サニーデイ・サービスのライブからもう2週間近く経つのに、未だ興奮冷めやらない。
ふとした瞬間にライブの場面がフラッシュバックしてついニンマリしたりヨダレたらしたり、あやしい中年の私なんです。
というわけで、あの秋の夜の一部始終を振り返り。
会場の名古屋クアトロは日曜なのにほぼ満員。
客電が落ち、白いグレッチを持った曽我部恵一率いるサニーデイ・サービスが登場。
ギターのフィードバックノイズと短いドラムソロが鳴った後、新作"Dance to you"の幕開けを告げる「I'm a boy」の流麗なコーラスがキマる。
全身にブワッと鳥肌が立った。
この数小節で、今日のライブはバッチリだって分かった。
そしてその感覚は、会場にいる全ての人が共有したのだろう。
のっけから名古屋とは思えない興奮状態で飛び跳ね、「冒険」「パンチドランク・ラブソング」へ流れ込む。
「ねえ、あれはなんて名前の花だっけ?」とみんなでコーラスできる喜び、サビ前のスネアの連打で首を振り回す興奮。
誰かが腕を突き上げ、誰かのビールが買ったばかりの俺の革ジャンにかかった。それがどうした。
ステージにいる曽我部恵一も、ソロやソカバンの時のように自然体で饒舌。今までの求道的な佇まいとはまったく違うモード。
再結成から5年、サニーデイサービスというバンドが、曽我部恵一という巨大な才能のありのままを受け止めることができるタフさ、器の大きさを手に入れたってことなのかな、と思った。
その進化の理由は、高野勲と新井仁をサポートに迎えた盤石の布陣ということもあるだろうけど、やっぱり「Dance to you」というアルバムの、ネクストレベルの完成度によるところが一番大きいなんじゃなかろうか。
この日のサニーデイの演奏は、その新曲たちに掴みかかり、揺さぶって、叩きつけるような尋常ならざる熱さだった。
例えば、「青空ロンリー」では、RCサクセションの「ヒッピーに捧ぐ」を引用しながら、アルバムよりもっと深く荒涼とした悲しみが広がっているようだったし、アルバムでは文学的な香りも高かった「血を流そう」も、もはや比喩ではない本物の血が吹き出すような凄みがあった。
そしてこの日の(かつ私の音楽人生の)まさにクライマックスであった「セツナ」では、喉もつぶれんと咆哮するボーカルと、今この瞬間に全てを賭けたような演奏で、文字通り何度も何度も、正面からぶつかっていた。
にも関わらず、ビクともしないのですよ、曲が。
それぞれの曲が持つ何かが損なわれるということがまったくない。
ポップスとしてのケタ違いの強度。
メランコリックなハートのまま、暴力的に心拍数が上昇していく。
いやこんなのありえないでしょ、というフレーズだけが、興奮で遠くなりそうな意識の中を駆け巡っていた。
そうやって新曲という豪速球を投げ込む一方、随所で披露される珠玉のサニーデイクラシックス。
とりわけ、"セツナ"の熱狂から一転、不意をついて始まった、"白い恋人"のズルさよ…。
もうついに完全に決壊しましたよ、涙腺が。ここまで我慢してたんだけど。
どうしてこの人は、このバンドは、20年前と同じ優しさで、同じ瑞々しさで、若者のすべてを表現することができるのだろう。
もうなんか怖いわ。
震えながら泣きました。
そんなわけで、未だ魔女にかけられたピンクの呪文が解けず、今も挙動不審なわたしをどうか許して頂きたい。
※クアトロ出たら隣の映画館にこんなポスター貼ってあって、ちょっとあがった。