ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

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ブレイディみかこ著 "THE LEFT UK左翼セレブ"を読みました

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チラッと見かけた「THE LEFT UK左翼セレブ列伝」なるタイトルを素通りすることはできなかった自称モリッシー育ちの私。


イギリス在住の保育士、ブレイディみかこさんという方が、いわゆる左翼的というイメージの有名人の発言・生き様・それに対する世間の評判を紹介してる本であります。



なんとなくメイロマさんとかぶり感のあるプロフィールですが、あちらはミドルクラスのメタル好き、ブレイディさんはワーキングクラスのパンク好きということで、カウンター感がクッキリと。


なお、紹介されている有名人は、

J.Kローリング(ハリー・ポッター
ローワン・アトキンソン(ミスタービーン)
ベズ(ベズ)

などなど、そうそうたるメンツ。



今、同じような本を日本で出そう思ったら、坂本龍一石田純一スチャダラパーとかになったりするんですかね。
UK左翼セレブのみなさんに比べたらぜんぜん穏健で良識的だけれども。


でも、このお三方の例を出すまでもなく、今の日本、ちょっとでもお上に反抗的な態度を取ろうものならすぐにレフトスタンドに座らされて、袋叩きにあうか、良くても変人扱い。
なんだかなぁ、という息苦しさを感じます。



一方、同じ島国でも、「無政府バンザイ」「女王は早く死ね」なんてタイトルの作品が名盤として普通にレコード屋さんに並んでるイギリスみたいな国もあるわけで、両者の違いがどこにあるのか、興味がありました。


しかし、読んでみてまず気がつくのは、違いどころか、今のイギリスと日本の状況がまったく一緒じゃないか?ということ。


正確に言うと、常にイギリスの方が何年も先に(どちらかというと明日の悪い方向に)進んでしまっているという感じなんだけど。


どちらも経済が弱くなって、保守的な政権が規制緩和を押し進めると同時に社会保障が小さくなって、貧富の差が拡大、排外主義も台頭。
どちらも小選挙区制だし、ロイヤルファミリーがいるし、首都でオリンピックやるし。


保守党=自民党
労働党民主党(ただし、トニー・ブレアなし)
UKIP(イギリス独立党)=大阪維新、次世代の党
CHAV=マイルドヤンキー


と、そのまま日本版で実写化が可能。


そうすると逆に、両者の違いも分かりやすくて、

・まだまだ階級社会
・二大政党制が確立している
・移民がたくさんいる

といった事実はよく知られているところ。

でも、1948年にNHS(国民保健サービス・医療サービスが無料で受けられる)を労働党政権において勝ち取ったという事実が、ワーキングクラスの一般庶民の意識にとても根強く残っているということは知りませんでした。


やっぱり、こういうある種の成功体験があると、国民が政治に対して大人になるのかもしれない、という点は強く感じました。

だって戦後の日本で、国民が政治的に勝ち取った権利って皆無ですよね?

自衛隊日米安保条約、消費税、集団的自衛権…どれもシブシブ受け入れた、みたいなものばかり。
国民皆保険制度は勝ち取った!という感じでもないし。


もしかしたら、民主党政権における子ども手当や高校無償化がそういうものになる可能性があったのかもしれないけど、残念ながら彼らはその意義を説明する能力に著しく欠けていた。

そりゃ政治に期待しない風土ができるのも当たり前、なのかもしれない。




それと、やっぱりイギリスは階級社会で移民社会だから、政治も国民の意識も「俺たちは一緒じゃない」というところが出発点になっている気がする。


よってバラバラなものをなんとか一つにまとめていくのが、政治の役割だし、国民もそれぞれが自分の立場を主張しないとしょうがないから、大きな声で政治的意見を語ってもさほど変な目で見られない。


一方日本は、「基本的にはみんなひとつ」という(権力者にとって都合のいい)幻想からスタートするから、和を乱すヤツを排除するというベクトルになってしまう。

だから個人主義が根付かないというか、自分の意見を言うとメンドくさいヤツと思われるムラ社会になんでは、と。



別にイギリスの方がすべて良し、と言うわけではないんですが、「もともとみんながバラバラな個人だっていう事実」は日本ではもっと尊重されてもいいんじゃないかと思いますよ。
 

なんてことを考えていたところ、最後にガツンときたのが、ゲイであることを初めて(そして今のところ唯一)カミングアウトした黒人フットボーラー・ジャスティン・ファシャヌの短い生涯を紹介した章。


個人主義が根づいているイギリスにおいても、性的マイノリティが生きることの過酷さ、当たり前のことを当たり前の権利として確立することの困難さに、慄然とさせられる思いがした。


ブレイディさんは差別する側の内在論理も踏まえつつ、マイノリティの権利が認められる過程をケモノミチと称していたけれども、険しい山を「勇敢でバカな」一人ひとりが、一歩一歩踏みしめてつくった山道を、我々は今も歩かせてもらっているんだなと改めて認識しました。



そしてそんな歴史の闇に消えてしまったジャスティン・ファシャヌの名前を冠したフットボールクラブのスポンサーをしているノーマン・クック(ファットボーイスリム)のフトコロの暖かさ、じゃなくて、懐の広さにもデッカいリスペクトを払いたい、と思った次第。




というわけで、ほとんど有名人ゴシップ記事のノリでカジュアルに読めちゃうのに、大変勉強になる本でした。


文章がうますぎて、この人はホントにただの保育士さんなんだろうか?という疑問は残りましたけどね。