サニーデイサービスの名作"東京"のリリース20周年記念ボックスセットが届いた。
何を隠そうレコードプレーヤーを持っていない私でありますので(ついでに言うと運転免許もAT 限定だ)、「待望のアナログ化」「〇〇周年記念ボックスセット」「レコードストアデイ」といった単語にはほとんど縁がないわけですが、今回ばかりは迷わず購入。
その理由の半分は、小田島等デザインの桜ジャケットを大きいサイズで欲しかったから。
(そしてもう半分の理由はもちろん、リマスター版とレアトラックが収録されたCDが聴きたかったから)
このデザインの素晴らしさは誰もが認めるところだろうし、私も以前こってりと書いたわけだけれども、こうして12インチサイズで改めて見ると、写真のローファイな粗さがより強調されて、桜の自然美とは言うよりは、往年のAKAI S950あたりのレートの低いサンプラーの手触りを感じるわけで、エバーグリーンな普遍性を漂わせつつも、きっちり90年代をレペゼンしているポップアートとしての不敵さにグッとくる。
さらに付け加えると、このアナログ(桜)とデジタル(サンプリング)の境界線上の表現というのは、レーザープリンターと手刷りの版画を組み合わせた小田島画伯の最新作「アイロニカルな肯定、その愛」シリーズと通じるものを感じさせて、ポストヒップホップ世代のアーティストとしてのブレないこだわりにしびれるのです。
箱を開けると、アナログ3枚とCD2枚。そしてブックレットが2冊。
デザインはもとより、紙の質感、スタッフクレジットの一文字にまでみなぎる愛と緊張感。
まるで1996年のサニーデイサービスがまとっていた空気を、そのまま真空パックしたような熱量を感じる。
そんな溢れんばかりのサニーデイ感に気圧されつつ、当時のバァフアウト!誌の特集をそのまま掲載したブックレットを開くと、下北沢、経堂、神保町といった古き良き東京の街を散策し、新宿の古い喫茶店で松本隆と対談する若き日の曽我部恵一の姿が。
そこでようやく初めて思い出したのだけれども、俺はこのセピア色の佇まい、風街ろまん的世界観が嫌いだった。
だって、俺の目に映る当時の東京と言えば、TKサウンドが鳴り響く中、ルーズソックスを履いた女子高生が濶歩する、鮮烈な原色の街だったのだから。
懐かしい学生街なんて幻想じゃないか、と。
もっとも今になって思えばそれは、東京郊外ベッドタウンの実家に暮らすショボくれた高校生による、一人暮らしの大学生だけが持つ眩しいモラトリアムに対するヒガミだし、曽我部恵一が確立していた価値観がそれだけインパクトのあるものだった、ということなのだけれども。
ともかくそんなわけで俺がサニーデイサービスのことを、「自分のバンド」と思えるようになったのは、より内省的で現実的な次作”愛と笑いの夜”からだったわけで、同梱されたもう一冊のブックレットの中で樋口毅宏が書いた「サニーデイサービスにおいては、"東京"だけが特別な作品ではない」という意見には深くうなずくところなのである。
(ちなみに個人的な最多通算再生回数を誇るのは、たぶん"MUGEN")
さて、そんな記憶を長い前置きとして呼び起こした後で、ようやくリマスター版"東京"を聴く。
ベースの低音はゴリッと豊かに、ボーカルとギターはより艶やかに、あの珠玉の名曲たちがより立体的に浮かび上がり、思わず声を上げそうになる。
でもやっぱりその瞬間に心を満たすものは、20年前のノスタルジーではなく、現在進行形の興奮。
そこには今も、ドラムでおぼつかない足どりを、ベースラインで心臓の高鳴りを、アコースティックギターで頬を撫でる風を、そしてその歌で今まで言葉にすることができなかった感情を、誰より鮮やかに表現してくれる3人組のロックバンドがいる。ただそれだけのこと。
しかしもう高校生ではない大人のワタシは、いろんなことに夢中になったり飽きたりする日々の中で、かつて永遠だと信じたものの多くが、いつの間にか手のひらからこぼれ落ち、色褪せてしまったことを知っている。
あるいは、「ただそれだけのこと」を続けることの難しさというものも、それなりに身をもって知ってしまっている。
その残酷な時間の中で、"東京"という作品が依然としてその輝きを一切損なっていないということ。
サニーデイサービスというバンドが、"若者たち"から最新作"苺畑でつかまえて"に至るまで、朽ちることのない作品だけを世に送り出してきたということ。
そういうバンドに出会うことができたこと。
そうした事実の重みは、年を重ねるほどに増していくのです。