ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

空白を埋める③(佐野元春『今、何処』の話)

私にとって佐野元春というミュージシャンは、接してきた時間は決して長くはないのだけれども、「いつ・どこで・どんな作用をもたらしてくれたか」ということを明確に説明できる、とても重要なアーティストである。


一番最初は今から22年前。デビュー20周年記念のベスト盤を聴いた時。ロックンロール,ヒップホップ、スカ…。バラエティに富んだジャンルを横断しながらも、そのどれもが本物のルーツ、ダンスフロアを感じさせる音が鳴っているように聴こえたのだ。もちろん今思えば日本におけるヒップポップのオリジネーターに対して失礼すぎる感想なんだけど、ともかくその瞬間から、佐野元春はテレビの向こう側の大御所ミュージシャンではなくなった。DJをやる時はいつも「インディビジュアリスト」をかけたし、大人の壁に打ちのめされた時は「スウィート16」や「彼女」に救われた。


二度目の邂逅は2007年。コヨーテバンドのファーストアルバム「coyote」を聴いた時。テレビの音楽番組で、ベースに高桑圭、コーラスに片寄明人を従えて演奏した「君が気貴い孤独なら」を聴いて、こんな洒脱で心に寄り添ってくれる音楽があるなんて!という衝撃を受けた。これ以来、新作をチェックするようになっている。


しかし一番強烈な影響を受けたのは、2009年にに始まったETVの「ソングライターズ」かもしれない。毎回必ず録画して観ていたし、ゲストのキャリアや年齢を問わず真摯に話を聴くジェントルな姿勢、自らのポリシーやメソッドを惜しみなく共有する勇気は、音楽に触れる上での指針になったし、理想の大人の姿を見たように思う。


なので、webマガジン「otonano」に佐野元春の名盤『Someday』のレビューを書かせてもらったことは、場違いであることは承知だが、この上なく光栄なことだった…という話は少し前のブログにも書いた。

 

『Someday』の記事が公開されてしばらく経ったある日、編集の方から「佐野さんの事務所から連絡先を聞かれてるけど教えてもいいか」という連絡をもらった。何か失礼なことでもあったのかしら…とドキドキしていたが、数週間後マネージャーの方から「新作の評論を書いてほしい」というメールが来た時は本当に心臓が止まるかと思った。しかも参考として送られてきた前作『MANIJU』のサイトを見ると、片寄明人をはじめ重鎮の音楽家、評論家の名前がズラッと並んでいる。

www.moto.co.jp

この中に私の記事が載るの?いやあり得ないでしょう。謙遜とかではなく、本当にそれはありえないと言うか、あってはならないことである。すぐに断わらねばと思ったのだが、バカで向こう見ずなもう一人の自分が「今までさんざん、ありえないくらいの恥を重ねてきたお前に、辞退する資格なんてあると思ってんの?」と語りかけてきた。確かにその通り。えいっという気持ちで「ぜひ書かせてください」と返信した。

 

しかし、聴いた人なら分かってもらえると思うのだけれども、『今、何処』というアルバムは本当にスケールが大きく、多様性に富む作品なので、どこに光を当てればいいのか、悩みに悩んだ。しかも他にもたくさんの超一流の書き手がいる中で、私が綴る意味のある言葉を見つけなければならない。そんなプレッシャーに押しつぶされそうになりながらも、なんとか書き終えてマネージャーさんに送った。すると、そのすぐ後に届いたメールの差出人の名前は佐野元春本人。文面は私の胸のうちに宝物としてしまっておくけど、ジェントルで親しげで凛とした文体は間違いなくご本人のもの。もう完全にあの口調で脳内再生された。うわ本当に本人が読んでいるのか!という衝撃をうけつつ、頂いたアドバイスを参考に、恥ずかしいくらいに力の入りまくった初稿をほぼ全面的に練り直した。完成するまでめちゃくちゃしんどかったけど、頭のどこかで、これは死ぬまで記憶に残る数日間だろうな…とも思っていた。


そんな経緯をもって、私の拙文は、稀代の名作『今、何処』のボックスセットのブックレットになんとか掲載してもらうことができた。もちろん実物も発売日に入手して、自分の名前があることは確認したけれども、実は他の人の文章は読んでいない。絶対に落ち込むことがわかっているから(決心できたら読みます)。そしてドリーミー刑事という屋号は今まで関わってくれた方に育ててもらったという思いがあるので、クレジットが本名になったのはちょっと心残りだけど、私の墓石には『佐野元春に二回も「ドリーミー刑事じゃダメですか?」と聞いてみた男』と刻んでほしいし、かつて片寄明人がツイートしていた佐野元春伝説を実感したような感じもあってちょっと嬉しい。

 

それにしても、私の人生でもうこれ以上のサプライズはもう起きないと思うので、音楽ライターの真似事はこれでもうやめようかしら…と思ったけど、その後は特に誰からも原稿を依頼されていないのでそもそも引退宣言もできない。なんにせよこれからも野暮な野望を抱くことなく、生涯一刑事の気持ちで捜査活動を続けていきたい。