ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

猫の日。

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海に行くつもりじゃなかった。

もとい。

猫を飼うつもりじゃなかった。

子供の頃から猫アレルギーだし、何を考えているのかよくわからない雰囲気もちょっと苦手だったし。


小学生の頃から就職で家を出るまで、実家で犬を飼っていた。コロという名前の白い雑種のメス。出来の悪い末っ子だったドリーミー少年にとっての妹であり、姉であり、親友のような存在だった。しかしその関係の深さゆえに、子供から看取りまで生涯を共にすることの大変さも知っており、人間の子育てに追われている現世においては、もう動物と暮らすことはないかなと思っていた。例えば、嵐の日に軒下で猫が出産していたとか、雪山で遭難した俺を野良犬が助けてくれた、といった劇的なことが起こらない限りは。


そんな偏見まじりの頑な姿勢が揺らいだのは、数年前に訪れた松本市のMarking Recordsさんで、看板猫のサラちゃんに会った時だったのかもしれない。人懐こく足元にジャレついてきてくれるので、つい禁を破って手を伸ばしてしまったのだが、鼻も目も喉もなんともなかった。アレルギーは治ってしまったようである。そして猫はかわいい。とてもかわいい、ということも知ってしまった。


とは言えやはり直接的なきっかけになったのは、コロナ禍による在宅勤務へのシフトだ。いつまでこの暮らしが続くのかは分からないけど、少なくとも一番手がかかるであろう仔猫の時期は家にいることができる。今のところ世話をすると言い張っている子どもたちが面倒を見なかったとしても、俺がカバーできるなという気持ちになってきた。

そんな話を妻にしてみたところ、職場に野良猫の保護活動をしている方がいるとのことで、そちらの団体の譲渡会に行くこと。

絶対に引き取るのは一匹だけと固く決心していたのだけど、気がつくとうっかり二匹も引き受けていた。生後2ヶ月ほどのオスのキジトラと、同じく1ヶ月くらいのメスの黒猫。名前はキュウ太、メイとした。ちなみにキュウ太は母猫のお腹の中にいる時に保護されたが、メイは生後しばらくは野良だった。

 

しかし正直に言うと、譲渡会でこの二匹に会った時も、うおーかわいい!!みたいな気持ちにはならなかった。むしろこの猫たちを、俺は果たして生涯無事に育てることができるのだろうか。ちゃんとエサ代を稼ぐことができるのか。コロナ禍真っ只中ということもあり、そんな不安の方が大きかった。ちなみに子供が生まれた時もわりとそんな感じだったような記憶がある。根暗で悲観的という私の軸は決してブレないのである。

 

しかし我が家にやってきた猫たちの生命の輝きは、そんな私を完全に圧倒してしまった。昔から我が家にいるかのようにリラックスした寝顔、王様のように図太くエサを要求する鳴き声、初めて見るであろうピアノやターンテーブルにいちいちドキドキしながらいたずらをする姿があまりにも眩しすぎたのである。

そして何よりもクラクラしてしまった点は、この猫と私たち、そして猫同士は、ついこないだまでまったくの他人・他猫だった、という事実である。この子たちがボランティアさんに拾われたのも、私たちが譲渡会でこの二匹を引き取ろうと決めたことも、すべて偶然なのである。この目の前に広がる揺るぎない幸福が、「純度100%のたまたま」という脆いものから生じているということは、私の心を打ちのめした。

その衝撃は私の人格にも影響を与えたように思う。それまで私の中の8割は占めていたであろう怒りや焦りといった煩悩または欲望が、体感レベルでは半分くらいに減ったような気がした。妻からも聖人感が出てて逆にやばいと心配されるほどの豹変ぶりで、甲斐甲斐しく猫の世話をした。子供たちに手を出す隙を与えないほどの完璧さで…。


その結果、猫たちがどうなっているかということも書きたいのだけれども、そろそろ猫の日(2/22)が終わってしまうので、今日のところはここまでにしたい。