倉内太と彼のクラスメイト 「くりかえしてそうなる」について
倉内太。
オンリーディングで観た植本一子の展示で、図らずもその顔だけはかなり前から知っていた青年。
「誰かと誰かが付き合って、でも誰かのことも好きになっちゃって…」といったアーティストの個人的事情は、スピーカーのこちら側にいる俺には一切関係のない話。
しかし、あの写真に写っていた彼が優れたシンガーソングライターであること知ってから、こうして実際に音を聴くまでにかなりの時間がかかったのは、植本一子の「かなわない」のインパクトが音楽を聴く耳を曇らせることを避けていたからなんだろう。
でもまぁしゃあない。
あの文章の衝撃は多分ずっと消えることはないし、ゴシップもまた芸術の一部…なのかもしれない。
そんな俺の先入観ごと引き受けてくれ倉内太よ、と遂に手に取った彼のデビューアルバム「くりかえしてそうなる」をエイっと再生。
しかしなんということでしょう。
一曲目の「あの娘ほんとにリズムギター」からもう彼の世界にググッと引き込まれてしまった。
かき鳴らされるブルージーなギターとハラハラするほど奔放なボーカル。
ほとんど弾き語りみたいな粗挽き感あふれるスタイルなのに、ロックンロール60年の正統な後継者としての気品すら感じさせるメロディ&ハーモニー。
なんと言いましょうか、ここには音楽に必要なすべてが鳴っている。鳴ってなくても鳴っている。そんな気がしたのです。
本物の音楽には本物の魂が宿っているとは限らないだろうし、そもそも宿っている必要もないとすら思っている。
でも、記念すべきファーストアルバムの一曲目でダニエル・ジョンストンを引き合いに出すこの青年には、ポップミュージックの神様とサシで渡り合う覚悟があるのだろう、まさに自分の魂をかけて。
その直感が間違いないことを確認するのには、ビートルズと中村一義とあなたの白い肌、ポップミュージックと生と死を軽々と飛び越えていくようなラストチューン「こわいおもい」までを一回聴くだけで充分。
というわけで、冒頭に書いた下世話な心配はどこへやら。
倉内太という天賦の才、ただそれだけを感じていためくるめく13曲43分。
と言いつつ。
このように彼がどうしようもなく魅力的なアーティストであることを知ることにより、「かなわない」に描かれたいくつかの場面に対する印象がより深みをもって上書きされたこともまた事実。
これをスキャンダルの覗き見ととるか、優れた表現同士のフィードバックと見るか。
芸術とは、げに業の深いものなり。
まだ魔法が解けない。サニーデイ・サービスのライブに行った話。
サニーデイ・サービスのライブからもう2週間近く経つのに、未だ興奮冷めやらない。
ふとした瞬間にライブの場面がフラッシュバックしてついニンマリしたりヨダレたらしたり、あやしい中年の私なんです。
というわけで、あの秋の夜の一部始終を振り返り。
会場の名古屋クアトロは日曜なのにほぼ満員。
客電が落ち、白いグレッチを持った曽我部恵一率いるサニーデイ・サービスが登場。
ギターのフィードバックノイズと短いドラムソロが鳴った後、新作"Dance to you"の幕開けを告げる「I'm a boy」の流麗なコーラスがキマる。
全身にブワッと鳥肌が立った。
この数小節で、今日のライブはバッチリだって分かった。
そしてその感覚は、会場にいる全ての人が共有したのだろう。
のっけから名古屋とは思えない興奮状態で飛び跳ね、「冒険」「パンチドランク・ラブソング」へ流れ込む。
「ねえ、あれはなんて名前の花だっけ?」とみんなでコーラスできる喜び、サビ前のスネアの連打で首を振り回す興奮。
誰かが腕を突き上げ、誰かのビールが買ったばかりの俺の革ジャンにかかった。それがどうした。
ステージにいる曽我部恵一も、ソロやソカバンの時のように自然体で饒舌。今までの求道的な佇まいとはまったく違うモード。
再結成から5年、サニーデイサービスというバンドが、曽我部恵一という巨大な才能のありのままを受け止めることができるタフさ、器の大きさを手に入れたってことなのかな、と思った。
その進化の理由は、高野勲と新井仁をサポートに迎えた盤石の布陣ということもあるだろうけど、やっぱり「Dance to you」というアルバムの、ネクストレベルの完成度によるところが一番大きいなんじゃなかろうか。
この日のサニーデイの演奏は、その新曲たちに掴みかかり、揺さぶって、叩きつけるような尋常ならざる熱さだった。
例えば、「青空ロンリー」では、RCサクセションの「ヒッピーに捧ぐ」を引用しながら、アルバムよりもっと深く荒涼とした悲しみが広がっているようだったし、アルバムでは文学的な香りも高かった「血を流そう」も、もはや比喩ではない本物の血が吹き出すような凄みがあった。
そしてこの日の(かつ私の音楽人生の)まさにクライマックスであった「セツナ」では、喉もつぶれんと咆哮するボーカルと、今この瞬間に全てを賭けたような演奏で、文字通り何度も何度も、正面からぶつかっていた。
にも関わらず、ビクともしないのですよ、曲が。
それぞれの曲が持つ何かが損なわれるということがまったくない。
ポップスとしてのケタ違いの強度。
メランコリックなハートのまま、暴力的に心拍数が上昇していく。
いやこんなのありえないでしょ、というフレーズだけが、興奮で遠くなりそうな意識の中を駆け巡っていた。
そうやって新曲という豪速球を投げ込む一方、随所で披露される珠玉のサニーデイクラシックス。
とりわけ、"セツナ"の熱狂から一転、不意をついて始まった、"白い恋人"のズルさよ…。
もうついに完全に決壊しましたよ、涙腺が。ここまで我慢してたんだけど。
どうしてこの人は、このバンドは、20年前と同じ優しさで、同じ瑞々しさで、若者のすべてを表現することができるのだろう。
もうなんか怖いわ。
震えながら泣きました。
そんなわけで、未だ魔女にかけられたピンクの呪文が解けず、今も挙動不審なわたしをどうか許して頂きたい。
※クアトロ出たら隣の映画館にこんなポスター貼ってあって、ちょっとあがった。
バンドとしてのクライマックス -スカート「静かな夜がいい」について-
相変わらず灰色の濁流に飲み込まれてしまいそうな日々。
それでも毎日なんだかんだと音楽のことを考えてるんだから、俺は自分の想像以上に音楽が好きなのかもしれない。
つーか、こういう時こそ身に染みるグッドミュージックのありがたさよ…。
そしてきっとそんな俺を遠くの空から見守ってくれていたんだろうね、スカート澤部さんは。
勤労に感謝する11/23にニューシングル「静かな夜がいい」が届きましたよ。
この日ばかりは残業もそこそこに、電車の中を走って帰り、アンプのスイッチをオン。
すでにライブではもう披露されているこの曲、疾走するギターリフ、メジャーコードの突き抜け感、ついヒップがムーブしてしまうセクシーなリズム。
最初に聴いた時から、サンボマスターの名曲"Very special"よろしく、ついにスカートが山下達郎に決着(なんの?)をつける日がきたぞ!と勝手に超盛り上がっていました。
でも、スタジオ録音された音源で聴くと、その直感は半分アタリで半分ハズレ、だった。
もちろん楽曲そのものは、このままシーブリーズとかカルピスウォーターとか麒麟淡麗のCMソングにしちゃってくれよ、というスカート史上最大のナイスポップぶり。
カーステで100回くらいリピートさせながら海に行きたくなる気持ち良さ(冬だけど)。
そういう意味においては、いよいよ間違いなく達郎クオリティ。
でも、やっぱりなにかが違うのです。
巷で流れるポップソングとは。
なんつーか、ものすごくこの5人(+トリプルファイヤー鳥居氏)で演奏しているぞ!という生々しい熱とゴツゴツとした手触りがあるんですよね。
例えば達郎でもTKでも、お茶の間に入り込んでくる音楽って、「歌とそれ以外」の情報がもっとキッチリ整理されているように思うのです。(それがハイフィディリティということなのかもしれないけど)。
でも、この曲では、演奏してるメンバーの姿がはっきり見える。
歌と演奏が、分かち難く等価なものとして耳に飛び込んでくる。
しかも、カップリング曲も含めて、その5人による演奏が頂点に達してるな、ということが素人の私にもビシビシ伝わってくるのですよ。バンドが輝く時とはこういうことか、と。
こんなふうに、自分と同じ目線、同じ空間で、魔法のようなポップミュージックを鳴らすバンド、やっぱり他には無いと思いましたね。
もしかしたらそれは、ある角度から見れば、商品としての洗練が足りない、ということなのかもしれないけど、そんなヤツらはもうグッナイ。
「俺たちはしないよ」ということでいいんじゃない?
タックスマンと秋の空
先日、遠く離れた実家に住む父が孫、つまりワタシの子供たちに会うため、わが家にやって来た。
彼はいわゆる昭和のカタブツ親父なので、いい歳してロックなどにうつつを抜かす不肖の息子としては、顔を会わせるのが億劫な存在ではあるのだが、彼が残りの人生でこの家を訪れるのもあと何回あるのかしらんなんてことを考えると、俺はなにか大事なことを言い忘れているのではないかという気持ちになったりもする。
さて、そんな父親を乗せて走る車の中、ラジオから私の大好きなビートルズの"Taxman"が流れてきた。
あのタイトでミニマルなリズムと金属的なギターリフに(心の中で)盛り上がっていたところ、隣に座る父が「お、Taxmanか。懐かしいな」と言ったのにはちょっとビックリした。
東北の田舎育ちの彼が知っているビートルズの曲なんて、せいぜいイエスタディとかレットイットビーくらいだと思っていたのに、(代表曲とはいえ)シングルにもなっていないこの曲を知っているとは。
もしかして、彼も若かりし日に"Revolver"を聴いていたのだろうか。そしてあのギャギャーンというギターに胸を躍らせたりしていたのだろうか。
瞬時にいろんな疑問が湧いたものの、もちろん口になんてしませんよ。こちらも昭和生まれの不器用息子ですから。
ま、言い忘れたことがあったとしても、言わないまま終わってしまったとしても、それならそれでいいじゃないか。
それこそが我々の二人の関係というものだったんだから。
そんなことを思ったある日でありました。