ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

隔離期間の記録

妻がコロナ陽性と判定され、家族全員が濃厚接触者に。下の娘と行くはずだった旅行は急遽キャンセル。隔離モードに突入。

春休みのほとんどがつぶれてしまう子どもたちには悪いが、こればっかりは仕方がない。この隔離生活を22年春休みの思い出にしてもらうしかない…と思い、長女には英検の問題集、次女にはうんこドリルをプレゼントした。ものすごく嫌な顔をされた。

 

感染家庭には市から食糧が届くと聞いていたが、「なんとかなる人は自分でなんとかして」という無言の圧力を感じて辞退。本当に困っている人に手厚くケアしてください…。

なお事情を知った会社の上司が「俺が買い物してきてやる」と申し出てくださったが、こちらも丁重に辞退。しかし本気でこういうことを言えるのが私の上司のすごいところだ。

 

幸い妻は軽症で今は全快。それでも4日くらいひどい頭痛が続いていた。インフルエンザを薬なしで耐える感じだったとのこと。

 

在宅勤務と主夫業と家庭教師のトリプルワークはそれなりに大変で、家族四人で家にこもる生活もストレスフルではあったけど、ちょっと前に百年ぶりに再開していたジョギングに救われた。えっちらおっちら20分くらい我慢して走った後にやってくる心地良い疲労と程良い筋肉の痛み。それを感じるだけで、自分が何かいいことをした気がするし、その日がとても有意義なものだったように思えてくる。消費したカロリーはその後のアルコールですぐに回収されてしまうだけなんだけど。トリプルファイヤーの「銀行に行った日」の世界だ。

 


いつもより静かな週末の夜に、配信ライブを二つ観た。

一つはVIDEOTAPEMUSICのワンマン公演。VIDEOTAPEMUSICのライブを観ると、普段は脳みその奥深くに沈んでいる記憶を掘り起こされたような感覚になる。昔連れていってもらった(あるいはもらわなかった)遊園地の光景、若い頃に訪れた(気がする)どこかの街の雑踏やお祭りの光景。本当は会場で体験したいライブだったけど、家族が寝静まった後にソファで猫を撫でながら観る寄るべなさも滋味深い物があり、「Fiction Romance」から始まる終盤のの名曲連発に泣いた。それにしても、エマーソン北村のキーボードプレイは上手いとかいいフレーズとかそういう次元ではなく、音楽そのものをふわっと持ち上げているような印象を受けてとても驚いた。


もう一つはTURN TVの第四弾でSpoonful of Lovin’と中川理沙の共演。日記に書けていなかったのだけど、前回の高野寛佐藤優介のライブがもう本当に素晴しくて、各アーティストの力量はもちろんだけど、岡村編集長によるブッキングの妙も感じた。なので今回もすぐにチケット購入。前半の中川理沙パートではなつやすみバンドの「黒い犬」のセルフカバーにウルっときてしまった。そして後攻のSpoonful of Lovin’。「Whatever」の絶妙すぎるワルツカバーに脱力させられ、ボンジョビの「It’s my life」ではいつぞや会社の忘年会でコピーバンドを組んだトラウマが蘇ってきた。しかし眉間の皺が深くなってしまうこのご時世に、音楽のサニーサイドだけを抽出して聴かせてくれる彼らの存在はもはやラジカルですらあるのでは、と思った。

 

本は2冊読んだ。先日のライブの時に購入した東郷清丸の「日誌」と井上荒野の「あちらの鬼」。

東郷清丸の文章は何気ない日常の記録なのに随所で心の琴線に触れてくる。私が書き連ねるこの駄文との差はどこから生まれてくるのかとしばし考え込んでしまった。人生や他者に対する嘘のなさ、正直さの違いなのではないか、というのが今のところの結論。それはいいとして、植本一子に続く日記文学の書き手が現れたという予感もちょっとしている。井上荒野の小説は、実父の長年にわたる不倫を母親と不倫相手の目線で描くという生々しい内容なのだが、わい雑さのようなものが一切ない。筆致が清潔で透明なのである。この文章を書くのにどれくらい技術を注ぎ、どれくらい魂を削ったのか(あるいは削らなかったのか)ということにとても興味がかる。

 


結局、妻以外の家族にうつることはなく、予定通りに謹慎期間を終えた。長女はさっそく友だちと朝7時からカラオケに行ったり夜桜を見に行ったりしている。そして次女は特にゲームとYouTubeに興じている。