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サニーデイ・サービスの衝撃作「Popcorn ballads」のあれから

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サニーデイ・サービスの衝撃作「Popcorn ballads」が突然リリースされてから二ヶ月が経つが、依然として私のプレイリストの最上位に鎮座し続けている。


当初は、(リリース当日に全曲レビューを書いてしまうほど)それぞれの楽曲の、あるいはリリース方法の斬新さに心を奪われてしまい、アルバムを通じてのストーリーまでは考えることができなかった。


しかし何度も聴き直しているうちに、ふとこれは壮大なコンセプトアルバムなのでは…と気づく瞬間があった。

 

その時も興奮を世に問うべく、一気にツイートしてみたわけだけれども、当然何事もなかったようにタイムラインのはるか彼方へと追いやられてしまったので、改めてここに記しておきたい。

 

 


私が閃いた仮説。

それはこの全22曲に及ぶ大作はちょうど真ん中のM11「Heart & soul」を境にして、「戦中と戦後」というテーマになっているのではないかというもの。


その筋に沿って、この22曲85分の冒険譚をもう一度読み進めていきたい。

 

冒頭を飾る二曲は、戦争というテーマと比較的明確に結びついている。
M1「青い戦車」は文字通り戦場の歌であり、『湾岸走る戦車』という歌詞からは、近未来のレインボーブリッジをひた走る戦車の姿が浮かんだ。


続くM2「街角のファンク」におけるC.O.S.AとKID FRESINOの荒々しいラップは、死と隣り合わせにいる兵士たちの夜だ。


M3「泡アワー」は一聴すると軽快なダンスナンバーのようである。
ただ、このやけに切迫感のあるサンプリングビートに乗せて繰り返される『僕らはみんな水槽の金魚 色とりどりの泡を見ている』『急げ急げこの夜の警告』という歌詞の世界を少しだけ悲劇的な方向に傾けてみると、空爆される街の姿、飛び散るネオンサインが浮かび上がってくる。

 

その流れでM5「東京市憂歌」 を聴けば、これは爆撃された後の、かつて東京都と呼ばれた土地に残った者(それは人間ではなくAIかもしれない)が歌うブルーズと解釈するのが自然だろう。
トライバルなビートに乗せて、ロボットボイスで繰り返し歌われる「Dance forever  我が身果てるまで踊ってれば  live forever 」というフレーズの言いようのない不気味さ。
最初に聴いた時にも坂本慎太郎「ナマで踊ろう」を思い出したのだが、あれこそまさに人類滅亡後のダンスミュージックとも言うべき問題作だった。

 

そこから一転、こぼれ落ちそうなほどリリカルなM6「きみは今日、空港で」は、大切な人との別離の歌。空港を舞台にした戦争に翻弄される人々の喧騒と静かな悲しみの交錯。戻ってこない平穏な日々。

 

そして最高にシュールで、曽我部の愛犬が死ぬほど可愛いMVも記憶に新しいM8「Tシャツ」のオーセンティックなロックンロール。アルバムタイトルの「ポップコーン」と並ぶ戦争大国アメリカの暗喩だろうか。

 

続くM9「クリスマス」は間違いなくこのアルバムの核を担うファンクナンバーであるが、その歌詞に少し注意を払って聴いてみれば、本名もわからない、クリスマスと言うあだ名で呼ばれるストリートチルドレンの姿が浮かんでくる。あまりにも切ないダンスミュージック。

 

そして同じくブレイクビーツに乗せて歌われるM10「金星」への祈りが通じたのか、マイナーで始まるインストナンバー「Heart & soul」は、穏やか朝が訪れるように転調する。

 

この瞬間、戦争は終わった。
少なくとも私の世界では。

 

さて、ここからは戦後編。

まずその冒頭を飾るM12「流れ星」。
そのタイトルを見れば、M10「金星」と同じ天体をモチーフにした曲がM11「Heart & soul」を挟んで対に並んでいることに気づく。
これは単なる偶然ではなく、曽我部恵一がそのストーリーを浮き上がらせるために入れ込んだ仕掛けではないだろうか。

続くM13「すべての若き動物たち」。
最初に聴いた時は曽我部恵一の、年輪とは無縁の若々しい音におののいたが、『スピードはそんなもんか』『今世界はゆりかごの中』といった歌詞からは、混沌を生き抜かんとする若者のギラギラとした生命力を感じる。これはM2「街角のファンク」の物語と対の構造なのかもしれない。


そこからは一転、M14「Summer baby」M15「恋人の歌」M16「ハニー」と「恋人」を意味するタイトルが三曲続く。
そして「恋人の歌」と「ハニー」はそれぞれ、帰ってきた恋人、まだ会うことができていない恋人を思う歌として、またしても対になっているように聴こえる。


続くM17「くじら」は一転して不穏なムードを漂わせる。不気味な残響音から想像されるのは海原に生きるクジラのことではなく、深海に潜む潜水艦。人類の歴史を振り返れば、戦後とは常に新たな戦前とも言えるわけだから。いつだって私たちは暴力の気配から逃れることができない。

 

そしてM18「虹の外」のどことなくオリエンタルで退廃的なムードを漂わせるディスコサウンドから私が想像したのは、ブライアン・フェリーのヒット曲「Tokyo Joe」。進駐軍の兵士が集まるナイトクラブのイメージだ。


続くアルバムタイトルトラックのM19「ポップコーン・バラッド」。
M8「Tシャツ」と同じロックンロールなギターが、どこか古き良きアメリカの大らかさを想起させる。またしても対の構造だ。

 

そしてサニーデイ史上屈指の美しさをたたえるM20「透明でも透明じゃなくても」。
『Hello good bye メリークリスマスの亡霊』という歌い出し。ここで再び現れる「クリスマス」という言葉にドキッとさせられる。これはM9「クリスマス」のことだろうか。
しかしこの静かな達観をも感じさせる美しいメロディ。ひょっとすると、かつてクリスマスと呼ばれた少女はこの歌の主人公なのかもしれない。


さあいよいよラスト。

M21「サマーレイン」、M22「Popcorn run out groove」の享楽的で混沌としたサウンド。
まるで戦争を知らない子供たちが、豊かさと退屈を持て余しているかのようなルード感。
『そろそろ生まれ変わりたいような気分さ』というリフレインは、やがてまた訪れることになる破綻の暗示か。まるでポップコーンほどの軽さで突っ走る、どこかの国の政治家の姿も重ねたくなる。

この謎に満ちたアルバムを締めくくりにふさわしい、ミステリアスな余韻。

 


以上が、「Popcorn ballads」に妄想まじりのストーリーを押しつけて聴いてみた話。

 

正しいか間違ってるかはわからないし、もっと別のストーリーがあるのかもしれない(そもそも歌詞カードも見たことがないのだ)。


でも、私という凡庸な聴き手のイマジネーションをここまで巨大に膨らませてしまう、美しすぎる断片の集合体がつくり出す完璧な謎。全編に漂う暴力の気配とクールなリズム。

 

26年前の夏にリリースされた「ヘッド博士の世界塔」、あるいは53年前に出版されたトマス・ピンチョンの「V」と並べて語りたくなってしまったのも、無理からぬことではないたろうか。

 

そう言えば 曽我部恵一が井の頭レンジャーズと出した7インチもフリッパーズギターのカバーでしたね…。