ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

第二回うたのゆくえ(二日目)に行ってきました

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地方分権のかけ声も今は昔、政治も経済も東京への一極集中の度合いを高めまくってる現代の日本。

しかしポップミュージックの世界においては各地方をベースにしつつも、活動全国区で活躍するミュージシャンやレーベルが目立つ。

その背景には在京メジャーレーベルの地盤沈下という事情もあるのだろうけど、それはともかくとして、とりわけ近年の京都からは台風クラブや本日休演をはじめ、素晴らしいミュージシャンが次々と現れている。

 


そんな京都のオールスターキャストと、それに呼応する東京のミュージシャンが一同に会するイベント「うたのゆくえ」に行ってきました。

 


あまりにも観たいアーティストだらけすぎて、開催が発表された瞬間から、俺はもうこれだけを希望に年度末を生き抜くぞ…と思っていた次第です。

諸般の事情により残念ながら2日目だけの参加となりましたが、最高だった一日の記録を残しておきます。

 

 

開演は13時ということで、その前にレコード屋さん行ったり、聖地α-station(ラジオ局)を拝んだりしようかな…と思っていたのだけれども、急遽12時からタワーレコードで田中ヤコブがライブをやるということで、まずはそちらへ。ここから私の「うたのゆくえ」がスタート。

 

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18年のニューカマーの中では一番よく聴いたアルバムは多分彼の「お湯の中のナイフ」。

レイドバックしているようでいてニューウェーブ的な緊張感とモダンさのあるメロディー、そしてするっと入ってきていつのまにか壮絶なことになっているバカテクのエレキギターにすっかりやられてしまったのです。

それに加えてこの日のアコギ弾き語りでは、そのルーツにかなり濃厚なブルーズを感じて、一筋縄ではいかない音楽性が京都の街にとても似つかわしいもののように思われた(ヤコブ氏は東京から来たはずだけど)。

飄々とした語り口とインパクトのあるルックスもクセになりそうで、早くバンドセットで観たいという思いが募った。

 

 

 

さて。ヤコブ氏のライブ終了後、いよいよ会場であるVOX hallへ急ぐ。まずはメイン会場のホールで本日休演を。

 

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彼らのライブを観るのは約2年ぶり二度目。前回観たのは金山ブラジルコーヒーで、完璧なまでにねじ曲がった音楽性と予測のできないパフォーマンスに衝撃を受けたのだけれども、その核となっていた埜口敏博さんが直後に急逝。四人体制になってから初めて観た。かつての愛すべきすっとぼけた学生感は大きく後退し、EP-4やFriction、ゆらゆら帝国を彷彿とさせる、ひんやりとした硬質さが前景化されていた。ロックンロールというフォーマットから体温や感情をすべて取りさらったようないびつな音楽。のっけからとんでもなくかっこいいものを見てしまった…と口がポカンとあいた次第。

 


六曜社でコーヒーブレイクを挟んだ後に観たのは、京都初登場という東郷清丸。

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まるでビートルズゲットバックセッションのような都会のビルの屋上で清丸氏の歌を聴けるなんて…と思いきや本番直前になって突如雨と風が。さすが嵐を呼ぶ2兆円男である。

なんとか持ち直した空の下始まったライブは、よりスケールが大きくなった歌唱力が印象的。あっという間にみんなの心と京都の空に虹をかけていく。特に「Super Relax」と「サマタイム」はこのまま陽光の中に溶けるんじゃないかという気持ち良さ。しかしそれすらを上回る快感がこの日も披露された新曲「L&V」には宿っていて、一度聴いたら忘れられない止められない中毒性。来月にもリリースされるというニューアルバム(!)が法律で禁止されやしないかと心配なほどである。

 

 

 

さて、屋上からホールに戻ると、すでにとてつもなくファンキーなビートがガンガン鳴らされている。すばらしか、である。

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彼らが昨年出したアルバム「二枚目」があまりに素晴らしく、つい拙フリーペーパーの巻頭に歌詞を無断引用してしまった私だが、実はライブを見るのは今日が初めて。重ね重ね本当にすみません。

そのフリーペーパーを設置頂いたココナッツディスク吉祥寺の矢島店長に「ライブもつっぱっててかっこいいんですよ!」と教えてもらっていた通り、荒々しくてぶっきらぼうで、とんがりまくったロックンロール。いやだけどここまで壮絶なライブだとは思わなかった。

アルバムで聴かせたグッドメロディーはすべて解体され、ギターやクラビネットが時おり鳴らすリフに、そのわずかな痕跡が読み取れるだけ。ただひたすらにフロアの温度を上昇させるためだけのダンスミュージックへと変貌していた。この「うたのゆくえなんて知ったこっちゃないぜ」とばかりにボルテージを上げていく様に、97年のミッシェルガンエレファントの亡霊を見た。そしてラストのロック史上屈指の名曲スライアンドザファミリーストーン「Thank you」と取っ組み合いながら一体となっていく「うそは魔法」で、たぎった血液が体内を逆流するのを感じながら、俺はロックンロールでこんなに興奮したのはいつ以来だろうと考えていた。

 

 

さて、すばらしかで盛り上がり過ぎてフラフラになりながら移動すると、入口付近で「今からライブやりまーす。よろしくお願いしまーす」とビラを配る青年。そう、マーライオン本人である。なぜ会場の中でビラを配っているのか。ライブが始まる前から120%じゃないか。その心意気に胸を熱くしながらサブ会場である十八番へ。

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初めてマーライオンのライブを観た時は、その爆発的なパフォーマンスが俺の(暗くて小さい)脳内処理能力を超えてしまった感じだったのだけど、過去の音源もしっかり聴いて臨んだこの日のライブは、彼の表現を受け止められた(ような気がする)。

なんてことない人の、なんてことのない日常の、でも絶対に二度とない瞬間。そこに全力で、まさに120%の熱量でフォーカスしていくことの勇気。ステージ横で音楽ライターの岡村詩野さんがインスタでライブ配信するためにずっと撮影されているのを見て、そのつい応援したくなる気持ち、なんかわかります…と勝手に共感していた。

 


マーライオンの「よしみんなで山本精一観に行こうぜ!」という呼びかけに従い、続いてはメインステージで山本精一&SEA CAMEを。間違いなくこの日一番の大御所である。20年前、彼が率いる羅針盤「らご」の衝撃といったら。しかしそのホンモノぶりが私のようなあまちゃんには敷居が高いように思われ、ライブを観るのはこの日が初めて。

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どんなライブになるのかしらと緊張していたが、ボーカルの透明感、メロディの瑞々しさはあの当時のままで、今まで勝手にハードルを上げていたことがばからしく思えるほど、最高にポップな音楽。しかし、ギターの一音一音にはさすがの説得力が、バンドのアンサンブルにはえも言われぬ緊張感があり、やはりホンモノは違うぜ…と唸ってしまうライブだった。今日のような機会がなければ、ずっと見逃し続けたままになっていたかもしれない。主催者様に感謝したい。

 


京都は夜の6時。さぁいよいよ佳境に…という時間帯でありましたが、寄る年波と空腹には勝てません。ちょっと街に出て休憩。どなたかがまとめてくださっていた#ラジカクキョート部で紹介されていたお店リストから見つけたお店に向かうも、立ち飲み屋さんだったため断念(足が限界)。適当に選んだ近くの居酒屋に入る。有線で徳永英明とかバブルガムブラザーズがかかる店なのに、トイレに誰かが貼ったEP-4のステッカーが残されていて、改めて京都という街の業の深さを感じた。

 

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さて再び会場に戻り、中村佳穂のライブを。

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各所で去年のベストアルバムとの賞賛されている「AINOU」に私もぶっとばされた一人だが、あまりにも急激に人気が出るものだから、このタイミングを逃すともう観ることもないかもな…と思ったりもしていた。が、本当観れて良かったです!と言いたくなるライブだった。あれをライブと呼んでしまっていいのか、よくわからないくらいの体験だったのだけれども。

一言で表現すると、モノが違う。細かな音楽性を云々することが意味のないものに思えてしまうほど、中村佳穂自身が放つパワーが圧倒的。音楽が身体と分かち難く結びついているというか、一挙手一投足のすべてが音楽になっているというか。それでいて、圧倒的なカリスマにありがちな暑苦しい圧力も感じさせない、ポップミュージックとしての軽やかさもあるという、不思議としか言いようのないライブ。

この奔放な輝きをよく一枚の録音物に封じ込めることができたものだな…と改めて「AINOU」という作品の果てしなさも感じずにはいられなかった。


この後もトリの折坂悠太までがっつりいきたいところだったのだけれども、終電の関係で、ギリシャラブをちょっとだけ見てから会場を後に。


帰りの新幹線の中、なぜ京都がインディーシーンにおいて特別な存在なのか、ということをぼんやりと考えていた(ちなみに京都市の人口は148万人、名古屋市は230万人、大阪市は270万人である)。

それはおそらく、大学という有為な若者を引き寄せる施設が集まり、自由な表現を許容するライブハウスやカフェが充実していて、彼らに愛ある眼差しを注ぐ今回の主催者である須藤朋寿さんのようなオーガナイザーや、岡村詩野さんのような評論家がいて、さらには日本で一番インディペンデントな音楽に理解のあるα-stationというラジオ局まで存在している、つまり新しい音楽が生まれ、育ち、発信されるエコシステムが成立しているから、ということなのだろう。


なんとうらやましいと思わずにはいられないけど、辺境の地から現れる奇跡を目撃するというのもなかなかロマンのある話じゃないか。日本のデトロイトこと愛知県に住む私も、そんな瞬間に立ち会えるように徳を積みながら生きていきたい。