ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

「ミニマル/コンセプチュアル展」を観に行ってPINKMOON RADIOを聴いた日。

愛知県美術館で開催されている「ミニマル/コンセプチュアル」展へ行ってきた。デュッセルドルフギャラリスト・ドロテ&コンラート・フィッシャー夫妻が収集した作品を中心に、60年代から70年代にミニマル/コンセプチュアルアートというジャンルを確立させた、いわば原器のような作品たちが並ぶ。なのでそれはそれはプリミティブかつストイックな、数学と哲学の極北のような作品ばかりが並んで、私の頭はすっかりいっぱいいっぱいになってしまった。が、50年前にこんなにも(俗物視点で見れば)わけのわからないことを真剣に考え、日々切磋琢磨していた芸術家たちの姿を想像すると胸が熱い。そしてフィッシャー夫妻の経営するギャラリーの説明文の中にクラフトワークという文字を見つけ、彼らもまた完全にこの時期・この街の熱量と文脈から生まれたグループなんだなということを実感した。

展示室ひとつをまるまる使われていたギルバート&ジョージの作品たちに、他の作品とは一線を画したユーモアがあったことが印象的だった。「彼らの作品は一貫して「生きる彫刻」として自らの経験と生活に根ざし、その人生全体を芸術として探究するものである」という解説を読んで、小田島等さんと細野しんいちさんのユニット・ベストミュージックを思い出さずにはいられなかった。この展示を見てからインタビューできれば良かったな、と詮ないことを思う。原稿を書かせてもらうたびに、自分の力不足を痛感する。なのにまた書きたいと思ってしまうのだから、本当に愚かである。

 

そういえば、もし私の記憶が確かならば、今回の展示作品のほとんどを所有するデュッセルドルフノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館には、行ったことがあるはず。すごく昔の出張の帰りの飛行機の時間に間に合うように、ダッシュジャクソン・ポロックの作品を観たのだ。でも建物全体の記憶がまったくない。ああなんともったいない。しかしあの時、無理やり付き合わせた上司はとてもいい人だった。「おい、こんな落書きみたいな絵のどこがいいんだ?」と言いながら最後まで一緒に回ってくれた。今はもう会うこともないのだけど、お元気だろうか。

愛知県がコロナ禍でのアーティスト支援のために購入した新蔵コレクション展も素晴らしかった。ちょっと集中力を「ミニマル〜」の方で使い果たしてしまったので、また機会があればこちらだけ見に行きたい。

 

美術館の後はレコードショップZOOさんですばらしか、file underさんでメシアと人人のニューアルバムを受け取って帰宅。そういえばメシアと人人が7インチでリリースした「ククル」には初期クラフト・ワークを想起させるものがあった。60年代のデュッセルドルフと50年後の京都が点と点で結ばれた奇跡(俺の中で)。

 

寝る前に曽我部恵一が2ヶ月に一度パーソナリティを担当しているFM京都「PINK MOON RADIO」を聴く。毎回めちゃくちゃ面白いんだけど、ココナッツディスク吉祥寺の矢島店長を迎えた今回は本当に良かった。はたから見ればいい大人がひたすらレコードをかけて「いいねぇ…」って唸っているだけの番組なんだけど、CMもないのでお二人と一緒の部屋にいるような気分になるし、曲と曲の合間にポロリとこぼれる会話が沁みる。

今回も曽我部さんが「銀杏BOYZをすがるように聴いているキッズには自分はなれなかった。でもそうなりたいと思って始めたのが曽我部恵一BANDだった」という金言があった。しかし一番印象に残ったのは、矢島さんがかけたピチカートファイブの「マジック・カーペット・ライド」。矢島さんは「恋人のような、そうじゃないような関係性の歌詞が未来的で不思議だ」とおっしゃっていたけど、私もこの曲の歌詞というか曲全体から漂ってくる多幸感とふわっとした寄るべなさが子供の頃から不思議だった。リリースから30年近くが経って「いつの間にか年をとった」大人として久々に聴いたこの曲は、やっぱりめちゃくちゃドリーミーなんだけど、あっという間に過ぎ去っていく人生というもののつかみどころのなさも感じさせてきて、ちょっと心細くなった。

ちなみにこのアルバムのプロデューサーはまだ20代の小山田圭吾小西康陽をプロデュースするというのはどんな気分だったんだろうか。