ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

禁断の果実か、王道の名作か。広瀬愛菜『午後の時間割り』

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二人の強い姉に囲まれて育ったトラウマのせいか、生まれてから一度も女性アイドルを好きになったことがない。写真集もレコードもライブ経験もゼロ。

 
「〇〇ちゃんが好き」と会ったこともない人に、好意や幻想を抱く動機がどうにもよくわからないのである。


もちろん女性アーティストのレコードは何枚も持っているし、好きな女優さんもいないわけではないけれども、それはその人がつくる音楽なり演技が好きなわけであって、その人の存在そのものが好き、という感覚とはやはり違う気がする。

 
とは言え、近年ではアイドルに楽曲提供をすることが、優れたミュージシャンの証しとも言える状況なわけで、ポップミュージックを理解する上では重要不可欠なものであることはわかっているし聴いてもみるのだけれども、「どっちかって言うと(歌のうまい)アーティスト本人に歌ってほしいなぁ」と思うことがほとんどで、音源の購入に至ったことはなかった。

 
そんな私なのでこの広瀬愛菜のデビュー作『午後の時間割り』を耳にした動機はプロデュースを担当した関美彦の仕事をチェックしておかなければという気持ちからだけであり(CDではなくストリーミングだったし)、きっと聴いた後には「これもいいけど、やっぱり関さんの新譜が聴きたいのう、嗚呼…」という気持ちに駆られることになると思い込んでいた。

 

しかし一曲目の『ペーパームーン』の、丁寧に扉をノックするようなベース、素朴でいて果てしない気品を感じさせるドラム、ギター、ピアノが耳に入った瞬間、これはもしかして普通の音楽ではないのでは…という予感が脳裏をよぎる。楽曲と演奏のクオリティ、そしてそこにあくまでも自然に入り込んでくるボーカル。この組み合わせが魔法がかっているように思えたのだ。

 
二曲目は曽我部恵一ソロ初期の代表曲『おとなになんかならないで』。タイトルの通り、曽我部恵一が生まれたばかりの愛娘を思って書いたメロウナンバーである。曽我部マニアの私としては必聴である。

ただそれをまだ15歳の子どもである広瀬愛菜に歌わせるという構図にはなんとなくノボコフ的な倒錯の気配を感じ、二人の娘の父親としては最大級のガードを固めて聴かざるを得ないのも事実。

しかし、メルティーなカスタードクリームのように甘く柔らかいエレピに乗る広瀬愛菜の歌は、「歌わされる」というぎこちなさとは一切無縁で、全てを知っているような、なにも知らないような、おそらくは人生でこの瞬間にしか出せない歌声で新たな命をこの名曲に吹き込んでいた。

ゲンズブールバーキン型(あるいは秋元・AKB型)の先入観に凝り固まっていた自分の不明を恥じたわけだけど、もちろんこれが相当際どいボールであることは間違いない。「愛と性と死の濃厚な香り」という関美彦作品最大の魅力も、この海の底深くに埋められていますからね…。

 

そしてこの曲に関するトピックとして見逃せないのが、スカート澤部渡の口笛での参加。続く『いきすぎた友達』が柴田聡子の絶妙なカバーであることも含め、この作品がテン年代のインディーシーンに深くコミットした、つまり同時代性を持った作品であることがよくわかる。

 

90年代サバイバー関美彦と曽我部恵一、10年代の代表選手であるスカートと柴田聡子、そして20年代に成人になる広瀬愛菜がスクランブル交差点ですれ違った直後に訪れるクライマックスが、83年の原田知世の大ヒット作『時をかける少女』(作詞作曲・松任谷由実)なのだから、関美彦がこのミニアルバムで成し遂げようとしたものと広瀬愛菜というシンガーの才能の大きさがわかるというもの。圧巻である。

 

というわけで、当初の予想は大きくはずれ、私が生まれて初めて買ったアイドルのCDは広瀬愛菜ということになりました。

もちろん最終曲の『さようなら、こんにちは』の黄金メロディーを聴けば、やっぱり関美彦の新譜も聴きたいぜという気持ちは予想どおりめちゃめちゃ高まってますけどね。