
電車やトイレ、部室に教室、起きている時間のほとんどを費やしたあげく、くそ暑いテントの中で自己最高得点を記録したことは、決して誰とも共有できないフジロックのいい思い出。
ミツメの新作"A long day"を聴いて、最初に感じたのは、このテトリスの四つの正方形から成るブロックを回転させながら隙間なく並べていく感覚。
ギター、ベース、ドラムから鳴らされるフレーズが、微妙に形を変化させ、複雑に絡み合いながら、4拍に1回、ピッタリはまっていく感覚が身もだえしそうに気持ちいい。
そしてそのどこか幾何学的なフレーズは、ポストロック、インディーギター、ニューウェーブ、ファンク、多様なジャンルを参照しつつも、それらが持っていた匂いや温度といった固有性はバッサリと削ぎ落とされ、ピカピカの高機能素材として再生産されたような切れ味。
この大胆なやり口には、ミツメの批評性の高さとともに、ある種の暴力性のようなものすら感じてしまう。
その上さらに危険なのは、そのストイックな構造を保ちつつも、ポップソングとしての機能も今までよりも格段に高めているところ。
オープニングを飾る"あこがれ"、"天気予報"なんてJ-waveあたりで堂々とパワープレイされちゃうんじゃないかっていうヌケ感、名曲感がある。
しかしその広く開かれた入口から、心地よいビートに乗っかってしまえばズブズブの深みに。
タイトルも象徴的な"漂う船"にさしかかる頃には、瞳孔が拡がったまま、はるか沖の彼方まで流されている自分に気づく。
この聴き手が音の世界に取り込まれていくような感覚には、やはりテトリス的な中毒性があるとも言えるし、個人の意思に関係なく「大きななにか」に心と身体が吸い寄せられる様は、現実社会におけるメタファーのようにも思えてしまう。
と、わかったようなことを書いてみたものの、リリースから1ヶ月、何度聴いても未だにその全貌が掴めていない、というのが正直なところ。
ただ現時点で確信を持って言えることは、このジャンルレスでタイムレスな傑作は、向こう数十年間はポップミュージックの大海を漂い、何度でも最先端の音楽として再発見されていくであろうということ。
なので、せっかく10年代を生きながらえている者の特権として、この謎をじっくり楽しんでいこうと思います。