2015年もあっという間に残りわずか。
自由&民主主義を大切にしている人間にとっては、まったくひどい一年だった(2014年と同じように)。
せめてものなぐさめは、夏から秋にかけてのストリートデモクラシーの盛り上がり。
どうせまたスルッとインチキな法案が通ると思っていたので、ああいう展開になったことは驚きだったというのが正直なところ。
それでも結局、法案は通ってしまったけど、あんまり民主主義のルールをないがしろにした政治をやってると政権が吹っ飛ぶぞ、という実効性のある牽制にはなったはず(2016年が今よりマシになる見込みはまったくないが)。
それにしても、この一連の動きに"ストリートデモクラシー"という名前を誰がいつ付けたのかは知らないんだけど、実に良い表現だと思う。
一人ひとりが路上へ出て、リアルな他者と共に民主主義を守ろうとする健全な身体性。
この両面を包含した、実感のあるフレーズになっている。
さらにあえてもう一つ付け加えると、ここで使われる"ストリート"という単語には、"道路"ではなく"路上"と訳したくなるような、ロック、ヒップホップといったサブカルチャーの匂いを帯びていたことも、個人的には重要なポイント。
そんなことは政治的正しさとは関係ないと思われるかもしれない。
でも、正しいことはできれば好みの方法でやりたい。
そして、「自由な社会があってこその自由な表現」という当たり前の事実には、ロックやヒップホップのように、良い意味で場末の、吹けば飛ぶようなアートフォームを愛する人間が一番敏感であるべき、と思っている。
なので少なくともワタシにとっては大いに関係のあるハナシなのです。
その動きの中でECDが、新大久保で、国会前で、新横浜駅で、dommuneのスタジオで、数多くの現場でカラダを張って、先頭に立っていたことを知っている者としては、彼の音楽をしっかりと聴く前から巨大なリスペクトを抱いていた。
しかし、彼の行動が立派だからと言って、その作品に共感できるかどうかと言うのはまったく別の話。
実際、90年代にはさんぴんではなくLBネイション派だったワタシ。
アーティストとしてのECDを初めてリアルに感じたのは音楽ではなく小説"失点インザパーク"だった。
なので、今回のCDを手に入れた動機の半分は、彼の社会運動に対するリスペクトと連帯の気持ちだったことは間違いない。
しかし、C.R.A.C商店から届いたこのアルバムを一聴した瞬間に押し寄せた、異形の臨場感と言ったら!
変に自分を疑っていたことを土下座して謝りたくなる圧倒的な熱量、瑞々しい独創性。
2015年11月に最もふさわしい音楽はこれだ!と叫びたくなる。
この歳になって、音楽にこういう打ちのめされ方をすることになるとは思わなかったよ。
まだまだ書きたいことがあるので、続きは次回に…。