ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

言葉にできないものにこそ 『窓辺にて』の感想

別人格であるアーティストを安易に比較することは控えるべきと思いつつも、映画『街の上で』を観て以来、今泉力哉濱口竜介と同じくらい称賛されるべき映画監督なのではないかと感じていた。丁寧に描きこまれた群像劇、フィクションとノンフィクションの境界線を越える演出、品のある音楽の使い方…。具体的な項目を挙げるとキリがないが、要は私にとって「いつまでもそこにいたいと思わせる世界」を作ってくれる稀有な映画監督ということである。


そして今泉力哉の最新作「窓辺にて」。スカートが主題歌を担当しているということもあり(ちなみに『街の上で』はラッキー・オールド・サン、前々作『愛がなんだ』はHomecomings。2013年の『サッドティー』の音楽はトリプルファイヤー)、鼻息も荒く映画館に足を運んだわけですが、大変に素晴らしかった。

全ての登場人物が不完全なのに、パチンコ屋で隣合わせた客から乗り合わせたタクシーの運転手まで、全てのキャラクターに愛しさを感じずにはいられない映画。映画や音楽が、その時代を生きる人間の歪さに光を当て、慈しむための営みだとするのなら、これはもうある種の完全形なのでは…とすら思ってしまった。

 

稲垣吾郎主演の映画を撮らないか」という制作側のオファーによって書き始めたという今泉の脚本は、「私たちがイメージする稲垣吾郎」と絶妙に重なりながら、彼が演じた市川茂巳という人格の奥深くへと誘う。いつも物腰柔らかで善良でありながら、小さな、しかし大切な何かを人生のどこかに落としてしまった中年男性。出身地も年齢も明かされない、自らを「自分よりつまらない人間はほとんどいない」と卑下するような(しかも実際にそれは半分くらい当たっている)男に、私たちはどうしようもなく惹かれていってしまう。それは多分、市川が抱えている空虚は、私たち自身の退屈さを投影するのに最適な白紙だったからかもしれない。

そして「多くを語らず、全てを伝える」といった趣きの脚本に応えた、稲垣吾郎の繊細な演技も見事だった。妻との一見誠実そうで生気のないやりとり、奔放な若者たちを見つめる眩しげな眼差し、他者(主に女性たち)にぶつけられた感情を理解できずに困惑する表情。微妙に変化する無意識をも演じ分けるスキルと感受性に驚くと共に、自らのために用意された舞台で期待以上の結果を出すプロフェッショナルぶりに、国民的スターの矜持を見た思いがした。奇しくも上映前に木村拓哉がキムタク道を突き詰めていくことが伝わってくる主演映画『レジェンド&バタフライ』の予告が流れていたこともあり、組織と業界の非道さに翻弄された者たちの生き方について、誠に僭越ながら私も折り返し地点を過ぎたサラリーマンとして思いを馳せないわけにもいかなかった(いや本当に僭越だな…)

 

そしてこの映画が決定的に素晴らしいのは、決して明るい話ではないのに、ちょっと道を逸れると吹き出してしまうようなユーモアが常に並走していたところにあるのでないか。「おもしろのたっちゃん」のような強烈な飛び道具をはじめ、喫茶店のオーダーをめぐるやり取り、瑠璃の叔父の深いような浅いような佇まいなど、意味深なエピソードやディテールを投げかけて放置したり、気まぐれにまた拾ってみたりという緩急が絶妙だった。この常に入れ替わる空気が、2時間半以上という静かな時間を豊潤な沈黙へ変化させていたのだと思う。


ユーモアという文脈で語っていいのか迷うところではあるのだけど、映画の中でちょっと気になった、やや不自然な点が二ヶ所ある。一つは、大変失礼ながら成己はあまりガツガツ働いている感じじゃないのに(フリーライターなのに文章を書いているシーンは一回も出てこない)、なぜあんなわざとらしいくらいに都会的なメゾネットの部屋に住めるのか。そしてフリーライターらしさを分かりやすく演出するための小道具であろう肩かけ鞄を、なぜ瑠璃と訪れた山にまで持っていくのか。あんな部屋に住むほどのファッションセンスの持ち主なら、おしゃれなバックパックくらい持っている方が自然なのに…というところまで考えてはたと気がついた。もしかして、あのメゾネットのおしゃれな部屋や妻が浮気をするというストーリーは『ドライブ・マイ・カー』に対する、そして中年フリーライターが両親不在の美少女に翻弄されるというプロットは『ダンス・ダンス・ダンス』へのオマージュというか、ツッコミだったのではないか、と。アカデミー賞受賞監督あるいはノーベル賞候補作家に対する「俺ならこうやるよ?」「実際はこんな感じじゃない?」という感じの不敵なアンサー。そう思うと、稲垣吾郎のどこか軽みのある演技も、西島秀俊のシリアスさに対するカウンターという要素があったように思えてくる。もちろん両者ともに名演であることは大前提として。


以上、映画を観て思ったところを色々と書いてみて、もし根気よく読んで下さった方がいたら本当に申し訳ないのだけれども、結局のところこの映画はこうして「点」を語ることにあまり意味はないような気がしてきた。何より大切なのは、点と点の間に流れる空気や時間、時おり射し込んでくる光なのである。

近所のシネコンではもう打ち切りの気配が濃厚だったけど、なんとか一人でも多くの方に、あの世界を味わってほしいと願わずにはいられない。