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夏の終わりの課題図書 サニーデイ・サービス、北沢夏音著「青春狂走曲」の感想文

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今、目の前にはとうの昔に読み終わり、付箋が貼られまくった「青春狂走曲」が置いてある。
その感想をなんとか文章にまとめようとしているのだけれども、どうにもうまくいかないので、とりとめなく順番に書いていこうと思います。


まず、著者である北沢夏音氏について。

私が北沢氏のことを自分にとって特別な書き手として認識したのは例によってものすごく遅く、クイックジャパン山下達郎インタビュー。今から12年前くらい。

達郎御大が怒り出すんじゃないかと心配になるほど、自らの達郎に対する積年の思いを臆することなくぶつけることによって引き出された金言の数々。両者ががっぷり四つに組んだ言葉の応酬を、手に汗握りながら何度も読み返したことを覚えている。

 北沢氏の文章やインタビューは、もはやそれ自体がロックンロール的な匂いがして、音楽の深みにはまることの素晴らしさとある種の危うさを教えてくれるのだ。

 

そして本書の冒頭を飾るコラムのタイトルは「君に捧げる青春の風景」。
これぞ北沢夏音というべき、濃厚な愛が詰まった一行が目に入った瞬間、後に続く400ページ余りの充実ぶりを確信した。

 


この本は1995年から2017年、ファーストアルバム「若者たち」から最新作「POPCORN BALLADS」が発表されるまでの期間に行われたインタビューを中心に構成されている。
曽我部恵一、田中貴、丸山晴茂のこれだけまとまった肉声を読むのは初めてのこと。

 サニーデイ・サービスというバンドの裏側にどんなストーリーがあって、なぜいつまでも私を含めた多くのリスナーの胸を打つのか、その手がかりがこれでもかというほどに盛り込まれている(ちなみに2000年に解散を決めた瞬間も3人の口から克明に語られている。それぞれの記憶が少しずつ違っているところが生々しかった)。

 

 

語り出せばキリがない山のようなエピソードから印象に残ったものを一つあげると、曽我部恵一が再結成後のリハーサルで、ベースの田中貴に、「俺はこの曲をやるとき、当時付き合ってた彼女のこと思い出して歌ってる。楽しかったりケンカしたり。おまえもそういう気持ちで弾いてくれ」と詰め寄ったという話。

サニーデイのライブで見る曽我部恵一は、ソカバンともソロの時とも違う、何か大きなものに身を捧げるような雰囲気をまとっていると思っていたのだけど、こういうことだったのか、と深く納得した。
そしてあれだけのキャリアと力量を持つミュージシャンが、今なおリハーサルから全身全霊の演奏しているという事実。
「曽我部と一緒にバンドをやるのは過酷。あそこまで突き詰めるミュージシャンはいない」という田中貴の言葉とも重なって、あの圧倒的なパフォーマンスを生み出すためのエネルギーの大きさに、めまいがしそうな思いがした。

 

この、ロックバンドを続けていくために必要な音楽的、ビジネス的、精神的エネルギーの膨大さ。そこから得られる対価とリスクを考えれば、とてもまともなオトナのやることではない(あれだけ売れていたMIDI時代の月給は最大でも18万だったらしい)。
ロックバンドとは、もはやそれ自体が作品のようなものなのだということを思い知らされる。

 

にも関わらず、「Dance to you」発表時のインタビューで曽我部恵一

「もうサニーデイ以外の活動はしない。自分のすべてをサニーデイに注ぎ込むことにきめた」

と、これからの覚悟を語っていて、ファンとしてはこんなに嬉しい言葉もないわけだけれども、その道の険しさを想像すると、バンドが存在する間に、彼らがもたらしてくれる興奮と喜びを思いっきり吸い込まなければならない、とも思う。


後半には「第四のサニーデイ」ことアートディレクターの小田島等氏のインタビューも収録。
小田島氏によるアートワークを語ることは、サニーデイ・サービスというバンドの本質に迫ることと同義だと思っていた私としては、この点をしっかりと北沢氏が掘り下げてくれたことが嬉しかった。
「若者たち」「東京」あるいは「Dance to you」。これらのアルバムジャケットが、もしも凡庸なものだったとしたら、サニーデイディスコグラフィーに対する評価も、もしかしたから音楽自体も、違うものになっていだろう。

サニーデイ・サービスがつくりあげる音の世界を、目に見えるものや手に触れられるものへと拡張してきた小田島氏。
3.11以降に大阪へ移り住んでいた彼が東京に戻ってきたのが2014年で、そこからサニーデイの作品とライブが別次元に突入していったのは果たしてただの偶然なのだろうか。
小田島等こそが、曽我部恵一というアーティストにとって唯一のプロデューサーなのかもしれない、なんてことを愛と批評性にあふれた彼の言葉を読みながら思ってしまった。


そして小田島氏の「ある作家や作品にハマると、それを自分のことのように考えてしまう」という言葉を噛みしめつつ、俺は過去のどの時期よりも、今(NOW!)のサニーデイの音楽が一番好きなんだよな、と思っているところだ。