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映画「遠いところ」の感想

映画「バービー」を観た翌々日、そして長いこと積読していた上間陽子「海をあげる」を読み終えた翌日に、工藤将亮監督の映画「遠いところ」を刈谷日劇で観た。沖縄に住む17歳にして2歳の子供の母親が、貧困や差別に翻弄されながら生きる姿を描いた作品。

「映画でなく、現実」というキャッチコピーが示す通り、目を背けたくなるような沖縄の現実を容赦なく映し出すと同時に、目が離せないほどの映像的な美しさが共存した作品。今まで観てきた映画とは明らかに違う衝撃を受け、観終わった後はしばし沈黙。そして昨日まで自分の特権性に気付かないまま「バービー」の感想をああでもないこうでもないと頭の中でこねくり回していたことが恥ずかしくなってしまった。

 


工藤監督の存在を知ったのは、サニーデイ・サービス「クリスマス」のMVを監督していたから。サニーデイのMVは多くの優れた映像作家が撮っているけども、中でも工藤氏が監督したこのビデオはとりわけ完成度が高いというか、完全に一本の映画(しかも楽曲から想像される世界とはまったく異なるもの)になっていた。なのでてっきり監督経験が豊富な人だと思っていたのだが、この「遠いところ」がまだ三作目と知り驚いた。確固たる自らの世界を持っている人ということなのだろう。

そしてその世界観の確かさは映画の冒頭、キャバクラの仕事を終えた主人公が、明け方のコザの街を歩いて子供を迎えに行く長回しのシーンから伝わってきた。ここを観ただけで、これからの2時間はもう絶対に間違いないだろうと思わせるだけの静かな迫力があった。

また主人公がしばし母親であることを忘れて、17歳の少女として仲間と深夜のドライブに繰り出していくシーンでは、刹那的で妖しい夜の光景と唾奇による挿入歌が一体となることで生まれた解放感と高揚感に胸が躍った。やはり音と映像で語る技術とセンスが違うのだろう。

他にも光と影、聖と俗が交錯する、映画的にたまらないシーンがたくさんあるのだけれども、これから観るあなたのために黙っておくことにする。


そして俳優陣の演技も素晴らしかった。特に主演の花瀬琴音は、同世代の子供を持つ私から見ても、17歳そのものとしか思えない無邪気さと弱さ、そして母親として生き抜こうとする強さを、胸が苦しくなるくらい自然に演じ分けていた。その一方、静かに進んでいくストーリーの中で、主演俳優として観客の目をスクリーンに引き寄せ続ける鮮やかさも備えていて、これはすごい役者さんだ…と驚いた。しかもこれがほぼデビュー作なのだ。全編にわたりあえてボキャブラリーを削った脚本、聞き取りにくく発声させる演出も演劇的な要素を排除する上で効果的だったように思う。

 

この映画が各国の映画祭で高い評価を受けていることは、ここで描かれている問題が世界中の至るところに存在する普遍的なものであることの表れだろう。しかし沖縄を戦前は本土防衛の盾とし今も安全保障上の役割の多くを負担させている日本という国に住む者として、あるいは優越的な地位にある男性として、両親の手厚い庇護によって高等教育を受けた社会人として、これを「私の住む街でも起き得ること」として消化することは、誠実ではないように思った。普遍性の名の下に固有の問題を希薄化させてしまうのは、アメリカの黒人が命がけで掴んだ”Black Lives Matter ”というテーマを”All Lives Matter “として無力化しようとした者たちのと同じ振る舞いになってしまうような気がするのだ。これは沖縄という特定の場所で起きている私たちが解決すべき問題である。まずはそう認めるところから始めるべきだと思う。

 

もちろんそんなことを思ってみたところで、沖縄から遠く離れた土地に住む一般人に何ができるのかという思いも当然ある。最終的には長期的でより強力な政治の力が必要だ。今年初めて沖縄に行ったような人間が言うべきことではないのは分かっているが、戦後の日本各地で行われた都市開発が、沖縄の土地では行われなかったことは、その街並みを見れば一目瞭然だった。もちろんそれはエキゾチックなリゾート地としての魅力にも繋がっているが、インフラが未整備であることの言い訳にはならない。

それでも今思えば、1990年代の終わり頃までの政治家には、沖縄に対する特別な思い入れがあったように思う。徐々に日本とアメリカの国力が絶対的にも相対的にも低下する中で、次第に沖縄を軍事的要衝としてしか見なさない冷徹な政治家と、彼らに迎合する空気が次第に濃くなったように思う。沖縄に対してどういうスタンスを取っているのかということは、有権者としての大きな判断基準としておきたい。

 

さて文章の冒頭で勢い余って「バービー」をくさすようなことを書いてしまったが、もちろんあの映画だって、「遠いところ」で描かれた問題を解決していく上でも大切なことを提起していることは間違いない。これまで無意識に受け入れていた矛盾や差別を鮮やかに視覚化、言語化したことは特に若い人たちにとっては有意義であり、社会を変えていくきっかけになるかもしれない。知識と知恵こそが暴力的な社会を生き延びるため唯一最大の武器であるということが、この2本の映画に通じるメッセージの一つだと思う。ただそのことをすでに知っている私のような大人は、やはり「バービー」で内省するだけでは足りない。どうやってその武器を一人でも多くの子供たちに持たせるか考える責任がある。そんなことを考えさせてくれる映画だった。