上手い。ファンの方にしてみれば今さらなのかもしれないけど、私はこういうスタジアム級のアーティストを観るのが初めてなので、ものすごく興奮してしまった。特にこの日は多くの90年代レジェンドの変わらぬ勇姿を見せつけられたこともあり、2020年代に輝く若者たちの堂々たるパフォーマンスがひときわ眩しかった。たまにホワイトステージの方角からナンバーガールの音が漏れ聴こえてきて心を乱されないこともなかったが、こちらを観て良かったですよ、ええ。そしてポジティブな感情をめったに表に出さない同行者も喜んでいたので一安心。フジロックに来てることは周囲には内緒なので、配信ライブを観ている体で、友達とLINEのグループで感想を言い合いながら観ていたらしい。


以上で私たちの初日が終了し、出口に向かう。が、ここでこの日一番の密状態が発生。スタンディングゾーンのお客さんは時間差で出すなどの工夫が必要だったかもしれない。それでも隣の人とぶつかるほどの混雑ではなく(二日間で誰かの身体に触れることは一度も無かった)、大声で話している人も見かけなかった。イメージ的にはラッシュ時の駅の階段くらいだろうか。週刊誌やスポーツ新聞としては、ここで思慮のない人間が大騒ぎしてくれないと困るんだろうけど、世間の目に怯えながらクソ高いチケット買ってはるばる山奥までやって来た人間がわざわざそんなことするわけがないのである。


検温・消毒・持ち物検査を経てキャンプサイトへ帰還。あまりにもヘトヘトなので温泉に入浴してから就寝。平たい場所のテント最高。本日の歩数は32,000歩。43歳の俺の足腰。明日も持つだろうか。


ちなみに恥ずかしながら私はアルコールなしには日常を生きられないような人間で、アルコール禁止というルールに耐えられるか不安だったのだけど、究極の非日常であるフジロックにおいてはノンアルコールでも全然平気だった。

 

翌日に続きます(たぶん)。

 

2021年7月の話(未来の人へ)

TURNの取材で曽我部恵一さんにインタビューさせてもらった時に言われた「今、25歳に戻してあげるって言われても嫌だな。あの頃はもっと無礼だった。今は昔より純情だし、もっとけがれなく世の中のことを見ている」という言葉が強く自分の中に残っている。初期の傑作を次々と生み出していった才気に満ちた日々よりも、おそらく色々な荷物を背負いながら戦っているであろう今の自分を選ぶ勇気と自信。とっくに40歳を超えても相変わらずどうしようもないことばかりやってる俺でも、明日はもっとマシな人間になれるんじゃないか、いつかこんな風に昨日より今日の方がいいと言える日が来るんじゃないか。『いいね!』を聴くたびに曽我部さんの言葉を思い出しては、励まされるような気持ちになっている。

 

映画『アメリカン・ユートピア』を観た時もそれに通じる気持ちを感じた。もちろん最初はデヴィッド・バーンとバンドメンバーの人間の限界を超えた肉体性と創造性に圧倒されたのだけど、二回観た後に思い返してみると、実は一番心を打たれたのは過去の自分をフラットに見つめ直し、今を変えていこうという姿勢だったのかもしれない。つまり何歳になっても人は成長することができるし、未来は変えることができるということ。あの作品から受け取ったメッセージは、いわゆるミッドライフクライシスにどっぷり足を突っ込んでいる私にとっての希望である。

 

 さて小山田圭吾というミュージシャンは自分にとって心理的な距離が近い存在ではなかった。小学生の頃に初めて聴いた「恋とマシンガン」は人気ドラマの主題歌だったし、ソロになってからも常に時代の先頭、そしてシーンの真ん中にいるスターであり、エンターテイメント業界の向こう側にいるポップアイコン。特にセカンドアルバム『69/96』の頃まで時おり顔を出していたトリックスター的なふるまいは鼻につくと思いながらも、やはりその動向をチェックしなければならない存在だった。そして中学3年生の時に読んだロッキングオンジャパンにおける例のインタビュー記事も、そのトリックスター性をアピールするための与太話というか、マッチョでフィジカルな不良性が主流だった当時のロックシーンに対する、文系キャラによるカウンターという感じで受け止めていたのだと思う。セックス・ピストルズでも電気グルーヴでもダウンタウンでも中田英寿でも、何かを更新しようとする者にはある種の暴力性を孕んでしかるべきであるという受け手としての思い上がった興奮が、そこにリアルな被害者がいるという想像を消し飛ばしてしまっていたのだ。この点についてはもう自分を恥じるしかないし、本当に愚かだったと思う。しかし一方で、15歳の自分に対する責任をすでに40歳を超えた私がどこまで引き受けられるのか、という思いを抱えていることも事実だ。たしかに私は愚かで浅はかだった。しかし、その時に気づかなかったことやできなかったことを拾い集めながら、少しずつ善なる方向へ歩もうとすることが成長というものだとするならば、そうした側面が私の人生にも少しくらいはあったのではないか。少年期の残酷さが永遠に許されないのならば、一体なんのための人生なのだろうか。この点については、今もまだ整理ができないままでいる。

 


そんなコーネリアスとの距離感が明確に変わったのは、今のところ最新のオリジナルアルバム『Mellow Waves』とそのツアーを観た時からだ。デビューから一貫して感情や衝動、ひいては言語そのものからも距離を置いてきた彼が、(作詞は坂本慎太郎だったとしても)明らかに歌を通じてオーディエンスとエモーショナルなやりとりを試みようとしていることは驚きだったし、そのトーンはかつての彼からは想像もつかないほど、あたたかくおだやかだった。それでいて、『FANTASMA』の頃から追求してきた人間と機械、音楽と映像が完璧に同期したパフォーマンスのエッジの鋭さはさらに研ぎ澄まされており、今思えば感情と感覚、頭脳と肉体の双方に強い作用を与えるという意味で、『アメリカン・ユートピア』と同じ感動があったと言えるのかもしれない。

 


そして彼の表現が自分の中で決定的に重要なものとなったのは、子供と一緒に豊田市美術館で観た「デザインあ」展である。音楽と映像の科学的な融合…と言ってしまうとありきたりだが、他では観ることのできない発想だけで作り上げられた世界を、10年もつくり続けてきたのかと思うと気が遠くなりそうだったし、才能と時間の切り売りだけでできるものだとは到底思えなかった。人間性を完全に排除した論理的表現だからこそ逆説的に浮かび上がる、何か目に見えない、大きなものに対する愛と献身を感じてしまったのである。控えめに言っても、そこにはかつてのトリックスターからは想像もできない深い成熟があったことは間違いなく、その変化は、曽我部恵一デヴィッド・バーンから受け取ったものと通じる希望を私に与えた。つまり、人は変わることかできるし、30年前には予想もつかない未来を作り出すことができる。そんなメッセージを都合の良く自分の人生に重ねてしまったし、きっと彼もそういう道のりを歩いてきたのだろうという確信で物語を作り上げてしまった。それはまったく見当違いのことかもしれないけど、芸術というものが私にもたらした、誰にも変えることが出来ない真実である。もちろんだからと言って彼の過ちに対する罪が軽くなるなどと言うつもりはない。ただ私は私の中の真実を文字にしただけのことである。以下、私の目から見た2021年夏の狂乱の記録を書き残しておく。今ではなく、未来からの検証のために。

 

 

 

7月15日(木)

小山田圭吾東京五輪の開会式に参加するというニュースを知った。その時の私の感想は「へえ」という一言。石原慎太郎が思いつき、竹田恒和がワイロを送って招致し、安倍晋三がはしゃぎまわる汚職と利権の祭典。そんなものに加担するなんてダサすぎる…という落胆と、それでもまぁ他人のセックスと仕事は笑ってはいけないし…という自重、しかし椎名林檎がやるよりはいくらかマシなものになるだろう…という消極的な希望が重なりあった上での「へえ」。その時点ですでにYahoo!ニュースのコメント欄に過去のいじめ問題を指摘する声もあったけど、さほど大きいものになるとは思わなかった。いくらなんでも小山田圭吾という音楽家が国民的な関心を呼ぶことになるとは思えなかったし、総理大臣による不正に端を発したパワハラ自殺を許した国民が30年前の真偽不明の与太話に夢中になるとも思えなかった。

 


そんな困惑と他人事感から出た、今から14日ほど若く、そして傲慢で浅はかだった私のツイートがこれである。被害者の方に対する配慮やオリンピックの公共性や国際性に対する思慮が欠けていた点について率直に反省している。彼はこの仕事を引き受けるべきではなかったし、速やかに辞退すべきだった。

 


ただ、ここに補足するならば、この行為を起こした当時の彼はまだ未成年だったという客観的な事実は「考慮」されるべきだったと今でも思っている。彼自身もまだ成長の過程にあり、保護者の庇護や学校の指導を受ける立場だった。とくに「うちの学校はいじめがすごかった」と言及されている学校側の方針や運営に問題がなかったのか。そうした検証は「いじめ」という罪を裁く上では絶対に必要だと思うのだけれども、それに言及している人はほとんどいなかったように思う。では成年後にいじめについて雑誌において公言したという点はどうか。これは成人になってからの行為であり、汲むべき事情はほぼない。しかしこれをもって彼に罰を与えるならば、どこまでが事実でどこまでが誇張だったのかという点はもっとしっかりと確認されるべきだったと思う。もし時間の経過によって十分な検証ができないということであれば、その分だけの留保が必要ではなかったか。少なくとも騒動に乗じたマスメディアがその点を確認せずに一方的な報道を繰り返したのは過剰かつ軽率だった。訴えてこない、権力を持たないと値踏みした相手ならば、報道の正確性をかくも簡単に放棄することを日本のジャーナリズムの安易さを改めて思い知らされた。

こうした少年法の精神や時効の概念、後述する遡及処罰の禁止といった法治国家における大原則は、立場や意見の違いを超えて、そこに暮らす者として一定程度は引き受けなければならない現実だと思う。どんな犯罪者にも人権があり、弁護される権利がある。その点が誰にも顧みられなかったことに疑問を感じた。

ただ改めて言っておくと、私はあくまでも「考慮」が必要であると言っただけであり、不問にすべきだ、無罪だ、と言っているわけではない(この違いはまったく理解されない、ということを痛感したこの2週間である)。

 


話を時系列に戻す。この日の夜、先ほどの私のツイートを読んだ人からDMを受け取った。要旨は「過去に某ロックバンドのドラマーによる差別扇動的表現を糾弾した貴方がなぜ小山田のいじめは許すのか」というもの。許しているわけではないということと、それでもなぜ全面的に否定しないのか、という理由は上述の通りである。しかし、某バンドに対する反応との違いについては改めてここに理由を書いておきたい。まず、私は基本的に批判の対象は作品であり、アーティスト本人ではない思っている。ゆえに「表現そのものに問題があるか否か」という前提において、両者は異なる問題だと思っている。しかし表現というものを広く捉えるならば、雑誌のインタビューも表現活動とも言えるわけであり、同じ態度を明確にするべきだったと思う。ただ、私は某バンドに対しても「表現の不適切な点を明確に認めて撤回するまでは聴かない」というスタンスしか取っていない。つまり過ちを認めれば聴くのである。だってそもそも聴きたいんだから!そしてもう一つ大事なことは、そのドラマーがどんな舞台に立とうと基本的には自由であり、緊急性のない理由でそれを阻止するべきとは思っていない。表現者から表現の機会を奪うというのは、死刑宣告にも近いものであり、極めて慎重な判断が求められるはずだからだ。そう言うと「いや小山田だって同じくらいひどいことをしたじゃないか」と言われるだろう。たしかにそうかもしれないし、そうではないかもしれない。でも2021年の我々はハムラビ法典の時代に生きているわけではない。目には目を、という発想で私刑を課すのは野蛮すぎるわけで、法治国家の精神に沿った抑制的な手続きが必要なはずだ。だって彼は政治家でも大資本家でもない、人より少しだけ有名な一人の音楽家でしかないのだから。しかし、多くの「正しい人たち」はそうは思わなかった。「表現の不自由展」の中止に抗議してきた人々はもちろん、ミュージシャンとして、現代のモラルでは許されないくらいに奔放な言動で知られるアーティストとコラボレーションしてきた人までもが、謝罪後もなお小山田圭吾を表舞台から消し去ろうとする勢いは恐ろしいものがあった。罰とは人ではなく罪に対して与えられるべきではないのか。私はこれからも民主主義社会に暮らす市民として必要な意見は口に出すつもりだけど、彼らとは目指すところが違うのかもしれないということが頭をよぎった。例えば私は安倍晋三はしかるべき法的・政治的責任を取ればそれでいいと思っているけど、彼らはもしかするとそれに加えて市中引き回しの刑までやらないと気が済まないのかもしれない。こうしていつの時代においても、「正しさを追求する私たち」は大別すれば同じ側に立ちながらも、その純度の違いによって分裂し、憎み合い、そして結局負け続けるのだな…と暗澹たる気持ちになった。

 


さらにもう一つ某バンドとの差異を言わせてもらえれば、その事案が発生した時間軸の問題である。昨日今日起きたことと30年前に起きたこと。そこに適用されるルールやモラルがまったく同じということは、やはり公平性に欠くのではないか。もちろん暴力は時代性を超えて処罰されるべきものだが、30年前の私たちにとって、それはもっと身近なものであったことも紛れのない事実である。中学生の娘から現代の学校生活を聞くとあまりの違いに驚いてしまう。いわゆる不良生徒はいないし、部活の上下関係はゆるやか。そして教師による体罰など一切ないという学校生活。実際、マクロで見ても少年犯罪件数のピークは小山田の行為が行われたであろう昭和50年代であり、検挙者数は毎年20万人を超えていたが、平成の終わりにはわずか3万人にまで減少している。繰り返すけど、だからと言って彼の行為が正当化されるわけではない。ただこの違いを無視して、あのような暴論がなんの問題もなく世に出てしまったこと、私を含めた社会がそれを受容してしまったという事実を説明することはできないだろう。はっきり言って当時は大した問題だと認識されなかったのだ。それがウソだと言う人がいれば、それはあなたが幸せだったというだけの話だ。我々は今よりももっと野蛮な時代を生きていた。俺のシャツを引きちぎってタコ殴りにした教師も、下校途中に突然公園に引き摺り込んで集団で暴行を加えてきた先輩も、誰も俺のところに謝罪になんかこないし、覚えてもいないだろう。でもきっとお互い様なのだろうからどうでもいい。程度の差こそあれ、あの時代から生きてきた大人たちに、ここまで執拗に他者を攻撃できる高潔さがあるのだろうか。少なくとも私の人生は、過去からの検証に耐えられるようなものではない。今も落とし前をつけていないことだって、たくさんある。

 


7/16(金)

夕方になり、本人からの謝罪文が出た。その内容は「誤解と不快な思いを与えてすみませんでした」的テンプレートではない、本人の肉声が伝わってくるものだと私には思えた。しかし案の定、批判の声は止むことはなかった。むしろ謝罪文で続投の意思を示してしまったことが火に油を注いだのだろう(が、ほとんどの人は中身を読まずに批判するという事実も今回得た学びである)。それにしても「あんな謝罪は安倍・菅と同じ」と切り捨てた歴史学者のことは一生信用しない。学者が、記者が、作家が、言葉の価値を認めないなんて、あなたのしていることはなんなのかと問いたい。

とにかくまだ首が取れていない以上、世論は攻撃の手を緩めることはなく、やがて私のような人間を「擁護派」「信者」とカテゴライズし、ある人は冷笑し、ある人は断罪し始める動きも増えてきた。見ず知らずの人から私の言動に疑問を投げかけるリプライが来た時、私は自分が「正しくない側」、つまり人民裁判の被告人側に立たされていることを自覚した。

 

 

 

7/17(土)-18(日)

人民裁判は続く。全員が検察官。弁護士はおろか裁判官もいないし、参照される法律も判例もない。しかも唯一の証拠である記事すらも検証されない中で、量刑の重さが決められていく。ようやく証人というべきロッキング・オン山崎洋一郎がコメントを出したが、小山田だけを切り捨ててやり過ごそうという意思だけが伝わる中身のないものだった。そして日頃は「鋭い批評」「的確な論評」で鳴らしているこの出版社出身の評論家は揃いも揃って黙っている。きっとほとぼりが冷めた頃に「なるほど!あの沈黙にも深い意味があったんですね!」とでも言われるような言い訳を考えているのだろう。素晴らしい。いつだってあなたたちは賢い。

それにしても、なぜこんなにも私と世間の間に深い溝ができてしまったのだろう。その理由が知りたくて、日頃から信頼する、しかし今回の件では意見の異なる何人かに(これまでほとんどしたことがない)ツイッターでリプライをしてみた。こちらから聞いたことは、小山田にどこまでの処罰を求めるのかということと、なぜ本人以外の人間まで攻撃するのかということだったのだが、最後まで会話が噛み合うことはなかった。私のコミュニケーションが上手くなかったということはもちろんあると思うけど、ある人からブロックされ、ある人からはフォローを外され、試みは失敗に終わった。なお、彼らは「五輪開会式の制作チームを辞任させることが目的」と言っていた。たしかにそれは妥当な判決かもしれない。ただ、もし本当にそれだけが目的ならばJOCにだけ抗議すればいいのではないか。いたずらに戦線を拡大し、攻撃対象を増やすことは不毛だと思う。しかしこの日の私も結局は同じようなことをしていたわけで、人のことは言えない。

 


7/19(月)

とうとう小山田の辞任が発表された。遅くとも土曜日の時点で世論は決定的になっており、ただ傷口を広げただけの数日間だった。しかし彼が五輪からの退場することで社会に対して「暴力は許さない」というメッセージを発することができたのであれば、その分だけまた社会が進歩したということなのかもしれない、と自分に言い聞かせる。そしてこの日は突如発表された漫画『ルックバック』が話題になったのだけど、「小山田圭吾が罰せられる27 年前があったならば…」と想像せずにはいられなかった。しかし、過去のどこかで罰せられる、あるいは過ちを認めるタイミングがあったとして、それはいつどのように行われるべきだったのかと考えると、あまり現実的なことではないように思えた。「20年前の雑誌の件ですが」とか「30年前のいじめの件ですが」といきなり切り出すのは不自然だし、結局こういうことになる日を待つしかなかったのだろうか。

ちなみに『LOOK BACK』というタイトルの元ネタはOASISの名曲だと思うのだけど、小山田や私を手厳しく批判していたアカウントが「やっぱOASIS最高!」みたいなことになっていて、ギャラガー兄弟の悪行はノープロブレムなんだな…と脱力した。別にギャラガー兄弟の過去も掘り起こせと言いたいわけじゃなくて、できるだけ過去の自分をこの問題に引き寄せて考えないと、「元いじめっ子の小山田をいじめる」ということだけで終わってしまうのではないか、と言いたいのである。あの兄弟の悪行自慢は有名だし、インタビューでの行儀の悪さは相当なものがある。それらを無批判に受容してきた多くの一人ひとりが少しずつ反省して、これからの行動をアップデートすれば社会全体がもっと変わるはずなのに。小山田を蹴れば何か良いことをしている気になっているかのような人々を見て、ああ今までの俺もこうだったのかもしれないと、恥ずかしい気持ちになった。だからというわけではないが超低額を定期的に寄付している障害者団体からコロナで収入がなくピンチだというメールをちょうどもらったので、これまた本当に僅かながらの寄付をした。小山田事件によって生まれたものとしてはあまりにもささやかなものなのだが。

 


7/20(火)-21(水)

さすがに喋りすぎたしこの件を内面化しすぎて精神に変調をきたしている気もするので蟄居謹慎。円形脱毛も大きくなった気がするし、もう音楽を聴く気にもなれず、海の底からことの推移をじっと見つめる。見なきゃいいんだけど。案の定「五輪からの退場がゴール」と言っていた人たちも相変わらず死体蹴りを続けているし、「擁護派」に対する嘲りも継続中。その甲斐あって、「デザインあ」は休止。ラジオ局のジングルや「サ道」の主題歌も放送中止され、さらには彼が作曲を手がけた「ちびまる子ちゃん」のアーカイブやmei eharaをフィーチャーしてリリースされたばかりのAmazon music限定の新曲も抹消された。これは本当にいい曲だったし、この破局を予言していたような歌詞が怖いくらいのすごみがあったんだけど、今はもう聴くことはできない。とにかくこれで結果的に完璧なゾーニングが完成したことになり、これで「ファン以外の人が意図せずに彼の音楽に触れてしまう」という事態は起きないだろう。罰としてはもう十分ではないだろうか。これからしばらくは「擁護派」と「信者」だけが聴いていけばいい。それにしても、この件を知りながら彼に仕事を依頼し、騒ぎになったらしれっと無かったことにするテレビ局やラジオ局のモラルはどうなっているのだろうか。本当によくわからない。

 


7/22(木)

ようやく私刑に飽きてきた人々が立ち去りつつあるところで、過去のコントの内容が問題視された小林賢太郎が開会式のプロデューサーを解任された。問題の発覚からたった半日のスピード対応。この対応が本質的に正しいものだったのかよくわからないが、危機管理的には正解だったのだろう。しかし菅首相が「言語道断」という極めて強い表現で小林氏を批判していたことには失笑した。ならば「ナチスの手口に学べ」と言った麻生太郎にあなたはどんな言葉を送るつもりなのか。そして国民感情的にもその表現は、小山田に対してこそ相応しいものだっただろう。本当にコミュニケーションセンスのない人である。もちろんその場合でも、ならば自分の犯罪的行為を隠蔽するために組織的ないじめで無辜の公務員を自死に追いやった安倍晋三に相応しい言葉は何か、ということを問い詰められなければならないのだが。一介のミュージシャンとタレントが詰め腹を切らされ、巨悪はのうのうと生きていることの理不尽を改めて思い知らされる。そしてこの日、クイックジャパンの元編集長・北尾修一氏のブログを読む。制作側に肩入れしすぎではないかという意見もあったが、初めての(そして今のところ最後の)当事者による証言。今は受け入れられなくても、いつか冷静にこの件が検証される日が来た時にはとても重要な資料になるはずだが、著作権の兼ね合いなのか期間限定公開とのこと(しかしこれは本来太田出版がやるべき仕事だろう)。そしてその中で、マスコミを含めた日本中が小山田叩きの根拠とした、クイックジャパンの記事をまとめたブログには、控えめに言って恣意的な、率直に言って強い悪意のある編集が加えられていたことも発覚。原文からは「彼自身が加えた凄惨な暴行を嬉々として自慢していた」という当初流布されたものとはかなり異なる様相が浮かんでくる。もちろん「いじめ」という犯罪的行為があったことには変わりがないのだが「一次情報にあたる」という取材における基本的動作すら取られずに、あれだけの報道が行われていたことに愕然とする。「大筋はずれてないからOKでしょ?」とでも言うつもりなんだろうか。

 


7/23(金)

開会式当日。さすがにもう声高に小山田を批判する人も減ったのだが、北尾修一氏の記事とそれに対する「古参サブカル業界」の好意的な反応が気に入らない「新興サブカル業界」の人々がいるらしく、本筋とは関係ないところで小競り合い。狭い領土、少ない利権をめぐる争いに虚しさを感じる。とりあえず津田大介さんに対するサブカル業界での嫉妬パワーがものすごい、ということだけは把握した。

そして巨大利権の権化であるオリンピック開会式は無事に開催された(見てないから知らない)。小山田の音楽は使用されず、小林賢太郎が関わった演出はそのまま、という場当たり的な対応。すべての作品は納期が生み出す、という格言を思い出す。また前日から漏れ伝わってきたように、現在進行形の差別主義者であるすぎやまこういちが作曲した楽曲も高らかに鳴らされた(らしい)。「LGBTには生産性がない」と言い放った杉田水脈を支援し、南京虐殺への疑義を示す意見広告にも名を連ねる筋金入りの極右。マイノリティの人権侵害を糾弾された小山田、ホロコーストをネタにしたことを指摘された小林賢太郎も浮かばれない…というかこれ以上の皮肉があるだろうか。もちろんそれを問題視する意見も一部にはあったが、結局は何事もなかったかのように祝祭ムードによって鎮火された。そうなんだよ。この国はいつだってそう。悔しさ紛れにまったく本質的ではないことを言うけど、小山田にしても小林賢太郎にしても、開会式の後に参加が発表されたなら、間違いなくこういう事態にはならなかった。だからそうするべきだったと言うわけではないけれども。この彼我の差にやり切れなさが増す。

 


7/24(土)-7/28(水)

オリンピック競技が本格化し、案の定コロナ感染者も急上昇中。なんだこの地獄は…とも思うけど、都民みんなで選んだことでしょ、と突き放したくなるくらいに気持ちが荒んでいる。突き放したくても突き放せないのが政治だ。小山田の件は後追いの週刊誌がまったく価値のない記事を書いているだけ。もちろんそのベースにあるのは例のブログであり、原典を当たった形跡なし。こうやって悪意が既成事実化していくのだろう。しかし今はもう何を言っても無駄だ。せめて未来の人による公平な検証に期待したい、という思いでこのメモを書き続けている。

 


7/29(木)

小山田が参加しているMETA FIVEの新作が発売中止になった。その理由は明かされていないので、メンバーの意思によるものなのか、それともレコード会社の意向なのかは分からない。しかし充分な説明がないまま、音楽を殺すという日本特有の悪癖が繰り返されたことは間違いない。殺人の罪に問われたフィル・スペクターの音楽が発禁されたという話は聞いたことがないのだけど、一体どこに差があるのか。もし今回の件がレコード会社の意向によるものだとしたら、もうメジャーレーベルと契約するのはアーティストにとってリスクしかないのではないのだろうか、とすら思う。いざとなったらアーティストを守らず、あっさりと音楽も捨ててしまうような会社に原盤権を握られてしまうというのは、普通のビジネス感覚ではありえないのではないか。電気グルーヴの一件でも感じた認識を改めて強くした。

そしてフジロックについては今のところ発表がないが、ほぼ絶望的だと覚悟している。グリーンステージで観るコーネリアスを目当ての一つとしてチケットを買った私としては本当につらいが、さすがに諦めがつきつつある。今はもう彼の心身の無事を祈りたい。ちなみにコーネリアスの直後、ホワイトステージに出演するのはナンバーガール。かのドラマーを擁するバンドである。とことん過去から復讐されているな俺…という気持ちである。

 


7/30(金)

例のブログを書いた人、このエントリーを消したらしい。なぜなんですかね。

俺のブログが炎上しててワロタ - 孤立無援のブログ

 


META FIVEのメンバーであり(しかも電気グルーヴのメンバーでもあった)砂原良徳が語るアルバム発売中止の経緯。メンバーの意思ではなくレコード会社上層部の意向とのこと。やっぱりメジャーレーベルと仕事をするメリットなんてないのではという思いが強くなる。このままお蔵入りさせるくらいなら、クラウドファンディングで原盤権をみんなで買って、自主レーベルでリリースするのが経済的にも一番良い様に思う。素人考えですけど。

soundcloud.app.goo.gl

 

 

 

7/31(土)

7月最終日。月が変わると共にこの問題も忘れられていく気配。Yahooニュースに山陰中央新報という新聞社の社説のような記事が出ていた。特に中身のない記事だけど、寄せられるコメントの数と内容に変化が感じられる。火をつけ回るだけの人は去りゆき、冷静あるいは執念深い少数だけが残ったという印象。来年の今頃には「あったねーそんなこと」という感想だけが残るのだろうか。このまま勝者なき戦争、で終わらせていいのだろうか。

news.yahoo.co.jp

 

 

 

 

 

 

 

森道市場2021に行った話

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今年も森道市場に行きました。娘が期末試験の勉強してるのに毎日遊びに行くのは気がひける…と思っている間に土曜日のチケットは売り切れてしまったので日曜日だけ。

緊急事態宣言が延長された時はもう開催は無理かも…と思ったけどやってくれました。でも、換気の心配のない野外、ノンアルコール、いつもより格段に低い人口密度。正直、めちゃくちゃ快適だったし感染するリスクもそれほど高くないのでは、と思った。

音楽に興味のない下の娘を連れていったので、とにかく無理せずということ第一優先に、半分の時間は遊園地で過ごす。が、最初に乗った空中ブランコで思いっきり乗り物酔いしてしまい(俺が)、手鼻を挫かれた。二度と回転する遊具には乗らない。

 


ライブをちゃんと観たのはceroくるりくらい。このコロナ期間中、何度も配信で観ていたceroが目の前にいる、ということがちょっと信じられなかった。そして待ちわびただけのパフォーマンスで本当に感動した。いつも同じことを言っているのだけれども、あれだけのプレイヤビリティーを持ったメンバーが創造力の限りを尽くして更新し続けるアレンジはとても複雑なのに、(このリズム感のない)身体にしっくりくることが不思議。どう動いても全身で音楽の素晴らしさを受け止めることができるのだ。誰ひとり置いていかない最新型のダンスミュージック。本当に大好きです!という気持ちになってしまった。

 


そしてくるりを観るのはなんと15年ぶり。新作が出るたびに聴いてはいるんだけど、なぜかライブには縁がなかった。ようやく晴れた夕方、茜色の空にセントレアに向かう飛行機雲が何本も描かれていくというありえない環境で聴く「ばらの花」「ハイウェイ」「ロックンロール」という珠玉のナンバー。私の涙腺はさぞ緩んだことだろう…と思ったけど意外と冷静でびっくりした。2021年の私と2005年の私、すっかり感受性が入れ替わってしまったのだろうか。もちろん懐かしいという気持ちはあったのだけど…。でもまたどこかで道が交わる時が来るかもしれない。その時まで私もくるりも前に進んでいくしかないのである。

 


それにしても、人が少なくて快適だったことは事実なのだけれども、毎年毎年それこそ赤子だった娘たちをベビーカーで連れていっていた私のような者からすると、あの家族全員が等しく楽しめる森道市場が恋しくなってひまったというのも事実。子育てに追われる大人が本物の音楽に触れられる貴重すぎる接点。40歳を過ぎた私が今でもポップミュージックに深くコミットできているのも、森道市場があったからと言っても過言ではない。来年こそ海辺でたくさんの子供たちが遊ぶ光景が帰ってくるといいな…と美味すぎるラーメンやんぐのトマトラーメンをすすりながら思った。

Moment Joonの配信ライブを観た話

人生40年も生きていると「あの時観ておいて良かったな」と後々まで語りたくなってしまうようなライブがいくつかある。5月28日に行われたMoment Joon初のワンマンライブは、(配信だけど)間違いなくそういうものであったと思う。


Moment Joonは韓国出身・大阪在住のラッパー。この日のライブは「移民」である彼が実際に入国管理局に在留資格認定の結果を聞きに行くというガチのドキュメンタリー映像と、ライブをシンクロさせる形で進んでいった。つまりこれは昨年発表された『Passport&Garcon』というアルバムの大きな主題である、在日外国人を取り巻く不条理のより生々しい告発であると同時に、ステージ外の現実とパフォーマンスを完全に一体化させた極めてコンセプチュアルな手法と捉えることもできる。私の思うMoment Joon最大の魅力は、このように身をさらけ出して掴み取った魂の叫びを 、鮮やかにヒップホップというアートフォームへ注ぎ込んでいく大胆さにある。あれだけ赤裸々かつ切実、そして辛辣な内容のメッセージを満載したライブを観た後で心に残るものが必ずしも重いものだけではなく、爽快感やユーモア、そして彼自身のチャーミングなキャラクターであったりするのは、強烈なメッセージに拮抗するだけの強靭な批評性が彼の表現に備わっているからだろう。


ところで、Moment Joonは日本の大学に留学してきた、つまり自らの意思でこの国に来た若者である。マイノリティに対する差別が半ば文化・国柄として固着しているこの国において、外国人、アジア系、とりわけ朝鮮半島出身者というだけで浴びせかけられる理不尽があることは私も理解しているつもりだし、彼の表現に誇張があるとはまったく思っていない。しかし、この国には本人の意思がまったく介在しないところで日本で生まれ育ったにも関わらず、そのルーツだけを理由に根深い差別に晒される人たちもいる。そうした構造の中で、(もちろん十分ではないにせよ)居住地に対して一定の選択権を持つ彼が、誰よりも強烈なメッセージを発することに対して、その眼差しの繊細さからして何らかのためらいを感じても不思議ではないように思うのだが、彼のラップはそのジレンマを完全に振り切っているようにも見える。そのことを初めて彼の作品を聴いた時から(すみませんつい最近です)、不思議に思っていたのだけれども、この日のライブで幾度となくECDにリスペクトの言葉を捧げるMoment Joonの姿を見て、これはもしかするとECDと、彼が活動していた反差別団体・C.R.A.C(Counter-Racist Action Collective)と同じスタンスなのではないか、と思った。自分が被差別の当事者でなくても、むしろ当事者ではないからこそヘイターの前に立ち塞がり、その憎悪の矛先を自らに向けさせるというC.R.A.Cのやり方と、在日コリアンに対する偏見の全てを留学生である自分が引き受けると言わんばかりに「文句があるなら直接言いに来い」と自分の住所をラップするMoment Joonがダブって見えたのである。差別や政治的不公正に対するカウンターという視点が皆無の日本の音楽シーンにおいてこのスタンスはあまりにも貴重だし、この勇気こそが聴き手のハートを熱く燃えがらせる根源にあるものなのだろう。


しかしながら一方で、ヒップホップについて何も知らない私が言うのも図々しい話だけど、生身一つで人前に立つラッパーという職業は、相撲の番付と同じように、その「格」が明確に、瞬時に順序付けられてしまうものだと思っている。この日のライブでゲスト出演し、圧倒的なスキルと存在感を示したあっこゴリラや鎮座DOPNESSを大関横綱クラスとするならば、今のMoment Joonのラッパーとしての番付はまだまだ平幕レベルと言ったところだろう。ただその物足りなさすらも、伸びしろと読み替えさせてしまうだけの創造性が彼にはみなぎっている。ヒップホップシーンで存在感を示すことを切望する彼にとって、まさに外部の人間である私のような者からの支持は大した意味を持たないかもしれないけど、これからも目が離しませんからね…と思ってしまったライブだった。

 

ミステリーサークルとbandcamp friday(東郷清丸とスカート)

美容院に行った先週末、後頭部に小さな穴を発見。いわゆる円形脱毛というやつ。思いあたる原因はコロナ以降の不条理な不遇しかない。俺は毛根までふがいないのか。しばし呆然。


5/7のbandcamp friday で入手した東郷清丸の新曲集『GOLDEN SONGS WEEK ‘21』は、まるでこの頭と心にポッカリと空いたミステリーサークルの円周を丹念になぞったような作品集のように思えてならない。中でも「おつかれサムデイ」という曲の歌詞は、「俺のことをどっかで見てたのか…?」とドキッとする歌詞だった。


“あんた辞めたんじゃなかったっけ その仕事

知らないふりをするだけの その仕事

あんた辞めたんじゃなかったっけ その仕事

言葉尻をつかむだけの その仕事

やりがいはなくてもなんとかやれるが

生きがいがないままではだいぶ厳しい”


そういえば街を見回しても、去年の今頃には充満していた「この苦境をみんなで乗り越えようぜ」という共助の熱気もさすがに息切れて、諦念がガランと転がっているようである。この9曲16分、声とギターだけのシンプルな作品集は、その広い余白の中に2021年5月のリアルな空気がたっぷりと含まれている。こんな時もあったな…といつか思い出すために、今のうち存分に吸い込んでおくべき作品のように思う。


そして同じくbandcamp friday で手に入れたのがスカートの『続・在宅・月光密造の夜Vol.1』。

これは東郷清丸が広げていった心の空洞に、濃厚な感情の激流をドバドバッと流し込んでいく、ある意味で対照的な性格のライブ盤である。この2枚を運転中に続けて聴くというのはある種の「体験」と言ってもいいのではないか。なんせ一曲目から「CALL」「静かな夜がいい」「どうしてこんなに晴れているのに」「すみか」とスーパーリリカルな名曲がたたき込まれていくのである。しかも2021年春と言えばアルバム『CALL』発売から5周年。私がスカートの存在を知って初めてリリースされた作品である。ノスタルジーは僕の敵、ということはいつも肝に銘じているつもりだけど、あのスカートを始めとする(私にとっては)新しい音楽に毎日出会っていたワクワクした日々を思い出すと、どうしようもなく感傷的な気持ちになってしまう。でも自助・共助の後に続く何かが見えない今だもの。もうそれくらい許してくれてもいいじゃないですか。俺にだって放流したい感情がたくさんあるんだよ…とかき鳴らされるフェンダーに、マイハートを重ねてしまった。それにしても澤部さんのかたわらで無機質、不器用に鳴る古いリズムボックスが、こんなにも優しい相棒のように思われたのはなぜだろう。