ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

『フレンチ・ディスパッチ』の話

2回目の『フレンチ・ディスパッチ』を近所のユナイテッド・シネマへ。定員500名のスクリーンに観客はわずか5人。杉本博司の劇場シリーズのような光景だった。こんな田舎の映画館で上映してくれてありがとうユナイテッド・シネマさん。

しゃらくさいものが苦手な私だが、ウェス・アンダーソンの映画は大好き。完璧に構築されたセット、大胆なアングルとおしゃれな小道具。目に映る全てがいつも斬新なものであっても、結局いつも言っていることが一緒というところが、どうしようもなく人間味を感じさせるからかもしれない。

今作のテーマもつまるところ、今までの作品でも一貫して描かれてきた「失われたものへの郷愁と、偉大なる父性への憧憬」となるだろう。例えば、一流ライターによる一流の文章を集めた雑誌とそれに付随する文化(ゆるい経費、編集長とライターの信頼関係)。あるいは若者による革命と恋愛それを受け止める成熟した大人たち、愛する息子を取り戻すために力を尽くす父親の勇気…などなど。

ここまで毎回同じだとウェス・アンダーソンは、このテーマだけを描きたいがために、毎回みんなが驚く新しい舞台装置を用意しているのではないか、とすら思ってしまう。しかしアクの強い父親の影響から未だ完全に脱却できていない私としては、特にこのファザコンへの執着には妙な親近感を覚えてしまうのである。この手の映画にまったく興味がなさそうな私の姉が「グランド・ブダペスト・ホテル」が好き」と言っていたが、それは私と同じ親に育てられたが故だろう。

しかし同じようなテーマと言っても、今作は情報量の密度が桁違いだった。わずか2時間の中に『グランド・ブダペスト・ホテル』3本くらいのアイデアと感情が凝縮されているような体感。ストーリーから振り落とされないように脳をフル回転させていたし、途中で「この人はこれを最後の映画にするつもりなのでは」とすら思ってしまうほどのアイデアの大洪水だった(すでに次回作も撮り終えたそうです)。そして最後のセリフが放たれ、カメラが引いていくと同時にエンディングテーマが流れた瞬間、それまで集中力で蓋をしていた感情が一気に解放され、涙がドボドボと溢れてきてしまった。「泣くな」と言われたばかりなのに。

一方、二度目に観た時はちょっと拍子抜けするくらいに、時間の流れが緩やかに感じられた。つまりあの怒涛のスピード感はスクリーンの中のものだけではなく、私の脳内処理速度の問題でもあったわけである。おかげで前回は噛み締めることができなかったそれぞれのエピソードの詩的な美しさを噛み締めて、いちいちホロリとくる余裕かあった。特にエピソード#2の、心と心が不器用に近づき、すれ違い、星になっていく様の美しさときたら…。

目に映ったすべてのシーンを愛していると言えるし、語り出したらキリがないのだが、あえて一番好きなシーンを挙げるならば、ストーリー#3の後半。ネスカフィエとローバック・ライトが二人だけで語り合う場面だろうか。マイノリティとして生きていくことの厳しさを淡々と、しかし過不足なく伝えてくる感じがたまらなかった。しかもあのシーンを描いた原稿がゴミ箱に入っていたという設定も、彼らの困難さがいかに日常的なものであるかということを示唆するようで唸ってしまった。ウェス・アンダーソンらしくないメッセージ性が出たシーンだったようにも思うけど。この間見返した『ライフ・アクアティック』には、2022年の感覚で観ると非白人キャラクターの描き方がちょっと微妙なところもあったので、こういう点もちゃんとアップデートをさせているんだなと感心してしまった。

ちなみに『フレンチ・ディスパッチ』のサントラを流しながら部屋の掃除をするとやけにテキパキと身体が動く、という法則を発見したのでこれからも積極的に活用していきたい。