ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

沖縄旅行の記録(極私的メモ)

1日目

 

旅行の予定を立てるのが極めて苦手。しかも極度の高所恐怖症。なので飛行機で旅をしたことがなかった。が、上の子の中学卒業を機に一念発起して沖縄旅行を企画した。コロナ禍が教えてくれたことの一つは、人生において遊んでいられる時間は短いということ。今年は無理してでも遊ぼうと決めている。

旅の行き先として、リゾートと呼ばれる場所をなんとなく敬遠していた。その理由を深く考えたことはなかったが、通りすがりの自分が、その土地にもてなされる感じになるのを避けたいということかもしれない。行き先が都市ならば、そこにある全ての機能はそこに住む人たちのものであり、よそ者の自分はそこにこっそり紛れ込ませてもらうだけ。しかしリゾート地は、その土地の人たちが必ずしも必要としないものを、私たちのために準備してくれるということになるのではないか。それはなんとなく気がひけてしまうのだ。

 

なので、今年の春は沖縄に行くと決めたものの、どこに行って何を見てどう振る舞うべきなのか、よく分からないままにその日を迎えてしまった。ビーチを見ながらオリオンビールでチルアウト…というのももちろん憧れるけど、それだけで終わってしまうのはあまりにも礼節に欠ける。いや、礼節ってなんだよ部外者のその発想こそが自意識過剰だろ。というよく分からない葛藤を繰り返していたのだが、出発直前の数日間はやけに仕事が忙しく、空港ロビーの中でweb会議をやってから搭乗ゲートに飛び込むような有り様。結局よく分からないままドタバタと飛行機にライドオン。朝から何も食べていない脳みそでガイドブックをパラパラめくっている間に、那覇空港に着いてしまった。

 

空港からの大渋滞を乗り越え、レンタカーを受け取り、最初に向かったのは、閉館ギリギリのひめゆり平和祈念館。最初に行くことができて本当に良かった。かつてここで何が起きたのか、「歴史」という大きな文字から溢れ落ちてしまう部分も含めて、幾ばくかでも感じ取ることができたように思う。

私はもう、最初に目に入った女学生と先生の集合写真だけで上手く言葉が出てこなくなってしまった。しかし戦争の背景から女学生たちの足取りを丁寧、簡潔に説明してくれる構成になっていたので、子供たちにも十分理解できたのではないかと思う。地獄のような、というか地獄そのものの記憶を掘り起こし、貴重な証言として残してくださった皆さんに心から感謝したい。建物のつくりや美しい庭にも鎮魂の意を感じさせるものがあったように思う。建物を出るとふわっと気持ちのよい風が吹いて、気がつくと自然に大きなガマに向かって手を合わせていた。スピリチュアルな瞬間とは無縁の人生だけど、あの時だけは何かがあったように思う。今思い返しても、いきなり旅のクライマックスが来た感じがある。

 

再び那覇方面へ北上し、守礼そばで沖縄そばを食べる。バタバタだった本日、私が初めて口にする固形物。上の子がから揚げ入りのソーキそばを頼んでいて内心センスがないなと思ったが、実に美味しかった。

海を横目に宜野湾までドライブし、ホテルにチェックイン。目の前の居酒屋で泡盛を飲んだ瞬間に、ようやく緊張が解けて沖縄に来たぞという実感が湧いてきた。私が暮らしてきた日本とはかすかに、しかし確実に違う風景と空気がアルコールをまろやかにしてくれる。明日からは何が見れるのか。iPhoneのスピーカーからVIDEOTAPEMUSICを流しっぱなしにしてオリオンビール泡盛の夜が更けていく。

 


2日目

翌朝は朝イチでシュノーケリングをするために読谷にある通称青の洞窟へ出発。子供のリクエストで予約していたこの旅唯一の予定。なんてリゾートっぽいイベントだろう…と思いきや、嘉手納基地前の道路で渋滞にハマる。遅刻するよ…とジリジリしていると、突然耳をつんざくような破裂音。そして頭のすぐ上を戦闘機が通り過ぎる。確かにテレビや映画で聞いたことのある音ではあるが、ボリュームが想像の3倍くらいデカかった。というか、この人生であんなに耳に突き刺さってくるノイズを聞いたことがなかった。半ば呆然としたまま渋滞の先頭に到着すると、大破したフェアレディZが車線の真ん中に進行方向と逆向きに止まっていた。そして傍には見慣れない銀色のパトカー。これはミリタリーポリスというやつだろうか。恥ずかしながら、こういう車が街中を普通に走っていることを知らなかった。ちなみにこの旅では交通事故を4件くらい見たのだが、その内3件に銀色のパトカーがいた。後に調べたところ、ミリタリーポリスは米軍関係者が関与した事件事故にしか関与できないようなので、それらの事故の当事者がそうした属性の人たちだったということか。

 

さてシュノーケリングである。風が強いので、洞窟の中は無理、と言われていたのだけど、ギリギリいけるようになったとのこと。家族4人と若いインストラクターで、岩場を伝い歩いてダイビングスポットを目指す。しかし海に入ったことがほとんどない子どもは、波が打ち寄せる度に身体を持っていかれそうになる。その光景を見ながら、この海に呑まれていったというひめゆり学徒隊の姿が思い浮かび、今ここで海の美しさを謳歌できることの有り難さを噛みしめずにはいられなかった。

さて生まれて初めてのシュノーケリングを優雅に堪能するには、ちょっと運動神経が足りなかったかもしれないが、こんなに美しい海でお魚さんたちと一緒に泳ぐなんて。かつて水泳部だった私の魂が震えた。しかし後でインストラクターさんが撮ってくれた写真を見たらあまりの必死な形相に、背中が震えるほど笑った。

 

シュノーケリングで腹ペコになった身体を引きずってたどり着いたのは義兄に教えてもらったパンケーキ屋さん「ヤッケブース」へ。米軍ハウスを改装したクラシカルな佇まいのお店は、HOSONO HOUSEですか?それとも天国なんですか?というくらいに穏やかな日差しが差し込み、店員さんはにこやかで、お客さん(日本語を話す人はいなかった)も楽しそう。もちろん気取らず、はしゃがず、地に足が着いた感じのパンケーキも最高。まごうことなき人生ベスト・パンケーキ・エクスペリエンス。しかしこの光景もこの土地がかつてアメリカの一部となっていた歴史が生んだもの…と思わないといけないのだろうか。いや、これは異文化との共存が生んだ最善である、と思うことにしたい。

 

心身のエナジーをチャージしたところで、砂浜を見に行こうという話になる。車でさとうきび畑をウロウロと迷いながら近くのビーチへ辿り着く。肌寒くて風が強い、誰もいない、しかしとにかく青い海。Googleマップを開いて、ここをまっすぐ行くと、東京よりはるかに近い場所に、台湾や上海があるということに、ここがどこなのかよくわからないまま興奮する。浜辺にあった、なんの説明も書いてない石垣の上に登り、遠くで馬が観光客を乗せている姿を眺めた。

 

これだけ盛りだくさんでもまだお昼。早起き最高。とりあえず一回ホテルに戻るべ、と宜野湾方面へ南下。子供たちが爆睡していたので、ちょっと道を逸れて普天間基地の周りを走っていく。基地の様子が全然見えないくらい街中にある、ということがわかる。

 

ホテル着。こんなところまで仕事の電話をかけてくる奴らにムカつきながらメールを片付ける。しかしこの部屋、ガラス張りのシャワールームから海が見えるし、小さいベランダもついてるし、今からここでスパークリングとか飲んで昼寝したら最高だろうな…と思ったけど、いややっぱり街に出たい。いろいろ見たり聞いたりしたい。えいやっと那覇市内に繰り出す。

 

訪れたのは首里城公園。正殿が焼失してしまったのは本当に残念だけど、それでも訪れる価値のある場所だったと思う。日本の城はいかにも軍事拠点として物々しく閉ざされた雰囲気があるけど、首里城は柔らかく曲がっている動線となだらかな丘陵の印象のせいか、この土地を訪れた者を歓迎するような空気を勝手に感じた。琉球国王が住む王宮という役割からくるものなのか。隣に見える大学の建物も琉球の伝統を感じさせる。建築においても独特かつ折衷的な文化があるのだな…と売店で買ったブルーシールアイスを食べながら一人で納得。眼下に広がる街並みを眺めながら、ああ見るもの全てが新鮮だ…と感慨にふける。チョロすぎる観光客、という気もしなくはないが、まあいいじゃないか。

 

そのままの那覇中心部、国際通りへ。桜坂劇場でインディペンデント・カルチャー聖地巡礼。なんなら映画も見たいしレコードも買いたい…と思うも、そんな時間ないでしょ!と我に帰り、雑誌一冊で我慢。周囲を散策。名古屋で言えば大須のようなムードもあるが、もっと光と陰のコントラストが濃く、深い。不用意に写真を撮ってはいけない仄かな緊張感がある。そして私の街では最近あまり見かけなくなった、地域猫もたくさんいた。飲み屋の軒先でご飯を行儀よく待っている子、日当たりの良い場所を占有して昼寝をキメる子。みんな我がもの顔で生きているところがいい。これからもどうかのびのびと、たくましく愛されてもらえるように。

 

夕飯はカゼノイチの上野さんがわざわざDMで教えてくれた琉球家庭料理の店へ。佇まいもばっちりでこりゃ最高じゃない?と思ったら、夜は予約だけとのこと。腹ペコ四人組、流浪の旅へ。那覇の市街地を車で流したり、無計画に海の近くへ行ってみたり。下の子は空腹と親の無計画ぶりに嫌気がさしてホームシックになっている。結局、大きく北上して北谷町の洒落たカフェやバーが集まるエリアへ辿り着き、姉から聞いていたトランジット・カフェへ。これがまた良きお店だった。大人向けなのに子どもがいてもOKな開放感。周りはみんな大きな声でイングリッシュをスピークしてたけど、私も子供も妻も萎縮されることもなく楽しく過ごす。唯一の心残りはワタシもアルコールを摂取したかった…ということだけ。スーパーで買ったオリオンビールと久米仙を部屋でキメる。

 

 

 

3日目


この日はちょっとダラダラするのもいいかなと思っていたが、娘から「は?美ら海水族館に行かないの?」という恫喝に近いリクエストがあり、ならば朝イチで行くしかないと早起き。有能な執事としてひとりで朝食を仕入れに近くのファミマへ行くと、沖縄限定おにぎりがたくさんあるじゃないか。沖縄そばまで。観光客向けなのかもしれないけど、ちょっと上がる。あぶらみそのおにぎりがおいしかった。

 

美ら海のある本島北部までは高速道路で移動。北上するごとに周囲の森が深くなっていく様が圧巻。本土とは異なり、強い生命力を感じさせる濃い緑、奔放なくらいモリモリと伸びる樹々にまたも興奮する。こりゃいつかカヌーで川下りがしに来なきゃじゃん…。

高速を降りてからはひたすら海沿いの道を走る。美しい海の沖合いをよく見ると、土砂を採掘・運搬するような船がたくさんいる。そして陸地側に目を向けると大きな土砂採掘場がいくつも。そこから出てきた何台目かのトラックとすれ違った時、これが辺野古を埋め立てるための土砂であることに気付く。

 

まだ時間に余裕がありそうだったので、瀬底島へかかる橋を渡り、会社の大先輩が会員権を購入したという高級ホテルの周りをぐるっと走る。値段を調べる気にもならないくらい素敵なホテルだった。


ようやく美ら海水族館に到着。90年代の、日本がまだ景気が良かった頃の建築という感じのコンクリートのかたまりぶりに圧倒される。解説によると1975年に開園後、2002年に建て替えられたものという。ということは沖縄でサミットが開かれた頃に作られていたわけですね。沖縄を第二の故郷と呼んだ小渕恵三が総理、普天間基地の返還を決めた総理大臣である橋本龍太郎が沖縄担当大臣として再入閣をした頃のはず。採算はあまり考えなかったであろう威容を眺めながら、いつから日本の政治家は沖縄に対してこうも冷淡になってしまったのか。いや、そこから沖縄以外の国民にも冷たくなったよな…などと思う根暗オジ。そういえば沖縄のATMでは守礼門が描かれた2000円札がよく出てきた。あの発行を決めたのも小渕恵三だったはず。


しかしもちろん、水槽の前では生物大好きおじさんとして、メガネモチノウオおもしれー!とかジンベエザメすげー!ホホジロザメこえー!ってことしか考えられなかったし、しばらく住めるな…とすら思った。ジンベエザメのいる水槽を上から覗かせてもらいながら、こういう施設の裏側を見せるって、隅々までの管理レベルに自信がないとできないことですよね、と感服した。そしておそらく、我が家のハートを最も強く掴んだのは、別館にいたマナティーだろう。最初は古い水槽の排水溝をのゴミを掘り続ける姿にちょっと引いたけど、エサのレタスを手で口に押し込む姿がウチの兄ネコが焦った時のしぐさにそっくり。しかも子どもマナティーの名前はキュウちゃん。同じ名前じゃないか。

 


実はこの時、根暗オジとして水族館に行くことには、ちょっとした抵抗感があった。その理由はちょっと前に読んだ「イルカショーのイルカはひどく虐待されていて、寿命も短い」という趣旨の記事。ええ!あんなに楽しいショーの裏側はこんなに過酷だったの…?と子供の頃からの思い出も色褪せるような気持ちになっていたのだ。これはさすがに子どもに言うのは気がひけるので黙っていたけど。ただ、美ら海水族館ではイルカも含め、展示されている生き物たちをいかに大切に育てているか、その難しさも含めて詳しく分かりやすく説明した資料を見ると、とてもあの記事に書いてあったような現実があるとは思えなかったことに安心した。もちろん、アニマル・ウェルフェア(という概念が海の生き物にあるかどうかはわからないが)という観点を広く捉えた時には、人間に飼育される野生動物が幸せなのか?という問題からは逃れられない。そう簡単に白黒はっきりつくような問題ではないのだろうけど、とりあえずこれからも動物園・水族館ファンとして注視いこうと思った次第。

 

 

美ら海水族館の駐車場で、本日の昼食の場所をHanakoの沖縄特集号を見ながら家族会議。車で30分ほどのオシャレカフェに決める。湾の深く、山と海が穏やかに合流する場所に建てられたお店で家庭料理をいただきながら、次の目的地を検討。

候補は二ヶ所。一つはでっかい網の中で鳥が放し飼いにされているという鳥好きにはたまらない、しかし家族はまったく興味がない動物園ネオパークオキナワ。もう一つは辺野古の基地建設地。これも子どもたちが興味があるかどうかは微妙。迷いに迷って、ネオパークの入口で写真だけ撮ってから、辺野古へ向かう。

 

高速のインターチェンジを出て山道をしばらく走ると、この数日ですっかり見慣れてしまった米軍施設のフェンスが視界に入る。キャンプシュワブだ。しかし他の基地と決定的に違うのは、フェンスの前、5メートルおきくらいに立つ大勢の警備員の物々しさ。警察でも米兵でもない、民間の警備会社のガードマンだが、明らかに普通の工事現場にいる人たちとはテンションが違う。実は前日、道を間違えて嘉手納基地の入場ゲートをくぐりそうになってしまったのだけど、ここで同じことをやったら即刻連行されることは間違いない。後部座席の小学生は完全に怯えている。そのまま車を走らせて、人が誰も歩いていない市街地を抜けて海岸方面へ。公園に車を止めようとしたけど、基地とは別の工事のせいで行き止まりになっていたり、駐車場が閉鎖されたりしている。これは勝手な想像だけど、私のような者が埋め立て現場に近づかないために行われている工事という気がする。多分ここはOKだろうという場所に車を止めるが、子どもは怖がっておりてこない。すぐ戻るつもりで、一人で静かな入江の横を通って海岸を目指す。たぶん100年前から変わらない景色の中に、大きな鵜が羽を休めていた。人慣れしていないようで、私の姿を見るとどこかに飛んで行ってしまった。申し訳ない。そのままどんどん歩いていくと、ちょっとした砂浜に出る。そこには基地に反対する人たちがつくったテントが設置されており、中で女性が訪問者に活動の説明をしているようだった。私も話を聞いてみたかったが、家族もいるので断念。そして漁港のはるか先には、埋め立ての土砂を運ぶトラックと巨大なシャベルカーの影が小さく見える。あれが現場か。もちろん遠くからちらっと見たところで何が分かるわけでもないし、ここに来たからと言って、どちらかの立場を強くしたというわけでもない。むしろますます分からなくなってしまった感すらある。ただ、観光以外の大きな産業がないこの土地に、基地という巨大な踏み絵を迫ることの残酷さ(私もそれを迫っている当事者である)の解像度だけは高まった。ゆえに立場を問わず、真剣に考えて行動している人たちを茶化すような人間のことは今までも信じられなかったけど、これからも絶対に信じないからな、という気持ちを強くした。

 

すっかりシリアスな雰囲気になってしまったので、甘いものでも食べに行こうじゃないかとドーナツショップが併設されている映画館を目指してゴザへ向かう。雨の中、傘も差さずにさまよい続けてようやく見つけたお店はまさかの臨時休業。しかし、ゴザは国際通りよりも一層陰影のコントラストが強い場所で、強いインパクトを受けた。完全に80年代以前のアメリカとしか言いようがない大通りと、昭和の日本を煮しめたようなアーケード街の表裏一体感。ウエノさんに教えてもらったタイ料理屋さんにもいつか絶対行ってみたい。

 

甘いものが諦めきれない私たちは、土砂降りの中アメリカンヴィレッジに向かい、自転車屋さんに併設されたコーヒーショップにイン。コーヒーもドーナツも美味しく、店員さんもとても感じが良かった。雨も上がり、すっかり楽しくなってマルシェバッグを買ってホテルに戻る。

 

沖縄最後の夜は、この日到着した姉家族とジョイン。ホテル前の居酒屋で軽く飲んだ後、スーパー・サンエーで買い出しして部屋飲み。結局三日間、毎日ここで買い物した。スーパーでの買い物すら最高に楽しかった。

東京に住む姉家族と沖縄で会う、というのはなかなか奇妙な感じだったけど、本土とは違う空気の中でしか生まれないグルーヴがあったのか、はたまたただ雑談が好きなだけなのかわからないが、日付を超えてからのお開きとなった。自分の部屋に戻る前に、このベランダから見る夜景も見納めか、と軽いセンチメント。そう言えば初日にあの古墳のようなものはなんだろうと思っていた建造物は大きなお墓だった。しかもそれが街中にたくさんあるというのも衝撃だった。が、死者と生者を引き離さないという文化は、単純にいいことのように思える。

 

 

 

4日目


午前中の飛行機に乗るので、早起きして景色を目に焼き付けようとカーテンを開けると、海の向こうにうっすらと虹が。レインボー・イン・マイ・ソウルと俺の中の元春が歌い出す。同じく早起きした下の子とホテルの前にある海沿いの公園を散歩。風が強く、波がざぶんざぶんと歩道の方まで打ち寄せてくる。こいつはこんなに高い波を見るのも、強い風に吹かれるのも初めてだろう。そしてここに住む、ホテルのベランダから毎日その姿を眺めていた地域ネコの皆さんにお別れの挨拶。毎朝エサやりさんが来るのを行儀良く、根気よく待っている様子がいじらしかった。どうかお元気で。

 

結局今日が一番晴れてるじゃん…と思いながらホテルをチェックアウトしてレンタカーを返す。大渋滞だった到着時と違ってあっさりスムーズに。ありがとうカローラスポーツ。いいクルマだったぜ。

搭乗手続きまでの時間があったので最後のご飯を。沖縄そばと迷った末にA&Wをキメる。ルートビアの洗礼を受ける。薬草最高。きっちりおかわりも頂いた。

 

飛行機の中で旅を反芻。この旅を一言で表せば、自分が何も知らないということを知った旅、ということになるだろう。遠いとは言え、多くの人が訪れる沖縄。同じ日本の沖縄。果たしてそこに驚くようなものがどれくらいあるのだろうかと思っていた。しかし結局のところ、今まで訪れた外国よりも驚いてばっかりだったかもしれない。海の青さ、緑の深さ、食文化、新聞、軍隊や警察との関係。全ては頭の中で分かっていたつもりになっていただけじゃん…と。もちろんたった3日いただけの話なので、この感覚すらもただの錯覚かもしれない。が、少なくともそう思えるだけの謙虚さは学べたのではないだろうか。ここにはもっと知りたいことがある。また来れるように貯金しよう…と思いながら、愛猫が待つ自宅に向けてセントレアから車を走らせた。