ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

ボロフェスタ最終日の記憶

名古屋駅で新幹線に駆け込んでから「そう言えばのぞみって京都に止まるんだっけ?」とボケてしまうほど久しぶりの一人旅。19年3月の「うたのゆくえ」以来二年半ぶり、そして初めてのボロフェスタに参加するために京都へ。

しかしこの二年半、京都は常に私の身近にあった。毎週聴いているラジオ番組、岡村詩野さんの「ImaginaryLine」スカート「NICE POP RADIO」、そして「ラジオのカクバリズム」。それらすべてがこの京都α-Stationから放送されているのである。そりゃ勝手な親近感を募らせるのも無理はない。


というわけで、天気がめちゃくちゃ良いこともあり四条駅で地下鉄を途中下車。聖地α-stationを拝んでから(きれいなオフィスビルでした)、歩いて京都御苑の隣に立つKBSホールへ到着。

 

今年20周年のボロフェスタ。例によってに私は予備知識をあまり持たずに行ったのだけれども、ちょっと古くて真面目そうな建物と、手づくり感ある装飾、そして一生懸命はたらく若者たちの姿が目に入った瞬間、これはもう最高のやつだな…と直感。学園祭の青くて甘酸っぱい、そして京都の大学がイメージさせるアナーキーな空気が濃厚に漂っていたのである。


トップバッターはDEATHRO。彼のライブが見たくて開演前から入場していた私だが、その期待をまったく裏切らないスターぶり。彼の音楽性を一言で表すと、ビジュアル系前夜、80年代後半のビートロックのパンク解釈によるオマージュ…ということになるのだろうけど、この日の彼が見せてくれたのはそんな外形的なスタイルなどで語れるものではなかったような気がする。衣装が破れてもステージから落ちて腰を強打しても、それでも全力で跳躍することを止めない人間が描く軌道の美しさ…とでも言えばいいだろうか。最初からめちゃ元気をもらってしまった。


続いてはこの日この場に来ようと思った最大のモチベーション、我らがスカートのライブである。何よりライブを観るのが久々すぎるし、このコロナ禍における彼の葛藤をラジオを通じて聴いていただけに、始まる前から感無量…。しかしに鳴り出した入場SEは、エクソシスト2のサントラから「パズズのテーマ」。そう。ナイポレのリスナー投票で選ばれた新SEである。この堕天使DEATHROから悪魔祓いへの劇的すぎる反転、そして間髪入れずに演奏される名曲「ストーリー」。愛と笑いと感傷が入り混じり、わたしの感情はいきなり臨界点を超えた。

バンド編成でのライブは1年2ヶ月ぶりとのことで、最初は緊張感が漂っていたように思うけど、今までよりも少し柔らかさを増した感のある新しいギターの音に導かれるように、タイトだけど優しいバンドのグルーヴは、どこまでも豊潤。そしてこの日初披露となるタイトルからしてもうグッとくる新曲「海岸線再訪」の、あらゆる感情を飲み込んだ上で鳴らされる開いたメロディと弾むリズムが、これまでの日々で流した涙を乾かしてくれるよう。そしてその輝きは中盤で演奏された「トワイライト」で描かれる長く伸びた影と対比されることにより、いっそうかけがえのないものように思われた。ラストの「静かな夜がいい」で楽しそうにステップを踏む澤部さんの姿に、今日は本当に来てよかったと思う私であった。まだ昼過ぎだったけど。


スカートが終わったところでTURN岡村詩野編集長に遭遇。ついさっきまでイマラジを聴いていたのでめちゃくちゃ変な感じ。毎月のように寄稿させて頂いているものの、リアルでお目にかかるのは二年半ぶり。つまり「うたのゆくえ」以来。いつも親切にしてくださりありがとうございます…。


CHAIを挟んで続いて見たのは本日休演。いつもタイミングが合わなくてライブを観るのは久々だったんだけど、もう感電レベルでしびれた。最新作「MOOD」のモノトーンな色合いをさらにダークに極めたような、暴力の気配すら感じさせるギターとリズム。以前はとっ散らかった天才少年的な才気がユーモアすら漂わせていたと思うのだけれども、今はグッとシンプルに研ぎ澄まされている感じ。初期の北野武映画のような張り詰め具合とでも言おうか。MCで口を開くととぼけた学生さんの風情も残っているのだけれども。一曲目に演奏された「全然、静かなまま」から、エバーグリーンなバブルガムポップを鋭利なズタズタに切り刻み続けるような異形ぶりが圧巻だった。ああまたすぐにでも観たい…。


本日休演の興奮を冷ますために京都御苑を散歩。案内によると明治時代に東京へ遷都してから御所周辺が荒廃したため整備されたとのことだが、とにかく広い。広すぎる。どこまでいっても御苑じゃないか…と途方にくれたところで視界に入ったファミレスで休憩(はるばる京都まで来たのに)。

 

さて。すでに歩数は20,000歩近いが、ここから後半戦。フジロックではGEZANと重なり見ることがかなわなかったTHA BLUE HERB。めちゃくちゃ久しぶりに観るライブだけど、2000年のホワイトステージで刻まれたタトゥーは一生消えることはない。まるで熟練の牧師の説法のような怒涛のアジテーションは、すっかりヨレヨレに縮んでしまった中年の魂に火をつけ、再び滾らせてくる。文字にすればうんざりするような暑苦しいメッセージが無二の説得力を持つのは、各地で真剣勝負を重ねた経験値と、綿密に計算された音楽的快感に裏打ちされているからだろう。BOSSの発声一つひとつがキックやスネアと擦れ合い、ファンクネスを倍化させているのである。これぞ日本のヒップホップ無形文化財。聞けば曽我部さんと同い年、50歳とのこと。俺の「一番いいやつ」はまだ来てない…のだろうか。


そしてボロフェスタの顔であるLimited Express(has gone?)の登場。すっかり足腰がパンパンになったところにドロップされるハードコアパンク祭り。もうやけくそで楽しくなってくる。ついうっかりしてたけど、初めてDEATHROとリミエキを一緒に観たのは、2016年春のメテオティックナイトだった。あの時はECDのライフが観たくて今池ハックフィンへ足を運んだものの、まだこの界隈のバンドのことを全然知らなくて、ただただあっけにとられていたんだよな。今となってはいい思い出だ…なんて感慨に耽っていたら、ボーカルのYUKARIさんが5メートルはありそうな脚立の上に登って歌っていた。なんなんだこれは。もうECDもどっかかから現れてくるんじゃないかっていう生命力。死ぬまで燃やし尽くそうぜNever Die…

 

狂乱のリミエキから一転、Nicoの「These Days」に乗って登場したのはHomecomings 。リミエキと同様、ここ京都をルーツにするバンド。この日の彼らのライブから受けた感覚を表す言葉をあれからずっと探しているのだけれども、ホーリー、神聖という形容詞が最もふさわしいのではないかと思っている。なんと大仰な。しかしそう思ってしまったのだから仕方ない。スケール感を増したメロディーはこの街を包み込んでいく夕闇で、ギターのアルペジオのきらめきはそこに降る星くずのようだった。インディペンデントなお祭りの終わりに鳴らされる、どこまでも青い永遠のインディーロック。こんな学園祭が私の青春にもあってほしかった…と最後に演奏された「Cakes 」を聴きながら思わずにはいられなかった。いやでもコロナ禍をくぐり抜け、会いたい人にたくさん会うことができた今日という日もまた、私にとっての学園祭だったのではないか。胸いっぱいである。

 

そんなわけでなんとなく大団円ムードに浸っていた私の前に、まだまだロックンロールは鳴り止まないぜ…と登場したのはサニーデイ・サービス。この一年で彼らのライブを観るのは4回目だが、それぞれのライブでまったく違う表情があった。そしてこの日の彼らは、若いオーディエンスやスタッフを大御所のオーラや技量で圧倒するのではなく、フラットな関係にある仲間としてステージ上に立ち、伸びやかに演奏していたように思えた。「セツナ」や「さよなら!街の恋人たち」といったロックナンバーではよりタイトになった演奏で胸をかきむしってくるわけだけれども、3回目のやり直しでようやく完走した新曲「TOKYO SUNSET」、今は亡き丸山君の思い出に触れた後に演奏された「若者たち」、そしてアンコールの「サマーソルジャー」は、このボロフェスタという青春を完走したオーディエンス、すべての出演者、スタッフを讃えるように鳴り響いていた。この空気こそが、ボロフェスタの魔法なのか。ちょっと知ったような気になりながら、10時間近く滞在したKBSホールを後にした。

 

誰にも行くことを告げられず、そして誰にも会わないままに帰ってきたフジロックがわずか2ヶ月半前。ボロフェスタでも禁酒、検温、マスク、追跡サイトへの登録といった管理はしっかり行われていたわけだけど、みんなが集まって音楽を楽しむ、その喜びを分かち合うという行為に、後ろめたさを感じなくてもよいという開放感は想像を上回るものがあった。そしてそれはどのライブ、フェスでも一緒かと言えばそういうわけではなくて、作り手の熱量や、出演者の思い入れがダイレクトに感じられるボロフェスタだからこそ、という部分が大きかったと思っている。この日お会いできたすべて皆さま、ありがとうございました。