
しかし、ある方にすすめられて前作「楕円の夢」を聴いてみたところ、案外スモーキーというか、透明な水槽の中に少しだけ絵の具を垂らしたように広がる感情の揺らぎや陰影が、自分にとってもリアルな表現だったことに驚いた。
特に彼女自身が弾くエレクトリックピアノの扇情的な響きがとても新鮮に感じたのです。
同じような感覚は彼女の書く文章からも感じた。
中でも松井一平と共著した画文集「おきば」の書き出しで、
「子どもが生まれて、歩き出せるようになると当然公園に連れ出すことが増えた。」
という文章の直後に、
「私にとってこれは退屈なことだった。」
と続けられた時は、人の親としてのワタシの、心のど真ん中をガーンと撃ち抜かれたような衝撃を受けると同時に、この人はものすごく信頼できる表現者だと思いました。
盛らず、取り繕わず、過不足なく、目に映った世界をストレートに、そのくすみのようなものを含めてパシッと突きつけてくれる、という意味で。
そんな彼女がリリースした新作「私の好きなわらべうた」。
その名の通り、全国様々な場所で歌い継がれている/かつて歌われていた童謡をカバーした作品。
繰り返しになりますが、煩悩にまみれたワタシのような者には相当にハードル高いやつですよコレ。童謡なんて聖歌と同じくらい縁遠い存在ですからね。
なので恐る恐る再生ボタンを押してみたわけですが、意外や意外。
現代的なリズムとハーモニーをまとった童謡のメロディが、心の深い方までスッと入り込んでくる。
童謡を聴いている、という意識が良い意味で希薄になり、子を思う親の愛、その子供たちの無邪気さといった、それぞれの曲が持つ普遍的なテーマで感情が充たされていくのです。
これはポップミュージックと童謡の音楽性の違い、歌詞にあらわれる地域性、時代性すらも飲み込んで、「自分の歌」にしてしまうボーカリストとしての桁違いの力量と、それぞれの楽曲に対して最適なアプローチを選ぶプロデューサーとしての高度な批評眼によるものなのでしょう。
そして客演のあだち麗三郎、伊賀航、小林うてなといった東京インディーミュージックを支える手練ミュージシャンによる演奏も期待に違わぬ見事なもの。
特に14曲目「七草なつな」の黒光りする漆塗りのようなグルーヴ、それに続く「生野の子守歌」の無国籍フリージャズには絶対耳を貸すべき。
たぶんこの先の長い時間、何度も聴き返す作品になる気がしています。