ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

Moment Joonの配信ライブを観た話

人生40年も生きていると「あの時観ておいて良かったな」と後々まで語りたくなってしまうようなライブがいくつかある。5月28日に行われたMoment Joon初のワンマンライブは、(配信だけど)間違いなくそういうものであったと思う。


Moment Joonは韓国出身・大阪在住のラッパー。この日のライブは「移民」である彼が実際に入国管理局に在留資格認定の結果を聞きに行くというガチのドキュメンタリー映像と、ライブをシンクロさせる形で進んでいった。つまりこれは昨年発表された『Passport&Garcon』というアルバムの大きな主題である、在日外国人を取り巻く不条理のより生々しい告発であると同時に、ステージ外の現実とパフォーマンスを完全に一体化させた極めてコンセプチュアルな手法と捉えることもできる。私の思うMoment Joon最大の魅力は、このように身をさらけ出して掴み取った魂の叫びを 、鮮やかにヒップホップというアートフォームへ注ぎ込んでいく大胆さにある。あれだけ赤裸々かつ切実、そして辛辣な内容のメッセージを満載したライブを観た後で心に残るものが必ずしも重いものだけではなく、爽快感やユーモア、そして彼自身のチャーミングなキャラクターであったりするのは、強烈なメッセージに拮抗するだけの強靭な批評性が彼の表現に備わっているからだろう。


ところで、Moment Joonは日本の大学に留学してきた、つまり自らの意思でこの国に来た若者である。マイノリティに対する差別が半ば文化・国柄として固着しているこの国において、外国人、アジア系、とりわけ朝鮮半島出身者というだけで浴びせかけられる理不尽があることは私も理解しているつもりだし、彼の表現に誇張があるとはまったく思っていない。しかし、この国には本人の意思がまったく介在しないところで日本で生まれ育ったにも関わらず、そのルーツだけを理由に根深い差別に晒される人たちもいる。そうした構造の中で、(もちろん十分ではないにせよ)居住地に対して一定の選択権を持つ彼が、誰よりも強烈なメッセージを発することに対して、その眼差しの繊細さからして何らかのためらいを感じても不思議ではないように思うのだが、彼のラップはそのジレンマを完全に振り切っているようにも見える。そのことを初めて彼の作品を聴いた時から(すみませんつい最近です)、不思議に思っていたのだけれども、この日のライブで幾度となくECDにリスペクトの言葉を捧げるMoment Joonの姿を見て、これはもしかするとECDと、彼が活動していた反差別団体・C.R.A.C(Counter-Racist Action Collective)と同じスタンスなのではないか、と思った。自分が被差別の当事者でなくても、むしろ当事者ではないからこそヘイターの前に立ち塞がり、その憎悪の矛先を自らに向けさせるというC.R.A.Cのやり方と、在日コリアンに対する偏見の全てを留学生である自分が引き受けると言わんばかりに「文句があるなら直接言いに来い」と自分の住所をラップするMoment Joonがダブって見えたのである。差別や政治的不公正に対するカウンターという視点が皆無の日本の音楽シーンにおいてこのスタンスはあまりにも貴重だし、この勇気こそが聴き手のハートを熱く燃えがらせる根源にあるものなのだろう。


しかしながら一方で、ヒップホップについて何も知らない私が言うのも図々しい話だけど、生身一つで人前に立つラッパーという職業は、相撲の番付と同じように、その「格」が明確に、瞬時に順序付けられてしまうものだと思っている。この日のライブでゲスト出演し、圧倒的なスキルと存在感を示したあっこゴリラや鎮座DOPNESSを大関横綱クラスとするならば、今のMoment Joonのラッパーとしての番付はまだまだ平幕レベルと言ったところだろう。ただその物足りなさすらも、伸びしろと読み替えさせてしまうだけの創造性が彼にはみなぎっている。ヒップホップシーンで存在感を示すことを切望する彼にとって、まさに外部の人間である私のような者からの支持は大した意味を持たないかもしれないけど、これからも目が離しませんからね…と思ってしまったライブだった。