ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

佐野元春 45周年ヒストリー あとがき

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24年12月某日。ちょうど一年前。私はソニーミュージックの会議室にいた。

この歳になると身の回りで起きるたいていのことには驚かなくなってくるものだが、さすがにこれは想定外の事態。何かの間違いではないかという気がして、高層階から見下ろす六本木の夕暮れに何度も目を泳がせていた。レコード会社に呼ばれたアマチュアバンドの気持ちはこんな感じなんだろうか。

 

この日の議題は、佐野元春デビュー45周年アニバーサリーの特別企画として展開するヒストリーの連載について。佐野元春の記事はこれまでも書かせてもらったことがあるので、彼がソニーという会社にとってどれだけ特別なアーティストであるかということは分かっているつもりだ。そもそも私のような者の都合に合わせて休日出勤してくれたことからも、otonano編集部の気合いが伝わってくる。

こんな仕事を依頼してもらえるなんて…と光栄に思いつつ、月に一回・一万字というボリュームと責任の重さに怯んだ。途中で書けなくなったらどうする?リライト地獄になったら?

しかし結局のところ、断るという選択肢は、たぶん最初からなかった。最も大きな理由は、佐野元春というアーティストの奥深さ、面白さが、新しい世代はもちろん、古くからのファンにもまだ十分に伝わっていないのではという意識が自分の中にずっとあったから。もしかすると自分ならそこに新しい光を当てることができるんじゃないか、という書き手としてのある種の野心があったのだ(もちろん、その気持ちが高揚ゆえの勘違いであることにはすぐ気づくことになる)。

 

とはいえ実は、この時点で全9回を私が担当するかどうかは確定していなかった。数回ごとに書き手を分けるという可能性もあるとのことだった。でも私はどうしても最後まで書きたかった。それは新しいMac Bookを買ってしまったからではない。GREAT3世代の私が一番リアリティを持って書けるのは、キャリアの後半以降、つまりコヨーテバンド以降のことだと思っていたからいう確信があったら。なんとかそこまで連載を続けたい。

 


PART1

そのためには一回目で、読者に私の文章に納得してもらう必要がある。そしてもし途中で交代するならば、言いたいことは全部を注ぎ込んでおきたいと、ほぼ2ヶ月を費やして完成させたのがこの原稿。さすがに全部を注ぎ込みすぎた、と一年前の自分に突っ込んで言いたい。

ここで言いたかったことは大きく3つ。

・ロックでありながら、歌詞が2025年の倫理観で見ても違和感がないほどのジェントルネスに貫かれていたこと

・幻想を売り物にしたシティポップなんかよりもずっとオシャレだったってこと

・80年代という社会の変革期にに呼応したアーティストであったということ

だから佐野元春は今でもリアルで面白いアーティストなのだ、ということだ。

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PART2

「VISITORS」、「CAFE BOHEMIA」「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」という海外三部作を産んだ伝説的な時期。

果たしてこの時期の佐野元春は本当に一人だったのだろうか?絶対影武者がいただろと思いながら異常なまでに多様な活動をまとめた。

子どもの英検試験が終わるのを待ちながら、資料を広げてレコーディング・メンバーの経歴を整理していた記憶もある。

この中でも特にこだわったのが「カフェ・ボヘミア」期におけるイギリスのインディー・ミュージックとの共鳴。もうちょっと身も蓋もない言い方をすると、音楽を大して聴いていない奴らに限って言う「佐野元春はスタカンのパクリだろ?」という薄味すぎるイヤミに対する正面からの答えを示したかったのだ。そんな私の思いに力をくれたのは、カッコいい先輩方から頂いた「佐野元春のことは昔から好きだったから、ドリーミーの記事も楽しみにしてる」という言葉と、佐野元春フリッパーズ・ギター、そして佐野元春に等しい熱情を持って描いてきた北沢夏音さんという偉大なライターの存在。

今までの俺は間違いじゃない、と勝手に思い込んで書いた。

 

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PART3

ここからは90年代。以前、otonanoに佐野元春の90年代に特化した特集を、そして「THE CIRCLE」のボックスセットにも解説を書かせてもらったことがあるので、この10年にはある程度の土地勘はあった。

しかし、この時期は佐野元春にとって公私共に大きな転換期とも言うべき時期。調べれば調べるほど、聴き込めば聴き込むほど、より繊細に描かなければ・・・という思いが募り、結局ギリギリまで粘った(が、締め切りは常に守るのがサラリーマンとしての矜持)。24年12月に観た「THE CIRCLE ツアー」のファイナル公演を映画館で見た時の巨大な感動に突き動かされたところも大きかった。

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PART4

1995年から1999年の5年間。

この時期最大のトピックはインターネットの導入と、同時代に現れた年下のミュージシャンとの交流。私が音楽を本格的に聴き出した時期ということもあり、時代感覚には自信を持って書けるようなってくる。

当時の雑誌も改めて読み込んだけど、GREAT3をはじめ、いわゆる渋谷系以降のアーティストの発見をとても嬉しそうに語る佐野さんがチャーミングだったし(そしてGREAT3をソニーからデビューさせようと動いていたということも知った)、逆にその語り口が80年代の孤高を物語っていた。この数年で佐野元春作品と若手インディバンドの距離がまたぐっと縮まっている感じもあるので(田中ヤコブの新曲聞きました?)、またTHIS!みたいな企画が観れないかな…と密かな夢を抱いている

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PART5

おそらく佐野元春のキャリアの大きな転機の一つは、97年のアルバム「THE BARN」だったのではないか。シーンに対して20年早かったサウンドは、バンドとしての到達点でありながらも、ポップスターとしての側面を後景化させるものだった。その結果が04年のソニーからの独立に繋がった気がしてならない。ソニーから独立する話をソニーのweb媒体に書くというのはなかなか痺れるな・・・と思いながらどちらの見方も示しつつ、率直に書き進めた。修正の依頼は一切なかった。

それはともかく、この時にDaisymusicを立ち上げたからこそ、今の佐野元春があると私が確信しているのは、同じ時期にインディーレーベルを立ち上げたマイ・ヒーロー曽我部恵一の存在があるから。リアルなロックを鳴らし続けるには、灼熱の太陽と厳しい北風を感じる路上に出る必要があったのだ。というか、それを楽しめる人しか前に進めないのがロックシーンというものなのだろう。名盤「THE SUN」を仕事で訪れた豊洲から東京駅に向かうバスの中で聴いてちょっと泣いた。ここは子供の頃によく通った道。大人になってよかったと思った。

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PART6

2005年から2009年。いよいよコヨーテバンドの原型が出来上がる時期。私がリアルタイムで佐野元春のニューアルバムを聴き出したのもキャリア屈指の名盤「COYOTE」からである。以前、楽屋でお会いした際に「私はGREAT3の高桑圭が佐野元春とやるの?と思って聴き出したんです」と佐野さんに伝えたら、とても嬉しそうな表情を浮かべていたことを覚えている。よく考えてみると佐野さんにはちょっと失礼な物言いなんだけど、彼がコヨーテバンドのメンバーを誇りに思っていることがひしひしと伝わってくる瞬間だった。ちなみに彼らが初めてステージに現れた様子(佐野元春以外には許されないやり方だろう)が記録されたDVD「星の下 路の上」はザ・ホーボー・キングとの演奏も最高だから全員観てほしいです。

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PART7

30周年、東日本大震災を経てリリースした「ZOOEY」。コヨーテバンドと録音することを前提に作られたバンドにとって事実上のファースト・アルバムで獲得したものは、現実社会に立ち向かい、リスナーの人生に直接語りかける肯定性だったように思う。執筆中もどんどん世界は悪くなっていったけど、このメッセージに救われたし、今も救われている。時代は回る。巨大な悲観主義に飲み込まれないように。大人ならば特に。

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PART8

2015年から2019年。全9回のうち、どれか一回だけを担当できるとしたら迷わずこの5年間を選ぶというくらい、自分の人生にとっても大切な季節。ドリーミー刑事というふざけた名前が実体を身につけていった時期でもある…というと急にくだらないものに思えてくるが、とにかくストリート・デモクラシーと東京インディーの出会いは私の人生を変えた。そして政治の季節が終わり、敗北感の中で聴いた「BLOOD MOON」の感動は私の中で今も新鮮に生き続けている。なおこの項では絶対に(((さらうんど)))のことも触れたいと思い、長野までライブを観に行って、面識のないXTALさんにコメントを依頼したのも良い思い出。その場で「佐野さんのためなら」快諾してくださる姿に、俺もこれから絶対に人には親切にしようと心に誓った。

https://otonanoweb.jp/s/magazine/diary/detail/11342?ima=2220&cd=annex

 


PART9

2020年から2025年。とうとう記事が現実に追いついた。未だ記憶が生々しいコロナ禍でのアクションは、迅速にして大胆。佐野元春くらいのビッグネームならば、あの時期はじっと静かに待つという選択肢もあっただろうが、アーティストとして、あるいは多くのスタッフやメンバーを率いる棟梁としての自身がそれをよしとしなかったのではないか。40年間のアーティストとしての経験、20年近いレーベル経営の勘があったからこそできたことだろう。佐野元春という人の経営者、リーダーとしての側面を追う本があったら絶対読みたいと思った。

そして45周年アニバーサリー・イヤー。全9回を通じて、私が常に想定していた一番の読者は当然のことながら、佐野元春を長年にわたり支えてきたファン。皆さんが作り上げてきた45年はかくも偉大なことだったのです、ということを一番最後にその列に加わった者の目線で、敬意をもって示したかった。その気持ちはSNSなどでもらうリアクションに触れるたびに強くなり、最終回はそれをしっかり伝えようと、ツアーファイナルも見届けさせてもらった。終演後、最終の新幹線に向かって走りながら見た、BUNTAIから出てきたファンの皆さんの笑顔はずっと忘れないと思う。

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私は本業が別にあることもあり、いつも原稿を書く時は、これが最後になるかもしれないと思って取り組んでいる。思い残すことがないように、嘘を書かないように。しかしさすがにこの規模の仕事をすることはまさに最初で最後だろう。果たして佐野元春の45周年に相応しい仕事とはどういうことか。自問する日々だったけど、結局それは全力を尽くして、正直に書くということだけだった。果たしてこれがそういう文章になっているか、今はまだ振り返ることができない。でも一つ言えることは、この先もパッとしない人生が続いたとしても、この2025年の経験が、私をずっと照らしてくれるような気がしている、ということだ。このような貴重な機会を与えてくれたotonano編集部の安川さん、監修してくださったソニーミュージックの福田さんに改めてお礼を言いたい。特に最初の方はめちゃめちゃヒヤヒヤされていたのではないかと思う。また同企画のインタビュアーとして毎回素晴らしい仕事をなさっていた大谷隆之さんにも、記事を通していつも激励されている気持ちで、BUNTAIでご挨拶できて本当に嬉しかった。そしていつも編集部を通じて励ましのコメントをくださった佐野元春さん、超多忙の現場で親切にしてくださったDaisymusicの松永さんにも心からの感謝を。みなさんありがとうございました。

この先ももっと、魂をぶち上げていきたいと思います。