ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

横尾忠則「GENKYO」を観に行った話

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横尾忠則の作品はそれこそ物心ついた頃からあらゆるメディアで目にしていたが、あまりのビッグネームだからか、あるいは私の脆弱な感性のせいか、その表現にちゃんと向き合うことなくこの年まで生きてきてしまった。「アングラ」「スピリチュアル」という彼を語る時に必ず登場するキーワードが、清潔・退屈・無味乾燥なニュータウン文化圏で育った私にはどうにも敬遠せざるを得ないものだったんですよね…。その感覚は、ある時期までの細野晴臣にも通じることなんですけど。

とは言え私ももういい大人。人間の幅も広がってきた(はず)。芸術を見る目も昔とは違う(はず)。好き嫌いは別として、何か感じるものがあるだろうと愛知県美術館に足を運んだわけだけど、この巨匠はまったく容赦なかった。展示されたすべての作品がここではない世界へ誘うように、あるいは引き摺り込むように、ぱっくりと巨大な口を開けて私に迫ってきた。そのあまりの妖力にやられて、途中で(吸えない)煙草が無性に欲しくなってしまった。

「GENKYO」「原郷」「幻郷」「現況」とも読み替えられるタイトルの通り、子供の頃にコタツの中で見たような夢とうつつの間の風景、あるいは心の奥深くに封印してあるリビドーの原風景。赤裸々かつ執拗に、信じられないくらいに高度な技術と先鋭的なアイデアでもって具象化された作品数はざっと70年分・700点。それらが展示室の外の通路にあふれている様は、創造と狂気の拡大再生産と呼びたくなるものだった。と同時に、彼がいなければ存在しなかったであろうものたちの膨大さに思いを巡らせてしまい、またしても気が遠くなった。

そうした作品の中で唯一、一切の邪気を感じさせないシリーズがあった。それは横尾忠則が飼っていた愛猫タマの何気ない仕草や表情を描いた「帰っておいで、タマ」と名付けられた作品。その作品群だけは、ひたすら真っ直ぐな愛と優しさだけで満たされているように思う。しかし逆に言うと、この鬼才から毒気を抜き去ってしまう猫の愛らしさこそが、実は最も恐ろしいものなのでは…という気もしてくる。あれだけ人間の裏側にあるエロスを追求した(しすぎた)荒木経惟もそうであったように。なので凡庸オブ凡庸の私が猫に溺れてしまうのも、きっとやむを得ないことなのだろう。これからはより堂々と我が家の死ぬほど愛らしいキャットたちを可愛がっていきたい。お互いが現世にいる間に。


この日は時間があったのでコレクション展もじっくり観ることができた。正直、愛知県美術館のコレクションは豊田市美術館などに比べるとかなり地味という先入観があったのだけれども、展示に趣向が凝らされていることもあり、とても面白か観ることができた。特に「令和2年度新蔵作品」と書かれた作品は、(ある意味で横尾忠則とは対照的な)今日的で透徹したアティテュードが強く反映されていたものが多く、とても素晴らしかった。これらの作品は大村愛知県知事がコロナ禍における若手アーティスト支援の一環として提案した予算によって購入されたものだけど、その中に占める女性アーティストの比率が高いということも着目しておきたい。ここにはきっと「出展作家のジェンダーバランスを等しくする」というあいちトリエンナーレのポリシーが生かされているのだろう。不正リコール騒動の狂騒をよそに、着実にアートが社会を前進させていることを、主権者の一人として誇らしく感じずにはいられなかった。