おっさんの思い出バナシで恐縮ですが、2000年のフジロック、白昼のホワイトステージでブルーハーブのライブを観ることができたのはリスナー人生における僥倖の一つ。
初めて観る無名のラッパーが、ストイックなトラックに乗せた言葉だけで、気のない見物人を熱狂的なオーディエンスに変えていく、黒魔術の一部始終。
俺は空になったペットボトルをクシャクシャに握り締めながら、ヒップホップの恐ろしさを噛み締めていたのだよ。
さて、それからちょうど15年。
’’FRONTもBLASTもREMIXも無くなった/あの頃HIPHOPを語ってた奴等今はどうしてるかな?/いろいろあったな 世話にもなった 表紙も買ってやった/ゴールドラッシュは終わったぜ’’ ( "HELL-O MY NAME IS")
と、一曲目からラップしちゃうほどカラッカラの荒れ地の中で、初のソロアルバム"IN THE NAME OF HIPHOP"をリリースしたかつての無名のラッパー・THA BOSS。
(しかし、「表紙を買った」なんて、さりげなく爆弾落としてますね…)
ブルーハーブで聴かせる言葉の宇宙遊泳ではなく、リアルな一人のラッパーとしてのキャリアを総括するようなリリックが多いので、こちらもついつい我が身を振り返るモードになってしまう。
ゆえにBOSSの重いパンチのような言葉を浴びるうちについ背筋をピンピンに伸ばして聴きつつも、まぁこちらも年下とは言えもういいオトナなんで、歌詞に対して「先輩、それはちょっと違うんじゃないすか?」とか「プライベートのことはほっといてくださいよ」くらいのことは心の中で思う瞬間もちょいちょいあったりしましたけどね…。
そして、そのどれをもキッチリ乗りこなす、BOSSのリズム感と声量、存在感。特に他のラッパーをフィーチャーした曲でレベルの違いを感じる。
まぁ、昨日まで田我流を「たがりゅう」だと思っていたようなヒップホップ知らずの俺が言っても説得力がないのは承知してますが。
でも、2曲目の"I PAY BACK"のゴリゴリっとしたグルーヴにBOSSの言葉が乗った時は、ちょっとトリハダが立つカッコよさだったし、逆にちょっとベタにセンチメンタルすぎるんじゃないかという何曲かのトラックの印象が、ラップを乗せた瞬間にビシッと一変したりするのを聴くと、先輩さすがっス、とこうべを垂れるほかない。
そしてもうこの人は、チマチマした技術論とか音楽性とかは関係ないレベルにいるんじゃないかと思ったりするのは俺だけではないはず。
でも、ご本人的には"In the name of hiphop"というアルバムタイトル通り、「俺はただ偉大なヒップホップという枠組みの中で、1日1センチずつスキルを積み重ねてきただけなんだぜ」という、地に足をつけた姿勢は崩しておらず。
これこそがヒップホップビジネスで生き残っていくための知恵でもあり、ツヨシナガブチとの違いであり、カリスマとか教祖とか絶対に疑ってかかる俺みたいなひねくれ者でもギリギリ共感できる表現になっている源泉なんだろうと思った次第。
大人の男はクレバーに、自分の生きる場所を確保しなければならない、ということですね先輩。