
iPhoneに繋がったイヤホンを通ってまず耳に飛び込んできたのは、美しいブラジル音楽を思わせるギターと、男女のハーモニー。
なるほど、こういう高級で繊細なポップスなのね、と思いかけたその刹那、舞台は突如として暗転。
鳴り出したのは、機械的とも言うべきダンスビート風のドラムとベース。
その上を駆け抜ける、凛とした緊張感を漂わせるジャズピアノ。
まさに風に乗った帆掛け船のようなスピードで、音楽が走り出す。
行き先は分からない。
そしてその船の甲板の上に、冒頭のコーラスを歌っていた男女が再び登場。
ゴージャスかつエレガントな和声をもって、高らかにこう宣誓する。
「熟れたトマトの実を盗んで齧るおれに、さらばと言おう」
「かもめ、マラカスの音をくれ。踊れるような」
「Come on baby, we gotta sail away」
ここまでたった4分39秒。
なんと目まぐるしく濃厚な音楽体験。
この一曲で、guiroの音楽の裏側に広がる深い世界の存在を信じるには十分だった。
しかし、その後何度もこの作品を繰り返し聴いているわけだけれども、その広い世界を形容すべき適切な言葉が、未だに見つからない。
聴けば聴くほど、次々と新たな大陸が発見されてしまうから。
ただ、
蕩けるような聴覚的快感と、禁欲的で警句のような歌詞。
暖かみのあるアコースティックな音色と、予断を許さないスリリングな演奏。
か細く無垢な少年のような声に潜む、強い意思。
こうした相反する多くの要素が、日本語によるポップソングとして完璧に調和していることが、彼らの音楽の最大の魅力なのではないか、という気がしている。
その象徴の一つだと思うのが、9曲目"エチカ"のサビ。
「穢れ呼ぶ蜂蜜を、もいだ林檎に垂らさないでくれ
未来を無にする空気に触れたのさ ベイビー
祈りの傍で」
これだけ鋭い言葉が、自由で優雅なメロディに矛盾なく乗せられた歌がこの世にどれだけ存在するだろうか。
聴くたびに、つい息を飲んでしまう8小節。
それにしても、このアルバムが出たのは2007年。
当時のオレは何をしていたのか。
なぜ今の今まで、彼らの音楽を知らなかったのか。
答えは簡単で、音楽をちゃんと聴く耳と心を持っていなかった、ということである。
だって、彼らが参加した2004年のフィッシュマンズのトリビュート盤はしっかりウチのCD棚に収まっていたし、そこでカバーされた"Magic love"を改めて聴いてみたら最高でしたから。
当時は何も気がつかなかった。
まったく粗野なアホウである。
おかげで来月のライブのチケット、完売しちゃってたじゃないか。
もっと真摯に音楽に耳を傾けろ、という戒めだと思うことにしてます。
※なお、文中に引用した歌詞の句読点はワタシが勝手に追加したものです。