極めて不親切な映画である。
そこがどこで、何をしているのか一切の説明もない。
一人の女が、ピアノを弾いてはやめて、歌ってはやめる姿が延々と映し出される、ただそれだけの90分。
女以外の登場人物もいないわけではない。
しかし、おそらくその世界では一流であろう男たち、レコーディングエンジニア・マネージャー・撮影スタッフは彼女の顔色を伺いながら右往左往するばかり。
インタビューに登場する、普段は一国一城の主たるアーティストたちも、この圧倒的な女王の存在感の前では、ただ楽曲を供出するミツバチのようである。
しかしそれもやむを得ない。
何せ、女王がピアノと一体になって作り出しているものは、音楽という名の宇宙そのものなのだから。
男たちはただ、宇宙をつくっては壊し、つくってはまた壊す、女王の差配を固唾をのんで見守り、翻弄されるしかないのである。
そして映画の終盤、完璧な技術と情感で演奏される「中央線」(作詞作曲・宮沢和史)がクライマックスに差し掛かったところで、女王自らの手によってバッサリと裁断されてしまった時の喪失感に、観客である私たちもまた、女王の下僕でしかないことを思い知らされる。
しかし、繰り返しになるが女王がつくりあげようとしているのは、宇宙そのものなのである。
本来は誰も見ることのできない、宇宙が明滅する瞬間。
それをまるでその場にいるような臨場感で目撃することができるのだから、これは極めて贅沢な映画と言わざるを得ない。