ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

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自由と共鳴の音楽。 GUIRO「アバウ」について

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GUIROの新曲を聴きました。

1日でも早く手に入れたかったけど、最初に流通するのはこれまでGUIROの音源を扱っていたお店だけ、ということで、高速ぶっ飛ばして名古屋オンリーディングへ。


さて、前回の記事で『「日本を代表するバンド、GURIO」というcero高城氏の言葉に偽りなし!』と断言した私。
でも、なんといっても9年ぶりに出る新曲ですから。

音楽としてのクオリティの高さには確信があるものの、ポップネスというか大衆性の部分で、遠くに行きすぎていたりしないか。

いや、もっとはっきり言ってしまえば、俺のような粗野で音楽的教養に欠けた人間の胸をも熱くしてくれる「分かりやすさ」があるのだろうか、ということを唯一心配していたのです。


そんな期待と不安を胸に、また大急ぎで家に帰り(時速300キロは出てたと思う)、アンプのスイッチをオン。
真空管があったまる数秒間すらもじれったいぜ。


まず、ジャーン!ジャーン!とファンキーかつソウルフルに始まるイントロにびっくり。
その前日に買った片想いのアルバムを間違えて再生してしまったのかと思ったが、三小節目に始まるコーラスを聴いて、おぉGUIROだ、と確認。

しかしそれもつかの間、息つく暇なく四方八方から飛んでくる、ドラムにギター、ピアノやストリングスの音色たち。
この、空から降る音のシャワーを浴びるような感覚。
今年の5月、ハポンで観たライブの時に味わったヤツそのものじゃないかと肌が粟立つ。

しかも、その時のライブや前作「Album」よりも、それぞれの楽器と声が、より高らかに、より自由に、自分の存在を主張するようなメロディを奏でている。

その色とりどりの支流が集まってできた大河のようなグルーヴに乗っかって、地球の裏側くらいまで運ばれてしまった4分半。

 

改めてGUIROの音楽に対峙することとはある種の「体験」なのだと感じました。

(完璧にシラフですよ、念のため言っておくと)


それにしても。
この力強いサウンドは、一体どこからくるものなのか。
もちろんそんなことは何度聴き返してたところで私には分からない。

ただ、後半の歌詞に現れる「混ざり合う」というフレーズに、そのヒントがあるのではないかという気がしている。

他者と混ざり合うことに対して臆病になり、ぶ厚い壁を作ろうとする、音楽、私たち、日本、世界。

それに対して、誰かや何かを受容し、共鳴することの素晴らしさを、最高のミュージシャンシップをもって伝えようという強い思いが、このGUIRO史上最高のファンクネスを生んだ原動力なんではなかろうか。

そんなことを考えている、つまらないニュースばかりの2016年最後の日。

どうぞ良いお年を。