ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

コーネリアスと東京五輪、私たちの90年代。2021年7月の話(未来の人へ)

TURNの取材で曽我部恵一さんにインタビューさせてもらった時に言われた「今、25歳に戻してあげるって言われても嫌だな。あの頃はもっと無礼だった。今は昔より純情だし、もっとけがれなく世の中のことを見ている」という言葉が強く自分の中に残っている。初期の傑作を軽やかに生み出していった才気に満ちた日々よりも、おそらく色々な荷物を背負いながら戦っているであろう今の自分を選ぶ勇気と自信。とっくに40を超えても相変わらずどうしようもないことばかりやってる俺でも、明日はもっとマシな人間になれるんじゃないか、いつかこんな風に昨日より今日の方がいいと言える日が来るんじゃないか。『いいね!』を聴くたびに曽我部さんの言葉を思い出しては、励まされるような気持ちになっている。

 

映画『アメリカン・ユートピア』を観た時もそれに通じる気持ちを感じた。もちろん最初はデヴィッド・バーンとバンドメンバーの人間の限界を超えた肉体性と創造性に圧倒されたのだけど、二回観た後に思い返してみると、実は一番心を打たれたのは過去の自分をフラットに見つめ直し、今を変えていこうという姿勢だったのかもしれない。つまり何歳になっても人は成長することができるし、未来は変えることができるということ。あの作品から受け取ったメッセージは、いわゆるミッドライフクライシスにどっぷりと足を突っ込んでいる私にとっての希望である。

 

 さて小山田圭吾というミュージシャンは自分にとって心理的な距離が近い存在ではなかった。小学生の頃に初めて聴いた「恋とマシンガン」は人気ドラマの主題歌だったし、ソロになってからも常に時代の先頭、そしてシーンの真ん中にいるスターであり、エンターテイメント業界の向こう側にいるポップアイコン。特にセカンドアルバム『69/96』の頃まで時おり顔を出していたトリックスター的なふるまいが鼻につくと思いながらも、やはりその動向をチェックしなければならない存在だった。そして中学3年生の時に読んだロッキングオンジャパンにおける例のインタビュー記事も、そのトリックスター性をアピールするための与太話というか、マッチョでフィジカルな不良性が主流だった当時のロックシーンに対する、文系キャラによるカウンターという感じで受け止めていたのだと思う。セックス・ピストルズでも電気グルーヴでもダウンタウンでも中田英寿でも、何かを更新しようとする者にはある種の暴力性を孕んでしかるべきであるという受け手としての思い上がった興奮が、そこにリアルな被害者がいるという想像を消し飛ばしてしまっていたのだ。この点についてはもう自分を恥じるしかないし、本当に愚かだったと思う。しかし一方で、15歳の自分に対する責任をすでに40歳を超えた私がどこまで引き受けられるのか、という思いを抱えていることも事実だ。たしかに私は愚かで浅はかだった。しかし、ある時点で気づかなかったことやできなかったことを拾い集めながら、少しずつ善なる方向へ歩もうとすることが成長というものだとするならば、そうした側面が私の人生にもあったのではないか。もし少年期特有の残酷さが永遠に許されないのならば、一体なんのための人生なのだろうか。この点については、今もまだ整理ができないままでいる。

 


そんなコーネリアスとの距離感が明確に変わったのは、今のところ最新のオリジナルアルバム『Mellow Waves』を聴き、そのリリースツアーを観た時からだ。デビューから一貫して感情や衝動、ひいては言語そのものからも距離を置いてきた彼が、(作詞は坂本慎太郎だったとしても)明らかに歌を通じてオーディエンスとエモーショナルなやりとりを試みようとしていることは驚きだったし、そのトーンはかつての彼からは想像もつかないほど、暖かかった。それでいて、『FANTASMA』の頃から追求してきた人間と機械、音楽と映像が完璧に同期したパフォーマンスのエッジの鋭さはさらに研ぎ澄まされており、今思えば感情と感覚、頭脳と肉体の双方に強い作用をもたらし、成長という意味を考えさせてくれるという意味で、『アメリカン・ユートピア』と同じ感動があったのかもしれない。

 


そして彼の表現が自分の中で決定的に重要なものとなったのは、子供と一緒に豊田市美術館で観た「デザインあ」展である。音楽と映像の科学的な融合…と言ってしまうとありきたりだが、他に観ることのできない発想で作り上げられた世界を、10年にもわたってつくり続けてきたのかと思うと気が遠くなりそうだったし、これが才能と時間の切り売りだけでできるものだとは到底思えなかった。人間性を完全に排除した論理的表現だからこそ逆説的に浮かび上がる、目には見えない、何か大きなものに対する愛と献身を感じてしまったのである。もう少し控えめに言っても、そこにはかつてのトリックスターのイメージからは想像できない深い成熟があったことは間違いなく、その変化は、曽我部恵一デヴィッド・バーンから受け取ったものと通じる希望を私にもたらしてくれた。つまり、人は変わることかできるし、過去には予想もつかない未来を作り出すことができる。そんなメッセージを都合の良く自分の人生に重ねてしまったし、きっと彼もそういう道のりを歩いてきたのだろうという確信に基づく物語を作り上げてしまった。それはまったく見当違いのことかもしれないけど、彼の表現が私にもたらした、誰にも変えることが出来ない真実である。もちろんだからと言って彼の罪が軽くなるなどと言うつもりはない。ただ私は私の中の真実を文字にしておきたかっただけのことである。

以下、そんな私の目から見た2021年夏の記録を書き残しておく。今ではなく、未来からの検証のために。

 

 

 

7月15日(木)

小山田圭吾東京五輪の開会式に参加するというニュースを知った。その時の私の感想は「へえ」という一言。石原慎太郎が思いつき、竹田恒和がワイロを配りまくって招致し、安倍晋三がはしゃぎまわる汚職と利権の祭典。そんなものに加担するなんてダサすぎる…という落胆と、それでもまぁ他人のセックスと仕事は笑ってはいけないし…という自重、しかし椎名林檎がやるよりはいくらかマシなものになるだろう…という消極的な希望が重なりあった上での「へえ」。その時点ですでにYahoo!ニュースのコメント欄に過去のいじめ問題を指摘する声もあったけど、さほど大きいものになるとは思わなかった。いくらなんでも小山田圭吾という音楽家が国民的な関心を呼ぶことになるとは思えなかったし、総理大臣による不正に端を発したパワハラ自殺を許した国民が30年前の真偽不明の与太話に夢中になるとも思えなかった。

 


そんな困惑と他人事感から出た、今から14日ほど若く、そして傲慢で浅はかだった私のツイートがこれである。被害者の方に対する配慮やオリンピックの公共性や国際性に対する思慮が欠けていた点については率直に反省している。彼はこの仕事を引き受けるべきではなかったし、速やかに辞退すべきだった。

 


ただ、ここに補足するならば、この行為に加担した(とされる)時の彼はまだ未成年だったという客観的な事実は「考慮」されるべきだった。彼自身もまだ成長の過程にあり、保護者の庇護や学校の指導を受ける立場だった。とくに「うちの学校はいじめがすごかった」と言及されている学校側の方針や運営に問題がなかったのか。そうした検証は「いじめ」という罪を裁く上では絶対に必要だと思うのだけれども、それに言及している人はほとんどいなかった。では成年後にいじめについて雑誌において公言したという点はどうか。これは大人になってからの行為であり、汲むべき事情はほぼない。しかしこれをもって彼に罰を与えるならば、当時語ったどこまでが事実でどこまでが誇張だったのかという点はしっかりと確認されるべきだったと思う。もし時間の経過によって十分な検証ができないということであれば、その分だけの留保が必要ではなかったか。少なくとも騒動に乗じたマスメディアがその点を確認せずに一方的な報道を繰り返したのは過剰で軽率だった。訴えてこない、権力を持たないと値踏みした相手ならば、報道の正確性をかくも簡単に放棄することを日本のジャーナリズムの安易さを改めて思い知らされた。

こうした少年法の精神や時効の概念、後述する遡及処罰の禁止といった法治国家における大原則は、立場や意見の違いを超えて、そこに暮らす者として一定程度は引き受けなければならない現実だと思う。どんな犯罪者にも人権があり、弁護される権利がある。その点が誰にも顧みられなかったことに疑問を感じた。

ただ改めて言っておくと、私はあくまでも「考慮」が必要であると言っただけであり、不問にすべきだ、無罪だ、と言っているわけではない(この違いはまったく理解されない、ということを痛感したこの2週間である)。

 


話を時系列に戻す。この日の夜、先ほどの私のツイートを読んだ人からDMを受け取った。要旨は「過去に某ロックバンドのドラマーによる差別扇動的表現を糾弾した貴方がなぜ小山田のいじめは許すのか」というもの。許しているわけではないということと、それでもなぜ全面的に否定しないのか、という理由は上述の通りである。しかし、某バンドに対する反応との違いについては改めてここに理由を書いておきたい。まず、私は基本的に批判の対象は作品であり、アーティスト本人ではない思っている。ゆえに「表現そのものに問題があるか否か」という前提において、両者は異なる問題だと思っている。しかし表現というものを広く捉えるならば、雑誌のインタビューも表現活動とも言えるわけであり、同じ態度を明確にするべきだったと思う。ただ、私は某バンドに対しても「表現の不適切な点を明確に認めて撤回するまでは聴かない」というスタンスしか取っていない。つまり過ちを認めれば聴くのである。だってそもそも聴きたいんだから!そしてもう一つ大事なことは、そのドラマーがどんな舞台に立とうと基本的には自由であり、緊急性のない理由でそれを阻止するべきとは思っていない。表現者から表現の機会を奪うというのは、死刑宣告にも近いものであり、極めて慎重な判断が求められるはずだからだ。そう言うと「いや小山田だって同じくらいひどいことをしたじゃないか」と言われるだろう。たしかにそうかもしれないし、そうではないかもしれない。いずれにせよ2021年の我々はハムラビ法典の時代に生きているわけではない。目には目を、という発想で私刑を課すのは野蛮すぎるわけで、法治国家の精神に沿った抑制的な手続きが必要なはずだ。だって彼は政治家でも大資本家でもない、人より少しだけ有名な一人の音楽家でしかないのだから。しかし、多くの「正しい人たち」はそうは思わなかった。「表現の不自由展」の中止に抗議してきた人々はもちろん、ミュージシャンとして、現代のモラルでは許されないくらいに奔放な言動で知られるアーティストとコラボレーションしてきた人までもが、謝罪後もなお小山田圭吾を表舞台から消し去ろうとする勢いは恐ろしいものがあった。罰とは人ではなく罪に対して与えられるべきではないのか。私はこれからも民主主義社会に暮らす市民として必要な意見は口にするつもりだけど、こうした人たちとは目指すところが違うのかもしれないということが頭をよぎった。例えば私は安倍晋三はしかるべき法的・政治的責任を取ればそれでいいと思っているけど、彼らはもしかするとそれに加えて市中引き回しの刑までやらないと気が済まないのかもしれない。こうしていつの時代においても、「正しさを追求する私たち」は大別すれば同じ側に立ちながらも、その純度の違いによって分裂し、憎み合い、そして結局負け続けるのだな…と暗澹たる気持ちになった。

 


さらにもう一つ某バンドとの差異を言わせてもらえれば、その事案が発生した時間軸の問題である。昨日今日起きたことと30年前に起きたこと。そこに適用されるルールやモラルがまったく同じであるはずはない。もちろん暴力は時代性を超えて処罰されるべきものだが、30年前の私たちにとって、それはもっと身近なものであったことも紛れのない事実である。中学生の娘から現代の学校生活を聞くとあまりの違いに驚いてしまう。いわゆる不良生徒はいないし、部活の上下関係はゆるやか。そして教師による体罰など一切ないという学校生活。実際、マクロで見ても少年犯罪件数のピークは小山田の行為が行われたであろう昭和50年代であり、検挙者数は毎年20万人を超えていたが、平成の終わりにはわずか3万人にまで減少している。繰り返すけど、だからと言って彼の行為が正当化されるわけではない。ただこうした社会全体の価値観の違いを無視して、あのような暴論がなんの問題もなく世に出てしまったこと、私を含めた社会がそれを受容してしまったという事実を説明することはできないだろう。はっきり言って当時は大した問題だと認識されなかったのだ。それがウソだと言う人がいれば、それはあなたが幸せな人生を送ってきたというだけの話だ。我々は、少なくとも私は今よりももっと野蛮な時代を生きていた。俺のシャツを引きちぎってタコ殴りにした教師も、下校途中に突然公園に引き摺り込んで集団で暴行を加えてきた先輩も、誰も謝罪になんかこないし、覚えてもいないだろう。でもきっとお互い様なのだからどうでもいい。程度の差こそあれ、あの時代から生きてきた大人たちに、ここまで執拗に他者を攻撃できる高潔さがあるのだろうか。少なくとも私の人生は、過去からの検証に耐えられるようなものではない。今も落とし前をつけていないことだって、たくさんある。

 


7/16(金)

夕方になり、本人からの謝罪文が出た。その内容は「誤解と不快な思いを与えてすみませんでした」的テンプレートではない、本人の肉声が伝わってくるものだと私には思えた。しかし案の定、批判の声は止むことはなかった。むしろ謝罪文で続投の意思を示してしまったことが火に油を注いだのだろう(が、ほとんどの人は中身を読まずに批判するという事実も今回得た学びである)。それにしても「あんな謝罪は安倍・菅と同じ」と切り捨てた歴史学者のことは一生信用しない。学者が、記者が、作家が、言葉の価値を認めないなんて、あなたのしていることはなんなのかと問いたい。

とにかく、まだターゲットの首が取れていない以上、世論は攻撃の手を緩めることはなく、やがて私のような人間を「擁護派」「信者」とカテゴライズし、冷笑し、断罪する動きも増えてきた。見ず知らずの人から私の言動に疑問を投げかけるリプライが来た時、私は自分が「正しくない側」、つまり人民裁判の被告人側に立たされていることを自覚した。

 

 

 

7/17(土)-18(日)

人民裁判は続く。全員が検察官。弁護士はおろか裁判官もいないし、参照される法律も判例もない。しかも唯一の証拠である記事すらも検証されない中で、量刑の重さが決められていく。ようやく証人というべきロッキング・オン山崎洋一郎がコメントを出したが、小山田だけを切り捨ててやり過ごそうという意思だけが伝わる中身のないものだった。日頃は「鋭い批評」「的確な論評」で鳴らしているこの出版社出身の評論家も、なぜか揃いも揃って黙っている。きっとほとぼりが冷めた頃に「なるほど!あの沈黙にも深い意味があったんですね!」とでも言われるような言い訳を考えているのだろう。素晴らしい。いつだってあなたたちは賢い。

それにしても、なぜこんなにも私と世間の間に深い溝ができてしまったのだろう。その理由が知りたくて、日頃から信頼する、しかし今回の件では意見の異なる何人かに(これまでほとんどしたことがない)ツイッターでリプライをしてみた。こちらから聞いたことは、小山田にどこまでの処罰を求めるのか、なぜ本人以外の人間まで攻撃するのかということだったのだが、最後まで会話が噛み合うことはなかった。私のコミュニケーションが上手くなかったということはもちろんあると思うけど、ある人からブロックされ、ある人からはフォローを外され、試みは失敗に終わった。なお、彼らは「五輪開会式の制作チームを辞任させることが目的」と言っていた。たしかにそれは妥当な判決かもしれない。ただ、もし本当にそれだけが目的ならばJOCにだけ抗議すればいいのではないか。いたずらに戦線を拡大し、攻撃対象を増やすことは不毛だと思う。しかしこの日の私も結局は同じようなことをしていたわけで、人のことは言えない。

 


7/19(月)

とうとう小山田の辞任が発表された。遅くとも土曜日の時点で世論は決定的になっており、ただ傷口を広げただけの数日間だったように思う。しかし彼が五輪からの退場することで、「暴力は許さない」というメッセージを発することができたのであれば、その分だけまた社会が進歩したということなのかもしれない、と自分に言い聞かせる。そしてこの日は漫画『ルックバック』が突如発表されたのだけど、「小山田圭吾が罰せられる27 年前があったならば…」と想像せずにはいられなかった。しかし、過去のどこかで罰せられる、あるいは過ちを認めるタイミングがあったとして、それはいつどのように行われるべきだったのかと考えると、とても現実的なことではないように思えた。「20年前の雑誌の件ですが」とか「30年前のいじめの件ですが」といきなり切り出すのは不自然だし、結局こういうことになる日を待つしかなかったのだろうか。

ちなみに『LOOK BACK』というタイトルの元ネタはOASISの名曲だと思うのだけど、小山田や私を手厳しく批判していたアカウントが「やっぱOASIS最高!」みたいなことになっていて、ギャラガー兄弟の悪行はノープロブレムなんだな…と脱力した。別にギャラガー兄弟の過去も掘り起こせと言いたいわけじゃなくて、できるだけ過去の自分をこの問題に引き寄せて考えないと、「元いじめっ子の小山田をいじめる」ということだけで終わってしまうのではないか、と言いたいのである。あの兄弟の悪行自慢は有名だし、インタビューでの行儀の悪さは相当なものがある。それらを無批判に受容してきた多くの一人ひとりが少しずつ反省して、これからの行動をアップデートすれば社会全体がもっと変わるはずなのに。小山田を蹴れば何か良いことをしている気になっているかのような人々を見て、ああ今までの俺もこうだったのかもしれないと、恥ずかしい気持ちになった。だからというわけではないが超低額を定期的に寄付している障害者団体からコロナで収入がなくピンチだというメールをちょうどもらったので、これまた本当に僅かながらの寄付をした。小山田事件によって生まれたものとしてはあまりにもささやかなものなのだが。

 


7/20(火)-21(水)

さすがに喋りすぎたしこの件を内面化しすぎて精神に変調をきたしている気もするので蟄居謹慎。円形脱毛も大きくなった気がするし、もう音楽を聴く気にもなれず、海の底からことの推移をじっと見つめる。見なきゃいいんだけど。案の定「五輪からの退場がゴール」と言っていた人たちも相変わらず死体蹴りを続けているし、「擁護派」に対する嘲りも継続中。その甲斐あって、「デザインあ」は休止。ラジオ局のジングルや「サ道」の主題歌も放送中止され、さらには彼が作曲を手がけた「ちびまる子ちゃん」のアーカイブやmei eharaをフィーチャーしてリリースされたばかりのAmazon music限定の新曲も抹消された。これは本当にいい曲だったし、この破局を予言していたような歌詞が怖いくらいのすごみがあったんだけど、今はもう聴くことはできない。とにかくこれで結果的に完璧なゾーニングが完成したことになり、これで「ファン以外の人が意図せずに彼の音楽に触れてしまう」という事態は起きないだろう。罰としてはもう十分ではないだろうか。これからしばらくは「擁護派」と「信者」だけが聴いていけばいい。それにしても、この件を知りながら彼に仕事を依頼し、騒ぎになったらしれっと無かったことにするテレビ局やラジオ局のモラルはどうなっているのだろうか。本当によくわからない。

 


7/22(木)

ようやく私刑に飽きてきた人々が立ち去りつつあるところで、過去のコントの内容が問題視された小林賢太郎が開会式のプロデューサーを解任された。問題の発覚からたった半日のスピード対応。この対応が本質的に正しいものだったのかよくわからないが、危機管理的には正解だったのだろう。しかし菅首相が「言語道断」という極めて強い表現で小林氏を批判していたことには失笑した。ならば「ナチスの手口に学べ」と言った麻生太郎にあなたはどんな言葉を送るつもりなのか。本当にコミュニケーションセンスのない人である。もちろんその場合でも、ならば自分の犯罪的行為を隠蔽するために組織的ないじめで無辜の公務員を自死に追いやった安倍晋三に相応しい言葉は何か、ということを問い詰められなければならないのだが。一介のミュージシャンとタレントが詰め腹を切らされ、巨悪はのうのうと生きていることの理不尽を改めて思い知らされる。そしてこの日、クイックジャパンの元編集長・北尾修一氏のブログを読む。制作側に肩入れしすぎではないかという意見もあったが、初めての(そして今のところ最後の)当事者による証言。今は受け入れられなくても、いつか冷静にこの件が検証される日が来た時にはとても重要な資料になるはずだが、著作権の兼ね合いなのか期間限定公開とのこと(しかしこれは本来太田出版が期限を設けずにやるべき仕事だろう)。そしてその中で、マスコミを含めた日本中が小山田叩きの根拠とした、クイックジャパンの記事をまとめたブログには、控えめに言って恣意的な、率直に言って強い悪意のある編集が加えられていたことも発覚。原文からは「彼自身が加えた凄惨な暴行を嬉々として自慢していた」という当初流布されたものとはかなり異なる様相が浮かんでくる。もちろん「いじめ」という犯罪的行為があったことには変わりがないのだが「一次情報にあたる」という取材における基本的動作すら取られずに、あれだけの報道が行われていたことに愕然とする。「大筋はずれてないからOKでしょ?」とでも言うつもりなんだろうか。

 


7/23(金)

開会式当日。さすがにもう声高に小山田を批判する人も減ったのだが、北尾修一氏の記事とそれに対する「古参サブカル業界」の好意的な反応が気に入らない「新興サブカル業界」の人々がいるらしく、本筋とは関係ないところで小競り合い。狭い領土、少ない利権をめぐる争いに虚しさを感じる。とりあえず津田大介さんに対するサブカル業界での嫉妬パワーがものすごい、ということだけは把握した。

そして巨大利権の権化であるオリンピック開会式は無事に開催された(見てないから知らない)。小山田の音楽は使用されず、小林賢太郎が関わった演出はそのまま、という場当たり的な対応。すべての作品は納期が生み出す、という格言を思い出す。また前日から漏れ伝わってきたように、現在進行形の差別主義者であるすぎやまこういちが作曲した楽曲も高らかに鳴らされた(らしい)。「LGBTには生産性がない」と言い放った杉田水脈を支援し、南京虐殺への疑義を示す意見広告にも名を連ねる筋金入りの極右。マイノリティの人権侵害を糾弾された小山田、ホロコーストをネタにしたことを指摘された小林賢太郎も浮かばれない…というかこれ以上の皮肉があるだろうか。もちろんそれを問題視する意見も一部にはあったが、結局は何事もなかったかのように祝祭ムードによって鎮火された。そうなんだよ。この国はいつだってそう。悔しさ紛れにまったく本質的ではないことを言うけど、小山田にしても小林賢太郎にしても、開会式の後に参加が発表されたなら、間違いなくこういう事態にはならなかった。だからそうするべきだったと言うわけではないけれども。この彼我の差にやり切れなさが増す。

 


7/24(土)-7/28(水)

オリンピック競技が本格化し、案の定コロナ感染者も急上昇中。なんだこの地獄は…とも思うけど、都民みんなで選んだことでしょ、と突き放したくなるくらいに気持ちが荒んでいる。しかし突き放したくても突き放せないのが政治というもの。

小山田の件は後追いの週刊誌がまったく価値のない記事を書いているだけ。もちろんそのベースにあるのは例のブログであり、原典を当たった形跡なし。こうやって悪意が既成事実化していくのだろう。今はもう何を言っても無駄だ。せめて未来の人による公平な検証に期待したい、という思いでこのメモを書き続けている。

 


7/29(木)

小山田が参加しているMETA FIVEの新作が発売中止になった。その理由は明かされていないので、メンバーの意思によるものなのか、それともレコード会社の意向なのかは分からない。しかし充分な説明がないまま、音楽だけを殺すという日本のレコード業界特有の悪癖が繰り返されたことは間違いない。殺人の罪に問われたフィル・スペクターの音楽が発禁されたという話は聞いたことがないのだけど、一体どこに差があるのか。もし今回の件がレコード会社の意向によるものだとしたら、もうメジャーレーベルと契約するのはアーティストにとってリスクしかないのではないのだろうか、とすら思う。いざとなったらアーティストを守らず、あっさりと音楽すらも捨ててしまうような会社に原盤権を握られてしまうというのは、普通のビジネス感覚ではありえないのではないか。昨年の電気グルーヴの一件でも感じた認識を改めて強くした。

そして出演が予定されているフジロックについては今のところ発表がないが、ほぼ絶望的だと覚悟している。グリーンステージで観るコーネリアスを目当ての一つとしてチケットを買った私としては本当につらいが、さすがに諦めがつきつつある。とにかく今はもう彼の心身の無事を祈りたい。ちなみにコーネリアスの直後、ホワイトステージに出演するのはナンバーガール。かのドラマーを擁するバンドである。とことん過去から復讐されているな俺…という気持ちである。

 


7/30(金)

例のブログを書いた人、このエントリーを消したらしい。なぜなんですかね。

俺のブログが炎上しててワロタ - 孤立無援のブログ

 


META FIVEのメンバーであり(しかも電気グルーヴのメンバーでもあった)砂原良徳が語るアルバム発売中止の経緯。メンバーの意思ではなくレコード会社上層部の意向とのこと。やっぱりメジャーレーベルと仕事をするメリットなんてないのではという思いが強くなる。このままお蔵入りさせるくらいなら、クラウドファンディングで原盤権をみんなで買って、自主レーベルでリリースするのが経済的にも一番良い様に思う。素人考えですけど。

soundcloud.app.goo.gl

 

 

 

7/31(土)

7月最終日。月が変わると共にこの問題も忘れられていく気配。Yahooニュースに山陰中央新報という新聞社の社説のような記事が出ていた。特に中身のない記事だけど、寄せられるコメントの数と内容に変化が感じられる。火をつけ回るだけの人は去りゆき、執念深い少数だけが残ったという印象。来年の今頃には「あったねーそんなこと」という感想だけが残るのだろうか。このまま勝者なき戦争、で終わらせていいのだろうか。

news.yahoo.co.jp

 

 

 

 

 

 

 

森道市場2021に行った話

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今年も森道市場に行きました。娘が期末試験の勉強してるのに毎日遊びに行くのは気がひける…と思っている間に土曜日のチケットは売り切れてしまったので日曜日だけ。

緊急事態宣言が延長された時はもう開催は無理かも…と思ったけどやってくれました。でも、換気の心配のない野外、ノンアルコール、いつもより格段に低い人口密度。正直、めちゃくちゃ快適だったし感染するリスクもそれほど高くないのでは、と思った。

音楽に興味のない下の娘を連れていったので、とにかく無理せずということ第一優先に、半分の時間は遊園地で過ごす。が、最初に乗った空中ブランコで思いっきり乗り物酔いしてしまい(俺が)、手鼻を挫かれた。二度と回転する遊具には乗らない。

 


ライブをちゃんと観たのはceroくるりくらい。このコロナ期間中、何度も配信で観ていたceroが目の前にいる、ということがちょっと信じられなかった。そして待ちわびただけのパフォーマンスで本当に感動した。いつも同じことを言っているのだけれども、あれだけのプレイヤビリティーを持ったメンバーが創造力の限りを尽くして更新し続けるアレンジはとても複雑なのに、(このリズム感のない)身体にしっくりくることが不思議。どう動いても全身で音楽の素晴らしさを受け止めることができるのだ。誰ひとり置いていかない最新型のダンスミュージック。本当に大好きです!という気持ちになってしまった。

 


そしてくるりを観るのはなんと15年ぶり。新作が出るたびに聴いてはいるんだけど、なぜかライブには縁がなかった。ようやく晴れた夕方、茜色の空にセントレアに向かう飛行機雲が何本も描かれていくというありえない環境で聴く「ばらの花」「ハイウェイ」「ロックンロール」という珠玉のナンバー。私の涙腺はさぞ緩んだことだろう…と思ったけど意外と冷静でびっくりした。2021年の私と2005年の私、すっかり感受性が入れ替わってしまったのだろうか。もちろん懐かしいという気持ちはあったのだけど…。でもまたどこかで道が交わる時が来るかもしれない。その時まで私もくるりも前に進んでいくしかないのである。

 


それにしても、人が少なくて快適だったことは事実なのだけれども、毎年毎年それこそ赤子だった娘たちをベビーカーで連れていっていた私のような者からすると、あの家族全員が等しく楽しめる森道市場が恋しくなってしまったというのも事実。子育てに追われる大人が本物の音楽に触れられる貴重すぎる接点。40歳を過ぎた私が今でもポップミュージックに深くコミットできているのも、森道市場があったからと言っても過言ではない。来年こそ海辺でたくさんの子供たちが遊ぶ光景が帰ってくるといいな…と美味すぎるラーメンやんぐのトマトラーメンをすすりながら思った。

Moment Joonの配信ライブを観た話

人生40年も生きていると「あの時観ておいて良かったな」と後々まで語りたくなってしまうようなライブがいくつかある。5月28日に行われたMoment Joon初のワンマンライブは、(配信だけど)間違いなくそういうものであったと思う。


Moment Joonは韓国出身・大阪在住のラッパー。この日のライブは「移民」である彼が実際に入国管理局に在留資格認定の結果を聞きに行くというガチのドキュメンタリー映像と、ライブをシンクロさせる形で進んでいった。つまりこれは昨年発表された『Passport&Garcon』というアルバムの大きな主題である、在日外国人を取り巻く不条理のより生々しい告発であると同時に、ステージ外の現実とパフォーマンスを完全に一体化させた極めてコンセプチュアルな手法と捉えることもできる。私の思うMoment Joon最大の魅力は、このように身をさらけ出して掴み取った魂の叫びを 、鮮やかにヒップホップというアートフォームへ注ぎ込んでいく大胆さにある。あれだけ赤裸々かつ切実、そして辛辣な内容のメッセージを満載したライブを観た後で心に残るものが必ずしも重いものだけではなく、爽快感やユーモア、そして彼自身のチャーミングなキャラクターであったりするのは、強烈なメッセージに拮抗するだけの強靭な批評性が彼の表現に備わっているからだろう。


ところで、Moment Joonは日本の大学に留学してきた、つまり自らの意思でこの国に来た若者である。マイノリティに対する差別が半ば文化・国柄として固着しているこの国において、外国人、アジア系、とりわけ朝鮮半島出身者というだけで浴びせかけられる理不尽があることは私も理解しているつもりだし、彼の表現に誇張があるとはまったく思っていない。しかし、この国には本人の意思がまったく介在しないところで日本で生まれ育ったにも関わらず、そのルーツだけを理由に根深い差別に晒される人たちもいる。そうした構造の中で、(もちろん十分ではないにせよ)居住地に対して一定の選択権を持つ彼が、誰よりも強烈なメッセージを発することに対して、その眼差しの繊細さからして何らかのためらいを感じても不思議ではないように思うのだが、彼のラップはそのジレンマを完全に振り切っているようにも見える。そのことを初めて彼の作品を聴いた時から(すみませんつい最近です)、不思議に思っていたのだけれども、この日のライブで幾度となくECDにリスペクトの言葉を捧げるMoment Joonの姿を見て、これはもしかするとECDと、彼が活動していた反差別団体・C.R.A.C(Counter-Racist Action Collective)と同じスタンスなのではないか、と思った。自分が被差別の当事者でなくても、むしろ当事者ではないからこそヘイターの前に立ち塞がり、その憎悪の矛先を自らに向けさせるというC.R.A.Cのやり方と、在日コリアンに対する偏見の全てを留学生である自分が引き受けると言わんばかりに「文句があるなら直接言いに来い」と自分の住所をラップするMoment Joonがダブって見えたのである。差別や政治的不公正に対するカウンターという視点が皆無の日本の音楽シーンにおいてこのスタンスはあまりにも貴重だし、この勇気こそが聴き手のハートを熱く燃えがらせる根源にあるものなのだろう。


しかしながら一方で、ヒップホップについて何も知らない私が言うのも図々しい話だけど、生身一つで人前に立つラッパーという職業は、相撲の番付と同じように、その「格」が明確に、瞬時に順序付けられてしまうものだと思っている。この日のライブでゲスト出演し、圧倒的なスキルと存在感を示したあっこゴリラや鎮座DOPNESSを大関横綱クラスとするならば、今のMoment Joonのラッパーとしての番付はまだまだ平幕レベルと言ったところだろう。ただその物足りなさすらも、伸びしろと読み替えさせてしまうだけの創造性が彼にはみなぎっている。ヒップホップシーンで存在感を示すことを切望する彼にとって、まさに外部の人間である私のような者からの支持は大した意味を持たないかもしれないけど、これからも目が離しませんからね…と思ってしまったライブだった。

 

ミステリーサークルとbandcamp friday(東郷清丸とスカート)

美容院に行った先週末、後頭部に小さな穴を発見。いわゆる円形脱毛というやつ。思いあたる原因はコロナ以降の不条理な不遇しかない。俺は毛根までふがいないのか。しばし呆然。


5/7のbandcamp friday で入手した東郷清丸の新曲集『GOLDEN SONGS WEEK ‘21』は、まるでこの頭と心にポッカリと空いたミステリーサークルの円周を丹念になぞったような作品集のように思えてならない。中でも「おつかれサムデイ」という曲の歌詞は、「俺のことをどっかで見てたのか…?」とドキッとする歌詞だった。


“あんた辞めたんじゃなかったっけ その仕事

知らないふりをするだけの その仕事

あんた辞めたんじゃなかったっけ その仕事

言葉尻をつかむだけの その仕事

やりがいはなくてもなんとかやれるが

生きがいがないままではだいぶ厳しい”


そういえば街を見回しても、去年の今頃には充満していた「この苦境をみんなで乗り越えようぜ」という共助の熱気もさすがに息切れて、諦念がガランと転がっているようである。この9曲16分、声とギターだけのシンプルな作品集は、その広い余白の中に2021年5月のリアルな空気がたっぷりと含まれている。こんな時もあったな…といつか思い出すために、今のうち存分に吸い込んでおくべき作品のように思う。


そして同じくbandcamp friday で手に入れたのがスカートの『続・在宅・月光密造の夜Vol.1』。

これは東郷清丸が広げていった心の空洞に、濃厚な感情の激流をドバドバッと流し込んでいく、ある意味で対照的な性格のライブ盤である。この2枚を運転中に続けて聴くというのはある種の「体験」と言ってもいいのではないか。なんせ一曲目から「CALL」「静かな夜がいい」「どうしてこんなに晴れているのに」「すみか」とスーパーリリカルな名曲がたたき込まれていくのである。しかも2021年春と言えばアルバム『CALL』発売から5周年。私がスカートの存在を知って初めてリリースされた作品である。ノスタルジーは僕の敵、ということはいつも肝に銘じているつもりだけど、あのスカートを始めとする(私にとっては)新しい音楽に毎日出会っていたワクワクした日々を思い出すと、どうしようもなく感傷的な気持ちになってしまう。でも自助・共助の後に続く何かが見えない今だもの。もうそれくらい許してくれてもいいじゃないですか。俺にだって放流したい感情がたくさんあるんだよ…とかき鳴らされるフェンダーに、マイハートを重ねてしまった。それにしても澤部さんのかたわらで無機質、不器用に鳴る古いリズムボックスが、こんなにも優しい相棒のように思われたのはなぜだろう。

 

 

最近行ったライブの話(21年春。サニーデイ、SAGOSAID 、PALE BEACH)

去年はほぼ自粛していたライブハウス通いを再開させている。

事実上の営業禁止を強いられている音楽産業の苦境をただ眺めることと、可能な限りの感染対策をした上でライブに足を運ぶこと。そのどちらが罪深いことなのかを裁くことはもう不可能だと思うので、私は私の判断で、可能な限り後者を選びたいと思っている。


4/12は名古屋クアトロにサニーデイ・サービスを観に行った。もともと20年5月に予定されてた「いいね!」ツアーの会場はクアトロだったので、実質的な振替公演といってもいいかもしれない。この日のライブは前回行けなかった妻が優先ということでギリギリまで迷ったけど、娘に留守番を頼んで当日券で入場。新生サニーデイがツアーの中でどう変貌していくのかを観たいという欲望を抑えることができなかったのである。

前回はコロナ厳戒体制で行うツアー初日ということもあり硬かったバンドの雰囲気も、その後に各地を回ることですっかり馴染んだようで、「ソウルフルな名曲をどこまでも青くて熱いガレージサウンドで鳴らす」という大工原幹雄加入後のバンドの本質がより際立っているように思われた。ホワイトファルコンを抱えた曽我部恵一のずば抜けたミュージシャンシップとカリスマでぐいぐいと牽引する季節を過ぎて、大工原のパンクスピリットあふれるドラムの上でエフェクターもかかっていないフェンダーをザクザク鳴らして演奏していく様があまりにも若々しく、これもまたポップコーン〜the CITY期とは違う種類の魔法を見せつけられているようだなと思った。無理してでも行って良かったなというくらいに、心の芯から元気が出た。なお前回のボトムラインと同様、物販ではPAPERMOON細田さんが大活躍していた。


4/17は今池ハックフィンへ。去年の4月に予定されていたイベント「Departures」の一年越しの振替開催で、SAGOSAIDを観に行った。彼らを観るのは19年夏の下北沢ベースメントバー以来2度目。インタビューまでやらせてもらっているくらい大好きなバンドなのにこの有様。しかし冷たい春の雨が降る夜に、「Spring is cold」から始まったわずか30分弱のライブにおけるSAGO SAIDはあまりにも特別だった。90’sオルタナ直系の轟音ギターの中に光る美しいメロディーが彼らの魅力だと思うんだけど、聴く者の心に刺さる本質とは、そういう外形的な快感を超えたところにあるように思うんだよな。なんというか、フレーズの一つひとつから、うんざりした感じ、疲弊しきったムードが立ち昇ってくるんですよ。この日も「Past time」のイントロが鳴り出した瞬間、すごく絶望的な西陽が差してきた感じがした。この日ゲストで出演した6eyesのツチヤチカが「〇〇〇〇〇〇◯ちゃんと違ってSAGOSAIDは本物の90年代を鳴らしてるぜ」と言っていて、俺は〇〇〇〇〇〇◯ちゃんもすごく好きだけどねと反発しつつも、確かにこのSAGOSAIDがまとっている疲弊感はカート・コバーンが命を絶った90年代前半のアメリカのどん詰まり感と同じ種類のものかもしれないと思った(雑誌を通じてしか知らない世界だけど)。そしてそれは2021年の日本を覆う空気にとてもよく似ているということなのだろう。終演後、Skypeの音声インタビューでしか話したことのないメンバーの皆さんにご挨拶。思えばあの取材はコロナ前、リモート取材の先駆けだった。


そして少し間を置いて5/5。ゴールデンウィーク真っ只中に、移転後初めてのstiffslackへ。レコード店に併設されたライブハウスってありそうでなかったけど、庶民的な街の雰囲気と相まって、音楽と日常がシームレスに繋がった雰囲気が素晴らしい。なんか日本じゃないみたい。この日の目当てはTURNのBEST TRUCKS OF THE MONTHで紹介させてもらったPALE BEACH。まだ単独リリースとしては二曲入りのカセットしかないことが信じられないくらいに、完全に自分の世界が確立しているようなライブ。もうただただカッコよかった。ギターポップニューウェーブに対するまっすぐな愛を込めつつ、自分の鳴らしたい音以外は絶対に鳴らさない、迎合しない、視線も送らない。そんな気高さが眩しかった。

対バンのDAISY JAINEは音源も聴いたことがなかったけど、演奏もアレンジも完成度が高くて驚いた。イギリス北部を濃厚に感じさせるグルーヴとメロディ、そしてとっぽい雰囲気。私も世代的に観ることが叶わなかった、The Secret Goldfishのライブも、こんな感じだったのでは…などと夢想してしまった。

この難しい時期にライブを企画してくれたイベンターの方のセンスと行動力に深い感謝と敬意を捧げたい。


と、ここまで書き終えたところで愛知県にも緊急事態宣言が発令。まだ闇は続く。ワクチン早くくれよ。

小崎哲哉「現代アートを殺さないために」を読んだ話

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あいちトリエンナーレに端を発した大村愛知県知事の不正リコール問題。たぶん一般的には「うさんくさい医者と怪しげな政治家による度を超えた悪ふざけ」くらいの感覚なのかもしれない。


しかし私は、これは2000年代以降の日本社会に流れる三本の暗い濁流が混ざり合うことで起きた、象徴的な事件だと思っている。


一つ目の濁流は、本来は中立的な立場で住民サービスを提供するべき行政の長が党派性を剥き出しにして、国民や住民を二分する政治手法の蔓延である。小泉純一郎から橋下徹安倍晋三小池百合子松井一郎へとより品性を下げつつ引き継がれてきたやり方が、愛知県に襲いかかってきたということなのだろう。実際、首謀者たる河村たかしは、この県民の分断を煽るリコール活動を「名古屋市長としての公務としてやっている」と公言していたし、「表現の不自由展」に最初にクレームをつけたのは大阪維新の会を率いる松井一郎と吉村洋文だった。


二つ目は、2010年代前半に吹き上がった人種差別主義者による排外活動と、それに伴い息を吹き返した歴史修正主義者の跋扈だ。その代表とも言うべき存在が、今回の活動を支援した日本第一党在特会)、百田尚樹竹田恒泰といった面々である。この顔ぶれを見れば、今回のリコールの背景にどのような歴史観・国家観があったのかは言うまでもないだろう。安倍政権下の庇護を受けて増長した彼らによる付け火という感じすらする。ちなみに過去、高須克弥ホロコーストを捏造と発言しアウシュビッツ記念館から直接苦言を呈されたり、河村たかし南京大虐殺を否定したり、ベルリン市に設置された平和の少女像の撤去を求めて拒否されるなど、国際的な恥を重ねており、こうした勢力と極めて親和性が高い場所に立つ人物であることも付記しておく。


そして三つ目は、こうした企みを視界に入れながらも、スポンサーや政治家の顔色を伺い、正面から批判することを避け続けるマスメディアの責任放棄、ジャーナリズムの劣化である。表現の自由という民主主義の根幹が、政治家の介入、脅迫という直接的な暴力によって脅かされていたにも関わらず、彼らのあいトリに対する反応は終始冷淡だった。メディア各社にとって高須や河村、維新の会とは、時にスポンサーであり、時に監督官庁に影響力を行使し得る権力者であり、そして無料でニュース素材を提供してくれる存在だったのかもしれないが、その結果として、「昭和天皇や特攻隊を侮辱する作品」といった彼らの作品に関する主張は検証されることもない自らまま、一定の信憑性を持って世間に浸透してしまった。そして明らかに違和感のあった「43万筆」の署名に対する反応も鈍く、今なお「不正には一切関与していない」という彼らの言い分が無批判に垂れ流されている始末だ。


こうした年々勢いを増す一方であった「いやな流れ」を津田大介大村秀章という数少ないまっとうな人たちが堰き止めたことにより、濁った水がどっとあふれ出したというのが、今回の不正リコールの政治的・社会的な方向から俯瞰した光景だと捉えている。


では逆に、この事件をアートの世界から見ると、いったいどのように位置付けられるのか。その問いに200%の情報量と明快さ、そしてスリリングな筆致で答えてくれるのがこの小崎哲哉「現代アートを殺さないために」である。


第一章ではドナルド・トランプグッゲンハイム美術館のせめぎ合いである「黄金の便器事件」を入口に、保守勢力とリベラル、アーティストの文化戦争の歴史を紐解いた上で、二章であいちトリエンナーレの表現の不自由展の中止に関する経緯を、主催者側の問題点も指摘しつつ、詳細に解説する。この章まで読めばあいトリを巡る賛否両論の「否」の根拠がいかに虚ろで危険なものかが分かるわけだが、話はここにとどまらない。あいトリ以前にも、粛々と進んでいた安倍政権下における恣意的な芸術表現への介入とそれを易々と許してしまうアート界の脆弱性についても指摘することで、この問題が愛知県という一地方における茶番ではないことを明らかにしていく。(なお、同じように新型コロナウィルスというパンデミックを数百年にもおよぶ芸術史に紐づけて論じた三章以降もとても興味深い)。


こうして雑駁に概略を書いてしまうと、政治的な話題・解説に終始した内容にも思えてしまうかもしれない。しかしこの本の最も素晴らしい点は、政治と現代アートの関連性を綿密かつ具体的に解説することを通じて、現代アートの楽しみ方を私のような専門知識の乏しい読者にもわかりやすく教えてくれる点にあるように思う。例えば、安倍晋三のお友達としても知られた俳優・津川雅彦が発案した展示コンセプトに基づき、長谷川祐子がキュレーターを務めた「深みへ‐日本の美意識を求めて‐」について書かれたパート。ここを読めば、安倍政権の偏狭な国家観への忖度が疑われる展示内容の問題点と共に、一般的にはあまり馴染みのないキュレーションというもののあり方や奥深さも知ることができる。


この本の中で著者は、恣意的な政治的介入から表現の自由・独立を守るためには、アーティストのみならず美術館スタッフも含めた連帯が重要だと繰り返し説いているが、美術館職員は非正規雇用が多く、その立場は弱く、コロナ禍によりより不安定さを増している。やはり権力への牽制機能を果たすには、現代アートのファン・理解者を増やすことで、大きな塊をつくることが不可欠だろう。その意味においても、この本が果たす役割は大きいように思う。

 

横尾忠則「GENKYO」を観に行った話

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横尾忠則の作品はそれこそ物心ついた頃からあらゆるメディアで目にしていたが、あまりのビッグネームだからか、あるいは私の脆弱な感性のせいか、その表現にちゃんと向き合うことなくこの年まで生きてきてしまった。「アングラ」「スピリチュアル」という彼を語る時に必ず登場するキーワードが、清潔・退屈・無味乾燥なニュータウン文化圏で育った私にはどうにも敬遠せざるを得ないものだったんですよね…。その感覚は、ある時期までの細野晴臣にも通じることなんですけど。

とは言え私ももういい大人。人間の幅も広がってきた(はず)。芸術を見る目も昔とは違う(はず)。好き嫌いは別として、何か感じるものがあるだろうと愛知県美術館に足を運んだわけだけど、この巨匠はまったく容赦なかった。展示されたすべての作品がここではない世界へ誘うように、あるいは引き摺り込むように、ぱっくりと巨大な口を開けて私に迫ってきた。そのあまりの妖力にやられて、途中で(吸えない)煙草が無性に欲しくなってしまった。

「GENKYO」「原郷」「幻郷」「現況」とも読み替えられるタイトルの通り、子供の頃にコタツの中で見たような夢とうつつの間の風景、あるいは心の奥深くに封印してあるリビドーの原風景。赤裸々かつ執拗に、信じられないくらいに高度な技術と先鋭的なアイデアでもって具象化された作品数はざっと70年分・700点。それらが展示室の外の通路にあふれている様は、創造と狂気の拡大再生産と呼びたくなるものだった。と同時に、彼がいなければ存在しなかったであろうものたちの膨大さに思いを巡らせてしまい、またしても気が遠くなった。

そうした作品の中で唯一、一切の邪気を感じさせないシリーズがあった。それは横尾忠則が飼っていた愛猫タマの何気ない仕草や表情を描いた「帰っておいで、タマ」と名付けられた作品。その作品群だけは、ひたすら真っ直ぐな愛と優しさだけで満たされているように思う。しかし逆に言うと、この鬼才から毒気を抜き去ってしまう猫の愛らしさこそが、実は最も恐ろしいものなのでは…という気もしてくる。あれだけ人間の裏側にあるエロスを追求した(しすぎた)荒木経惟もそうであったように。なので凡庸オブ凡庸の私が猫に溺れてしまうのも、きっとやむを得ないことなのだろう。これからはより堂々と我が家の死ぬほど愛らしいキャットたちを可愛がっていきたい。お互いが現世にいる間に。


この日は時間があったのでコレクション展もじっくり観ることができた。正直、愛知県美術館のコレクションは豊田市美術館などに比べるとかなり地味という先入観があったのだけれども、展示に趣向が凝らされていることもあり、とても面白か観ることができた。特に「令和2年度新蔵作品」と書かれた作品は、(ある意味で横尾忠則とは対照的な)今日的で透徹したアティテュードが強く反映されていたものが多く、とても素晴らしかった。これらの作品は大村愛知県知事がコロナ禍における若手アーティスト支援の一環として提案した予算によって購入されたものだけど、その中に占める女性アーティストの比率が高いということも着目しておきたい。ここにはきっと「出展作家のジェンダーバランスを等しくする」というあいちトリエンナーレのポリシーが生かされているのだろう。不正リコール騒動の狂騒をよそに、着実にアートが社会を前進させていることを、主権者の一人として誇らしく感じずにはいられなかった。