ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

『フレンチ・ディスパッチ』の話

2回目の『フレンチ・ディスパッチ』を近所のユナイテッド・シネマへ。定員500名のスクリーンに観客はわずか5人。杉本博司の劇場シリーズのような光景だった。こんな田舎の映画館で上映してくれてありがとうユナイテッド・シネマさん。

しゃらくさいものが苦手な私だが、ウェス・アンダーソンの映画は大好き。完璧に構築されたセット、大胆なアングルとおしゃれな小道具。目に映る全てがいつも斬新なものであっても、結局いつも言っていることが一緒というところが、どうしようもなく人間味を感じさせるからかもしれない。

今作のテーマもつまるところ、今までの作品でも一貫して描かれてきた「失われたものへの郷愁と、偉大なる父性への憧憬」となるだろう。例えば、一流ライターによる一流の文章を集めた雑誌とそれに付随する文化(ゆるい経費、編集長とライターの信頼関係)。あるいは若者による革命と恋愛それを受け止める成熟した大人たち、愛する息子を取り戻すために力を尽くす父親の勇気…などなど。

ここまで毎回同じだとウェス・アンダーソンは、このテーマだけを描きたいがために、毎回みんなが驚く新しい舞台装置を用意しているのではないか、とすら思ってしまう。しかしアクの強い父親の影響から未だ完全に脱却できていない私としては、特にこのファザコンへの執着には妙な親近感を覚えてしまうのである。この手の映画にまったく興味がなさそうな私の姉が「グランド・ブダペスト・ホテル」が好き」と言っていたが、それは私と同じ親に育てられたが故だろう。

しかし同じようなテーマと言っても、今作は情報量の密度が桁違いだった。わずか2時間の中に『グランド・ブダペスト・ホテル』3本くらいのアイデアと感情が凝縮されているような体感。ストーリーから振り落とされないように脳をフル回転させていたし、途中で「この人はこれを最後の映画にするつもりなのでは」とすら思ってしまうほどのアイデアの大洪水だった(すでに次回作も撮り終えたそうです)。そして最後のセリフが放たれ、カメラが引いていくと同時にエンディングテーマが流れた瞬間、それまで集中力で蓋をしていた感情が一気に解放され、涙がドボドボと溢れてきてしまった。「泣くな」と言われたばかりなのに。

一方、二度目に観た時はちょっと拍子抜けするくらいに、時間の流れが緩やかに感じられた。つまりあの怒涛のスピード感はスクリーンの中のものだけではなく、私の脳内処理速度の問題でもあったわけである。おかげで前回は噛み締めることができなかったそれぞれのエピソードの詩的な美しさを噛み締めて、いちいちホロリとくる余裕かあった。特にエピソード#2の、心と心が不器用に近づき、すれ違い、星になっていく様の美しさときたら…。

目に映ったすべてのシーンを愛していると言えるし、語り出したらキリがないのだが、あえて一番好きなシーンを挙げるならば、ストーリー#3の後半。ネスカフィエとローバック・ライトが二人だけで語り合う場面だろうか。マイノリティとして生きていくことの厳しさを淡々と、しかし過不足なく伝えてくる感じがたまらなかった。しかもあのシーンを描いた原稿がゴミ箱に入っていたという設定も、彼らの困難さがいかに日常的なものであるかということを示唆するようで唸ってしまった。ウェス・アンダーソンらしくないメッセージ性が出たシーンだったようにも思うけど。この間見返した『ライフ・アクアティック』には、2022年の感覚で観ると非白人キャラクターの描き方がちょっと微妙なところもあったので、こういう点もちゃんとアップデートをさせているんだなと感心してしまった。

ちなみに『フレンチ・ディスパッチ』のサントラを流しながら部屋の掃除をするとやけにテキパキと身体が動く、という法則を発見したのでこれからも積極的に活用していきたい。

GEZANとトリプルファイヤーのツーマンを観に行った日。

トリプル・ファイヤーとGEZANという、世にも奇妙な組合せのライブ。

オミクロンと猛烈な寒さを避けるため、浜松までは電車ではなく車で向かう。朝は雪が振ったけど、夕方にはすっかり晴れた。浜松に来るのは20年3月の宇壽山貴久子さんの写真展とトークショー以来。思えばあれがコロナ緊急事態宣言前の最後の県外訪問だったのでとても印象深い。開場前に何か食べようと街を歩いたが、閉店あるいは休業している飲食店がとても多い。特に個人店はほぼ開いていないという印象。結局、商店街のはじっこにある闇市の露店というか小屋というかテントのような店に入る。ドアもなくほぼ野外。ストーブにあたりながら焼酎お湯割りを飲む妻は楽しそうだったが、車で来たので酒が飲めない私はひたすら凍えていた。

 

初めて訪れた浜松FORCE。フロアには番号付きのバミリが施され、感染対策もしっかり。

最初に登場したのはトリプルファイヤー。最後に生で観たのが思い出せないくらいに久しぶり。最初にステージにメンバーが揃って鳴らした音が気持ち良すぎて変な声が出そうになる。サポートのシマダボーイはテルミンまで弾いていて、なんかもうビンテージ感、オーガニック感、つまり本物の風格のようなものすら漂っている。これはもう完全なる完成形なんじゃないだろうか。フェラ・クティも草葉の陰で喜んでいるはず。なので問題は吉田の不謹慎極まりないリリックが真面目でちょっと怖そうなそうなGEZANのファンにどう受け止められるのかということのみ。なんなら途中でステージから引きずり下ろされるのではないか。しかし演奏が始まってもその吉田がいない。しばらくして妻が最前列でモゾモゾやってる人を観て「あれ吉田じゃない?」というのでよく見てみると、フロアー側からステージによじ登ろうとしている吉田がいた。プロレス式の入場で盛り上げようとしたのか、本人がMCで言ったようにウンコしてる間に演奏がはじまってここを通らざるを得なかったのか、真相はよく分からない。とりあえずお客さんにとっては迷惑な登場であったことは間違いない。しかし一たびステージに上がりマイクを握れば、さすがタモリ倶楽部に出る芸能人は一味違うと思わせる声のデカさ。多くがトリプルファイヤー初体験であろうGEZANのファンも、この未知の生命体に戸惑いながらも生暖かい眼差しを送っていたように思う。そして何よりこのすっとぼけたボーカルと鉄壁のアフロビートが一切混じり合う気配がないまま、それぞれの軌道で宇宙空間を飛び続ける様に、ポップミュージックの奥深さ、ダンスミュージックの神秘を感じた。最高。

 

続いてはGEZAN。フジロック以来二回目のライブ。こんな小さい会場で観たら圧死するんじゃないかという微かな恐怖。

私がGEZANの音楽と向き合う時は、巌流島の決闘に挑むような感覚がある。彼らが歌っていることのいくつかには深く同意するし、押し寄せる肉体的な興奮に抗うことはできないのだが、歌詞から透けて見える考え方にどうしても強い違和感を感じてしまうという葛藤。なのでこの日も「やれるもんならやってみやがれ」という謎の反骨心を持ってフロアに立っていた。

フジでは数十人のコーラスを従えていたGEZAN。この日は四人のみ。しかし地鳴りのようなトライバルビートとマヒトが駆使するルーパーによって生み出される迫力は数十人規模の軍勢がいるようにしか思えない。ずるいじゃないか!と思う間もなく、『狂』のナンバーを中心としたメドレーに熱狂した。ここには音楽を超えた何かがあるような気がする。

そしてめちゃくちゃエキセントリックで繊細な人という先入観を抱いていたマヒト氏もMCで「トリプルファイヤーを見てるとなんか励まされる」なんて言ってくれたりするいい兄貴であることも分かった。これからは自分の中の勝手な警戒態勢を緩めることにしたい。


トリプルファイヤーという宇宙と、そこをひた走る彗星のようなGEZAN。そこには何らかのケミストリーがあったのだろうか。いやきっとあったはずだ。今の技術では観測できない何か、ダークマター的なやつが。そんなことを考えながら運転してたらいつの間にか深い山の中に迷いこんでしまい泣きそうになった。

「ミニマル/コンセプチュアル展」を観に行ってPINKMOON RADIOを聴いた日。

愛知県美術館で開催されている「ミニマル/コンセプチュアル」展へ行ってきた。デュッセルドルフギャラリスト・ドロテ&コンラート・フィッシャー夫妻が収集した作品を中心に、60年代から70年代にミニマル/コンセプチュアルアートというジャンルを確立させた、いわば原器のような作品たちが並ぶ。なのでそれはそれはプリミティブかつストイックな、数学と哲学の極北のような作品ばかりが並んで、私の頭はすっかりいっぱいいっぱいになってしまった。が、50年前にこんなにも(俗物視点で見れば)わけのわからないことを真剣に考え、日々切磋琢磨していた芸術家たちの姿を想像すると胸が熱い。そしてフィッシャー夫妻の経営するギャラリーの説明文の中にクラフトワークという文字を見つけ、彼らもまた完全にこの時期・この街の熱量と文脈から生まれたグループなんだなということを実感した。

展示室ひとつをまるまる使われていたギルバート&ジョージの作品たちに、他の作品とは一線を画したユーモアがあったことが印象的だった。「彼らの作品は一貫して「生きる彫刻」として自らの経験と生活に根ざし、その人生全体を芸術として探究するものである」という解説を読んで、小田島等さんと細野しんいちさんのユニット・ベストミュージックを思い出さずにはいられなかった。この展示を見てからインタビューできれば良かったな、と詮ないことを思う。原稿を書かせてもらうたびに、自分の力不足を痛感する。なのにまた書きたいと思ってしまうのだから、本当に愚かである。

 

そういえば、もし私の記憶が確かならば、今回の展示作品のほとんどを所有するデュッセルドルフノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館には、行ったことがあるはず。すごく昔の出張の帰りの飛行機の時間に間に合うように、ダッシュジャクソン・ポロックの作品を観たのだ。でも建物全体の記憶がまったくない。ああなんともったいない。しかしあの時、無理やり付き合わせた上司はとてもいい人だった。「おい、こんな落書きみたいな絵のどこがいいんだ?」と言いながら最後まで一緒に回ってくれた。今はもう会うこともないのだけど、お元気だろうか。

愛知県がコロナ禍でのアーティスト支援のために購入した新蔵コレクション展も素晴らしかった。ちょっと集中力を「ミニマル〜」の方で使い果たしてしまったので、また機会があればこちらだけ見に行きたい。

 

美術館の後はレコードショップZOOさんですばらしか、file underさんでメシアと人人のニューアルバムを受け取って帰宅。そういえばメシアと人人が7インチでリリースした「ククル」には初期クラフト・ワークを想起させるものがあった。60年代のデュッセルドルフと50年後の京都が点と点で結ばれた奇跡(俺の中で)。

 

寝る前に曽我部恵一が2ヶ月に一度パーソナリティを担当しているFM京都「PINK MOON RADIO」を聴く。毎回めちゃくちゃ面白いんだけど、ココナッツディスク吉祥寺の矢島店長を迎えた今回は本当に良かった。はたから見ればいい大人がひたすらレコードをかけて「いいねぇ…」って唸っているだけの番組なんだけど、CMもないのでお二人と一緒の部屋にいるような気分になるし、曲と曲の合間にポロリとこぼれる会話が沁みる。

今回も曽我部さんが「銀杏BOYZをすがるように聴いているキッズには自分はなれなかった。でもそうなりたいと思って始めたのが曽我部恵一BANDだった」という金言があった。しかし一番印象に残ったのは、矢島さんがかけたピチカートファイブの「マジック・カーペット・ライド」。矢島さんは「恋人のような、そうじゃないような関係性の歌詞が未来的で不思議だ」とおっしゃっていたけど、私もこの曲の歌詞というか曲全体から漂ってくる多幸感とふわっとした寄るべなさが子供の頃から不思議だった。リリースから30年近くが経って「いつの間にか年をとった」大人として久々に聴いたこの曲は、やっぱりめちゃくちゃドリーミーなんだけど、あっという間に過ぎ去っていく人生というもののつかみどころのなさも感じさせてきて、ちょっと心細くなった。

ちなみにこのアルバムのプロデューサーはまだ20代の小山田圭吾小西康陽をプロデュースするというのはどんな気分だったんだろうか。

有休の日の散歩。

本日有休。しかし休演ではない。

案の定、朝から上司からしょうもない用事でメールやらチャットやら電話が来てうんざり。別にそんなに休みたいわけではないのだが、休みを邪魔されるということ自体がストレスなのだ。


このまま家にいると結局仕事をしてしまいそうだったので、あとは勝手にやってくれいとパソコンを閉じて外に出る。車に乗るのが億劫だし天気もいいので日記を書きながら近所を散歩することにする。いつもの川沿いで鵜と鷺、そして鴨ファミリーという野鳥フレンズたちに挨拶してからお城の方まで足を伸ばす。BGMは折坂悠太「心理」。こないだ妖怪に刺激された余韻が残っている。


あてどもない散歩だが「Quiet Village Tapes」というミックステープを手に入れるという目的は決めていたので、そのリリース元であるハンバーガー屋さんでランチを決めて、まずはミッション達成。


そして近くにあるMasayoshi Suzuki Galleryの軒先にある古本を物色。今このギャラリーでは「Borderless」というグループ展をやっていて、小池喬ことこいけぐらんじさんも作品を出しているということで、土曜日に来たばかり。こいけさんの作品は瀬戸の個展で観たものが多かったけど、その時に我が家にお迎えした小さな犬のシリーズが何枚か飾ってあって、うちの犬の兄弟たちに会ったような気持ちになった。観る角度やこちらの心境によって微妙に表情を変える犬の顔。たまらない。ギャラリーオーナーの鈴木さんは音楽好きなとても気さくな方で、岡崎の音楽シーンについて興味深い話を聞かせてもらった。松井みどり「芸術が終わった後のアート」とダニエル・グラネ&カトリーヌ・ラムール「巨大化する現代アートビジネス」の二冊を買わせてもらう。


ここまで来たのだからと久しぶりにバナナレコード岡崎にも立ち寄る。Blue beat playersの超名盤「Eastern Leo」に遭遇。確か20年くらい前に隣町の野外フェスでライブを観た記憶があるのだけど、アナログ盤が出ていることすら知らなかった。とても嬉しい。そしてカゼノイチで一緒にDJをやっていた店長のえりさんにご挨拶。「インスタ、川の投稿ばっかりですね」と言われた。いつかまたパーティーをやれる日が来たら、このレコードもかけようと思います。


家に帰って早速ミックステープをかける。めちゃめちゃに良い!と興奮。今まではあまりにも自分が住んでいる街のカルチャーに疎かったので、今年は積極的に飛び込んでいきたい。

 

 

どついたるねんを聴きながら豊田市美術館「絶対現在」展を観た日のこと。

百鬼夜行」を観に行った次の日。英検を受けたいという娘の勉強に付き合いながら、豊田市美術館でもらったパンフレットを眺める。昨日は時間がなくて断念したコレクション展に河原温杉本博司の作品が展示されてたのか…。行きたい。しかし時間がない。と一瞬だけ迷ったフリをして、わりとあっさり豊田市を目指す。


車の中でどついたるねんの先輩をゲストに迎えたスカートの「NICE POP RADIO」を聴く。おすすめの曲紹介だけで秘孔のような深いツボをついてくるセンスは尋常ではない。そして結成初期にCD-Rを金網に挟んで売っていたというエピソードには、レコードを裸で売ったというクリスチャン・マークレーと同じじゃん!と興奮した。スカート澤部氏が常々彼らを「天才アーティスト集団」と呼ぶのはこういうことだったのかとようやく合点する。もちろんこれは冗談でもアーティストという称号の安売りではない。


豊田市美術館に到着し、最終日を迎えてさらに混んでいる「百鬼夜行」を横目に、コレクション展「絶対現在」へ。「歴史に竿刺す時間をどう捉えるか」という視点というテーマに沿って展示された名作たち。中には何度も観たものあるけれども、新鮮な気づきや新しい謎を投げかけてくる。私もそれに呼応する感情や感覚を探し出そうと頭と心を動かしてみるのだが、私の乏しい語彙力では応答がおぼつかない。とは言えこの拙いコミュニケーションに没頭している間だけは、次から次へとやってくる浮世の雑事をシャットアウトすることができる、切実に貴重な時間。


まるっと1ヶ月分が展示された河原温の「デイト・ペインティング」も、杉本博司の劇場、海景シリーズといった大名作ももちろん素晴らしかったけど、初めて観る下道基行の「torii」がホー・ツーニェンとの相乗効果で興味深いものになっていると感じた。大日本帝国が旧植民地に建立した神社の鳥居の現在を撮影した写真たち。鳥居は言うまでもなく国家神道の象徴であり、ホーが妖怪として描いた「国体」の一部を担ったものである。下道が撮影した鳥居は、戦後70年を経て、あるものは忘れ去られて雑草に囲まれ、あるものは神性を失った上で公園の一部と化しており、もはや大東亜共栄圏の面影はどこにもない。しかし建立の動機となった帝国主義の幻影は、まだこの建物のどこかに妖怪として存在しているわけで…。そう考えるとどうしようもない禍々しさと同時に、芸術的なスリルも感じる。

またホー・ツーニェンの軍国主義に対する厳しい評価という軸を取り出して、杉本博司と並べてみれば、また別の緊張関係も浮かび上がってくる気もする。杉本博司を極右主義者と短絡的に断じるつもりはないけれども、戦犯とされた日本の指導者に対して彼が一定のシンパシーを抱いていることは間違いなく、そこだけを切り取ればホーとは真逆の位置に立っていると言ってもいいだろう。ホー・ニーツェン、杉本博司、そして下道基行。この日まで同じ建物に展示されていた作品には、ビザールなトライアングルが浮かび上がってくるような気もして、キュレーションの妙というものを感じた。昨日に引き続き、豊田市美術館すげぇという気持ちに。


そんなこんなで帰宅すると、娘がまったく勉強もしないで妻の化粧品で遊んでいたことが発覚。私も連日遊んでいる身だから大きなことは言えないが。どうしてそんなに簡単に自分の中の暗黒面に負けてしまうのか若きジェダイよ…。


ヤング・ダースベーダーが塾に行った後、ホー・ツーニェンが一般の観客からの質問に答えるオンライン・インタビューを観る。とにかく質問のレベルが高い…と言うかそれを聞いてくださってありがとうございますというものばかりだったし、ホー氏の応答も熱心かつ丁寧で、とても素晴らしいやり取りだった。特に北朝鮮のプロダクションにアニメーションを依頼していたことに驚いた。シンガポールのアーティストが日本で開催する展示のために中国経由で北朝鮮のスタジオと協業していたというところがすでにコンセプチュアル。そして歴史認識に関する質問では、ホー氏が「ギャップがないこと自体が危険なこと。ギャップをめぐって対話を続けることが重要」「自分はそのための問いを投げかけている」という主旨のことをおっしゃっていて、コレクション展のキュレーションはそれを体現したものなのかもしれないな…と思ったりした。いずれにせよ、我々は杉本博司でもホー・ツーニェンでも、アーティストからの問いかけを感じ、考え続けるということが大切なのだろう。そしてその問いの純度、切実さ、斬新さこそが、その作品の芸術的価値なのかもしれない…などと生意気なことを思った。


それにしても、今日も余計なことを書くならば、作品を通じて向けられる自国の歴史に対する厳しい問いを侮辱だと受け止める一部の人たちの気持ちが私にはよく分からない。私は国家を構成する一部ではあるかもしれないけど、国家は私ではない。そもそも国家とは人格ではなく機能(しかも時々暴走する)なのだから、問いを受け止めて、更新していけばいいだけだと素朴に思う。

本来拳を上げること必要がないはずのものになんとなく腹を立ててしまう、立てさせられてしまう状況は、誰かに仕組まれたものなのではないだろうか。

ホー・ツーニェン「百鬼夜行」を観に行った日のこと。

豊田市美術館で開催されていたホー・ツーニェンの個展「百鬼夜行」は二回観た。でもあともう一回は観たかったな…というくらいの見応えだった。

一度目に観た時は、妖怪という古典的・土着的な存在に新しい命を吹き込む手法の鮮やかさ、視覚・聴覚を完全に奪い去っていく表現の斬新さに圧倒された。ちょうど美術館に向かう車の中で聴いていた、折坂悠太の「心理」にも通じるところがある気がして、なるほどエッジーなコンテンポラリー・アートはフォーマットは違えど通じるところがあるんだな、と思ったりしていた。(サウンドプロダクションでエンジニアの葛西敏彦氏のクレジットを見つけたこともその思いを強くさせた)。とはいえこれは一度見ただけではとても全容を把握できるものではないと思い、12月から開催されていた「旅館アポリア」を観てから再訪しようと思ったのだった。

 

「旅館アポリア」は2019年のあいちトリエンナーレに制作されたインスタレーションの再展示。喜楽亭という豊田市に戦前から存在した料亭旅館そのものを主役にして、その建物が見てきたであろう戦争の記憶を、映像と音響を駆使して召喚する異形の体験だった。そのアイデアと技術にまたしても張り倒されたのだが、その根底にある日本の軍国主義とその論理的支柱となった哲学者たち、あるいは戦争プロパガンダに協力しながら戦後は無言を貫いた文化人に対する厳しい眼差しに驚かされた。私も含めて2019年のあいトリで多くの人たちが目を奪われていたのは「表現の不自由展」のことばかりだったが、トヨタ自動車の城下町というガチガチに保守的な街で、かくもエクストリームな作品が展開されていたとは。すっかり見逃していた自分を恥じると共に、このタイミングで再展示してくれた豊田市の芸術関係者の皆様に感謝したい気持ちになった。もしある種の人々に目をつけられたら、理不尽な事態に陥るリスクは高かったように思うので…。

 

「旅館アポリア」を経て再び相対した「百鬼夜行」から受ける印象は、やはり前回とは違うものだった。初めて観た時は、妖怪が生息する森羅万象の中に、戦争や軍国主義者も含まれているという印象だったのだが、今回はむしろ、現在・未来の現実社会に再び軍国主義という脅威を出現させてはならないという主題が先にあり、それを妖怪というキャラクターにトランスフォームさせたようにすら思えたのである。もう少し端的に言うと、妖怪を隠れ蓑にして、「旅館アポリア」と同じ強度のメッセージをより多くの人に送りたかったのでは、という気がしたのだ。

最終日間近ということもあり会場は満員で、小さな展示室への入室を待っている間に閉館時間が来てしまい、すべての作品をじっくり観ることは叶わなかったけど、観覧後は前回以上に気分が高揚した。帰りの車の中で妻に向かって「社会との繋がりを反映した作品だけがアートでしょ」「俺たちはアーティストって言葉を簡単に使いすぎている」「Mステのゲストをアーティストって呼ぶのはおかしいでしょ。歌手って呼ぼうぜ」などと暴論を開陳し呆れられた。

コーネリアスと東京五輪、私たちの90年代。2021年9月から11月の話(未来の人へ)

※7月に書いた記事の続きです。

dreamy-policeman.hatenablog.com

 

9/15

Twitterで明日発売の週刊文春小山田圭吾のインタビューが載るというニュースを知る。しかし「小山田圭吾 懺悔告白120分 障害者イジメ、開会式すべて話します」といういかにも週間誌的な下世話なタイトルに、これは果たして読む価値のある記事なのだろうかと怯む。コーネリアスフジロック、自分にとって大切なトピックについてあることないこと書きまくられた夏だったので、マスメディアへの不信は今やトラウマレベルなのである。しかし、インタビュアーがカゼノイチ店主ウエノさんの友人と知り、さらにご本人のツイートを拝見するとフェアな姿勢で執筆されたことが伺えたので、明日の朝一番でコンビニに行くことを決意。

 


9/16昼

週刊文春を入手。文春を買うのは森友学園問題で自死された赤木さんの手記が公開されて以来。あの時は権力による不正を暴こうとする文春の大義を応援する気持ちだったけど、今回はそうは思えない。他の記事に登場する政治家やタレントと違って「世間」というリソースをほとんど利用せず、ひたすらその音楽性だけで活躍してきたミュージシャンがこのような場に引きずり出されるというのは心情的に理解できない。実際、小山田氏のインタビューは「検証 東京五輪」という特集で括られており、もう一本の記事は「組織委 夜の乱倫ピック」と題されたコーネリアスの音楽性とはまったく相容れない内容で心底ゲンナリした。私にとって大切な音楽家の生死に関わる問題も、世間的に見れば東京五輪スキャンダルのアイテムの一つにすぎないということなのだろう。


しかし肝心のインタビューは、タイトルとは裏腹に冷静な内容だった。限られたページ数の中で、この事件の複雑な経緯もおさらいしなければならない構成上、割愛された言葉も多いのだろうが、ROJとQJの原文を読むと浮かんでくる矛盾、つまりROJに書かれたセンセーショナルな行為(排泄物と性的虐待に関するもの)が本当にあったのか?という点については本人が具体的かつ明確に否定したので、ひとまず安心した。


この記事におけるポイントは「いじめ」そのものについてだけではなく、五輪開会式に彼がどう関わっていたのか、あの渦中において組織委員会がどう動いたのか、という内容が半分近くを占めていたことだろう。つまり世間はこの問題は東京五輪スキャンダルの一環として捉えていたのである。だが彼の五輪開会式へのコミットの仕方は、おそらく私を含めた多くの人が想像するよりもはるかに低いものだった。「組織委員会は身体検査をしたのか」という批判も当時はあったように思ったが、そんなことするわけないだろうな、ということが一目瞭然の関係性。想像も交えて雑に表すと「組織委員会電通→開会式チーム→(いろんな人に断られた上で)小山田氏」という関係性。つまり失礼な言い方をしてしまうと、急場しのぎの三次下請けのような扱いで、これが日本を代表するアーティストに対する姿勢か?と怒りすら覚えてしまうし、しかもギャラすら支払われなかったという。まだ作業が発生する前にプロデューサーを降板したという椎名林檎は本当に賢明だったと思うし、よほどリスペクトに欠けた扱いを受けたのだろうと想像してしまう。五輪反対派の人たちは小山田を「悪の祭典の象徴」として叩いていたけど、本丸の中の人たちは痛くも痒くもなかっただろうな…という虚しさ。


ともかく、7月時点で喧伝された内容とは大きく異なる事実が、週刊文春という中立的な(小山田の肩を持つ必要がない)メディアで明らかになった。あの時批判した論客の皆さんも、きっとなんらかの軌道修正を図る必要があるだろう…と思っていたのだが、その予想は見事に外れた。政治家、新聞記者、芥川賞作家、反体制コラムニスト、アルファツイッタラーに健康社会学者にリベラル活動家。誰ひとり反応しなかったのである。このアンフェアな姿勢には心底呆れてしまった。みんな文春くらいいつも読んでるでしょうに。結局この人たちにとって小山田問題というのは、コロナ禍で強行された東京五輪とそれを推進した政府に対する反撃材料であり、数少ない戦果でしかなった。五輪が無事に終わってしまった今となっては、もう利用価値がなく、逆に放免する意味もないということである。私もこれまでは(そして今も少なからず)「こちら側」の立場にいた自覚があるので、その界隈のオピニオンリーダーたちの振る舞いに落胆し、また自己嫌悪にも陥った。


9/16夜

20:00にクイックジャパンの発行元である太田出版が当該記事を書いた社員のコメントを発表。当時はフリーランスの新人ライターであった彼が、あの記事がどのような意図を持って書かれ、なぜ失敗したのか、そして小山田圭吾はどう関わっていたのか、ということが真摯な言葉で書かれていた。ようやく小山田以外の当事者の証言が出てきたことはとても重要なことだし、ご本人の勇気も必要だったとは思うのだけれども、当時は駆け出しだった彼も今や太田出版という組織で一定のポジションに就く立派な大人である。なぜもっと早くこの文章を出せなかったのかと思わずにはいられない。フリーのミュージシャンよりもサラリーマンの方がずっと安全な場所にいることはよく分かっていたはずなのに。せめて

「現場での小山田さんの語り口は、自慢や武勇伝などとは程遠いもの」

「(小山田氏は)この取材を断っていたにもかかわらず、こちらの懇願を見かねて応じてくださった」

という2点の事実については、2ヶ月前に速やかに発せられるべきだったのではないか。何もかもが燃やされ尽くされた後に告白したところで、無責任な世間は一瞥もくれないということは先にも書いた通りである。

 

しかし、この流れでどうしても浮かび上がってしまうのは、RO社の不作為である。「ファースト・イン・ロックジャーナリズム」を標榜した出版社がここまで沈黙し続けるのはどういう意図があるのだろうか。山崎洋一郎氏はコラムの執筆やポッドキャストの更新を止めているが、渋谷陽一社長は相変わらずNHKのラジオ番組を継続中。同じNHKの「デザインあ」は無期限休止中なのに。何度も同じことを言っているけど、今回問題になっているのは「ロッキングオン・ジャパンに掲載された記事の内容」である。そもそも小山田よりも先に応答すべきは、文責を負う彼らではないのか。しかも小山田自身が、「本意ではないインタビュー内容になっていた」「原稿チェックはさせてもらえなかった」という旨を証言しているわけだから、ますますその責任は重くなっている。ちなみ最新号のROJでは山崎氏のコラムと共に、「場末のクロストーク」という編集者同士の対談コーナーも休載されていた。問題となった94年1月号のこのコーナーにおいて、山崎氏と別の編集者が小山田のイジメ行為を称賛するやり取りがあることと、このコーナーの休載は無関係ではないように思う。あのページにこそ、小山田圭吾のインタビュー記事がどのような価値観の下に執筆されたのかを示す証拠であり、それゆえに身動きが取れなくなっている…と思うのは深読みがすぎるだろうか。でもきっと山崎さんにも山崎さんなりの言い分ってものがあると思うんですよね。小山田が憎くて書いた記事ではないわけだし。音楽ジャーナリズム史上最大の事件について当事者の言葉で語らずに後悔しないのだろうか…と思ってしまう。

 


9/17

www.cornelius-sound.com

21:30頃、小山田圭吾本人の謝罪文が公表された。約5000字の長い文章。これまでの文章同様、本人の手によるものと思われる(これは感覚的なものだけど、プロの文章では感じられない不器用な誠実さが強く感じられる)。

前半が、ROJおよびQJ、そしてそれらを改竄して拡散されたネット上の記事に対する真偽の説明。後半がソロアーティストとしての活動を重ねる中での心境が綴られている。

まず前半部分の「少年時代の小山田圭吾は何をして、何をしなかったのか」という説明におけるポイントは「障害児への虐待」「排泄物」「性的暴力」という、当初大きく取り沙汰された三つのキーワードを含む行動ついては、いずれも事実ではない、もしくは多分に本人および編集者による誇張が含まれていることが説明されている。ただこれらの点はQJの原文と文春のインタビューを読めば概ね分かることであり、初めて明らかになった点は多くはない。しかし最もセンセーショナルなROJ誌に書かれた「排泄物」に関する件について、その事実がなかったことを本人から具体的に説明されたことは、私も含めてモヤモヤしていたファンはようやく安堵できたのではないだろうか。もちろんそれでも残ってしまう直接・間接の過ちはあるのだけれども、少なくとも某ブログやそれをソースにメディアが喧伝したような、常軌を逸した暴行に加担したという事実はなかった、と言いきってもいいのではないか。「小山田の言うことなんて信用ならん。証拠がない」と言う人もいるけど、一方で「いじめがあった」というのも小山田氏の発言以外の証拠は出てきていないのである。どちらか一方だけを信じるのはフェアではない。


後半部分は、なぜそのような過ちを起こしてしまったのか、そしてその事実を後ろめたく思いながら、その後20年以上に亘りどのような思いで音楽活動に取り組んできたのかという心境が真摯な筆致で綴られている。その中で強く印象に残った部分を引用する。

「私の社会人としての成長は、ほかの多くの人たちに比べて遅く、時間が掛かってしまったのだと思います。この25年の間で、立派な人間になったとまでは言えませんが、20代当時の価値観とは遠く離れた人間になったと思っています。この件に対する罪悪感をずっと抱えてきたことが、より良い人間・音楽家になりたいという意識を強くすることにも繋がっていました」


「(「デザインあ」の)制作に参加させていただいたことで、自分の音楽が初めて社会との繋がりを持てたような充実感があり、子どもたちの感性を刺激する手伝いをさせてもらえることに、自分の作品作りだけでは味わったことのない種類の喜びを感じておりました」

 

コーネリアスの音楽に興味がない人にとってはこのメッセージがいかに真に迫ったものであるのか、理解することは難しいかもしれない。しかし、少なくともここ数年の彼の表現に接した人ならば、ここに一切の偽りも誇張もないことが理解できるのではないだろうか。7月のブログにも書いたように、彼の音楽の変遷における大きな核は「成長と成熟」だと思っている。そして「デザインあ」展に集まった子供達の目を輝かせた作品たちを生み出す源に、職業音楽家という立場を超えた内的動機があったことは疑う余地はなかった。今回の彼の言葉で、私(たち)がコーネリアスの音楽から受け取ったメッセージは決して間違っていなかったことを確認できたように思ったし、自分がそのメッセージを感じられる側の人間で幸運だったと実感した。もちろん、彼のつくる音楽が素晴らしいから、彼は才能のあるミュージシャンだから、犯した過ちが無かったことになるわけではない。しかし、彼を裁きたいのであれば、その過ちの本当の大きさはもっと正確に測るべきだし、その過ちを自覚した後の歩みは、被告側の証拠として採用してほしいと思う。


9/30

ロッキングオンジャパン10月号の発売日。先月に引き続き、山崎洋一郎のコラムは休載。小山田が説明責任を果たした今も、沈黙継続中。ちなみに彼が司会を務めるメロン牧場は先月分と同じタイミングで収録したと思われる会話が掲載されていた。

しかしもしかするとこうやってグチグチと呪詛の言葉を書き続けるよりも、世間が忘れるのを待つ、ロッキングオン的アプローチが正解なのかもしれない、という気もする。

実際、先日の小山田圭吾の謝罪文が出ても、特に7月のリアクションを修正する有識者はいなかった。そして彼のツイートを見ても、7/16の謝罪文が15,000のリツイート、7/19の辞任を発表した時のツイートが7,600程度だったのに対し、今回のツイートはわずか2,000強。誰も本当のことになんて興味がないのかもしれない。それと同時にこの数字が示唆することは、未だに小山田を許さない「世論」というものも存在しないのでは、ということである。まだ騒いでいるのは、私のような「擁護派」か、配信記事で小銭を稼ぎたいメディアだけなのではないか。実際「「小山田」という見出しをつけただけで文春のwebに掲載されてPV爆上がり!」と無邪気に告白しているライターも見かけたし。東京五輪をめぐる政争の具にされた後は、出版業界の小銭稼ぎに利用されるという構図はちょっと耐えがたい。それでも例えばアイドルやタレントならば、ゴシップメディアと持ちつ持たれつの関係も成立するだろうし、スキャンダルを逆手に取って復活している人もいる。そうした生業の人たちであれば、メディアによる「いじり」も一定程度は許容されるものなのかもしれない。しかし、そもそもコーネリアスというアーティストのコアカスタマーはせいぜい数万人というレベルではないか。日本人の99%はもともと興味がないし、顧客でもないのである。今回は東京五輪という巨大な地雷を踏んでしまったために、タレントや政治家と同じ「公人」扱いをされてしまったが、もともとは狭いエリアで活動する一ミュージシャンなのである。さすがにもういいでしょう。

 


10/5

文化的・経済的、双方の側面から音楽産業の存続を心から祈っているし、この会社が主催するフェスも例外ではない。が、それを差し引いてもなお、この日ロッキングオン社が出した「音楽を止めない。フェスを止めない」というステートメントに対して言えることは一言だけ。恥を知れ。

 

音楽を止めない。フェスを止めない。 (2021/10/05) 邦楽ニュース|音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム)


10/14

ビジネスインサイダーに週間文春で小山田圭吾のインタビューをした中原一歩氏のインタビューが掲載される。

なぜ小山田圭吾は『週刊文春』での独占インタビューに応じたのか?“音楽ロッキン村”問題を今考える | Business Insider Japan

 

このインタビューのポイントは

・これまでいじめ疑惑について小山田氏に取材したメディアはなかった

ロッキングオン社、太田出版共に中原氏の取材を拒否した

・音楽ライターはロッキング・オン社を恐れてこの問題について書くことができない。

という3点だろう。

 

中でも私が気になったのは、音楽ジャーナリズムはロッキング・オン社を恐れている」という点。直接的にロッキング・オンから仕事を受けているライターは多くないかもしれないが、「ROCK IN JAPAN FES」をはじめとする巨大フェスを仕切るRO社と揉めることを望むレコード会社や芸能事務所(つまり多くのライターにとっての実質的なクライアント)はいないだろう。とは言え、音楽家である小山田の光と影の両面を一番正確に書けるのは、毎日新聞でも東スポでも文春でもなく、この業界のメディアであるはず。今までコーネリアスの作品を持ち上げてきた責任だってあるだろうに…と情けない気持ちになるが、では私が本業において自分の顧客を公然と批判することができるかと言われれば、その難しさは理解できる。ましてやコロナで痛めつけられ、さらにパイが縮んでしまった音楽産業である。リスクを背負ってでもやれ、とは言いがたい(ただし当時のRO社に在籍していたライターは別)。なので結局のところ、自分たちが愛するものは自分たちで守るしかない、ということなのかもしれない。今回の一件も、冷静かつ正確に本質を見極めつつ、果敢に行動するファンの方々がたくさんいた。彼らのアクションにはすごく勇気づけられたし、音楽というものが人間にもたらすものの大きさを改めて感じた。他人から疑問符をつけられる行動にこそ人生の醍醐味が隠されているというのが、いい歳して余計なことばかりしている私の経験則なのだけど、今回もそういう結末であってほしい。


10/26

文春オンラインに中原氏の記事が上がる。

当時、和光学園の在籍したOBへの取材を通じて、いじめ疑惑について検証しようという試み。読みものとして興味深いし、公平に事実を捉え直そうというジャーナリストとしての真摯な取り組みには敬意を表したい。しかし、限られた人数への聞き取りによって「無いものを無い」と証明することはとても難しい気もするし、やはり文春というメディアと小山田圭吾のマッチングにどうしても抵抗感がある。とても勝手な感情であることはわかっているのだけども。

 

「圭吾ってそんなキャラだっけ」和光学園同級生が「いじめ告白インタビュー」に抱いた“違和感” | 週刊文春 電子版


10/27

うだうだ言ってても仕方がないので、以前から書きっぱなしにしていた毎日新聞への質問事項をまとめて、問い合わせ窓口からダメもとでメールしてみた。質問の要旨は以下の通り。


①7月15日掲載の初報における事実誤認が発生した経緯


②記事のソースとしてあげられたツイートおよびブログの内容に対する事実確認の有無。また真偽が不明確なアカウントや記事を根拠とする報道の適切性


③記事化にあたってのQJおよびROJの原文チェックの有無


④7月20日掲載の小田嶋隆氏コメントの正確性の確認有無


⑤小山田氏が「過去の雑誌記事には事実と違う点がある」とコメントした点に対する事実確認の有無


⑥初報における事実誤認を訂正しないまま8月以降も小山田氏を糾弾する記事(例:8月19日の記事及びその告知ツイート)を掲載し続けた理由。また誤認を指摘する多くの声に応答しない理由

 


※なお22年8月末現在、質問に対する回答はない。いちいちこんな細かい問い合わせを相手にしていたらキリがないということなんだろうけど、彼らにとっての細事によって社会的に抹殺された人間がいることをどう考えているのか。全国紙の毎日新聞にしてこれなんだから、スポーツ新聞や週刊誌のモラルなど、まったくあてにならないだろうね…。

 


11/4

META FIVEのお蔵入りになったアルバムが発売されるというニュースが突然飛び込んでくる。ただし正規のレコード店を通した流通ではなく、配信ライブチケットの特典というイレギュラーな形でのリリース。とは言えお蔵入りにならずに良かった。問題はアナログとCD、どっちにしようかな…と悩んでるうちに数時間で初回特典付きのチケットが売り切れてしまったことだけ。

 


11/20

METAFIVEのライブ配信日。もしかして小山田圭吾の映像だけカットされたりして…なんてことも頭をよぎらないわけではなかったが、まったくの杞憂。想像を上回る圧巻のパフォーマンスにずっと鳥肌が立っていた。涙腺が緩む瞬間もいくつかあったけど、それをはるかに上回る興奮に包まれていた1時間だった。YMOという日本の音楽の太い幹が50年近くの時間をかけて、Dee-Lite、電気グルーヴCornelius 、KIMONOSと進化しながらMETA FIVEとして結実した様を目撃したという高揚。2021年の東京から世界へ発信されるべき音楽は間違いなくここにあった。そう断言してもまったく問題ないだろう。

この映像が収録されたのは7/26。まさに渦中の渦中にあったタイミングで収録されたものだったわけだけれども、そんなことは微塵も感じさせない鉄壁の演奏だった。そう、この人たちはイエローペーパーのおもちゃではない。日本最高のアーティスト、プロフェッショナルなミュージシャンなのである。

そんな彼らのプロフェッショナルな矜持に触れてしまうと、私はこの日のライブについて、小山田圭吾に焦点を当てて話すことを躊躇してしまう。なぜなら彼はポジティブな意味でこのバンドのメンバーの一人でしかなく、まず語られるべきはバンド全体が作り出すサウンドであるはずだし、中でも最も賞賛されるべきは無観客というアゲインストな条件下で縦横無尽に駆け回ったLEO今井のパフォーマンスであるべきだと思うからだ。要は、この圧倒的な音楽と映像の迫力の前にしては、これまでのスキャンダラスなエピソードや呪詛はすべて忘却の彼方に置いてきてもいいのではないか、という気持ちになってしまったのだ。


残念ながら高橋幸宏は体調不良で不在だったが、独特のメロディやフィルインなど、彼が刻み込んだ誇り高きMETAの紋章は、「いないけどいる」という不在ゆえの存在感を強く意識させるのに十分だった。そしてサポートに入った白根賢一の素晴らしいドラミング!GREAT3マニアの私が歓喜の涙を流したことは言うまでもない。しかもフジロックはここに相対性理論の永井聖一が加わったわけだから、小山田圭吾高橋幸宏の不在は、「TOKYO音楽史の総括」という彼らの存在意義を、結果的に一層高めたと言える気がする。


この文章を書いているのは配信からちょうど24時間が経った11月21日の夜だが、メディアやSNSのネガティブな反応は特にない。時計の針は確実に動き出した、と信じたい。そしていつの日か、2021年に起きたことを振り返る時の一つの証言としてこの文章を残しておく。