ミツメのCDジャケットはどれも気が利いていて素敵だなと思っている。
特に“ささやき”の公団っぽい集団住宅を写した写真。
何も起こらない退屈な日常の象徴。
でも、どこまでも無機的・規則的に並ぶベランダには、なにか隠された暗号があるかのような胸さわぎも。
アンチクライマックスで平熱、それでいて深く刺さるミツメの音楽とバッチリとシンクロしたジャケットになっていて、実に素晴らしいと思います。
トヤマタクロウさんという人の写真だそうです。
さて、齢37のワタシにとって、ベストオブアートワークと言えば、小田島等さんによるサニーデイサービス“東京”ということになります。
(一度だけお話したことがあるのでなんとなく敬称付き)
若者たちのささやかな日常を祝福するような、あの桜の鮮やかさ、優しさ、大胆さ。
アルバムに収録された名曲たちをパッケージするのにふさわしいジャケットだな、と心底感動したわけであります。
そしたら、先日、小田島さんと曽我部恵一がこんなツイートを。
私が23歳の時にデザインしたサニーデイ・サービス『東京』の写真元ネタ。先日、神保町で再び巡り会えた。310円! #サニーデイサービス #SUNNYDAYSERVICE pic.twitter.com/RWUvvN93cu
— odajima hitoshi (@ODAZZI) September 16, 2015
この写真にさらに彩色して完成したのが『東京』のジャケット。桜のジャケット案はあったものの、なかなかノスタルジックな写真が撮れなかったところに突然降ってきた話だった。いろんな偶然に引き寄せられたアルバムだった。
— 曽我部恵一 (@keiichisokabe) September 16, 2015
話題となった「デザイン盗用問題」とコレはワケが違います。80年代のシミュレーション・アートと、ヒップホップ以降のサンプリング文化を下敷きにしています。これは70年代頭の植物図鑑なんですが、当初の撮影者に許可を得てギャランティを支払いました。
— odajima hitoshi (@ODAZZI) September 16, 2015
うーん…。
このやりとり、単なる昔話と流すわけにはいきませんよ奥さん!
当時のサニーデイサービスのこと、思い出してみてください(まだリキッドルームが新宿にあった頃の話です)。
「若者たち」を出してもなお、「サニーデイ、うさんくさいよね」みたいなイメージもあったでしょ?
そう。彼らはまさに『パクリかオマージュ論争』のど真ん中にいたわけですよ。
にもかかわらず、来るべき次作『東京』において、若き曽我部恵一と盟友・小田島等は、その音楽のみならず、アートワークについても“引用”という手法を臆することなく選択して、あの大傑作を世に送り出した…。
という涙なくして語れない青春ストーリーが、今回の一連のやりとりで明らかになったわけですよ。
表現者としての不敵なまでの意思の強手際の見事さに、今さらながらおそれいった次第。
なんせ二人とも若干23歳ですからね…。
はい。
ここからは完全に五つ目の車輪 a.k.a 長い蛇足。
小田島さんも言及している、最近チマタで話題の『パクリ/オマージュ論争』の件。
よく『元ネタに対する敬意があればオマージュ、無ければパクリ』という意見を見ましたが、これは判断基準としては甘すぎるんじゃないか、と夢刑事的には思わざるを得ない。
敬意、愛、下心とかデキゴコロとか、作者の気持ちなんて外からは見えませんからね。
やっぱり、すべての結果である作品に『新しい価値』が内包されているかという点で評価される、のだと思います。
よってサニーデイの楽曲がどれだけはっぴいえんどを想起させようと、佐野元春が完全にブルース・スプリングスティーンだったとしても、その時代・場所にいる受け手に対して、元ネタから独立した価値をもたらした作品であれば、パクリとの批判は正しくない。
というか、パクリかどうかなんていう手法をグチグチ論ずることにあまり意味がない。
オザケンがOKでサノケンがNGだったのは結局のところ、これが根本的な要因だと思っております。
誰の心にもグッとこなかった、というか。
ただ、その『新しい価値の有無』を判断するには、受け手側にその分野における一定の知識と洞察力が必要、ということもまた事実。
なので、メタルばっかり聴いてる英国在住国際派おばさんとかロリコンイラストが大好きなネトウヨが、SEALDsのプラカとかTシャツをまっとうに論じられるわけないんだから、パソコンの前で指くわえてればいいと思うよ。
なんつって。
オマエが言うなという話ですね。
はい。私も精進します。