ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

臆病で利己的な私がこの一週間考えていること。

民主主義とは何か。そんな雑な問いに対して私なりに答えるならば、「永遠に決着のつかない綱引き」となる。

言論という綱を、一定のルールに基づいて、意見や立場が異なる人たちが引っ張り合う。あちらが強く引っ張れば、こちらも強く引っ張らなければならない。こんなことを続けていると疲れるからつい手を放したくなるけど、どちらか一方が強くなりすぎて相手を引きずり回すと怪我をしてしまう。なので、めんどくさいけど均衡が保たれるように力を入れておかなければならない。


プーチン、あるいはプーチン的な権力者というのは、この綱引きのルールを歪めたりズルをしようとする人のことだと思っている。例えば反対側から引っ張っている人間を、脅したり傷つけたり騙したりして減らそうとしたり、審判を買収して判定を変えてしまったり、ルールを都合よく変えてしまおうとする人間。


幸いにして今この国にプーチンはいない、と言っていいと思う。でもプーチン的な思考回路や野望を持った政治家ならたくさんいる。国の資産を友達に横流ししたり、テレビ局に圧力をかけたり、意見の違う国民を敵視してみたり。なぜこういう政治家が選ばれるようになったのかと言えば、みんなが綱引きが面倒くさくなっちゃったからではないか。その確かな理由は分からないけど、プーチン的なものに支配されていた戦前の記憶が薄れてきたことと、日々の生活がどんどん苦しくなっていること、周りの国々の力が相対的に上がってきていること、が大きいような気がしている。綱引きなんてやってる暇はない。なんならゆるやかな独裁が心地よい、と。

 

でも、プーチン的なものは、加速度的に膨らんでいくものだと思う。誰でも経験のあることだろうけど、一つ嘘をついたら、それをごまかすために別の嘘をつかなくてはならない。国の資産を横流しした政治家がどんどん嘘を重ねていって、最終的に公務員が殺されてしまったという事例は、その一端だ。あの政治家は公式に確認されただけでも118回も嘘をついた。それを指摘する、つまり逆の方向から綱を引っ張る野党やマスコミがいなければ、そのことすら明るみにならなかっただろう。そしてこれも会社や組織に身を置いた人なら分かるだろうけど、偉い人が嘘をつけば、それを黙認する人、隠す人の数も膨大なものになる。あのまま彼が政権の座についていれば、共犯者しかいない歪んだ政府が出来上がっていただろう。なので、プーチン的なものの芽はできるだけ早めに摘まなけばならない。軍隊や警察という暴力装置を独占する権力が腐敗して暴走を始めてしまえば、もう私たちにできることほとんどない。そうならないように綱引きを公正で平和的に行えるようにしなければならない。それが大人としての責任だと思い、冷笑ムードを感じながらも、反対側の綱の端っこを握っているつもりだ。

 

それでももしこの国をプーチンのような人間が支配したならば。私はすぐに綱を放す。SNSのアカウントもブログも全部消して、マイナンバーで管理された従順な国民としてひっそり余生を送るつもりだ。心の中で「俺もがんばったんだよそれなりに」と言い訳をしながら。繰り返すけど、暴力装置の暴走の前に、私ができることはほとんどない。

 

そんな臆病で利己的な私なので、もしプーチン的な独裁者に率いられた軍隊が攻めてきたら、すぐに降参するだろう。その代わりにもし自衛隊の人たちが戦わずに逃げたとしてもそれを責めるつもりはない。自分にできないことをやれ、命をかけろというのは無責任だと思うから。だから今この瞬間、ウクライナで戦う人たちを心からリスペクトしているけど、彼らに逃げ出す自由があることも願っている。プーチンが勝ってしまうことは世界にとっても悲劇だけど、それを回避する責任をウクライナの人にだけ負わせることはできない。彼ら一人ひとりの判断というものが尊重されてほしいし、尊重してほしい。

 

この一週間、プーチンに攻められないように日本も核武装をすべきだ、という意見をよく目にする。特に私がプーチン的素養を持つと思っている政治家がその中心にいるようである。彼らは核兵器があればプーチンは攻めてこないと言うけど、本当だろうか。核兵器Amazonのように、注文した翌日に届くというものではない。つくるにしても、買うにしても、何年もかけて準備をする必要があるはず。その間に「日本が核攻撃の準備をしている」と難癖をつけられる可能性はないだろうか。イラクウクライナもそうやって攻め入られたし、イランや北朝鮮経済制裁を受けている。帝国主義の前科がある日本がそんなことを言い出して、あのプーチン金正恩習近平が「日本は平和のために核兵器を持つんだよね」と優しく見守ってくれるとは考えにくい。彼らの「安全確保のため」という大義名分の名の下に尖閣諸島は奪われるし、北方領土に核ミサイルが配備される、というくらいのことは予想しないといけないと思う。そして日本が勝手に仲間だと思っている国の目の色も変わるはず。だって日本はアメリカ・中国・イギリス・フランス・ロシアの5か国以外が核保有を禁止する核拡散防止条約に署名して、それに基づいて北朝鮮やイランやイラクを非難してきたわけだから。「非核三原則は昭和の発想」とか言っている野党の党首がいたけど、これは国内だけの問題ではなく、国際秩序への挑戦と受け止められる可能性があることを分かっていないのではないか。190の署名国から冷たい仕打ちを受ける覚悟が、彼にあるとは思えない。そして覚悟という意味で言えば、もし首尾よく核兵器を手に入れたとして、万が一の時、自分が核ミサイルの発射ボタンを押すということを想像しているのだろうか。一発命中する間に十発打ち込まれるかもしれないという状況で、そんな決断が本当にできるのだろうか。核をぶっ放した後に訪れる地獄と、他国に占領される地獄。臆病な私は迷わず後者を選ぶ。「タブーなき議論を」というのなら、そこまで示すのが責任のある政治家の態度のはず。それを隠して「核があれば大丈夫」と喧伝するのは、綱引きのルールを歪めていることのように思えてならない。


ちなみに「いや保有じゃない。共有だ」という人もいるけど、私の頭が悪いせいか、意味がまったく理解できない。共有ということは自分の意思でそれをコントロールすることすらできない、ということではないだろうか。つまり、共有するためのコストは払うけど、それを打ってほしい時に打ってくれないということもあり得る。「核兵器が平和維持において死活的に大事」ならば、それこそ共有者に生殺与奪を握らせるということになる。果たしてそれが彼らの大好きな「自分の身は自分で守る」という理想に合致しているのだろうか。しかも対外的には実質的な核保有国と見なされるわけであり、周辺国へのインパクトは単独保有と変わらない。

 

私のような素人でもこれくらいの疑問が瞬時に湧くのだけれども、政治家はこれにちゃんと答えてくれるのか、非常に不安である。


だったらどうやってこの国を守るのか、対案を出せと言われるだろう。しかし私の知る限り、「近隣国から身を守るための完璧なメソッド」は歴史上誰も確立していない。つまり特効薬はないということだ。そもそも地理的・歴史的条件によって、その国が現実的に取りうる策というのはほぼ決定しているのではないだろうか。アメリカ、中国、ロシア、そして南北朝鮮と台湾。こうした国々と海を挟んで向き合い、そして太平洋戦争でほぼ主権を失うところまで追い込まれたという経緯から、日本が独力で超強力な軍備を整えることなど、今までもこれからも選択肢として存在しないというのが現実だ。その所与の条件の中でできることは、今の自衛力を保持しつつ、非軍事的な手段で民主主義的価値観を国内外で共有すること。そして経済的・文化的な交流を増やすことによって国民間の相互関係を強化すること。そんな地道なことだけだと思っている。もちろんそれもプーチンのような狂気の前では無効になってしまうし、この30年、西側社会が抱いていた「資本主義の恩恵が行き渡ればロシアも中国も価値観を共有できる国になるはず」という期待はあまりにも牧歌的だったことを認める必要はある。しかしだからと言って、われわれが核兵器を数発持ったところでその状況は変わらない。この無力感を認識するところから議論を始めないといけないように思う。お花畑と批判されても構わないけど、せめてその前に私の質問に答えてほしい。フェアに綱引きをしようじゃないか。