ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

日経新聞を解約した理由

少し前に映画館で「アイの歌声を聴かせて」というアニメ映画の巨大なポスターを目にした。どこからどう見ても健全そうな雰囲気で、声優も名の知られた俳優が起用されていたので、かなり大きな資本が投じられた作品という印象を受けた。しかしそのポスターをよく見ると、主人公が着ている制服の短いスカートの裾の下から下着がちらっと見えている。全体的な雰囲気からこのイラストが、見る側の劣情を煽ろうという明確な意図があるわけではないことはわかる。おそらく「少女→制服→短いスカート」という半ば無意識のパターンの中で描かれたものなのだろう。しかしなぜこんなにスカートが短くなきゃいけないのか。そしてなぜ下着まで当たり前のように書かなきゃいけないのか。男子学生の下着は当然描かれていないのに。多くのスタッフが関わったであろうこの作品のポスターにおいて、その必然性を誰も考えないまま、性的イメージが慣習としてバラまかれているところに日本のアニメ業界の業のようなものを感じた。


それに比べると4月4日の日本経済新聞に全面広告が掲載された「月曜日のたわわ」という漫画の意図は明確だ。胸部を極端に強調した女子高生が男性の性的妄想を煽り、満足させるということに特化した確信犯的ないかがわしさがある。清々しいくらいに。こんな作品が大手の出版社から発売されている時点で子どもをモデルとした性表現に対して寛容すぎやしないか日本社会という個人的な思いはあるが、それはいったん置いておく。

 

日本にはイギリスのような大衆紙と高級紙という明確な棲み分けはない。しかし強いて分けるなら、日本経済新聞が唯一高級紙にカテゴライズされるものではないだろうか。財界の広報誌、企業のプレスリリースを集めただけと揶揄する声もあるけど、私の社会生活においては日経の記事や論調というのは知ってて当たり前の常識であり共通言語のようなもの。なので私もこの新聞の「常に強い者の味方」というスタンスに辟易しながらも購読を続けている。

 

おっさんをメインターゲットとした経済紙とエロマンガ。まったく顧客層が異なる場所に広告を出した講談社の動機はそれにより実売数を上げるというよりも「いかがわしいエロマンガが一流経済紙をジャックする」ということによる話題づくりを狙っていたのだろう。よって当然ハレーションが起きることも想定済み。むしろ私のような良識を振りかざしてキーキー言う人間がいてこその炎上商法である。しかし、このいかにもクソガキ的なやってやったぜウェーイって感じの軽薄さには、「大企業に勤めてる大人がやっても全然おもしろくねーよバカ」と言わなければならない。

 

一方の日経側の動機はもっとシンプル。金である。財界の広報誌としてダイバーシティの旗を振っている立場でありながら、目先の現金にあっさり転んだだけというだけの話。しかもよりによって女性の社会進出を促す「女性面」が掲載される日の紙面で。あっちのページでジェンダーギャップの解消を訴えながら、こっちの広告で男性の性的欲求を押し付けられた未成年を主人公とする漫画の販促に手を染める。こんなに分かりやすく読者をバカにした話があるのかよ、と誰でも思うはずなのだが、それでもこの会社は「日本一のクオリティーペーパーが少女ポルノの販促に一役買った」という講談社が描いた筋書きに易々と乗っかったのである。手続きが面倒くさかったけど、お客様センターに解約の旨を伝え、しばらくは他紙を取ることにした。


しかし音楽でも映画でも小説でも、いかがわしいものが大好きな私なので、こういうマンガは社会から消えるべき、と言っているわけではない。むしろ、いかがわしいものが社会から完全に排斥されないためにも一定のルールは守るべきだろ、と考えている。そういう意味で今回驚いたのは、講談社日経新聞を批判する側を批判する、マンガ・アニメファンの多さだ。

あたりまえのことだけれども、人間は常に欲情しているわけではない。あるモードにいる時には楽しめる表現であっても、タイミングによってはまったく許しがたいものと思えてしまう時がある。少なくとも日経新聞を眉間に皺を寄せて読んでいる時の私や多くの読者は、いかがわしいモードではない。完全にセーフティーゾーンの中にいる。突然そこに性的搾取を助長するような表現が飛び込んでくれば、怒られるのは当たり前。公道のど真ん中でパンツを脱ぐ権利なんて存在しないことと同じなのである。つまりこの新聞の読者である私には、見たくないものを見ない権利があったし、日経新聞にはそれを侵さない義務があったはずなのだ。


そしていかがわしい文化を愛する者としてさらに付け加えるならば、いかがわしい光を放つ表現は、暗いところでしか生きていけない、とも思う。明るい場所に出た瞬間に、その光は見えなくなってしまうから。その作品のことを思うのなら、なんでも大通りに引っ張り出せばいいというものではないし、大通りに出られないことを嘆く必要もないと思う。例えば俺はルースターズの「恋をしようよ」をMステやNHKで聴きたいとは思わない。あれはそんな安全なものじゃないはずだし、あの曲が一番輝くのはそんなまぶしい場所ではないと思うから。俺は日陰でその光を存分に浴びていたい。