ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

「殺すな」を引き継ぐ  曽我部恵一 & JUNES K 「Breath」

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イスラエルという国の成り立ちを初めて知った日のことを今でも覚えている。近所の公園でキャッチボールした帰り道、父親から聞かされた。飼っていた犬も一緒にいたと思う。そんな細かいことまで覚えているくらいだから、子どもでも分かるくらいのデタラメな話に心底驚いたのだと思う。湾岸戦争が起きた頃、1991年の話。

しかしそれから30年以上、パレスチナの人々が更なる不条理に苦しめられていることをうっすらと知りながらも、見て見ぬふりをしてきた。アメリカは、EUは、時々間違えることはあっても、概ね正しい。そんな先進国の無謬性という、傲慢で分厚い壁によってパレスチナに対する視線を遮ってきたのである。サダム・フセインウサマ・ビン・ラディンがいたから、なんてことはパレスチナの人々には関係のない、ただの言い訳である。映画「関心領域」が描いた問題は、私の中にも存在した。

23年10月以降のガザへの侵攻に対する悲嘆と憤りを、例えばウクライナに対するものと同じ強さと早さで表すことができなかったのは、この分厚い壁が邪魔していたからだ。ネタニヤフはプーチンとは違う。テロ行為に対する武力の使用は比例報復の原則に従ったものになるはずだ。そう無根拠に信じようとしていた。だがそれは完全に間違いだった。今起きていることは、政治という社会科学の理では説明できない、人間が秘めている野蛮と狂気の発露だ。

しかし無意味な殺戮を行なう動物は人間だけだが、それを制止する言葉を持つのも人間だけである。今、ガザにそびえる壁の向こうに目を向けた時に放つべき言葉は、曽我部恵一が「Breath」の中で絞り出した「殺すな」の一言しかあり得ない。これは命令であり、怒りであり、祈りの言葉でもある。

そしてこの「殺すな」とは生命そのものと隣り合わせの言葉であると同時に、表現としての文脈も背負っている。私が知る限りでは、最初にそれが世に放たれたのは、1967年のワシントンポスト誌の全面広告として掲載された岡本太郎の手書きのフォント。ベトナム戦争に反対する市民運動ベ平連」の活動の中で作られたものである。そしてそれを復活させたのが、2003年のイラク戦争に対する反対運動として椹木野衣が組織したアートユニット「殺す・な」の活動。さらにそのメッセージに呼応したであろうラッパー・ECDによる反戦ラップ「言うこと聞くよな奴らじゃないぞ」のリリックとして、今も反戦デモの現場で叫び継がれている。

そして継承という観点で言うならば、メロウなギターをフィーチャーしたJUNES Kによるトラックやファルセットボイスのコーラスにも触れる必要がある。ここにカーティス・メイフィールドマーヴィン・ゲイといったかつて平和と平等のために戦ったアーティストたちの偉大なレガシーを感じぬわけにはいかない。このリズムに合わせて「殺すな」と叫ぶ時、私もあなたも決して一人ではないということだ。私たちの後ろには、今はもうこの世にいない人たちを含めて、多くの仲間がいる。

しかし同時にそれは、2024年の私たちが享受している自由と平等は例外なく、かつて嘲笑を浴び、石を投げられながらも戦ってきた誰かの屍の上に成り立っていることも意味している。この権利を次の世代に継承させていく責任を、政治家であれ、ミュージシャンであれ、サラリーマンであれ、誰もがそれぞれ負っている。

それを果たすために曽我部が差し出したもの。それが彼がソロデビュー以来、大切に歌い続けてきた「おとなになんかならないで」というフレーズなのだろう。生まれたばかりの我が子を慈しむ言葉を、赤く血塗られたパレスチナと重ね合わせた衝撃は、彼の音楽を愛してきた者ほど大きく感じるはずだ。しかしそれにより私たちは「関心領域」の呪縛から解き放たれ、彼の地に生きる親と子の姿をありありと想像することができる。想像しなければならなくなってしまう。

プーチンがネオナチとの戦いという偽りの大義を掲げ、ネタニヤフがアウシュビッツの悲劇を盾に野蛮な軍事行動を続けていることから分かるように、死後80年経ってもヒトラーの亡霊は未だこの世に留まっている。その事実を踏まえれば、23年10月の惨劇を新たな起点とした中東での悲劇は、完全な和解までに百年単位の時間がかかると考えるべきだ。少なくとも私が生きているうちに解決を見ることはないだろう。しかしその長すぎる道のりにおいても、一人ずつの人間が持つ「殺すな」という言葉だけが持つ、根源的なメッセージが有効性を失うことはない。100年後の世界のためにも、この言葉を手放すわけにはいかない。