ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

真夏の夜の夢 GUIROとSweet Sunshineのライブを観た話。

とても悲しいことがあって、とてもライブを観る気にはなれなかった7月のある夜。

しかし、そうは言っても、なんと言ってもGUIROなのである。一年以上も待ち焦がれたライブなのである。

厳正なる抽選を乗り越えて得た貴重な機会を無駄にするという選択肢はなく、暑さにまかせ私は街へ出た。

 


彼らのライブを観るのはこれで三度目。

一度目は二年前のハポンワンマン。そして二度目は昨年の名古屋クアトロでのceroとのツーマン。

いずれも音楽を聴くと言うよりは、彼らのつくった船で、知らない海を旅するような、特別な体験だったことを覚えている。

 


この日のGUIROは、ボーカル高倉一修、ドラム松石ゲル、ベース厚海義朗、ギター牧野容也に加えてピアノ西尾賢、シンセサイザー亀田暁彦のすべて男性の6人編成。個人的に初めて観る亀田氏はGUIROのオリジナルメンバーとのことだけれども、ARPiPhoneiPadというオリジナリティあふれる機材セットからしてすでに濃厚なGUIRO感がにじみ出ている。

 

 

 

一曲目は『あれかしの歌』。

流麗な倍音をたっぷりと湛えた牧野館長のギターに、少年のような若々しさの中に深すぎる色気を潜ませた高倉氏のボーカルが重なった瞬間に鳥肌が立つ。決して抗うことのできないこの美しさよ。GUIROが始まった…という感慨に襲われる。

 


原曲通りに一番を演奏後、パッと暗転するようなブレイクの後に流れ出すのは、軽やかなサンバのリズム。

なんとそのままジョビン/ジルベルトによるスタンダードナンバー『三月の水』のカバーへ。

そのアイデアはもちろんのこと、ついばむようにポルトガル語の歌詞を歌い、軽やかにステップまで踏む高倉氏のチャーミングぶり、自由なふるまいに驚かされる。

 


そう、この日のGUIROはこれまで観た二回の神々しいほどの緊張感とは異なり、終始とても温かみのある、リラックスした雰囲気をまとっていた。これはハポンという会場の効果か、はたまたSweet Sunshineの前座(高倉氏曰く)という気楽さからくるものか。

 


三曲目の『祝福の歌』は(おそらく)未音源化のベース厚海氏によるボサノバ風ナンバー。どことなく初期ピチカートファイブを彷彿とさせる美しいメロディが印象的だった。

そのアウトロからまたしてもメドレーで突入したのは『山猫』。スタジオ録音の音源からしてポップミュージックの域を超えたスリリングなセッションが印象的な曲だけれども、ライブで体感するそれはもう通常の音楽体験を超えたクライマックス感がある。

この日もピアノの西尾賢と松石ゲルのドラムを中心に、闇夜の中で獣たちが咆哮をあげるような演奏と、その混沌において見事な剣さばきを見せる王子様のような高倉一修のボーカルが相見える様が声も出ないほどのスリリングだった。

 


嵐の後の静けさ、印象派の絵画のような美しさが漂う『いそしぎ』を経て演奏されたのは『エチカ』。

GUIROの中でもっともポピュラリティーのあるメロディとリズムを持つ楽曲だと思うのだけれども、この日はそこに亀田氏が絶妙に差し込んでくるシンセの音によって、この曲の持つファンクネスと同時代性を際立たせていた。GUIROが進化し続ける有機体であることの象徴のように思えた。

 


そして際立つファンクネスと言えば、『ハッシャバイ』を挟んで演奏された『アバウ』も出色だった。

硬質なグルーヴ、熱いボーカル、そしてデュークエイセスのよう男性コーラスは 、私の中にある男性的というかロックンロール的肉体性を刺激してくるものだった。

つまり平たく言うとメチャぶち上がったぜ!ってことなんですけど、GUIROのライブでこんな気持ちになるとは思わなかったよ。

 


ここでGUIROの出番は終了…のはずでしたが、こんな熱演を見せられた私たちが彼らをそのまま帰すはずもない。

アンコールを求める拍手に応えて披露されたのは『東天紅』。

濃厚な旅から戻ってきた私たちを包みこむような、優しく気品のあるピアノ。そしてまっすぐで安心感のある高倉氏の歌声に、私の心深くに沈む悲しみにも、やわらかい光があたるような気持ちがした。

 


まるで夏の夜の夢のようなGUIROのライブはこれにて終了。ああ次に観れるのはいつかしら…といつもなら思うところなんですが、今回はもう決まっているのですよ。

しかもなんと来月、おらが住む街・岡崎で。コイツは熱い夏になりそうだ…。

 

 

 

あ、あとMCで高倉氏が厚海義朗氏がサポートすることになった東郷清丸について「すごくかっこいい、ライブ必見じゃないですか?」とおっしゃっていたことも付記しておきます。

 

 

 

GUIROに続いて登場したのは磯たか子率いるSweet Sunshine。

名古屋の音楽シーンというのは、よそから来た私のような者から見ると、流行や既成のジャンルにもとらわれない個性的なミュージシャンが多い一方で、個性的すぎてなかなかとっつきにくいアーティストも多いという印象がある。

しかし初めて観るSweet Sunshineはそうした閉鎖感とは一切無縁の、とても開かれた、メロディやリズムをオーディエンスと共有する喜びにあふれたバンドだった。

 


彼らの音楽性を一言で表すならば、シュガーベイブ直系のシティポップということになるのかもしれないけど、単なるカテゴライズで片付けてしまうわけにはいかないリアリティ、血の通った真心のようなものを一曲ずつから感じた。

そして驚くべきは磯たか子の包容力ある歌を時にがっちりと支え、時に洒脱に彩っていく鉄壁の演奏。ビビりました。

 

 

 

 

 

 

-お知らせ-

 来たる7/28(土)18:00~いつものカゼノイチでDJパーティーKENNEDY!!!を開催します。いつもはチャージフリーでやってるこのパーティーですが、今回は全額を西日本豪雨災害の被災者支援に寄付するため1000円(1ドリンク付き)を頂きます。皆様の最高の夏をより完璧にしちゃう私が選曲したミックスCDもお付けしますので、ぜひ遊びに来てください!

 

 

 

 

禁断の果実か、王道の名作か。広瀬愛菜『午後の時間割り』

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二人の強い姉に囲まれて育ったトラウマのせいか、生まれてから一度も女性アイドルを好きになったことがない。写真集もレコードもライブ経験もゼロ。

 
「〇〇ちゃんが好き」と会ったこともない人に、好意や幻想を抱く動機がどうにもよくわからないのである。


もちろん女性アーティストのレコードは何枚も持っているし、好きな女優さんもいないわけではないけれども、それはその人がつくる音楽なり演技が好きなわけであって、その人の存在そのものが好き、という感覚とはやはり違う気がする。

 
とは言え、近年ではアイドルに楽曲提供をすることが、優れたミュージシャンの証しとも言える状況なわけで、ポップミュージックを理解する上では重要不可欠なものであることはわかっているし聴いてもみるのだけれども、「どっちかって言うと(歌のうまい)アーティスト本人に歌ってほしいなぁ」と思うことがほとんどで、音源の購入に至ったことはなかった。

 
そんな私なのでこの広瀬愛菜のデビュー作『午後の時間割り』を耳にした動機はプロデュースを担当した関美彦の仕事をチェックしておかなければという気持ちからだけであり(CDではなくストリーミングだったし)、きっと聴いた後には「これもいいけど、やっぱり関さんの新譜が聴きたいのう、嗚呼…」という気持ちに駆られることになると思い込んでいた。

 

しかし一曲目の『ペーパームーン』の冒頭から、丁寧に扉をノックするようなベース、素朴でいて果てしない気品を感じさせるドラム、ギター、ピアノが耳に入った瞬間、これはもしかして普通の音楽ではないのでは…という予感が脳裏をよぎる。楽曲と演奏のクオリティ、そしてそこにあくまでも自然に入り込んでくるボーカル。この組み合わせが魔法がかっているように思えたのだ。

 
二曲目は曽我部恵一ソロ初期の代表曲『おとなになんかならないで』。タイトルの通り、曽我部恵一が生まれたばかりの愛娘を思って書いたメロウナンバーである。曽我部マニアの私としては必聴である。

ただそれをまだ15歳の子どもである広瀬愛菜に歌わせるという構図にはなんとなくノボコフ的な倒錯の気配を感じ、二人の娘の父親としては最大級のガードを固めて聴かざるを得ないのも事実。

しかし、メルティーなカスタードクリームのように甘く柔らかいエレピに乗る広瀬愛菜の歌は、「歌わされる」というぎこちなさとは一切無縁で、全てを知っているような、なにも知らないような、おそらくは人生でこの瞬間にしか出せない歌声で新たな命をこの名曲に吹き込んでいた。

ゲンズブールバーキン型(あるいは秋元・AKB型)の先入観に凝り固まっていた自分の不明を恥じたわけだけど、もちろんこれが相当際どいボールであることは間違いない。「愛と性と死の濃厚な香り」という関美彦作品最大の魅力もまた、この海の底深くに埋められていますからね…。

 

そしてこの曲に関するトピックとして見逃せないのが、スカート澤部渡の口笛での参加。続く『いきすぎた友達』が柴田聡子の絶妙なカバーであることも含め、この作品がテン年代のインディーシーンに深くコミットした、つまりいま聴かれるべき同時代性を持った作品であることがよくわかる。

 

90年代サバイバー関美彦と曽我部恵一、10年代の代表選手であるスカートと柴田聡子、そして20年代に成人になる広瀬愛菜スクランブル交差点ですれ違った直後に訪れるクライマックスが、83年の原田知世の大ヒット作『時をかける少女』(作詞作曲・松任谷由実)なのだから、関美彦がこのミニアルバムで成し遂げようとしたものと広瀬愛菜というシンガーの才能の大きさがわかるというもの。圧巻である。

 

というわけで、当初の予想は大きくはずれ、私が生まれて初めて買ったアイドルのCDは広瀬愛菜ということになりました。

もちろん最終曲の『さようなら、こんにちは』の黄金メロディーを聴けば、やっぱり関美彦の新譜も聴きたいぜという気持ちは予想どおりめちゃめちゃ高まってますけどね。

 

民謡クルセイダーズを観てきたよ。ヤァ!ヤァ!ヤァ!

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先日、仕事で東京の西の端まで行く機会があった。

東京駅から中央線に揺られて立川で乗り換えると、車窓からの景色はさっきまで視界を覆っていた摩天楼のことなんてすっかり忘れてしまったようにように、ぐんぐんと緑の割合を増していく。

果たして俺はちゃんと目的地まで着くことができるだろうか…と心細さを感じながら路線図に目をやると、この電車の向かう先には牛浜福生があることに気づいた。そう、VIDEOTAPEMUSIC 『ON THE AIR』の舞台と言ってもいい土地である。

そうかーここかーと、ひとり密かに盛り上がっていると、すでに電車は降りるべき駅を通り過ぎており、慌てて降りた名も知らぬ駅からタクシーで取引先に向かうはめになり、後で上司にこっぴどく叱られた。

 


それから数日経ち、その福生からやってきた民謡クルセイダーズのライブを観ることができた。その音楽をとても大雑把に説明すると、その名の通り日本の民謡とラテン、カリブ、レゲエといった異国のダンスミュージックをガツンとマッシュアップしたようなバンドである。

 


私は非常に音楽の趣味がコンサバティブかつリズム感に欠けた人間なので、西洋音階から外れたメロディや二拍四拍にアクセントが来ないリズムには上手く対応することができない。おまけに小さい頃から盆踊りなんてまっぴらこめんと思うような恥ずかしがり屋さんだ。

よって彼らの音楽性は私の嗜好からは最も遠いもののはずなのに、去年の終わりに初めて耳にした時から、心と身体のかなり深い部分からごっそり持ち上げられる感覚があった。この謎めいた音楽を鳴らすバンドの正体は絶対にライブで確認せねば…と心に決めていたのだ。

 

いよいよその念願かなってKDハポンで対面した民クル。満員のフロアでなんとか数えたメンバーは総勢10名(たぶん)。みんないい感じにバラバラな佇まいである。そしてお揃いのデニムっぽい生地のハッピには、いなたい盆踊り感と洒脱な洋物感が絶妙に同居しており、民クルの魅力が凝縮されているように思った。

 
一曲目は『ホーハイ節』(たぶん)。青森県の民謡とアフロビートを合体させてしまった楽曲である。

チープでドープなツボを刺激するアナログシンセと呪術的なお囃子、そしてフレディ岡本の惚れ惚れするほど朗々とした歌声とディアンジエロもかくやと言うほど揺れまくるビートが一体となって押し寄せ、一切の地理感覚、時代感覚を奪い去っていく。

どこの村のものでもない、ただただ巨大で純然たる祝祭の高揚感。

 


90年代のいわゆるワールドミュージックブームの空虚さをなんとなく覚えている者として、私は社会や共同体への反発や軋轢を表現する西洋の現代音楽と、逆に共同体への帰属と愛着を再確認する民謡の土着的なリズムが、一つの音楽の中に心地よく共存することは不可能だと思い込んでいた。

しかし民クルは、その高いハードルを易々と飛び越えて、唯一無比のダンスミュージックを作り出していた。
なぜ彼らだけがそんなことができるのか。

その理由はおそらく、西洋と東洋、南半球と北半球、どちらの音楽も等しく愛して、等しく咀嚼して、完全に血肉化してるからなんだろう。

 

しかしこれは生半可なセンス、技術では到底できないことである。この「等しさ」のバランスが崩れた瞬間に、無残な結果になることは明らかだからだ。

 

おぉなんて恐ろしいミュージシャンなんだ、とガクブルしながらリーダーの田中克海氏に目をやると、殺気や才気といった単語とは一切無縁のとにかく気のいい兄ちゃん的な雰囲気だけを漂わせており、つくづく不思議な人たちだと思った。

 


そして不思議なと言えばもう一つ。

こうした卓越したアイデア、咀嚼力と表現力を持ったミュージシャンが、かの大瀧詠一がナイアガラレーベルの本拠地を構えた福生という土地から出てきたというのは、果たして単なる偶然なのだろうか。いやきっと違う。私に電車の乗り換えをしくじらせたものと同じ魔力が、きっとあの土地にはあるのだ。

 

 

国会前の落とし前。サニーデイ ・サービス『FUCK YOU音頭』について。

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最近のサニーデイがやることなすことに興奮してしまうのは決して私が盲目的信者だからとかパブロフの犬だからというわけではなくて、ただただサニーデイのやることなすことがかっこいいという結果なのであって、当然のことながら、ごくまれにではあるけれども「あれ?」と思うこともある。

 
そんなひっかかりを感じたのは北沢夏音氏との共著作『青春狂走曲』の中に収められた『DANCE TO YOU』の制作にまつわるインタビュー。

曽我部恵一小田島等と見に行ったSEALDsのデモを「もっとゲバった方がいい」「機動隊が出てきて大きな展開になればいいと思った」「世の中を変えるためには血を流さないとダメ」を評しているくだりを読んだ時である。

 

私を含めたふがいない大人になりかわり、民主主義を守るために立ち上がった若者に向かって血を流せなんて、なんかちょっと無責任な物言いなんじゃないかなぁとモヤモヤするところがあったのだ。(そしてその経験をもとに生まれたのが『血を流そう』という名曲だったことでまた複雑な気持ちになったりもしたのだけれども)。

 
ちなみにそのデモに曽我部氏と共に居合わせていた小田島等氏も、16年のツアーのお土産として制作された『別冊DANCE TO YOU』の中で、『血を流そう』を題材に、若者のデモを少し斜めから見たような漫画を描いているので、おそらくは曽我部氏と同じ感覚だったのであろう。

 
しかしいずれにせよそのモヤモヤは私自身の政治的潔癖性からくる些細な違和感にすぎず、なによりもその後に発表された『POPCORN BALLADS』と『the CITY』という二つの傑作において、抽象表現にまで昇華させた鋭い社会観と政治性を叩きつけられたことで、私の中ではもうすっかり決着がついてしまっていた。

 
そんな中、3月に発表されたばかりの『the CITY』のリミックスアルバム『the SEA』の一曲目として、サニーデイ自らが再構築したという触れ込みで唐突に発表された、その名も『FUCK YOU音頭』。
都市に潜む深い絶望と祈りを、「Fuck you」というワンフレーズに託した『LOVE SONG2』。その荘厳なゴスペルのような楽曲を音頭に生まれ変えてしまった超問題作である。


ロックと音頭の融合と言われて真っ先に思い浮かぶのは、曽我部恵一も敬愛する大瀧詠一だけれども、大瀧御大に対するオマージュという言葉だけでは到底説明のつかない強烈なエレクトリック音頭ビート。

和モノとブレイクビーツの組み合わせ、そしてスピーカーから飛び出しそうなほどのエネルギーに満ちているという点において、私が思い出したのは故ECDの作品たち(エンジニアはECDの盟友・イリシットツボイだ)。

 
しかしすごいのはサウンド面に留まらない。この歌詞もまた強烈なのである。

  

 

FUCK YOU 音頭

曲・永田雨ノ城

詩・土一揆田吾作

 


ア~ ひらひら舞うのは八重桜

ア~ おサルの籠屋は池のなか

ア~ 森の友だちよんでくりゃ ア、ソウレ!

みんなみんな寄っといで

みんなみんな寄っといで

みんなみんな寄っといで

FUCK YOU FUCK YOU FUCK YOU FUCK YOU

ア~ ひらひら舞うのは銭の花

ア~ 音頭でシンゾーもバクバクだあ

ア~ 飼われて死ぬのが江戸の華 ア、どした!

みんなみんな寄っといで

みんなみんな寄っといで

みんなみんな寄っといで

FUCK YOU FUCK YOU FUCK YOU FUCK YOU

 

 

解説するのも野暮だけれども、読んでお分かり頂けるように、ユーモアにくるみつつも、思いっきり名指しの政治批判。

古今東西のロックにおいて、いわゆるポリティカルソングは数あれど、現在進行形の事案を題材に実名でグサッと刺してしまったものはそう多くないのではないか。

 

しかし衝撃はこれにとどまらない。

その数日後にyoutubeにアップされたMVの冒頭、盆踊り大会の司会者として登場する男性は監督をつとめた小田島等氏本人。

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町内会には欠かせない気のいい兄ちゃんになりきった小田島氏の姿や、踊るB級ゾンビたち(それらが誰を表しているかは言うまでもないだろう)、そして唐突すぎるセクシー女優・古川いおりの立てる中指にさんざん爆笑し、困惑した直後、はたと気がついた。

ファシズムの足音がすぐそこまで迫り、思想警察気どりの愛国者が跋扈するこの2018年において、サニーデイ・サービス小田島等というアーティストが実名顔出しで、真っ正面から権力批判することの重大さというものに。

 曽我部恵一のこのツイートも決して大げさなものではないと思うのである。

 

 

つまり勝手な思い込みを言わせてもらえれば、これこそが国会前のデモに対する彼らなりの落とし前のつけ方、血の流し方だったということだったのだろう。

そしてさらに肥大した妄想を告白してしまうと、『the CITY』においてオファーしながらも叶わなかった、デモクラシーのために路上で戦い続けてきたECDとのコラボレーションは、こんなふうに破天荒かつ豪快に、プライムミニスターに抗議叩きつけるような作品になるはずだったのかもしれない。そんなことまで考えてしまった。

 

というわけで今回もサニーデイの鮮やかで重いカウンターパンチによってマットに沈んだ私だが、まだ不満は残っている。

 
それはサニーデイに対してではなく、この『FUCK YOU音頭』をケンドリック・ラマーやチャイルディッシュ・ガンビーノと同じ視点で論じようとしない音楽メディアに対するものである。

一聴しただけではぶっ飛びすぎているこうした曲こそ、専門家が的確な批評を加えることによって、その先鋭性にふさわしい驚愕と敬意をもって世間に受け入れられることになるはずなのに、どうもそうした特別な熱を感じることができないのだ。今のところ。

私はここに(音楽界に限ったことではないけれども)、日本のジャーナリズムの幼さのようなものを感じてしまうのです。

 
しかし同時に、真に時代の先端を行く表現とは、こうして取り残された臆病なゾンビたちの姿を否応なくあぶり出してしまう残酷なものなのだろうとも思っているので、とりあえず俺は、この夏はこのビートで盆ダンスをキメて先祖の霊を迎えてやろうと思ってます。

 

 

 

子連れでロックする方法。森道市場2018に行ってきました(2日目)

さて森道、運命の2日目であります。
予報通り朝から雨。
落ち込む気持ちと筋肉痛をぐっとこらえて朝から宿で卓球などをしてから出発。

音楽に興味のない次女は2日目は留守番することで話がまとまっていたのだけれども、やっぱり一緒に行く宣言。
隣接するショッピングモールでカッパを買ってから入場(この異常なコンビニエンスぶりがありがたい)。


この日のトップバッター・片想いもずっと観たいと思いつつ、これまでチャンスがなく今回が初体験。

 

朝っぱらからあだち麗三郎の叩き出すファンキービートに腰が喜び、出番がない間は体育座りで待機するベルセバばりのスタイルのメンバーたちに心がほっこりと。
そして日芸演劇学科中退の片岡シン氏が持つ、オーディエンスの耳目とハートを掴んでいくなんとも言えない人間力のようなものが、雨でヒタヒタになりそうな気持ちを持ち上げてくれた。

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さぁ、準備運動は十分だ(©️東郷清丸)となったところでThe Wisely Brothersをサンドステージで。
実はワイズリーは初めて長女が自分の意思で観たいと言ったバンドなんですが、お前なんかより俺の方が観たかったし!

 

さて約1年ぶりに観たワイズリー。まるで学園祭バンドのようなフレッシュさはそのままに、ロックとしての鋭さが更に研ぎすまされたような印象を受けました。コードやボーカルの端々に見え隠れするささくれやユニークな歪みがカッコよかった。
ちなみに長女はメロディーと歌詞がハッキリとしていたファーストが好きと言っていますが、メジャーから抽象的な手触りの作品を出したところに彼女たち(とプロデューサー片寄明人)の強い意志と知性を感じるんだよね。

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さて、そんなゴタクを並べている間にもどんどん強まっていく雨足。
時刻が12時を過ぎたところで、次女が「寒いのでもう帰りたい」とおっしゃる。
せっかくレインウェア買ったのに…と思いつつも、泣く子と大雨には勝てません。

いったん自宅に戻り、次女を祖父母に預けてから、東郷清丸が出演する14時半までに会場まで戻ってくるという一か八かの勝負に出ることに。

雨だし車も混んでるし、無理かもしれない…と泣きながら往復約60キロを激走。
清丸氏の登場10分前に会場へ戻ってくることができた。
我ながら自分の執念深さに引きます。

 

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しかし、それだけの情念を注ぎ込んでもバッチリ応えてくれるのが東郷清丸というアーティストの頼もしさ。
会場のはしっこで強すぎる風雨にさらされるネバエンステージで、悠然とセッティングを終えた彼の眼差しには、殺気にも似た何かが宿っていた。

そしてトレードマークのリズムマシンスタインバーガーのギターを鳴らしながら、荒れ狂う天気に挑むような歌声には、これまで観た二回のライブとは明らかに違う迫力があった。雨に打たれながら聴く『ロードムービー』の不気味なまでの美しさよ…。
終演後に長女が「今日はちょっと怖い感じだったね…」と呟いていたけれども、実はパパもちょっと怖かったぜ。

同じ曲を同じ楽器で演奏しているのに、ここまで違った表情のパフォーマンスを見せるとは。
この真っ赤に燃えるガラスのような才能にふさわしい場所はもっとずっと大きなステージだということを、あの場にいた全員が痛感したであろう30分。


さて、続いては光速でグラスステージに移動。
いよいよ大本命サニーデイ・サービスの登場である。

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サニーデイが森道に出るのは15年以来。
丸山晴茂がドラムを叩くスリーピース編成で、心の中にある大切なものをそっと掬い取っていくような素晴らしいライブだった。
しかし3年前のあの日、サニーデイがバンドの枠をぶっこわしながらシーンの最先端をぶっちぎる作品を産み落とし続ける2018年が訪れるなんて、いったい誰が想像できただろうか。
この日のライブは、そんな3年間の最良を凝縮した素晴らしいものだった。

 

つい先日突如リリースされたライブ盤『DANCE TO THE POPCORN CITY』と同じく、『泡アワー』『青い戦車』からスタートしたライブは、降りしきる大雨すらドラマを演出するための小道具にしながら、太いダンスビートでオーディエンスをのテンションを煽り続けていく。田中貴のベースの切れ味がとんでもなく鋭くて、ハッピーマンデーズのベズみたいな気分でデタラメなステップを踏みたくなる。

そして3曲目の『冒険』の後、聴きなれないイントロが鳴り響いた後に姿を現したのはC.O.S.AとKID FRESINIO!
野音でもクアトロでも観ることのできなかった『街角のファンク』をまさか蒲郡で観れるとは!思いがけない神様からのプレゼントに天に召されていく私の魂。

 

しかしこの日のサプライズはこれだけでは無かった。
「最後に新曲やりまーす」という一言の後で演奏されたのは今週Spotifyで配信されたばかりの『FUCK YOU 音頭』!!!
大瀧詠一ソウルフラワーユニオンセックス・ピストルズニルヴァーナをごった煮にしてしまった、という言葉でまだ足りない、本物のレベルミュージック。

どうしてこの人はこんなにぶっ飛んでいられるのか。
雨でずぶ濡れになったホワイトファルコンをかき鳴らす曽我部恵一を呆気にとられて見上げていた。

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さて、夕闇が迫ってきました。
なんとしてもFascism(小田島等+長尾謙一郎)まで粘ろうと思っていたけど、ネバエンステージが続行不能となってしまい出演キャンセル。
おまけに女房殿のレインブーツもぶっ壊れて浸水したので、くるりにうしろ髪を引かれつつもここで撤収を決断2018年の森道市場が終わりました。


なんだかんだ大変でしたけど、今年もたくさんいいライブを観れたし、定点観測的に子供たちの成長も感じられるし、ありがとうございましたとしか言いようがない。
そりゃ不便な面とかいろいろありますけど、なんせチケット代3000円ですからね…。おねだん以上の充分すぎるホスピタリティがあると個人的は思っております。


また来年もよろしくお願いします。

子連れでロックする方法。森道市場2018(1日目)。

今年も家族で行ってきました、森道市場2018。

 

今回は会場近くの宿を予約。

そこに車を置いて会場まではタクシーで往復するという計画でしたが、今日は空車なんてないです!と配車を断られてしまったため、妻子と荷物を会場で降ろし、私だけが宿から会場まで歩いて向かうハメに。

 


2年前は予約できたんだけどな、まぁそれだけ人が集まるイベントになったってことだよな、良かったよね…と途中のコンビニで買った魚肉ソーセージをモグモグしながら3キロの道のりをトボトボと。

 今日こそはと思っていた柴田聡子を観ることはできませんでした。なんかもう一生見れない気がする。

 

 

というわけで、私にとっての森道は蓮沼執太フィルがトップバッター。

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ゴンドウトモヒコ、大谷能生、小林うてな、葛西俊彦に環ROYなどなど、大御所/気鋭の音楽家とエンジニアが奏でる美しいメロディ、リズム、ハーモニーが青空に溶けていく。ああ始まったねぇと聡子ショックに沈んだ私の心も一気に開放。

年齢も性別もバラバラのメンバーがずらりと並んだステージは、定時制高校のクラスと若き蓮沼先生のような自由さがあり(演奏中も喋ったりしてるし)とても楽しそうで良かった。

 

さて、続いてはそのままグラスステージで在日ファンクトロンボーン歴1年の長女と並んで観る。

去年の夏のワールドビアサミットでLee & Small Mountainsと競演したのを観て以来。

ハマケン、流石のエンターテイナーぶりでサウンドチェックからバク転したりおっきい声出したり、オーディエンスを呼び込みまくる。ショービジネスは見てもらってナンボ、というJBばりの意識と根性を感じます。

もちろんJBばりなのは演奏もしかり。圧巻でした。

ジェントル久保田のタイトすぎるトロンボーンを目の当たりにした長女は「全然参考にならない」と弱々しく首を振っておりました。おう頑張れよ。

 

 

さて、ここで遊園地側へ移動。

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実は今まで親が自分の見たいものを優先させてきた結果、子連れなのに遊園地側に足を踏み入れたことがなかったのですが、何ここ子ども天国じゃないですか!(今さら知ったかのように)。

 


うむ。君たちは好きなだけここで遊んでいたまえ、と鷹揚な父親のフリをして子供たちを放牧。いそいそとMORIMICHI DISCO-STAGEのHALFBY小西康陽のDJへ。

 
しかし最初に面食らったのは音のデカさ!

私はどちらかというと音楽はできるだけ大音量で楽しみたい派だと思うんですが、HALFBYの時は難聴必至のやつ。耳がキンキンするよぅ…。


しかし小西康陽に替わってからはそれもいくぶん和らいで、思いっきりエンジョイミュージックさせて頂きました(EMCもかけてました)。もちろんデカすぎる音はHALFBYのせいってわけじゃないですけどね。

 
小西康陽という、誰も持っていないレコードを死ぬほどたくさん持っている神様みたいな人が、誰でも持っているレコードだけで老若男女を思いっきり楽しませるっていうのがすごく痛快だし、神様だけに許された領域ってものがあるなと思いました。とにかく最高でした。

 

ここで遊園地を満喫した子供たちと再び合流。

アジカンも観たかったけど、一緒にメリーゴーランド的なやつに乗って吐きそうになったりしてからグラスステージへ。

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すでにこの日のトリ、オリジナルラブがリハ中。

木暮晋也、真城めぐみというレジェンドたちと共に『スキャンダル』を演奏している姿にもう理性が吹き飛んでしまいそうになる私。


中学生の頃に『結晶』で田島童貞をロストして以降、テレビ東京モグラネグラ』を通じてとてもお世話になったオリジナルラブですが、実はこの日がライブ初体験。

一人体制になってからはちょっと追いかけきれなくなっちゃったんですよね。

 
でももう30年に届きそうなキャリアですからね、きっとすごいパフォーマンスを見せてくれるだろうとは思っていましたけど、あんなにすごいとは思わなかったよ。

自らが丹念に作り込んだ楽曲を、バンドのグルーブで燃やし尽くしてしまうような破天荒なパワーが爆発してました。高校生の頃に胸を熱くした『風の歌を聴け』から二曲もやってくれたのもグッときてしまった。

 
ちなみに娘も「一曲だけ知ってる曲やってた。あーまーくーってやつ(『接吻』)」と言っていましたが、こんなパンクな人が軽く3世代が知ってる国民的アンセムをモノにしてるってのもすげぇ。

もう一度ちゃんと聴き直してみます。

 

 

 
さて元ピチカートファイブの巨匠二人にヤラレた1日目の森道はここで終了。

あとはご飯を食べて帰るだけ、と思ったらタクシー乗り場に長蛇の列(JRが止まってたんですね)。

こりゃいつタクシー乗れるかわからないぞ…と途方にくれる。

 
こうなったら仕方ないと覚悟を決めて、一家で海沿いの暗い国道をまた3キロとぼとぼ歩いて宿まで帰りました。

グズる子どもと大量の荷物を引きずって歩く一家四人。夜逃げにしか見えなかっただろうな…。

 
というわけで、「タクシーは絶対につかまらない」ということを来年の教訓にしたい1日目でした。

 

 

iPhone歩数計です)

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ゴールデンウィーク後半のこと

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今日から実家に帰省。

ジジババ様に子供を預けて都心に繰り出す。ちょうどこの日は自由が丘と下北沢で参加したいイベントがあったのだけれども、野生の勘で自由が丘で開催されたErection block partyへ。

雑居ビルに囲まれたコインパーキングでパーティーを楽しむ解放感(と若干の背徳感)がなんとも言えない気持ち良さ。そしてそれ以上に最高だったのがチャージフリーで観てしまうには豪華すぎるほどのミュージシャン、DJたち。

 


中でも岡村詩野さんのラジオ番組で紹介されて気になっていた、さとうもかのライブを初めて観れたのはとてもラッキーだった。入江陽に保護者のようにサポートされながらのライブは心配になるくらいにたどたどしく初々しいステージングなんだけど、それが逆にスタンダードな風格すら漂う楽曲や、みんなの耳を引きつける個性的な歌声を際立たせていたように思う。

 


しかしこの日のクライマックスなんと言っても日がすっかり暮れてから登場したVIDEOTAPEMUSIC。あの20世紀のリリカルな記憶をすべて封じ込めた映像が、都会の雑居ビルの壁一面に映し出されるのである。まるでアメリカ映画に出てくるドライブインシアターのように。これ以上にロマンチックな風景がこの世にあるなら教えてくれよと思ったし、集まった人たち含めてこの光景全体がもうアートだよね…と感極まった。主催してくれた人ありがとうございます。

 


所用のため最後の一曲『Fiction Romance』を背中で聴きながら会場を後にしたんだけど、自由が丘の駅でもまだあのピアニカが聴こえてきてて、なんかもう街全体が完璧だなと思いました。

 


胸いっぱいのまま自由が丘から浅草へ移動。リーファンデさんと再会の乾杯。リーさんの計らいでちょっと信じられないくらい楽しい時間を過ごしてしまった。

 

 

 

音楽が好きで良かったと思う一日。

 

 

 
リーファンデさん、ブログ始めました。

カゼノイチのライブを特別なものと思ってもらえていることがとても嬉しい。 

lee-mountains.hatenablog.com

 

 

5/5 

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帰省してるならついでに用事を一つ頼むわ、という社命により午前中は都内で仕事。

帰り道にエチオピアでカレー食べて渋谷ヒカリエへ箕輪麻紀子の展示を見に行く。

パステルな作品には不穏さを、ダークな作品にはユーモアを感じさせる箕輪さんの絵はいつまで眺めていてもまったく飽きることがない。頭の中にいろいろなストーリーが浮かんでくる。

ON READINGから我が家に連れて帰ってきた絵とセットになっていた作品(連作の半分側)も展示してあり、古い友人にあったような懐かしさとまとめて購入することのできなかった申し訳なさが去来した。

また名古屋でも個展を開く予定もあるとのことで今からとても楽しみである。

 

 

 

5/6

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連休最終日。GWとは終わったと思った瞬間に終わってしまうものなのである。最後の最後まで抵抗したい、と都心に向かう電車へ乗り込みまずは代々木公園で開催されていたRAINBOW PRIDE2018へ。

 


このお祭りの存在こそもちろん知っていたものの、参加するのは初めて。しかしこんなにも開放的で清々しいエネルギーに満ちた場所だったとは思わなかった。裏を返せばそれだけ日常の抑圧が大きいということなのかもしれないけど、誇らしげかつピースフルに渋谷の街を進んでいくパレードに手を振った瞬間にこみ上げるものがあった。社会なんて一人ひとりのマイノリティの集まりであるということを忘れずに生きていきたい。

 


そこから急いで移動した先は六本木ヒルズ

秒速で1億曲を書く男・澤部渡率いるスカートのライブを観に行くのである。

開始ギリギリに着くと会場は人でいっぱい。

ギロッポンでスカートなんて、そのギャップにやられてしまうんじゃないかと思っていたのだけれども、JーWAVE映えするナイスポップな名曲たちを並べたセットリストは、5月の風のような爽やかさで私たちの胸のど真ん中を吹き抜けていった。

スカートバンドでは初めて観る池上かなえさんのベースは清水さんよりもずっしりとロックな感じがした。次に登場するLucky Tapesの人が舞台袖でスカートに合わせてずっとエアドラムを叩いていてしまうも納得のグルーヴ。

 


終演後にいきものがかりの人と礼儀正しくトークする澤部氏を見ながら、長く伸びまくった物販の列に並ぶ。いよいよこのビルのどこかにあるテレビ朝日のスタジオで、タモさんとトークする日も近いのではないかという期待を抱きながら。

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さて、いよいよ連休も大詰め。

しかし家に着くまでが遠足だ。渋滞する高速の上でナイポレを家族全員で聴く。

5/8の清丸おにいさんのライブ、うまくいくといいな。 

 

 

 

 


以上が私のゴールデンウィークでした。

楽しかった。