2016年における数少ない後悔の一つが、名古屋であった寺尾紗穂のライブに行けなかったこと。
今年はチャンスがあるかしらと思いつつ手に取った「南洋と私」。
日本統治下のサイパンで繰り広げられた日米の戦争について、当時サイパンで暮らしていた人々の証言が集められている。
専門的なディテールを究めた学術書というわけでもなく、隠された巨悪を暴くドキュメンタリーというものでもなく、一言でジャンルを説明することが難しい本ではあるのだけれども、それこそがこの本の素晴らしさ。
寺尾紗穂が自らの手足で、当時の住民一人ひとりに寄り添って声を聞き取り、自分の主観と重ね合わせていくことで、遠い過去の話である戦争や植民地統治というものを、ほのかな体温を帯びたものとして想像することができる。
そして、それらの市井の人々から語られる生活感のある言葉を読むにつけて、
歴史とは、施政者の手によって書かれる大きな文字の連なりではなく、その時代に生きた一人ひとりの時間の積み重ねであるということ。
国家のために国民がいるのではなく、そこに住む人々のために国家という仕組みがあるということ。
こうした当たり前の事実が、忘れ去られていることに気づかされる。
そしてその視点に立ち返ることで浮かび上がる、国家が国民の命を差し出して、他国の主権を奪わんとする戦争という手段がはらむ、ありえないほどの倒錯性。
ちなみに私は自分や自分の家族が他人の都合で死ぬくらいなら、あっさり降参して別の国の人間になる方がマシだと思ってますが、
それが生き物として普通の感覚だと思うので恥ずかしくはないです。