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ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

大海原を旅するような。Guiroのライブについて。

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どういう運命のイタズラか、38回目の誕生日に、もう完全に諦めていたGuiroのライブを観ることができた。


依然としてGuiroの音楽を形容する言葉を持たない私だけれども、この日のライブがどういうものだったのか?と聞かれれば、一言「大航海」とだけ言い切って、その記憶に深く浸ってしまいたい。そんな特別な体験だった。



まず圧倒されたのが、所狭しと並んだ8人の船乗り、じゃなくてミュージシャンによって前後左右上下から次々と繰り出される色とりどりの音のつぶて。

"ハッシャバイ"から始まった冒頭の3曲で、こちらの平衡感覚はすっかり失われ、彼らと一緒に大海原に漕ぎだしたような気分に。

もう少し別の表現をするなら、"Pet Sounds"をレコーディング中のスタジオに放り込まれたような感じ、と言ってもいいかもしれない。もちろん放り込まれたことはないけれども(映画「ラブ&マーシー」をご覧ください)。


いずれにせよ、このパラレルワールドな感覚は、(たとえ途中のMCで華麗なセールストークが入ろうとも)最後まで解けることがないほどに、深いものだった。


さて、高倉船長の船に乗り、新大陸にたどり着いたGuiro御一行と私たち。

密林でのダンスパーティーは、"エチカ"における牧野容也のファンキーなギターを合図に、その温度を上昇させていく。

この"エチカ"の中で、わずか一拍か二拍、常に完璧な高倉氏のボーカルの音が少しだけ上ずり、感情の昂りを感じさせる瞬間があったように感じた。

この完璧さからほんの少し逸脱した時にだけ発するスリルと色気。

これこそが自分がGuiroの音楽に心を惹かれる最大の魅力なのではないか、と気づかされた瞬間だった。

Guiroの音楽に備わる端正さはその心地よさを味わうためだけものではなく、こうした逸脱や昂り、内に秘めた刃の鋭さを、より精緻に表現するためにある。
そんなほとんど倒錯めいたものを感じてしまうのです。


話が逸れました。

そんな私の心のBPMも上がったまま突入した、"山猫"(これもボーカルが素晴らしかった)"ファソラティ"、"しあげをごろうじろ"で、ダンスパーティーは最高潮に。

ジャズ、ファンク、ソウルといった、まさに新大陸・アメリカで発明されたリズムから、黄金の国ジパングに伝わる音頭まで、世界一周グルーヴの万国博覧会状態。

一つひとつ書いていくとキリがない(と言うか、こちらの筆力が追いつかない)ほどに躍動感に満ちた各パートのからみ合い。
音源からはまったく想像もできなかった、全体に漂う暖かいユーモア(とても大切なこと)。

こんなに豊潤なダンスミュージック、そうそう体験できるもんじゃない。


しかし、人生とは旅であり、人はみな旅人。
その時がくれば、また次の地を目指さなければなりません。

そんな別れを彩る美しい合唱のようなバラード、"旅をするために"(カバー)と、遠く南の大地・ブラジルを感じさせるサンバのリズムも麗しい楽曲(新曲?)で本編終了。

この最後までストーリーを感じさせる選曲が実に心にくい。

もちろんそれは、私が勝手に感じていたストーリーではあるのだけれども、きっとあの場にいた人々それぞれの物語が幸せな結末を迎えられたのではないか、という気がしている。


そして、「録音したい」「年後半にまた会いたい」という高倉氏の言葉はもちろんのこと、演奏中の充実した表情を見れば、次なる航海への確かな可能性を感じたのは私だけではないはず。

その時を心待ちに、そして次回は必ず乗船券を速やかに入手することを誓って、今はさらばと言おう。マラカスを握りしめながら。