ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

規格外のルーキー現る 東郷清丸「2兆円」

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インディー界を牛耳るグルーヴマスターあだち麗三郎による全面サポート、超一流のポップミュージックソムリエ・スカート澤部渡の推薦コメント、そしてインディーレコード店の良心・ココナッツディスク吉祥寺の大プッシュという、まさに走攻守三拍子揃った大型新人・東郷清丸のデビューアルバム「2兆円」。

 

なので当然のように聴く前からきっと良い作品なんだろうなとは思っていた。野球に例えるなら、「打率28分、本塁打15本、10盗塁」くらいは十分に期待できるんじゃないか、と。

 

ところがどっこい実際に聞いてみるとどうでしょう。

 

「打率3割、本塁打20本、しかも全てランニングホームラン」という漫画感覚の大活躍!「自分で値段をつけるなら2兆円」という本人のコメントはビッグマウスではないことを証明する傑作じゃないですか。

 

と、声を大にして言いたいところなんだけど、この二枚組60曲というボリュームに、聴くことをためらってしまう人もいるかもしれない。そんな方はまずディスクA9曲目まで)を聴いてみて頂きたい。

 

一聴するとかつてのグランドロイヤル周辺を彷彿とさせる、ローファイで余白の多い、宅録感のある音である。

 

しかし例えば90年代のフィッシュマンズヨラテンゴ、あるいは10年代のミツメや坂本慎太郎がそうであるように、その余白はただの「無」ではない。東郷清丸というシンガーソングライターが描く世界を投影するためのスクリーンとして機能している。

そこに映写される、8ミリフィルムの映像のようにざらついた、甘くほのかに闇を感じさせる妖しいメロディ。そっけないようでいて、絶妙に揺らぎながら急所を突くリズム。艶のある歌声に乗せて届けられる暗示的な言葉たち。

 端正なマナーの中にも、かすかな野生が息づくポップソングの数々に、好きモノのあなたならつい唸ってしまうこと間違いなしだろう。

 

そして彼の宅録部屋の押入れの奥から繋がるアナザーワールドことディスクB

エレクトロからアシッドフォーク、パワーポップにネオソウル。まるでテーマパークのアトラクションのように駆け抜けていく51曲。

その全てに底通するのは、人を食ったようなユーモアとどこまでも自由な想像力、そして先人の遺産を軽やかに自分のものにしてしまう咀嚼力。

 

その奔放さに私の年代物のimacも腰を抜かしたため、ディスクBリッピングができないこともあり、まだ私も全てを堪能したとはとても言えない状態だが、この地下に広がる秘密基地感に胸のミゾミゾが止まらない。

 

今から1月にあるライブが楽しみなのである。

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「月光密造を密造する夜」と次回「KENNEDY!!!」の話

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「ブログを100本書くより、イベント1回やった方がいい」というわけではないのだけれども、スカート ・ミツメ・トリプルファイヤーが三ヶ月連続で新譜をリリースする2017年の奇跡をレペゼンすべく、Book cafe&barカゼノイチにて「第一回 月光密造を密造する夜」を開催しました。


構成は大きく二部に分かれていて、前半はこのインディー三銃士のデビューからの偉大な軌跡を時系列で辿るというもの。
後半は、この三銃士の音楽から連想した過去のロック/ポップミュージックの名曲をミックスしてかけました。

そしてそのいずれでも、曲の合間にピーター・バラカンになりきった私の解説が入るという暑苦しい仕様。

 

4時間分の構成を考え、選曲して、そして喋るという作業は想像以上に重労働で、終わった後はなんだか完全燃焼した感がヤバかった。

でも、準備期間を含めて彼らの音楽にズッポリ浸かって改めて思ったのは、こうした多様で芳醇な音楽的ルーツを感じさせるミュージシャンとの出会いは、リスナー人生をとても豊かにしてくれるということ。
スカートを聴いてムーンライダーズを聴き直し、ミツメを追いかけてParasolにたどり着き、トリプルファイヤーの後にFela Kutiで腰を揺らすというグレートジャーニーの素晴らしさよ。

こんな体験をみんなで共有したいぜ、という単純極まりない気持ちが、終わってからようやく気づいたこのイベントの本当の動機だったんだな。

こんな超マニアックな企画にお越し頂いたお客様、快く開催を承諾してくれたカゼノイチ店主の上野さんの広すぎる度量に心からの感謝を捧げたい。
この経験を活かして新たな企画にチャレンジしたいと密かな闘志を燃やしているところです。

 

とかなんとか言っている間に来週の土曜日、12月9日はレギュラーパーティーKENNEDY!!!を開催します。

 

今回はいつものレギュラーDJに加えて、石野卓球との共演している若き俊英ラッパー・PちゃんことP.I.Gのライブもあります。
前々回のKENNEDY!!!で彼の飛び入りフリースタイルにガツンとやられた俺が言うから間違いないけど、これはめちゃめちゃ期待していいやつです。

 

音楽が好きな人、お酒が飲みたい人、誰かと話したい人、ただカレーを食べたい人。
バラバラなお客さんが思い思いに盛り上がってしまう謎のパーティー、KENNEDY!!!!
今回も店主の男気ノーチャージ。オーバースペックなPAシステム組んでも男気ノーチャージ。
夜8時からカゼノイチでお待ちしております!

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初めて演劇を観に行った話。 ロロ「父母姉僕弟君」について

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会場のサンモールホールは、新宿御苑前駅2番出口を出てまっすぐ歩いて徒歩3分。と頭に叩き込んでいたにも関わらず、きっちり反対方向に歩いていた方向音痴の私。気がつくと新宿御苑に到着していた。
あぁまたやってしまった、と思って引き返そうとした瞬間、苑内から漂ってきた銀杏の匂いで、幼稚園の遠足でここに来たことをふと思い出した。30年以上前の話である。
今となっては、これ以上ないプロローグだったと思う。


演劇というものを自分の意思で観るのは、生まれて初めてのことだった。
小学生の頃に学校で体育座りして強制的に見せられたトラウマのせいか、一度も劇場という場所に足を運んだことはなかった。

 

なので、このロロによる「父母姉僕弟君」という演劇の巨大な感動を伝えるボキャブラリーはもちろん持ち合わせてはいない。
いないんだけれども、それがどんなに拙い言葉でも、書いておくべきだという気がしている。なぜなら、この観劇後の気持ちと記憶が、自分の中ですでに1秒ごとに少しずつ失われていていることに、少しでも抗いたいからだ。


まず衝撃的だったのはなんといっても脚本である。一見でたらめに流れる小さな川が、近づいたり離れたりしながら、最後は津波のように押し寄せる、圧倒的な構想力と情報量。それはエンターテイメントとしての大サービスであると同時に、観る側の記憶力と想像力を試すような過剰さだった。思えばこの過剰さ自体に意味が込められていた、ということだったのだろう。

 

それを演じる俳優たちも本当に素晴らしかった。
濃厚すぎる個性と矛盾をはらんだ登場人物たちのキャラクターを1秒たりとも損ねることなく、コミカルとシリアスの境界線を自由に行き来する、いきいきとした演技。
最初は口がポカンとしてしまった私も、気がつけばあの破天荒でセンチメンタルな旅路の一員となっていた。
そして主人公キッドが最後に感情のメーターを振り切った瞬間の、彼が俺に乗り移り一体になったような初めての感覚。
そのことについてずっと考えている。


例えば夜中にふと目を覚ました時、隣にいる子供の寝顔が目に映った瞬間に湧いてくる、カラメルを煮詰めたような多幸感。しかしそれと同時に訪れる、背中がひんやりとするような恐怖にも似た何か。あらゆる記憶や感情も、いつかは無に帰してしまう事実に対する無力感。

あるいは、人生という流動体において絶えず迫られる選択と、「選ばれなかった方の人生」について。
あの時、カーブを反対に曲がっていればあったはずの人生は、「今ここに存在しない」という点において、過去に過ごした時間と何が異なるものなのか、などという詮なき疑問。

 

そんなのフリッパーズギターなら「すべての言葉はさようなら」と一蹴してしまうだろうし、向井秀徳に言わせれば「繰り返される諸行は無常」ということになる。考えるだけムダな圧倒的真理。

 

しかしそうは言っても、俺も娘も、今ここに生きているし、そもそも俺は三人姉弟の末っ子長男として育った、戸籍上の次男である。現世で会うことのなかった長男が無事に育っていれば、おそらくこの世に存在しない人間なのである。生まれることができなかった陸生とはもう一人の俺なのだよ。

それらをすべてゴーイングゼロと割りきられてしまっては、わかっちゃいるけどあまりにも残酷じゃないか…。

 

と、あの時の俺は舞台から発信される膨大な情報を受け止めると同時に、知らず知らずのうちに自分の内側の深いところを旅していたのだろう(人間ってすごい)。

だからこそ、キッドが一人になり、壁が閉じられた瞬間に襲ってきた孤独と悲しみは、同時に俺自身のものになっていたのだと思う。

 

キッドはその孤独を、岡崎京子のように「僕たちはなんだかすべてを忘れてしまうね」と呟いて、その孤独を静かに抱きしめることもできただろう。

 

でも、彼はそうしなかった。

 

過去に置き去りにしたもの、選ばなかった別の人生、死んでるものやそもそも生まれなかったもの、その全てを心の内に生かすために、必死に抗った。バットを振り回して、壁を叩き続けた。小沢健二が言うところの「神様を信じる強さ」を得るために。

 

何度反芻しても胸が熱くなるこのシーンの素晴らしいところ(の一つ)は、私たちが平坦な戦場を生きるために、暴力的な衝動の助けを借りることを肯定しているところだ。ロックなのである。

 

だからラストシーンでキッドが、車の中にバットをちゃんと載せたのはすごく良かったなと思った。人生という名のドライブにはロックンロールが必要だよ。


そんなこんなで頭と心を使い果たした2時間。
終演後は何にも考えられなくなって、新宿駅までトボトボと歩いた。
そして東京駅に着くと予定の新幹線まで少し時間があったので、kiiteにあるインターメディアテクに立ち寄った。
東京大学の研究者たちが100年以上に亘って集めてきた、今は絶滅してしまった動物の化石、植物の標本、遺跡の数々。


すでに無くなってしまったものを前に、俺はまた泣いた(心の中で)。

やるせないほどの美しさ Videotapemusic 『ON THE AIR』

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Videotapemusicの新作『ON THE AIR 』。

室外機が遠慮なく生暖かい空気を吐き出す東南アジアの路地裏から、いつかブラウン管テレビの中で見たアフリカの秘境まで、めくるめく地球一周の旅に連れ出してくれた名盤『世界各国の夜』から約二年。

 

あの縦横無尽なジェットセット感からは少し趣きを変え、「アメリカと日本、その中間」に深くフォーカスしたような印象を受ける。
そして思い出野郎Aチームとのセッションもさらに深化したエキゾ感あふれるサウンドはもちろんのこと、坂本慎太郎による鮮やかなアートワークから濃厚に漂うのは、泣きたくなるほどのロマンティシズムだ。

 

なぜここまで、この作品が切ないのか、例によって電波混じりの妄想力(『ON THE AIR 』だけに)で考えてみた。

 

まずVideotapemusicの作品とは、そもそも構造的にある種の切なさを孕んでいるように思う。

 

彼が作品の素材としているVHSテープに封じ込められた映像とは全て、すでにそこにはない、失われてしまった光景である。そしてそのVHSという記録媒体もまた、その存在を完全に忘れ去られようとして久しい。

いわば二度目の死を迎えようとしているかつての現実。
そこに込められた、あるいは込められなかった思いを拾い集め、貼りつけて、もう一度新しい世界を作り出そうとするVideotapemusic の営み。
もはやアートの制作手法という枠を超え、神事のような意味合いすら内包しているように思えてしまう。

 

そしてその神事によってつくり出された新たな世界が、リアルであればあるほど、美しければ美しいほど強調されるのは、ビデオテープに記録された時間は、二度と取り戻すことのできないという私たちが生きる世界の厳然たる一回性である。

 

『世界各国の夜』が私たちに見せてくれたのは、スクリーンや絵本の向こうにある、私たちが過ごしたことのない場所と時間。おとぎ話であることが前提の世界だった。

しかし、『ON THE AIR』に広がるのは、そこに生きる人々の感情までもが再現された、リアルな世界だ。

 

例えば、アルバムジャケットに描かれる、軍事用レーダーと共存する住宅街。これは実在する福生という街、あるいは戦後の日本そのものを模したもの、とも言えるだろう。

そして、その街に流れる米軍ラジオ。
ノイズに混じって聴こえるスロージャズやルンバのリズムと、それに合わせてステップを踏む人々。NOPPALをフィーチャーした『Her favorite Moment 』のガーリーな憂鬱。


この体温や息づかいすら感じさせる美しい夢のような世界が、すべて虚構だとしたならば。
そう想像すると、胸をかきむしりたくなるほどのやるせなさに襲われてしまうのだ。


そしてこの「レプリカであることが唯一絶対の真実」というパラドックス。その構造をも燃やし尽くそうとしたのが、アルバム終盤に収められた、その名もズバリ『Fiction Romance』の多幸感の洪水であり、続く『煙突』のセンチメンタルな寂寥感なのではないか…。

 

おっと、気がつくと今回もかなりの深みに…。
怪しい感想どうもすみません。

2017 10/22 Cornelius 『Mellow Waves tour』@名古屋ダイヤモンドホール

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※ネタバレあります。ご注意ください。

 

トヨタロックフェスの2日目が中止になってしまったこともあり、急に思い立って嵐の中、コーネリアスのライブに行ってきた。

 

コーネリアスのライブを観るのは、98年の夏にたまたまロンドンでやっていた『Fantasma』のツアーを観て以来、なんと19年ぶり3回目(1回目は雑誌のイベントに当たって観た渋谷クアトロ。バックバンドにワックワックリズムバンドが参加していた)。

 

ちなみに98年の19年前というと79年。
今では小山田圭吾もサポートするYMOが最初のワールドツアーをした年である。
その時はいにしえの伝説のように思っていたけど、自分が同じ長さの時間を生きてみると、ついこないだのことのように思えて実に恐ろしい。


満員のダイヤモンドホールに入りまず目にするのは、ステージに張られた幕に映された、皆既日食のような円環。

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その円環を構成する微粒子がせわしなく運動を繰り返す様は、壮大な星雲のようでもあり、電子顕微鏡で覗く細胞のようでもある。
ぼんやり眺めているうち、村上隆の禅をテーマにした「円相」という作品を思い出したのだけど、コーネリアスの最新作「Mellow waves」のモノトーンな静謐さ、内に秘めた力強さは、これに通じるものがあったように思える。


開演時間ちょうどに客電が落ち、SEの波の音とプログレッシブなシンセサイザーの音が大きくなる。続いて幕の向こう側であらきゆうこが叩くドラムの音に合わせて円環が形状を変えていき、客席の期待と緊張が一気に高まる。
次の瞬間、メンバー四人の姿が映し出されるのと同時に鳴らされる『あなたがいるなら』のイントロと、それに完璧にシンクロしてスクリーンに映し出される「Hello everyone welcome to Mellow waves」の文字。
この見事な演出に、思わず「ふわぁ」と間抜けな声が漏れてしまったよ…。

 

『あなたがいるなら』はイントロだけで寸止め。そこから『Mellow waves』を中心に『Sensuous 』『Point』『Fantasma』からの代表曲が次々と演奏されていく。

 

フロアにいてまず感じるのが、音の一つひとつの気持ちよさ。
堀江博久の弾くトレモロの効いたエレピ、大野由美子のジューシーなシンセベース、そしてソリッドで時にヘビーな小山田圭吾のギター。これらがバイノーラル録音まで再現した完璧な音響で鳴らされる。


まるで開演前に映し出されていた円環を構成する微細な粒子が身体の中に入ってくるような感覚である。

 

 

そして、スクリーンに映し出されるクリエイティブの極北のような映像に、寸分の狂いなく同期したバンドのアンサンブル。

超複雑な因数分解を鮮やかに解いていくような快感がある。
特に『Fit song』のミクロ単位で精緻に構築されたファンクネス、『Count five or six』や『Gun』の時速300キロで走る重機のようなハードな迫力には肌が粟立った。しかも、合間合間に挟み込まれたユーモアも完全再現する余裕まで。
とにかく、あの音源ホントに人間が演奏してたのか!というアホウのように根本的な驚きを禁じえない。

特にあらきゆうこの、どんなに理不尽な(としか言いようがない)フレーズにも完璧に対応するドラム。俺からは見えない位置だったこともあり、本当はサイボーグとか鬼とかが叩いているんじゃないかという妄想が広がってしまいましたよ…。


その演奏力と視覚的情報量の膨大さにただただ圧倒されっぱなしの本編は、『STAR FURITS SURF RIDER』と、そこから切れ目なく突入した『あなたがいるなら』でクライマックスを迎え大団円。
アウトロで、オープニングと同じように演奏に合わせて映し出される「Thank you very very very much. Mellow waves」の文字を呆然と眺めつつ、このライブが『あなたがいるなら』から始まって『あなたがいるなら』に終わる、つまり円環を成す構成になっていることに気づく。あぁ圭吾、恐ろしい子…。


一言も喋らなかった本編から一転、アンコールはリラックスムード。
台風の中集まったお客さんを気遣う小山田の言葉に「あの小山田君が他人を気遣うなんて…」と驚きの空気が流れる。


そして彼の「どうもありがとうございました」というセリフのイントネーションが、中学生の時に死ぬほど聴いたフリッパーズのライブ盤のままだったことも密かに嬉しかった。

ちなみに最後に演奏された曲(タイトルわかりませんでした)は唯一ほぼ映像との同期なしの、素に近い演奏だったんだけど、やっぱり痺れるほど気持ちよくて、いつか「映像なし・ネイキッド版」のライブも観てみたいと思った。


先日出版されたZINE「Something on my mind」のディスクレビューで、私は名盤『Fantasma 』のことを、「音と想像力でつくりあげた一大テーマパーク」と表現した。
しかしこの日体験したコーネリアスのライブは、その世界観をさらに突き詰めて、小山田圭吾という天才の頭の中を、音と映像と光を駆使して具現化する、ミュージシャンや制作スタッフの限界に迫るようなパフォーマンスだった。

願わくば、ライブハウスじゃなくてホールだと映像も演奏もストレスフリーで楽しめるんだけど…と思ったりもしましたけど。

 

そしてもう一つ願わせてもらえるならば、この日会場を埋め尽くした大人の音楽ファンが、もう少し小さなライブハウス、東京で言えばwww、名古屋で言えばダイヤモンドホール地下のLounge vioあたりに出演するバンドに注目してくれると、この世はまだましだなって言うか、もっと楽しくなると思うんですよ。例えばミツメとかVideotapemusicとかバッチリだと思うのですが、どうでしょう。


こちらからは以上です。

変わること、変わらないこと。スカート 『20/20』について

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我らがスカートがメジャーデビューすると聞いたのは、まだ暑い夏の日のことだったでしょうか。

インディーからメジャーに移ると、何がどう変わるのか、わたしにはよく分からなかったけど、渋谷駅に現れた巨大ポスター(超カッコいい!)からNHKの歌番組、果てはデイリースポーツのインタビューまで、あの人懐っこい笑顔がグイグイお茶の間に入り込んでくる様に、メジャーの力ってやつを痛感せずにはいられなかった。

と同時に、ついにスカートはそのクオリティとスケール感(体型のことではない)に見合った場所で活動できるようになったんだなぁ…という深い感慨を抱きつつ、リリース日を心待ちにしておりました。

さて。

私はスカートの楽曲における、大きなテーマのひとつは「成長と出発」ってことなんじゃないかと思っています。文字にするとちょっとこっぱずかしいんですが。

 

ただ、初期から前作『CALL』までは、その成長や出発とは、否応なく迫られる、痛みを伴うものとして描かれていたことが多かったように思います。

「選んだ道は違った 引き返すにも 遠いけれど 笑った笑顔が歪んだ 確かに残ってる」(ハル)

「あなたの目も あなたの声も 橋を通り過ぎたら 忘れる準備しなくちゃ」(どうしてこんなに晴れているのに)

「背負い慣れた重い荷物 ほどいてまた歩き出した さみしいけど 好きな歌を どうやって忘れようかと」(CALL)

もうすぐ人生の折り返し地点に差しかかろうとするいい大人の私が言うのもなんだけれども、こうしたスカートの陰影のある世界観が、自分の中にあるなけなしの繊細さに深く突き刺さり、鼻の奥をツンとさせてきたのです。

なので、この待望のニューアルバム『20/20』の一曲目を飾る『離れて暮らす二人のために』が流れ出した瞬間に、ふわっと胸に広がるあたたかい感覚。そして歌詞カードに目をやると飛び込んでくる

「いつかの歌を あなたのためにうたってみたいんだ 埃を払い 次の言葉を繋げてみたいんだ」
という頼もしさすら感じる言葉。

続く二曲目『視界良好』のファンキーだけど、力みのないカッティング。体が浮き上がるような、まさにいい感じとしか言いようのないグルーヴに乗せて歌われる
「遠回りばかり ずっとしてたけど 立ち止まることにも 意味はあったんだ」
というフレーズに込められた力強い肯定に、思わずはっとさせられた。

この成長や出発というものを、正面から引き受けるような姿に、スカートが輝かしい、新たな季節に入ったことを感じたのです。

そして、こんなにステキな歌が、日本中のラジオやテレビや映画館で流れる未来が、「好きな歌をどうやって忘れようかと」思っていた『CALL』の先に待っていたなんて…と、作品を超えたストーリーにもグッとこないわけにはいかなかった。

 

かくも新鮮な変化を感じさせる一方で、『20/20』においては、スカートの変わらない側面もまた、輝きを増しているように思う。

それは例えば『パラシュート』や『手の鳴る方へ急げ』で強く感じられる盤石にしてしなやかなバンドサウンド。
あるいは『わたしのまち』や『さよなら!さよなら!』での、失われてしまったものへの深い愛を隠さないナイーブさや、『わたしの好きな青』に感じられる池袋のモッズレジェンドやニューヨーク在住の王子様へのオマージュをはじめとする、先人たちへの深いリスペクト、などなど。

しかし、なによりも澤部渡氏の信頼できる不変ぶりを強く感じるのは、楽曲に込められた「優しさ」ではないでしょうか。

テレビ番組のエンディングテーマとして山田孝之の愛すべき愚行を包みこんでいた『ランプトン』。そして、夜明けに射す薄日のようなストリングスも麗しく生まれ変わったインディー時代の名曲『魔女』。

「もう少し悪い人になれたらいいのに/このままでは困ると思ってたんだけどなあ」

こんなポップミュージックの常道から大きく外れた、優柔不断なほど穏やかな言葉を乗せたサビに、アルバム全体のクライマックスを持ってこれるのは、やっぱりスカートしかいないよ…(そっと目頭を抑えながら)。

ついでに言うと、トータルタイム35分という前作を更新する短さにも、「ナイスポップかくあるべし」というメジャーに行っても変わらないこだわりが感じられますね。


こうしてアルバムは、『魔女』から『静かな夜がいい』で聴き手の心と身体を再びアップリフトしてエンディングを迎えるわけですが、この完璧過ぎる流れに、つい、小沢健二のファーストアルバムにおける『天使たちシーン』と『ローラースケートパーク』の関係を思い出してしまったよ。

 

 

以上が、リリースから2日で聴きまくったかけ足の感想ですが、間違いなく言えることは、このアルバムは、これからの私の成長にいつまでも寄り添ってくれる作品だ、ということです。

 

先週末のこと(Social tower marketと「カレーとDJ」)

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10/7(土)
娘の学芸会の後、急いで名古屋市のテレビ塔で行われているSocial tower marketへ。3年連続で遊びに来ている。
今年の目当ては王舟。アルバムはずっと愛聴していたものの、ライブを観たことはなかった。
初めて聴く王舟の歌には、例えば曽我部恵一の圧倒的な迫力や、澤部渡の心の急所をピンポイントで突いてくる感じとも異なる、聴く者を包み込むような大らかさと、周りの風景にフィルターをかけてしまう力があるように思えた。そしてギターがとても上手だった。
夏のような日差しを浴びながら、「あぁこのまま溶けちゃいたいな」と夢想しているところにさりげなく入り込んできた電気グルーヴ「虹」のカバーの美しさ。トリコじかけになるってこういうことか、と思った。

王舟を観た後は急いでパルコの世界堂へ。7月のOur Favorite Thingsで小田島等さんに描いてもらった娘の似顔絵をようやく額装してもらう。そういえば2年前のSocial Tower Marketでは娘と二人で小田島さんのライブペインティングを見たのだった。


再びテレビ塔に戻り、Tempalayのライブ。こちらも初体験。育ちが良さそうな東京インディーシーンへのカウンターのような、不良っぽさと底意地の悪さを感じさせる佇まい。そして絶対にシッポを掴ませないぜと言わんばかりに目まぐるしく変化するグルーヴにシビれた。普段は音楽に一切興味のない次女も「Have a nice day club」で踊ってた。

 

 

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10/8(日)
朝から町内の神社のイベントにかりだされた後、息つく間もなく新安城駅前ラヴィエベルへ。「カレーとDJ」というパーティーに参加させてもらった。店主ウエノ氏の「ブロックパーティーって感じでやりたい」という言葉通り、軒先にデーンと鎮座するElectro Voiceのスピーカー。マジかよと超ドキドキしつつ、日曜日の昼下がりにふさわしいグッドメロディーかつおだやかなリズムの曲を中心にかけさせて頂く。人通りもまばらな新安城、最初はどうなることかと思ったけど、陽が傾くにつれて、ウォーキング中のお姉さん、飲み会帰りの会社員グループ、近所のライブハウスに出演する外国バンドマンなど、実にダイバーシティなお客さんが寄っていってくれた。おだやかな天気の中でメインDJをつとめる二宮さんのプレイを聴きつつ、いつか街の名物パーティーになる日を夢想した。そしてそんな私たちが心を込めてお届けするレギュラーパーティーKennedy!!!は10/14(土)の20時スタート。カゼノイチでお待ちしております。

 

 

帰宅後、録画しておいたNHK「シブヤノート」を観る。我らがスカート、演奏はもちろんトークもバッチリのやつだった。

いい週末だった。