完璧なスリーピースバンドによる、完璧なロックコンサート。
それ以外に形容できない2時間半。
サニーデイのライブでまさかこういう感想を抱くとは思わなかったんだけど。
もともと再結成以降のサニーデイのライブには、曽我部ソロともソカバンとはまったく違う、静謐さが漂っていた。
しかしこの日は、とうとう本編が終わるまでMCなし、メンバー紹介もしないし、バンド名すらも名乗らず。
あと一滴で、コップから水が溢れ出してしまいそうな、張り詰めた緊張感に充ち満ちていた。
自分たちの楽曲を、一曲でも多く、全ての神経を集中させて演奏するステージの上の三人。
サポートドラマー・鈴木正敏のタイトなドラムの上で繰り広げられる田中貴と曽我部恵一のせめぎ合いは、The Jamもかくや、という異常な熱さで、何かとんでもないものを見ている気持ちになった。あのとびきりにメロウな"MUGEN"の曲ですら。
(特に曽我部恵一の、身体とギターが一体になったかのようなプレイ!)
決して存在しないはずの、完璧なサニーデイサービス、とでも言うような。
それくらいの迫力と、新鮮さを伴った演奏でした。
しかし問題は、こんな聴衆の心と身体につかみかかってくるようなライブを、ホールの椅子に座って黙って眺めなければいけないというSM感。
「サニーデイサービスの楽曲は、オーディエンスの思い入れやノスタルジーに依ることのない、完全に独立した世界なのだ」と言わんばかりの唯我独尊ぶり。
こっちだってこの音を全身で受け止めて、思いっきりフィードバックしたいのに!
でも、こういうジリジリ感を観客に(悪意なく)強いるところが、曽我部恵一の全身芸術家たるゆえん、なのかもしれない。
キャリアが長くなる中で生まれがちな、“おやくそく”という名の予定調和を一切拒否する潔癖性。
エンターテイメントではなくロックであろうとする強い意志に痺れるのです。
アンコールになって、ようやく優しいお兄さんという表情を見せたけど、その言葉に応えてステージ前に押し寄せた大勢のオーディエンスという光景もやはり、予定調和とは無縁の美しさ。
でもきっと本人的には「え?全然そんなことなんにも考えてないけど?」と言われて終わりなんでしょうけどね。
でももしそうならば、膀胱が心配な俺としては、あの「絶対にトイレに行ってはいけない120分」のプレッシャーはちょっときつかったっす、とだけは言っておくぜ。