
ビーチボーイズはそんなにちゃんと聴いていないワタシですが、自分の葬式にはぜひペットサウンズを流してほしい。
そんな身勝手なリスペクトをしています。
なのでこの映画の中の、ブライアン・ウィルソン栄光の60年代の回想シーン、特にペットサウンズのレコーディング場面のリアルさには、自分もそのスタジオにいるかのような気分になってしまい、映画館のでっかい画面と音で観てホントに良かったと思っている
一方で、話のもう一本の柱である、ブライアン暗黒の80年代を描いたシーン。
こっちは正直、勧善懲悪なメロドラマと、ラッセン感のある衣装・髪型がちょっとキツくて、なかなか入り込むのが難しかった、と言わざるを得ない。
とは言え、そもそもあれは実話だし、そこに文句をつけちゃ不謹慎だし、あのファッションが80年代のカルフォルニアだ!と言われればごもっとだし…とちょっとモヤモヤしていた。
でも、たまたま読んだ萩原健太と町山智浩の対談で、二人も同じ感想をガンガン言っていて、俺だけじゃなかったかと思うと同時に、萩原健太はあの映画の監修をしていたはずなのに、さすがの萩原健太だなぁとシミジミしてみたり。
で、その萩原・町山対談の中で、ブライアン・ウィルソンと同じように『天才なのに私生活はダメなミュージシャン』として名前が挙がっていたのが、ダニエル・ジョンストン。
これは市場に流通させちゃいけない音楽だわ、とサラリーマンとしての理性が瞬時に判断するレベル。
しかし一方で、僕の中の少年的感性(©山下達郎)は、ダニエル氏のどこまでも邪気のないメロディと歌声にガッチリ腕を掴まれてしまい、耳からイヤホンを抜けなくなってしまった。
というわけで後日じっくりと聴くべく、CDを買って何度も再生している。
が、調子っぱずれの歌とピアノ、パーカッションがわりに机を叩いた音を、安物のラジカセで録音しただけの、ほころびだらけの音楽にしか聴こえない。
にもかかわらず、これはこれで完成された音楽としか聴こえないという謎。
もしかしたら、ダニエル・ジョンストンの頭の中には、彼だけのオーケストラがいて、このスカスカな音を埋める芳醇なハーモニーを鳴らしているんじゃなかろうか、なんて妄想も膨らむ。
そして、その堅牢に構築された彼の世界のおこぼれ、断片、カケラのようなものだけに、その外側に暮らす俺のような凡人はありついている、ということなのかもしれない…とか。
いやしかし、こういうことをアウトサイダーアートと呼ぶのかもしれないし、そもそも芸術って全てこういう構造だよな、とかなんだかいろんなことが浮かんだり消えたりするんだが、とりあえず今日のところはこのおこぼれを有難くいただくこととする。