ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

都市のライブカメラは何を映し出すのか 「ナミビアの砂漠」について

冒頭から都会の中を走り回り、ホストと威嚇し合い、奔放に飲み、排泄する河井優実が映し出されていく。謎めいた人格と異常にリアリティのあるセリフ(「紙ストローか」のくだりからしてヤバかった)、観る者の注意を引きつけてやまない表情と声色、同世代の女性監督だからこそ撮れたであろう美しい四肢。


これだけの要素があれば、映画としては十分すぎるほど魅力的な序盤であるのだけど、何か違和感のようなものがある。俺はまだこの映画の中に入り込めていないのではないか、何か大きなものを見落としているのではないか、と。そんな風にソワソワしてきたところでスマホ越しに現れる、「ナミビアの砂漠」のライブカメラの映像。

 

ああやっと分かった。さっきまで私が見ていたのは、これと同じ映像だったのだ。部屋の中をうろつきながらハムを食い、アイスを食べていたカナは、定点カメラに捉えられた水飲み場に集まる野生動物そのもの。つまり、日本の大都会はナミビア大自然で、河井優実が演じるカナはそこに生きる野生動物、たぶん豹とかライオンのような食物連鎖の上位にいる獣、なのだ。そんな彼女の生態を私たちは映画というライブカメラで眺めている、という構造になっているということか。

「カナ=野生動物」という視点に立つと、彼女が脱毛サロン(動物は自分の毛を抜かない)に勤めているという設定に込められた皮肉も、肌の露出も、後先を考えずに飲んでは吐き、飼育員のような最初のパートナーに世話をされているところも、そしてそこからすぐに逃げ出そうとするところも、何より「子殺し」が許せないところも、すべてが繋がっていくようである。

 

少子化と貧困で日本はもう終わるので、今後の目標は生存です」というセリフも、私を含めた大人たちが作りだした、気候変動・経済格差・戦争・差別が横行する無理ゲースペクタクル社会なんて、野生状態とほとんど変わらないじゃないか。こんなところで私たちは死ぬまで生きるんだぞわかってんのか、という若者の諦念と怒りを凝縮した言葉のように響く。こんなにもストレートに自分が怒られる映画は初めてである。終盤、ルームランナーから降りて地下から階段を上がるシーンでずっと爆発音のようなものが聞こえていたのも、その過酷さの暗喩だろう。このクソみたいな社会の中で、精神を病む野生動物としてのカナ。狂ってるのはどっちか、ライブカメラから見れば分かるだろ?と言われているような気がした。

 

そしてその怒りと苛立ちを、劇中において最も直接的にぶつけられるのが、映像作家クリエイター志望のパートナーだったということにも注目したい。実家の太いプチブルで、ある時はバンドのMVを制作し、ある時はつまらない脚本を執筆する、甘えの抜けないまだ何者でもない男。でも仕事は辞めたらしい。「お前みたいな男がつくった作品は毒だ」とまで言われるのに、逃げられない、逃げない、情けない被捕食者。私を含めて、この映画を好んで観にくるような男性ならばどこか重なるところがあるのではないか。カナが隣室の音を盗み聞きするシーンで映った棚の上に彼のものと思われる「死ぬまでに観たい映画1001本」が置いてあったのも、呑気な量産型クリエイター/志望者に対する当てこすりのように思われた。生理も妊娠もない男は、いくつになっても夢みがちでいいよな、と。自身もまだ二十代の山中瑤子監督はセックス・ピストルズフリッパーズ・ギターと同じ系譜にある、悪意を魅力的に表現できる、穏やかで優しい若者が増えた今どきでは特に稀少なタイプの作家なのかもしれない。

終盤で中島歩、渋谷采郁、唐田えりかという濱口竜介作品での印象が強い3人(最高)が立て続けにカナの精神を分析あるいはアドバイスする役回り(そしてその成否はいずれも定かではない)で登場するのは、おそらく濱口リスペクトからなのだろうが、ここまでで突きつけられてきた怒りと悪意が強烈すぎて「もう濱口オジの時代は終わったよ!」という引導のようにも思えてしまった。しかし(私は濱口竜介と同い年だが)決してそれはネガティブな感覚ではなくて、むしろ痛快ですらある。かつてフリッパーズ・ギターが現れた時にもこういう気持ちを味わった人たちがいるのだろうし、時代が変わるとはこういう瞬間のことを指すのだろう。立ち会えて幸せです…!と強がり半分でそう思ってみるけど、本当はかなりビビっている。

 

この映画を、女性だけが引き受けさせられている差別や搾取を描いた社会派作品と捉えることも十分に可能だし、実際にそういう映画でもあるなのだと思う。ここで描かれている問題の一つひとつは切実なものであり、解消されなければならない。

しかし私は、この映画の新しさは、河井優実という野生動物が闊歩することで、それらの問題がどんどん後景化してしまうところにあるようにあると感じた。もはやそれを解決することなんてないし期待してもいない。ナミビアの砂漠に雨が降らないのと同じような、所与の条件として生きていくしかないのだという、若者の諦めと強さが入り混じった感情。そのリアリティを当事者の目線で描ききったことこそがこの映画最大の価値ではないか。

それゆえに、異国の言葉で「分からない」と繰り返したラストシーンの儚さは、私をまた鮮やかに裏切る。野生動物も涙を流すのか、と。思い出すたびに泣けてきてしまう。


※ちなみにナミビアの砂漠のライブカメラYouTubeで実在するチャンネルでした。動物がたくさん観れます