洒脱で、モダンな文体。
いつかそいつを自分のものにしたいと思っている。
そのためにはたぶん、海外小説を読むのが一番ではないか。
あの翻訳特有の、少しぎこちなくてキザな日本語。
そいつを血肉化してやろう。
そう思い立って出かけた本屋さんで、たまたま手にしたのが"停電の夜に"という短編小説。
インドへの旅でceroに救われた俺にピッタリの本じゃないか、と。
まず冒頭を飾る"停電の夜に"というタイトルトラック的な短編は、ギクシャクしている夫婦が、停電が続く夜にロウソクの火を前にして、お互いの秘密を一つずつ告白していく、という話だった。
他愛もない事柄から、二人にとっては衝撃的なことまで、大小様々な秘密が語られていくのだけれども、決して派手なストーリー展開があるわけではない。
他の話も同じように、「インド人のシッターに預けられる男の子の話」、「アメリカ人がインドで家族旅行をする話」、「近所に住むバングラデシュ人のおじさんがよく夕飯を食べにきていた話」etc.。
いずれも誰の身にも起こりそうな、一見なんてことないエピソードが並んでいるのだけど、作者ジュンパ・ラリヒの高解像度のカメラのような描写による臨場感に引きこまれ、一話読み終えるごとに深いため息が出る。そして、思わず一話ずつ大切に読んでる俺、みたいな。
この小説に出てくるような、なんでもない風景が物語になってしまうということ。
それは、ワタシのどうしようもなく凡庸な日々の生活や、すっかりパターン化してしまったような心の動きの中にも、繊細に注意深く目を凝らしてみれば、今ここにしかない、自分だけの、意外と抑揚のあるストーリーを見出すことができる、ということなんじゃなかろうか。
もっと言えば、誰の人生にも、どんな瞬間にも、それなりの意味があるんだぜ、いうことかもしれない。
そんなことを考えさせられました。
(他にも、インド人特有の感覚とか、その感覚に国籍や生活環境がどう影響を与えるのか、とか考えるべき視点はたくさんあるんだけど)
「停電」という特殊だけど誰もが経験したことのある状況下で、普段は当たり前と思っている景色の中に大切なものを見いだすという歌詞は、この小説の本質に近いものがある気がした。
うん。
結局、今回もヘリクツクソ野郎な文章になってしまったということはわかってる。