『サニーデイ・サービスの世界 追加公演 “1994”』に行った。
2018年5月に亡くなったドラマー・丸山晴茂の追悼ということで、メンバーは曽我部恵一と田中貴の二人きり。チケットにもわざわざ、「曽我部恵一(Vo/Gt)、田中貴(Ba)」と印刷してある。
とは言え、私の頭の中では、これから何が起きるのかまったく想像できず、そもそもこのライブにどう向き合えばいいのか、整理がつかないままその日を迎えてしまったような感じがあった。
開演時間ギリギリに渋谷クアトロに着いてまず目に入るのは、入口に設置された献花台。麗しい晴茂君の写真パネルの前に、たくさんの花が供えられていた。
そして、フロアに入りステージを見れば、そこにあるのは、数本のギターとベースのみ。ドラムセットがあるべき場所には、ぽっかりと暗い穴が開いていた。
晴茂君の不在というものを改めて実感する瞬間だった。
定刻を少し過ぎたところで、曽我部恵一と田中貴が登場。二人とも黒いジャケットを着ている。もちろん超満員の観客も拍手と歓声で迎えるのだけれども、やはりどこか固い空気も感じる。みんな私と同じような戸惑いを感じているのかも知れない。
ライブはシングル『NOW』のカップリングに収められた『あの花と太陽と』からスタート。
どこかの街では祭りだよ
さびれた心に赤い花が咲く
淋しくなるからぼくは歩くんだよ
そんな歌詞が、年末の渋谷の喧騒と、二人ぼっちのサニーデイのことを歌っているような気がしてしまう。
このように、愛や恋を題材にしているはずのサニーデイの名曲たちが、どうしても晴茂君へのメッセージのように聴こえてくる瞬間は、この後の3時間・36曲の間、何度も何度も私の心の中におし寄せることになる。
『空飛ぶサーカス』『日曜日の恋人』と続く二人だけの演奏に、ドラムの不在をカバーするための装飾や細工は一切なく、空いた穴をそのままさらけ出すかのよう。
当然のことながら、この「ただドラムの音がだけ無い」という状態は明らかに音楽としてのバランスを欠いており、その異形ぶりが最初にクローズアップされたのが、4曲目『真っ赤な太陽』だった。アルバム『東京』の多幸感を凝縮したこの曲は、勢いのあるバンドサウンドが胸を躍らせてくれる…はずなのだけれども、その肝になるドラムの音が鳴らないまま、ベースとギターは忠実にレコード通りのフレーズを鳴らし、晴茂君の不在感ばかりが際立っていく。
そんなオーディエンスの戸惑いを乗せたまま、曽我部恵一は一曲ごとに淡々と、しかしいつもと同じ真摯さで、譜面台の楽譜をめくり、二人だけの静かな熱を帯びたライブを進めていく。
そして11曲目に披露されたのは、再結成後最初のアルバム『本日は晴天なり』に収録された『ふたつのハート』。
活動再開というニュースを聞いた時の驚きと喜び、そして若干の不安が入り混じった気持ちがフラッシュバックする。
きみが好きな色の花を買っていこう
きみみたいにきれいだって もういちど言えるように
透明な花瓶にかざりましょう
心の波にうかべましょう
あれから10年、サニーデイというバンドが歩んできた道のりの長さと険しさ。そして会場入口で花に囲まれた丸山君の写真を思い出しつい涙がこぼれる。
『本日は晴天なり』『Sunny』という丸山晴茂がフル参加した再結成後の二枚のアルバムは、それまで、あるいはそれ以降の作品に比べて音楽的な冒険が抑制されているかもしれないが、三人で演奏することの意味や喜びに溢れた作品で、この夜に演奏されるのに最もふさわしいもののように思えた。
13曲目「からっぽの朝のブルース」からエレキギターに持ち替えた演奏は16曲目『恋人の部屋』で、最初のピークに達する。
サニーデイで最もパワーポップ色の強いこの曲は、冒頭から終わりまで丸山君のドラムがフックになっているのだけれども、今日のこの場にその主はいない。
前半の『真っ赤な太陽』と同様、そこには無音だけが広がっていく…はずだったのだけれども、俺の心の中では確かに聴こえている。あのドカドカして最高にチャーミングな、晴茂君のドラムが。
それが俺だけの錯覚ではないことは、満場のオーディエンスの大きな歓声が証明してくれている。みんな頭の中で、心の中で、晴茂君のドラムを感じている。ここにいるみんなでサニーデイのグルーヴを作り出しているのだ。
いるのに、いない。
いないけど、いる。
フィクションとノンフィクションの境界線。『DANCE TO YOU』以降のサニーデイ・サービスが、宿命的に追求せざるを得なかったテーマが、ある奇跡として帰結した瞬間だったような気がした。
会場全体を巻き込んみながら、演奏はまだまだ続いていく。
『時計を止めて夜待てば』『真夜中のころ・ふたりの恋』といったメロウサイドの名曲の後に鳴らされた、この日22曲目のイントロは、今やサニーデイの代表曲と言ってもいい『セツナ』。
曽我部恵一と田中貴、残されてしまった二人の、魂を叩きつけるような演奏、そしてどんなに叩きつけても壊れることのない力強さを持った楽曲のせめぎ合いが、この日最大の火柱を上げていく。
そしてその熱狂から一転。続いて披露されたのは、『THE CITY』に収められた『完全な夜の作り方』。混沌と興奮が支配する問題作『the CITY』の中で、暖炉の炎のように優しく心を照らしてくれる歌だ。
曽我部恵一というミュージシャンが、90年代から今に至るまでシーンの信頼を得ている理由の一つは、楽曲の叙情性とは裏腹の、彼の徹底的な批評性にあるように思っている。
どんなにエモーショナルな曲であっても、作者本人とは常にある一線が引かれ、決してウェットな情緒にまみれてしまうことがない。
追悼と銘打ったこの日のライブでも、晴茂君の思い出話はおろか、その名前すら一度も口にしない、というところに彼の美学が貫かれているように思っていた。
そんな曽我部が、泣いている。しかも曲のほとんどを歌えないくらいに。
ギターとベースの音だけが響いていくクアトロ。再び訪れる静寂。
そしてそのまま何も言わずに突入した24曲目『恋人たち』。
明日晴れたらきみに電話して
どっか遠くまで電車に乗っていこう
白いあたらしいシャツ
青いトートバッグ
ぼくらの運命は小田急線の中
下北沢の街を闊歩する三人の姿が浮かんでくるような明るい歌と、先ほどの曽我部の涙が重なり、私はまた感極まる。
おそらくここまでですでに2時間くらいが経過。
しかしステージ上の二人は時間のことなんて気にせず、自室にいるかのような親密さで、名曲を次々と積み重ねていく。
その様子はまるで、村上春樹『ノルウェイの森』で、主人公の直子の死を悼んで、恋人のトオルと親友レイコが一晩かけて51曲をギターで演奏するシーンを思わせるものだった。どれだけの歌を捧げても、永訣にはとても足りない、ということなのだろう。
そこから演奏されたのは、『今日を生きよう』『24時のブルース』、そして『サマーソルジャー』といった、大団円にふさわしい曲たち。
その中で、最も胸に迫ってきたのはやはり『baby blue』と『桜 super love』の二曲。
さあ 出ておいで
君のこと待ってたんだ
昼間から夢を見てばかり
約束の時間さ
そんな呼びかけに応えるように鳴らされる晴茂君のフィルイン。ロックバンドとしてのサニーデイ・サービスを象徴する瞬間。
君がいないことは君がいることだなぁ
桜 花びら 舞い散れ
あのひとつれてこい
大切なメンバーを失ったサニーデイ 、そしてこれから多くを失っていくであろう、私たちのそばにあり続ける、祈りと実感。人生というものの一回性、その美しさと残酷さ。
この夜、サニーデイ・サービスが教えてくれたものが、この二曲に凝縮されていたように思う。
しかし、不完全であっても、満ち足りていなかったとしても、人生は続いていく。
旅の手帖にきみの名前も書き込んでポケットに忍ばせる
いつかはきっと知らない場所で きみのこと思い出すだろう
33曲目の『旅の手帖』で、長い本編が終了した。
私が東京のライブハウスでサニーデイを観るのは、当時はまだ歌舞伎町にあった00年12月のリキッドルーム以来。前期サニーデイのラストライブである。そのトラウマの影響か、12月のサニーデイに対してはなんとなく胸騒ぎがしてしまうのだけれども、この日確かに曽我部恵一は「来年は新作の製作に専念し、完成したらツアーをやりたい」と言ってくれた。
突然の新作リリースに驚かされてばかりの身としては、先の予定を教えてくれるという当たり前の親切に驚きつつも、とりあえず解散はしないようなので、まずは安心した。
この日の余韻を胸に、楽しみに待ち続けたいと思う。
※当日の曲順でSpotifyでプレイリストを作成しました。