ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

カルチャー、コロナ&ギックリ腰(22年9月の日記)

9月はギックリ腰になったり、給湯器が壊れて一週間スーパー銭湯に通うハメになったり(大出費)、中盤にはギックリ腰を再発させ、さらに家族全員がコロナに感染するというつらい30日間であった。

 


以下、厄落としの日記。

 


9月3日

映画『NOPE』を観にいく。私は映画は本当に疎いので、岡村詩野さんが紹介していた作品、または曽我部恵一佐藤優介がほめていたものの中から選んで足を運んでいる。今回は曽我部さんと佐藤さんが絶賛していたのでダッシュイオンシネマに。できるだけ前情報を入れずに観る、というのがいつものやり方なので今回もそうしたんだけど、恥ずかしながら見終わった後はどこがそんなにすごかったのか、今ひとつピンと来なかった。いやまあおもしろかったけど…という感じ。その後、反省会として妻と二人でモスに行き映画サイトでレビューを読み漁り、「そういうことだったのか!」と衝撃を受けまくる。もう一回観たいと思ったけど田舎のシネコンだとすぐ終わっちゃうのよねこういう映画は。しかしテーマの一つである「カメラ/撮ることの暴力性」は『ハッピーアワー』の解説本の中で濱口竜介が繰り返し強調していたことでもある。濱口監督とジョーダン・ピールはほぼ同い年(関係ないけど俺も…)。スマホSNSが当たり前の世代として抱く問題意識なのかもしれないとちょっと思ったりした。

 


9/4(日)

半裸と刺青がデフォ。靴なんて履いてるやつは貴族かよ?という、あらゆる価値観がひっくり返った独立国家・橋の下音楽祭へ行った。諸般の事情で日曜日だけ。GO FISHからジャガタラ、ラフィンまで観てやるぜ…と思っていたけど、朝起きると腰にミシミシとした痛みが走り、靴下を履くのも苦労する状態に。ギックリ腰というやつですね。それでもこの地方に暮らす音楽ファンとして足を運ばないわけには…と娘に付き添いを頼みGEZANだけ観た。橋の下で観る彼らのライブなんてもう絶対に間違いないやつだろと思ってはいたけど、彼らと彼らの友達の魅力が超濃縮された想像以上のパフォーマンスだった。最前でブチ上がれなかったのが悔やまれる。しかし、超久々に今は木こりになったカゼノイチ上野さん、新婚のニノさんに会えて嬉しかった。そして文系男が完全アウェイの環境下で、元TURN編集部・加藤さんに会った瞬間は、やっと会えたね…という感動と共に俺より文系っぽい人がいるぞ、という大いなる安堵感に包まれました。わずか3時間の滞在だったけど、死ぬ思いで行って良かった。

 


9月11日

あいち2022、一宮市会場へ。愛知県西部については本当に何も知らないのだけど、まずはON READINGさんのインスタで見た喫茶店シェルボンへ。素敵な建物と愛知ローカルほ喫茶店文化が混ざり合う素敵なお店だった。

最初に訪れたのは中心部から一番離れた墨会館(丹下健三設計)へ。おそらくこの建物が売却される時に払い下げられた家具を10年以上愛用しているので、絶対に足を運びたかったのだ。未来に向かって伸びていく凛とした志が濃厚に漂う空間に感無量。

続いては、のこぎり二で塩田千春の作品を。繊維を中心とした文化、生活、労働のすべてを貫いていた生命力を蘇らせ可視化したような作品。そして駆け足で中心部へ。この時点ですでに夕方。旧一宮市立中央看護専門学校では西瓜姉妹と枡山和明の作品が印象に残った。アウトサイダー・アートとヒップホップカルチャーの親和性。そして旧一宮市スケート場のすべてを使ったアンネ・イムホフの作品も期待以上の迫力。外界から隔絶されたシューゲイズ、ノイズ天国。特にロックファンは絶対に観た方がいいと思った。そして豊田市美術館で観たことあるけど…と思っていた奈良美智の作品は、神々しさすら感じた。場所が変わればメッセージも変わるということを教わったような。

そして最後に18時を過ぎてようやく辿り着いた大宮公園のバリー・マッギーは、古い街並みから人影が消えてカラスの大群が公園に戻ってくる時間帯ということもあって、不気味とロマンチックが半ばするなんとも言えない雰囲気があった。人間が消滅し、公園は木々の生命力に飲み込まれ、街は野生動物たちが奪い返す…みたいな近未来のストーリーが頭に浮かんできた。すごい体験だった。

 


さて帰ろうと駐車場に戻ると、めちゃくちゃかわいい野良猫がニャーニャー泣きながらすり寄ってきて、これは連れて帰らなきゃダメか…と一瞬思ってしまったが、餌やりの方が来る時間だったみたいで安心した。とは言えこの街に一匹で生きる孤独を勝手に想像して胸がチクチクする。

とにかく一宮会場は街並みを含めて名古屋会場以上に見どころ満載だった。もっと時間をとって訪れるべきであった。

 


9月12日

風呂が壊れる。すぐに交換を依頼したが工事は一週間後。それまでスパ銭通いの日々。めんどくさいし出費が痛すぎる。この家に引っ越してもうすぐ15年。いろいろとガタがくる季節。

 


9月18日〜

娘の学校でコロナクラスタ発生。そこから我が家に持ち込まれたウィルスを華麗にリレーして最終的に全員が罹患。三日間の高熱と喉の痛み、倦怠感。軽症だと思うけどしんどかった。しかも俺はこないだワクチン打ったばっかりだし、妻にいたっては半年で二回もかかっているので抗体とはなんなのか、と言う気もする。そして濃厚接触者から感染者へ、というルートを辿ったのでほぼ二週間を自宅待機になってしまった。

幸い、数日を除いて映画を観る体力はあったのでアマプラで色々と観る。中でも深夜についうっかり見てしまった『最後にして最初の人類』がワタシの潜在的かつ根源的恐怖をビンビンに刺激してくるたまらない作品だった。みんなも夜中に観てビンビンになってほしい。


療養中に開催されたムーンライダーズ、いや澤部渡佐藤優介を加えたmoooonriders のレコ発ライブは解熱剤を飲んで生配信を観た。本当は遠征したかったんだけど。ロックやユースカルチャーがひたすらに忌避してきた「老い」という現実を、エッジーな表現に変えていく音楽家としての凄みとバンドの絆。私は決して彼らの熱心なファンとは言えないが、独立した音楽家による大人の連合体というイメージのあったムーライダーズが、結成から40年を優に超えてもなお、バンドというフォーマットにこだわった活動をしていることは驚きだし感動してしまう。むしろ個々人がアーティストとして独立できていることこそが、バンドを保つことができた要因だったのかもしれないな、とも。もちろん昔に比べればフィジカルの衰えはあるかもしれないけど、その境地に達しないと鳴らせない音があるのだと教えてくれた気がした。俺もコロナに負けているわけにはいかない。我らが(と言わせてくれ)澤部渡佐藤優介も時には前面に立ってバンドサウンドを支えていて、めちゃくちゃグッときた。

 


9月29日(木)

療養期間もほぼ通常通りリモートで仕事をしていたけど(有休なのに)、合間をぬってボビー・ギレスピーの自伝を読み進める。曽我部さんも療養中にこの本を読んでいたそうなので、俺も絶対にこの期間中に読破しようと決めていたのである。なかなかの厚さの本なので、読む前は最後まで辿り着けるか心配だったが、まったくの杞憂。幼少期からの出来事が異常に濃厚な筆致で描かれており、完全にボビーの半生を追体験できた感じ。いかにして左翼思想を獲得したかというエピソードは左翼家庭で育ち労働組合で働いていた私に深く刺さったし、ドラッグでぶっ飛んだシーンの描写はもう笑っちゃうくらいイキイキしてたし、メリーチェイン時代の青春物語は本当に美しく、読み終えるのがさびしかった。そしてこれは個人史であると同時に、サッチャー以降の政権が労働者階級の生活にどのような影響を与えたのか、若者たちはなぜパンクに心酔したのか、セカンドサマーオブラブとは…などなど、イギリスの社会・ロック史を体感できるルポタージュにもなっており、読み応えが異常だった。「リトル・ダンサー」「ブラス」「ノーザンソウル」といった映画な世界観がリアルなものとして自分と繋がったというか。私にとってボビー・ギレスピーはスタイルと快楽と虚無の人というイメージだったけど、情熱と執念と理性の人でもあることを知った。そんなことを無性に誰かと語りたくなったけど、私にそんな友達はいない。赤と黄色の装丁もオシャレで良かったです。