ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

最と高、その間に入るもの。サニーデイ・サービス『DOKI DOKI』

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最高。それも最と高の間に「っ」が5個くらい入るやつ。スピードメーターを振り切って、青空を切り裂いて、俺たちをどこか遠く、取り返しのつかない場所まで連れていってしまうロックンロール。サニーデイ・サービスの最新作『DOKI DOKI』について言うべきことはもうこれだけ。それ以上の言葉はすべて蛇足だ。


でも野暮を承知で『DANCE TO YOU』以降何度も繰り返した問いを、俺は今回もまた口にせずはいられない。なぜサニーデイは、サニーデイだけが、とっくの昔に死んだはずのロックンロールという恐竜を生き返らせることができるのか。彼ら自身、一度はロックンロール絶滅後の世界を『Popcorn Ballads』『The City』という異形の傑作で追求したはずなのに。

もちろんその答えは三人のみぞ知るということだろうし、すべては風の中ということなのかもしれない。


このアルバムを聴いて、「最っっっっっ高」という単語の次に浮かんだイメージ。それは目に映るすべての景色、耳に届くすべての音を飲み込んで、前へ前へと進むバンドワゴンの姿。

冒頭を飾る「風船讃歌」。いにしえのフォークの匂いを濃厚に感じさせるメロディは、MIDI時代の名盤の数々と共に1月にリリースされた「おみやげを持って」を彷彿とさせる。その一方、爆裂するバンドサウンドは『いいね!』の流れを引き継いでおり、しかもMVには代々木の駅前に降り立ったおじさん天使まで登場する。これって曽我部恵一BAND「天使」の14年越しのセルフオマージュじゃん。『東京』と『キラキラ』も『いいね!』も、これまでの足跡をすべて引き受けて鳴らす、大らかで強い音に乗せて歌われる

“あなたのそばに行き 歌をうたってあげたいな 世界が終わる日も”

というフレーズ。その説得力といったら。


その強度は続く「幻の光」でさらに高まる。

“ここに来れば 夢が見られると 瞳輝かせ人が集まってくる”

“遠くから来た車が濡れて光ってる 待っている 揺れている”

という歌詞から目に浮かぶ景色は、サニーデイを追いかけて足を運んだ21年のフジロックや今年の森道市場。何にもない平原に数日間だけ現れる祝祭の場。その喜びと儚さをいやという感じた、『いいね!』からの約3年間。ある時は人目を避けてこっそりと、ある時は大手を振って堂々と、感染者数に右往左往しながら束の間の陽光を全身で分かちあうために集まったひとりひとりの私たち。そしてその期間は大工原幹雄が新しいメンバーとして加入後とほぼぴったり重なるわけで、俺たちもバンドも暴風雨の中を進んできたよな…としみじみと思う。でももしこうした共通体験が燃料となって素晴らしい曲として結実したならば、こんなにファン冥利に尽きることもない。ちなみに最初に聴いた時は、二曲目にスローナンバーがくることがちょっと不思議な感じがしたけど、高速道路に乗る前に、俺たちも機材車に乗せてくれたってことなのかな、と勝手に思っている(妄想力)。


そしてここからは、文字にするのが追いつかないくらいのスピードでぶっ飛ばすオルタナ、パンク、ロックンロールの三車線から成るハイウェイ。その先導車はなんと言っても大工原幹雄のドラム。ここ数年のライブを観た人なら分かってくれるかもしれないけど、これまでのサニーデイの楽曲は彼のドラムによって新たな生を得た、と思う。どっちがいいとか誰がいいとかの問題ではなく、プリミティブで、ガレージで、気持ち良さしかないの彼のドラミングによって、過去の名曲たちも完全に別モノになったように思ったのだ。「ノー・ペンギン」のアウトロや「メキシコの花嫁」のぶっといタムの音を聴くと、その興奮が克明によみがえってくる。

そしてこの時間帯のピークはなんと言っても「Goo」。タイトルはSONIC YOUTHだけど、ベースの音色からして完全に『Doolittle』期のPIXIES。40代以上の琴線を直撃すると同時に90’sオルタナ再評価の波を捉えたセンスも感じさせる元ネタ感。相互監視社会が完成した2022年に、無邪気なくらい大胆に投げ込まれたど真ん中のストレート。まるで学祭に出るバンドのようなみずみずしさ…とか思ってしまうんだけど、もちろんアマチュアにこんな迫力は出せるわけもない。アマチュアにも手練れのプロフェッショナルにも鳴らすことのできない、青く燃える純情があるのだ。これと同じ感覚を、画面越しで観たフジロックDinosaur Jr.にも感じていたことを思い出した。


「すべて蛇足」とか言いながら、既に多くの文字を費やしてしまった。最後に言っておきたいのは、脳内に別の世界を喚起する歌詞力について。例えば「恋におちたら」でも「サマーソルジャー」でもいいんだけど、これまでのサニーデイの名曲たちは私たちの心の中に一編の映画を再生してくれるようだった。でも前作の「コンビニのコーヒー」「春の嵐」くらいから、もちろん演奏の力強さも相まって、聴き手をどこか別の世界へさらっていってしまうような強烈な引力があるように思う。今回、特に持っていかれたのが「浜辺のレストラン」の冒頭。

“最後は海で騒ぐ 今日のたぶん結末 

だったらあれ持ってく? 

昔くれたミックステープ”

こうして文字に書くだけでも気持ちのいい押韻が脳に刻まれ、リアルな手触りを伴って浮かんでくる若者たちの高揚感。前後関係など一切分からないまま、自分がその場にいるような気持ちになってしまう。本当は44歳のおっさんなんだけど、ビートがつまらない現実を引きちぎって、俺をもう一つの世界のなかに放りこむ。「レコードプレーヤーのスイッチを入れたらいつでもおまえを14歳にしてやるぜ」という名曲があったじゃないですか。まさにアレですよ。

 

俺みたいな人間でも、新しい音楽を聴くと無意識のうちに乏しい手持ちの知識で因数分解をして、分かったような気になってしまう。でも本当に大切なのことは、そんなことで分解できない部分にしかない、と最近よく思う。その意味においてこの作品は、巨大な素数のようなものなのかもしれない。PIXIES、Ben WattやOASIS、いくつも浮かんでくるキーワードでもきれいに分解することなんてできない。はっぴいえんどを用いても『東京』の魅力を説明できなかったことと同じように。見たもの、聴いたもの、食べたもの。リアルタイムの人生が表現に還元されているからこそ、ここにしかない有機的なスリル、『DOKI DOKI』が生まれたということなのかもしれないし、俺がずっと彼らを追いかけてしまう理由なのかもしれない。