ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

SONICMANIAでコーネリアスのライブを観た

2021年8月20日土曜日の夕方、私は苗場スキー場の端っこでタコスを食べていた。本当なら今ごろ、この森の向こうのグリーンステージで「STAR FRUITS/ SURF RIDER」を聴いていたはずなのに…という空しさと悔しさを抱えながら。あの騒ぎは一体何だったのか。今でも分からないことがたくさんあるが、それはここでは書かない。あれからちょうど一年後の2022年8月19日金曜日。私はこの目と耳でコーネリアスの復活を見届けたのだから。

 

神様はこの日もすんなりと開演させてくれたわけではない。私が新幹線と京葉線を乗り継いで会場にたどり着いた瞬間に飛び込んできたニュースは、サポートメンバー堀江博久の出演見送り。ただでさえ人間の処理能力の限界に挑むような複雑なアンサンブルを、3人だけで鳴らせるのだろうか。でもこの悲報と共にTHE JAMのジャケットをネタにした3人のアー写を送ってくるくらいなのだからきっと大丈夫なんでしょう…。

 

復活の瞬間を見届けたい…ということだけではなく、今日こそあの演奏は誰がどうやって成り立たせているのかを把握したい、という好奇心から前方エリアでスタンバイ。開演時間が近づき、おなじみの白い幕に円環の映像が写し出される。高まる期待と緊張…と言いたいところなんだけど、いつまで経っても大きな音でCMが流れ続けて集中させてくれない。波の音のSEとアブリル・ラヴィーンの歌声が混ざり合う、やや締まらない空気の中、その時は来た。深く残響する鋏の音、猫の鳴き声と口笛による「運命」、そして「聞こえますか?」という問いかけ。フジロックでは配信の画面越しにも緊張感が伝わってきた小山田圭吾の声だが、今日は固さは感じない。ええ聞こえてますよはっきりと…という念を送り返した瞬間に鳴り響くドラムブレイク。エレクトロニカル・パレードのような音と光が跳ね回り、ショーの始まりを告げた。

 

ドラマチックに幕が落ちて始まったのは「Point of View Point」。コーラスの厚みという点では堀江の不在を感じるけど、それよりもスリーピースとしてのソリッドな切れ味が際立っている。複雑なフィルインを叩き続けながらジャストなグリッドを守り続けるあらきゆうこのドラムと、その土台をがっちりと固める大野由美子のベース、そしてパーカッシブなギターとボーカルで平熱のグルーヴを先導する小山田のギター。続く「いつか/どこか」の安定感のあるボーカル、「Audio Architecture」の居合抜きのような演奏に、私の心身は感慨ではなく高揚と興奮に支配された。

 

初めてセンチメンタルな気持ちになったのは、mei eharaをフィーチャーしながらすぐに姿を消してしまった悲運の名曲「変わる消える」がプレイされた時だろうか。去年聴いた時には小山田の運命に忍び寄る影を予言するような歌詞の方に心を奪われていたが、この日胸にぶっ刺さるのは「好きなもの あるなら 早く言わなきゃ」「好きな人いるなら 会いにいかなきゃ」というフレーズ。そう思ってここに集まってきた人がこんなたくさんいるんだぜ。信じられないよ…。

 

そしてここからが前半のクライマックス。

ストーンズ、プリンス、フーなどの映像に混じって電気グルーヴ、META FIVE、そしてプライマルスクリームがコラージュされたSONIC MANIA仕様の「Anoter View Point」から「Count Five or Six」、「I HATE HATE」へと続く怒涛のヘビーロック急流下り。まるで「時計じかけのオレンジ」のルドヴィコ療法のように、視覚、聴覚、そして肉体反応を完全に制御されてしまったかのよう。こうしたギターをフィーチャーした曲になるとまたしても堀江の不在を強く感じるのだが、こちらはもうアドレナリンがドバドバなので、車のタイヤは一個足りないくらいがちょうどええんや!という気持ちになってくる。やばい。


暴走した頭と身体をクールダウンさせる「Surfing on Mind Wave pt2」が前半と後半を分けるインタールードのように鳴らされる。こんなにアブストラクトなギターインストを、これだけの大観客の前で鳴らすことのできるアーティストは日本に他にいるだろうか。改めて彼の存在の特異性を感じずにはいられない。

 

そして後半戦最初のピークはなんと言っても、「Beep it」から「Fit song」そして「Gum」までのニューウェーブ・ファンク三連発。音がシンプルになった分、剥き出しになったミニマルなファンクネスが脳と足腰を同時に襲ってくる。どんなに音はうねっても、映像と同期しているので強制的にジャストのタイミングに戻されていく独特のグルーヴは中毒性が高すぎる。デビッド・バーンは「アメリカン・ユートピア」で無機質なニューウェーブサウンドを生身の肉体に還元させることで大きな感動を生んだが、コーネリアスはそこからもう一度人間をプロツールスの中に押し込んでいくような、ばかばかしいくらいの倒錯性とユーモアがある。しかしきっとこれこそが言葉や意味を超えた、ユニバーサルなコミュニケーションを産む源泉なのだ。小山田の創造性はもちろんのこと、この無茶なオーダーに応えるサポートメンバー三人(今日は二人)の能力の高さ、懐の深さに改めて感嘆する。ちなみにフジでは「白竜がなんか振り回してる!」と話題になった「Berp it」のカウベルは小山田本人が叩いていた。いかにも野球が苦手そうなフォームでコンコン叩き、ぶん投げるのではなくぽいっとスティックを放り出す姿に文系の魂百まで…という思いがした。

 

「環境と心理」のイントロが流れ、このショーも終盤に差しかかっていることを知る。本日二度目のセンチメンタルタイム。この一年、大変だったのは小山田圭吾だけではなかった。META FIVEは終わってしまったけど、高橋幸宏が全快したらぜひまた何か新しいことが始まってほしいと思う。しかしあのMETA FIVEの配信ライブから9ヶ月後に、こんなに素晴らしい夜を迎えられるとは思わなかったな。

 

そしていよいよ「STAR FRUITS SURF RIDER」。高校生の頃から聴いている曲だけど、こんなに優しく響いてきたのは初めてだ。さりげなく包み込んでくるシンセの音、ひとりごとのようなメロディ、遠い夜空に輝く花火のようなドラム。堀江博久のトランペットに代わって大野由美子が吹くカズーの愛らしさに悶絶しているところへ画面に現れた「From Here to Everywhere 」の文字。やっとここから、どこへでも、この音楽が飛んでいける日が来たんだな…と思ってちょっと泣いた。

そしてそのままラストの「あなたがいるなら」。これが来るって分かっているのに震えてしまうこのキックの音。それにしても「変わる消える」もそうだけど、坂本慎太郎という人は予言者なんじゃないかというほど恐ろしい歌詞を書く。もちろんリリースされた時から素晴らしい曲だと思っていたけど、この一年の出来事を彼が綴った言葉が吸収して、その重みをぐっと増した。本当にこの曲があってよかったと、ここにいる全員が思っているんじゃないか。

 

そして大団円。演奏とリンクした「Thank you very very much」の文字が流れ、小山田圭吾が「どうもありがとうございました」と一言。そしてあらきゆうこ大野由美子と共に前へ出て挨拶。フジの時には何かこみあげる感情を抑えているように見えたけど、今日はとても楽しそうに笑っていて、こちらまで嬉しくなる。去り際に客席を指差して手を振ったのは、ファンの方が持っていた「おかえり」といううちわが目に入ったからだそう。

 

私はこのシーンを目の当たりにする瞬間まで、一連の騒動は小山田にとっても、ファンにとっても、そして火をつけて騒いでいた人たちにとっても、まったく意味のないものだったと思っていた。誰も何も得ることのない、ただ時と共に風化していくだけのスキャンダルだと。しかし、このまぶしいくらいに幸せな光景を前にして、もしかするとあれは、少なくとも小山田さんと私たちにとってはまったく無意味なものというわけではなかったのかもしれない、と初めて思うことができた。もちろんこの夏の喜びが、去年失ったものを穴埋めできるだけのものだったのかは分からない。しかし明らかにここには、あのトラウマを乗り越えたからこその信頼関係があると思ったし、それはこれからも有効だと思う。

この日が来ることを信じていて良かったな、と心から思ったし、小山田圭吾という人はこれから先も素晴らしい作品しか作らないだろうと、根拠なく確信した。

 

いつまでもこの余韻に浸っていたかったけど、タイムテーブルが被ったスパークスを観るために、私は急いで隣のステージへ向かった。

 

 

 

東郷清丸ワンマンコンサートを開催しました

久しぶりにライブを主催した。その名も「東郷清丸ワンマンコンサート」。私のような音楽好きがイベントを企画する場合、その価値観にあった何組かのアーティストに出演してもらうということが普通だと思うのだけれども、今回はワンマン以外の選択肢はあまり考えなかった。今の東郷清丸の歌をたっぷり聴いてほしいということこそが私のエゴであり、今やってみたいキュレーションだったから(とは言え個人的にもう少しドキドキしたいと思い、オープニングDJをやらせてもらうことにした)

 

清丸さんから声をかけてもらってライブの開催が決まったのが5月末。それから2ヶ月の間にコロナの感染状況はみるみるうちに悪化。果たして彼は無事に名古屋に来れるのか、私や家族も感染せずに乗り切れるか。最後の一週間くらいは毎日ヒヤヒヤして、絶対に電車に乗らないようにしていた。私ですらこんな気持ちになるのだから、世の中のミュージシャン、イベンターの皆様の胸中たるや…。

 

ライブを開催した7月29日はフジロック初日。清丸さんが到着した頃、ちょうど配信もスタートしたので、しばしお茶を飲みながらモンゴルのバンドを一緒に鑑賞。「なんかこのまま夜まで観ちゃいそうですね」という一言で今日の予定を思い出し、娘たちと一緒に近くのラーメン屋さんへ。しかしそこでもフジロックが流れていた。

 

昼食後、名古屋へ向かう車の中で清丸氏といろいろな話をした。今さら私が言うまでもないけど、清丸さんの話はいつも本当に面白い。考え方はとても合理的なんだけど、その合理の「理」の部分をちゃんと自分の五感で納得するまで確認している感じ。私のようなサラリーマンにとっての合理性とは、どれだけ楽に、早く利益を出せるかという観点のみであり、それが本当の「理」なのかどうかなんて考えもしない。しかし彼はアーティストとして、あるいはひとりの人間としての最善というものをきちんと考えて、その状態を作り出そうとしている。成功するかどうかとかは関係なく、それを追い求める過程こそが人生なんだよな…と会うたびに考えさせられてしまう。この辺りの話はぜひ彼が書いている「日誌I・II」を読んでみてほしいと思う。

 

行ってみたいとリクエストのあったコメヒョウを経由して会場のブラジルコーヒーへ到着。ここで私がライブを開催させてもらうのは初めて。だけど6月末にリ・ファンデくんが曽我部恵一さんとツーマンをやった時にも店主の角田さんにはご挨拶してるので緊張少なめ。清丸さんはもう何度もやっているのでリハもスムーズに終了。開場まで一時間あったので、DJの練習。清丸さんのストレッチが捗りそうな選曲を心がけていたら、角田さんに「知らない曲ばっかりだけどいいわー」とほめてもらってとても嬉しかった。そして西陽が窓際に置いてあったジンジャーエールのグラスに差し込んできた時の美しさは忘れられないプレシャスメモリー…。

 

このコロナが吹き荒れる昨今、しかもフジロック初日に集まってくれる人はいるのだろうかと心配していたけど、思った以上の方が集まってくれた。改めてお一人ずつにお礼を言いたいくらい嬉しかった。音楽、特に清丸さんのような真にインディペンデントな音楽を聴きにきてくれる人たちは、ただのお客さんということではなくて、その表現を支えているパートナーのようなものですよね…と思った次第です。ありがとうございました。


そしてライブはたっぷり1時間半。聴きたい曲はほぼすべて歌ってもらった感じがする。

この日のことを私はなかなか客観的な視点で振り返ることはできないのだけれども、歌詞カードも見ず、曲順も決めず、身体のおもむくままに曲を紡いでいく姿をもって、非日常的な歌唱という行為をいかに自然な営みとして発生させることができるか、という命題に対する過程を見せてもらったような気がした(アンコールをやらない、というのもその一環だろう)。そしてもちろんその試みはすでに高いレベルで完成していて、すっと心に染み込んでくる歌声や、音と音の間だけで身体を心地よく動かしてくる独特のリズムはその証しとして届けられたものだと思うのだけど、この先が彼がどうなっていくのか、本当に目が離せないアーティストだと改めて思った。演奏が終わった後のお客さんの表情や、長い物販の列を見ると、きっと来てくれた皆さんも同じようなことを感じていたのではないかと勝手に思っている。

機材を撤収して帰宅。ただの肉体作業ではあるけど、こんなとすらもなんか文化祭みたいで楽しかった。

 

翌日、みんなで朝ごはん。人懐っこい兄猫はもちろん、用心深いはずの妹猫もすっかり懐いている。いつまでも引き止めてしまいそうなくらい、家族のこと、仕事や生活のことなどをのんびりと話してしまった。次の公演地、高山はここからかなり距離があることを思い出し、急いでお見送り。夏が夏でることをまっとうしたような、強く眩しい陽射しの中を走り去っていく車を見送って、俺の夏が終わった。今からはもう残暑だな、という思いでいっぱいになった。

清丸さん、様々な形でご協力頂いた皆さん、ありがとうございました。

空白を埋める③(佐野元春『今、何処』の話)

私にとって佐野元春というミュージシャンは、接してきた時間は決して長くはないのだけれども、「いつ・どこで・どんな作用をもたらしてくれたか」ということを明確に説明できる、とても重要なアーティストである。


一番最初は今から22年前。デビュー20周年記念のベスト盤を聴いた時。ロックンロール,ヒップホップ、スカ…。バラエティに富んだジャンルを横断しながらも、そのどれもが本物のルーツ、ダンスフロアを感じさせる音が鳴っているように聴こえたのだ。もちろん今思えば日本におけるヒップポップのオリジネーターに対して失礼すぎる感想なんだけど、ともかくその瞬間から、佐野元春はテレビの向こう側の大御所ミュージシャンではなくなった。DJをやる時はいつも「インディビジュアリスト」をかけたし、大人の壁に打ちのめされた時は「スウィート16」や「彼女」に救われた。


二度目の邂逅は2007年。コヨーテバンドのファーストアルバム「coyote」を聴いた時。テレビの音楽番組で、ベースに高桑圭、コーラスに片寄明人を従えて演奏した「君が気貴い孤独なら」を聴いて、こんな洒脱で心に寄り添ってくれる音楽があるなんて!という衝撃を受けた。これ以来、新作をチェックするようになっている。


しかし一番強烈な影響を受けたのは、2009年にに始まったETVの「ソングライターズ」かもしれない。毎回必ず録画して観ていたし、ゲストのキャリアや年齢を問わず真摯に話を聴くジェントルな姿勢、自らのポリシーやメソッドを惜しみなく共有する勇気は、音楽に触れる上での指針になったし、理想の大人の姿を見たように思う。


なので、webマガジン「otonano」に佐野元春の名盤『Someday』のレビューを書かせてもらったことは、場違いであることは承知だが、この上なく光栄なことだった…という話は少し前のブログにも書いた。

 

『Someday』の記事が公開されてしばらく経ったある日、編集の方から「佐野さんの事務所から連絡先を聞かれてるけど教えてもいいか」という連絡をもらった。何か失礼なことでもあったのかしら…とドキドキしていたが、数週間後マネージャーの方から「新作の評論を書いてほしい」というメールが来た時は本当に心臓が止まるかと思った。しかも参考として送られてきた前作『MANIJU』のサイトを見ると、片寄明人をはじめ重鎮の音楽家、評論家の名前がズラッと並んでいる。

www.moto.co.jp

この中に私の記事が載るの?いやあり得ないでしょう。謙遜とかではなく、本当にそれはありえないと言うか、あってはならないことである。すぐに断わらねばと思ったのだが、バカで向こう見ずなもう一人の自分が「今までさんざん、ありえないくらいの恥を重ねてきたお前に、辞退する資格なんてあると思ってんの?」と語りかけてきた。確かにその通り。えいっという気持ちで「ぜひ書かせてください」と返信した。

 

しかし、聴いた人なら分かってもらえると思うのだけれども、『今、何処』というアルバムは本当にスケールが大きく、多様性に富む作品なので、どこに光を当てればいいのか、悩みに悩んだ。しかも他にもたくさんの超一流の書き手がいる中で、私が綴る意味のある言葉を見つけなければならない。そんなプレッシャーに押しつぶされそうになりながらも、なんとか書き終えてマネージャーさんに送った。すると、そのすぐ後に届いたメールの差出人の名前は佐野元春本人。文面は私の胸のうちに宝物としてしまっておくけど、ジェントルで親しげで凛とした文体は間違いなくご本人のもの。もう完全にあの口調で脳内再生された。うわ本当に本人が読んでいるのか!という衝撃をうけつつ、頂いたアドバイスを参考に、恥ずかしいくらいに力の入りまくった初稿をほぼ全面的に練り直した。完成するまでめちゃくちゃしんどかったけど、頭のどこかで、これは死ぬまで記憶に残る数日間だろうな…とも思っていた。


そんな経緯をもって、私の拙文は、稀代の名作『今、何処』のボックスセットのブックレットになんとか掲載してもらうことができた。もちろん実物も発売日に入手して、自分の名前があることは確認したけれども、実は他の人の文章は読んでいない。絶対に落ち込むことがわかっているから(決心できたら読みます)。そしてドリーミー刑事という屋号は今まで関わってくれた方に育ててもらったという思いがあるので、クレジットが本名になったのはちょっと心残りだけど、私の墓石には『佐野元春に二回も「ドリーミー刑事じゃダメですか?」と聞いてみた男』と刻んでほしいし、かつて片寄明人がツイートしていた佐野元春伝説を実感したような感じもあってちょっと嬉しい。

 

それにしても、私の人生でもうこれ以上のサプライズはもう起きないと思うので、音楽ライターの真似事はこれでもうやめようかしら…と思ったけど、その後は特に誰からも原稿を依頼されていないのでそもそも引退宣言もできない。なんにせよこれからも野暮な野望を抱くことなく、生涯一刑事の気持ちで捜査活動を続けていきたい。

空白を埋める②(千里天国と森道市場)

ゴールデンウィークの後半、ソニーのwebマガジン「otonano」から大江千里のアルバムレビューの依頼を受けた。大江千里はなんと言っても私が物心ついて最初に好きになったミュージシャン。小学校三年生の頃、ミュートマジャパンで流れる「YOU」のMVをたまたま観て心を奪われ、姉が持っていたカセットテープを片っ端から聴いていった。きっとグッドメロディーから逃れられないその後の人生はあの瞬間に決まっていたのだろう。なので「初期の作品ならどれでも書きます!」と答えたところ、なんと5枚も書かせてもらえることになり、私の納涼千里天国がスタート。一枚につき400字という短い原稿ながら、アルバムごとの特徴と、大江千里のキャリアにおける位置付け、当時あるいは後世の音楽シーンに与えた影響を入れ込もうと思うと、何度も聴き込んでたくさん下書きしてそこから切ったり貼ったり推敲して…という作業を無限に繰り返さないといけない。私の場合。しかも掘れば掘るほど若き日の大江千里の魅力的なエピソードがたくさん出てくるし、清水信之大村雅朗が作り込んだサウンドは聴き込むほどに発見があるし…。


というわけで森道市場の会場でも大江千里を聴きながら、2日目のトップバッター・Ogawa&Tokoroのライブを待っていたわけですが、とても素晴らしいライブでした。スティーブ・ヒレッジのようなアンビエントから、密室ファンク、黎明期のテクノハウスへとどんどん変容していくサウンドは、ちょっとした時間旅行のよう。意識すれば吸い込まれ、意識しなければ流れていく音楽が、多くの人が行き交う遊園地の入口という場所で鳴らされていたのも最高だった。角張社長もいらっしゃいました。


続いてはROTH BART BARON。極限まで薄さを追求したOgawa & Tokoroとは打って変わって重厚長大サウンドに圧倒される。ダンディーでジェントルな三船雅也をはじめ、バンドメンバーの佇まいまで濃厚。ライブを観るのは初めただったけど、こんなに熱いステージなんだな…と衝撃を受けた。


続いてはメインステージに移動してサニーデイ・サービス。森道のサニーデイと言えば、丸山君最後のライブ(後にも先にもあんなにピュアな音楽は聴いたことがない)、暴風雨の中でぶちかまされた「Fuck You音頭」(いつかDVD出してほしい)など、いずれも伝説級のライブをかましてきた。ある意味、この日は最高の天気も含め、今までで一番落ち着いて観れるコンディションだったかもしれないし、サウンドチェックで演奏した「江ノ島」の時点で優勝が決定していたようなものだった。リラックスした雰囲気の中で鳴らされる新旧を織り交ぜたセットリストの中で、一番盛り上がるのはやはり「コンビニのコーヒー」と「春の嵐」という最新曲。そして最新の曲が一番輝くからこそ「サマーソルジャー」のようなスーパークラシックも決して懐メロにはならない。老若男女のバランスが取れた客席を観てもこのバンドがピークにいることが伝わってくる。そしてその中に出店しているはずのLiE RECORDSの平松さんを見つけてしまい、お店はどうしたんだろうという疑問はありつつも、信用できる男だなと思った次第。


そのままメインステージでYOUR SONG IS GOOD。とにかくアルバム『Extended』からの楽曲が最高だった。テンポ感も力の入り具合もまさにジャスト。私のような老いぼれも心身の底から楽しくなってきてしまう人力バレアリック・サウンド。もうこのままずっと演奏してくれないかな…という気持ち良さ。サポートで入ったハイスタ恒岡章のドラムもソリッドですごい良かった。


日が暮れる寸前にGOFISHのステージ。初めてバンドセットで観たんだけど、正直あんなにいいと思わなかった…というかこの日観た中で一番感動したステージだった。手練のミュージシャンが鳴らすすべての楽器、井出健介と浮によるコーラスがしったりと折り重なり、一つに溶けていき、柔らかい干草のような舞台を準備する。そしてその上に乗る、持てる全てを歌に捧げたようなテライショウタの真摯なボーカル。一体なんだろうこれはと思いながら涙ぐんで聴いていた。どこかで観ていたきゆさださんからも「素晴らしかったですね」とTwitterにリプライがきて同志よ…と心から思った。


GO FISHの感動がなかやか冷めず、遊園地の端っこから浜辺まで歩く。次も遊園地に戻らなきゃいけないのに。とぼとぼと戻りながら入場規制がかかった藤井隆とパソ音のステージをビールとたこ焼きと共に遠くから眺める。


この日の最後は擬態屋。正直KIRINJIと迷いまくったけど、曽我部恵一マニアとして、そして佐内正史オリジナルプリントを所有する男として(自慢)、こちらを選択しました。初めて見る実物の佐内正史はなんというか全身芸術家って感じの自由なオーラをまとっており、酔拳のように言葉を繰り出してくる。それを時にいなしながら、時に膨らましながら音楽へと仕立てていく曽我部恵一坂出市観光大使)の即興のプロデュース力もまた見事。遊園地の灯りがなんだかますます綺麗に見えてきたね…というところでひとりぼっちの1日目が終了。淋しくないわけではなかったが、こんなに集中してたくさんライブ観たのは初めてかも。

 

 

翌日は下の娘が一緒に参加。小学校高学年になり、すっかり親を必要としない自分だけの世界を築いている彼女だが、二人で出かけるとこちらに気を使ってかいろいろなことを話してくれる。三河大塚の駅から、ゴールデンウィークChim↑Pomの個展で観た「ピカッ」の話などをしながら会場に到着。


この日はmei eharaバンドセットからスタート。2020年の「Ampersand」は本当に素晴らしい作品だったのにコロナ禍でツアーもなく、バンドセットのライブを観るのはまさに念願。しかもギターはトリプルファイヤー鳥居直道、キーボードは沼澤成毅、ドラムとベースは浜公氣とcoffというアルバムと同じ編成。神々しくも質実なmei ehata の歌はアンサンブルの中でもまったくその魅力をスポイルされることはなかったし、JTとスライとトーキングヘッズをたゆたうような、プロフェッショナルでありつつある種の歪さも残したバンドの演奏も良かった。高まりすぎた期待に完璧に応えてくれるライブに感動しながら娘のお土産にTシャツを購入。


続いては思い出野郎Aチーム。まさか愛知の地で手話通訳が入ったフルメンバーが観れるとは…と感激ひとしお。残念ながら私は手話を理解することはできないけれども、言語にはできないメッセージをたくさん受け取ったように思う。そして驚くべきはビール片手に集まった若者たちの多さ。前に観たのが得三だったので、いつの間にこんな人気が出たのかと衝撃を受ける。と同時に、もしかしてただのパーリーバンドとして消化されちゃってないか?という思い上がった不安が抑えきれなかったのは、ナンバーガールのTシャツに身を包む人を見過ぎたからかもしれないし、強すぎる日差しのせいだったかもしれない。しかしウェイウェイ盛り上がる観客の中で芽生えてしまったそんな小さな心のトゲは「週末はソウルバンド」で全部抜けていった。なんだかんだ言ったって、このステージにこれだけの人が集まっているのは希望以外のなにものでもないのだから。泣きながら踊った。

 


まだまだ時間も早いけど、娘の我慢も限界ということで、少し遊園地で遊んで帰路に。CIRCUS STAGE裏の巨大迷路を本気で迷いながらゴールして、会場全体を見下ろす頂上で鐘を鳴らしたのも良い思い出になりました。

 


厳戒態勢だった去年とは打って変わって、今年はどのアクトも野外フェスが帰ってきた!という喜びに満ちた演奏だったことが印象的だった。やっぱり音楽はこうでなくちゃね…。

そしてGOFISHやmei ehara、思い出野郎。こうしたインディー・アーティストのフルメンバーによるライブを観る機会は本当に貴重。特にコロナ禍以降特に集客という面でも感染リスクの面でも厳しくなっていると思う。なのでこういう音楽愛にあふれた大規模フェスの存在は本当にありがたいなと思いました。

 

空白を埋める①(ゴールデンウィークの記録)

「今年はブログをマメに書こうー」と心に決めたのに、気がつけば2ヶ月以上も放置してしまった。書くことが何もなかったわけではなく、書くことがありすぎてタイミングを逃し続けてしまっていたのだ。最後の更新は4月28日。なのでゴールデンウィーク以降のことが更新されていないということになる。他ならぬ未来の自分のために、この空白期間を埋めていく。

 

4/29
ゴールデンウィークの最初は京都は磔磔で家主と台風クラブのツーマンを観た。チケットを取ったとか取ってなかったとかでご心配ご迷惑をかけてしまったけどチケットを入手して観ることができた。全国から来た家主ヘッズ台風クラブクラスタの皆さんにも会えたし、岡村詩野さんと妻が眼鏡トークで盛り上がっていたのも謎の光景だったし、その岡村さんのご紹介でメンバーの皆さんに挨拶させてもらえたことも良い思い出。

家主のライブは得三と合わせて2回観たけど、今まで音源しか聴いてなかった自分はこの人たちのことを理解してなかったな…と反省した。あまりにもソングライティングやアレンジが巧みなので、バンドとしての重心はそうした玄人サイドに置かれているとどこかで思い込んでいたのだ。彼らの一番の特徴である伸びやかなメロディーややばいくらいに透き通った歌詞は、「ひねりを極大化させるための手段」として位置づけられていると思っていたのである。しかし、このまっすぐな歌を本気で届けるということこそが、家主というバンドの根幹なんだな、と演奏している姿を見てようやく気づいたのである。「家主の曲はいつでも君の味方なのにさ」と歌われていたのに!ますます大好きになりましたよ。

 

本当は家族旅行で行くつもりだった京都。長女の部活の都合で急遽日帰りになったけど、ラジカクで紹介されていた中華料理屋さんに行ったりアーヴィング・ペンの素晴らしい写真展を見たり、たまたま入ったカフェが台風クラブのMVのロケ場所だったりしてめちゃくちゃ盛りだくさんでした。それでもまだまだ行きたいレコード屋さんも喫茶店もたくさんあったけど…体力の限界!

 

5/3

最近は観たい映画がたくさんあって、でも半分くらいしか観れていないんだけど、レオス・カラックスの『アネット』はなんとか観れた。でも一回じゃ足りない濃厚さ。無教養な私にとって初期のカラックス作品は「むつかしいフランス映画の象徴」なんだけど、今作はもう完全なるエンターテイメントで終始興奮しっぱなし。歌と台詞、人間と人形、観客と出演者、愛と憎しみ、そしてフィクションとノンフィクション…。目に映るあらゆる要素がそのギリギリの境界線、いわば不気味の谷を行ったり来たりする様が圧巻だった。もしかして初期の作品を愛する人たちにはちょっと違う…という感じだったのかもしれないけど、ベテラン監督の最新作がこれだけ開かれたものになっているというのはちょっと驚き。映画に限らず今年はそういう作品に出会うことが多いような気がする。

 

5/4
GW後半は家族で東京に。一番の目的はChim↑Pom from Smappa!Group「ハッピースプリング」展を観に行くこと。家族旅行がディズニーでもUSJでもChim↑Pomというのは娘たちがちょっと不憫のような気もするけど、そういう人生もオツなものだよきっと…。でも連れてきてしまった責任があるので、小学生の娘にいちいち作品の解説をしながら回る。たぶんほとんど理解されなかったと思うけど、わりと興味深そうに見ていた気もする。ちょっと前に、この展示を観に来た安倍晋三・昭恵夫妻とエリィのスリーショット写真がSNSに上がって大変驚いたけど、こうしてずらっと並んだ作品に対面すると、そんなこと大した問題ではないとが分かる。彼らの表現が暴くものの深さと広さは、表面的な党派性や地域性にとらわれるようなものではないから(当然、私の中にある欺瞞性も暴かれる対象である)。この件に関するツイートがいっぱいリツイートされてしまい、よくわからないリプもたくさん来たけど、答えを出すのは観てからにしようぜとは言っておきたい。


ちなみに今回の宿は下北沢のMUSTARD HOTEL。安くておしゃれで清潔で、言うことなしだった。しかしこれは雑多な街の活力を奪うジェントリフィケーションってやつか…?という気もしなくはなかったけど、建物も街に溶け込むように設計されているように思われ、良き再開発と呼べるようにも思えた。駅前の蔦屋書店にできていたちょっと漂白剤の匂いがしたけど。なお、夕飯はCity County Cityで。長女は2歳くらいの時以来の再訪。その時と同じピアノの前の席に座ったのはちょっと感無量。そしてみんなで街をぶらつきながら時計を見ると8時ちょい前。今ならまだPinkmoon records がやってるな…と思い、出たばかりの曽我部恵一のライブ盤を手に入れるため階段を駆け上がる店内へ。するとレジにいるのはなんと曽我部さんご本人。勇気を振り絞って挨拶をする。にこやかに「ああ!来月、リ君と名古屋行きますよ!」と応えてくれて嬉しかったけど、ずっと手が震えて財布からお金をなかなか取り出せなかった。早速ホテルに戻って部屋に備え付けられたプレーヤーで聴いてみる。最高。しかしせっかくご本人から買ったレコードなのにサインをもらえば良かった…と気づいたのは翌朝のこと。

 

5/7
愛知に戻り、家主で幕を開けたゴールデンウィークの最後をNEW FOLKのイカしたバンド・すばらしかで締めた。ナホさんがやっているbiotopeの企画で、対バンはジュラ紀6eyes。モグリと罵られることを覚悟でカミングアウトすると、名古屋の至宝と称される6eyesを観るのはこの日が初めて。私の中でボーカルのツチヤチカラさんは「いつもSAGOSAIDのアンコールに出てくる超怖そうな人」という印象だったのだけれども、めちゃくちゃカッコいいじゃん6eyes。なんで誰も教えてくれなかったのーと逆ギレしそうなほどだった。そして久々に見たメインアクト・すばらしか。最高すぎるキーボードプレーヤーの林さんが抜けちゃってどうなんだろうとちょっと心配してたけど、まったく余計なお世話でしたわ。

ロックンロールの魔法がかかりっぱなし。グルーヴの太さがごんぶとすぎて、気がつけば年甲斐もなく最前列にいて踊り狂ってしまった。そういうことはやめようと思っていたのに…。翌日は耳鳴りが止まずに大変だったけど、最高のイベントをありがとうございました。


という感じでゴールデンウィーク終了。

2015年・2022年

2015年は2022年の自分の骨格を作った濃密な季節だった。そのことを思い起こさせる出来事が多い4月だった。

 

2015年最大のトピックと言えば、まずは安保法案に反対するカウンターアクションとの遭遇。結局法案は成立してしまったし、安倍晋三は居直り続けているし、何よりも2022年の世界はあの時誰も想像もしないくらいひどいものになってしまっている。でも、自分で考えること、フェアであること、自分のスタイルを持つことの大切さを、あの活動の中心にいた若者や大人から学んだ。今となってはこうやって冷静に振り返ることができるのだけど、当時の自分は今よりももっと頑なだったので、政治的意見の相違がきっかけで失った人間関係もあったり、なんだかんだ必要以上に傷を増やしていたところもあった。

そんな時に聴いていたのが、佐野元春&COYOTE BANDのアルバム『Blood Moon』。直接的に当時の社会情勢について言及している歌詞はないけれども、分断を乗り越えようとする意志と、大きな敵に立ち向かっていこうとする勇気、そして何よりもロックンロールの躍動感に満ちた作品だった。

dreamy-policeman.hatenablog.com

 

その感動を今以上に拙い文章でブログに書き残していたりもしたのだけれども、まさか7年後にソニー・ミュージックのウェブサイトに彼の、と言うか日本ロック史上の名盤『SOMEDAY』のレビューを書けることになるとは夢にも思わなかった。少ない字数だけど、2015年当時の思いも行間に押し込んだつもり。ちょうど今月リリースされたばかりの最新作『ENTERTAINMENT!』も本当に素晴らしくて(表題曲は俺たちが去年の夏に心を痛めていた「あの人」のことを歌っているのだと思う)、『SOMEDAY』で立てた誓いにウソがなかったことを40年も体現し続けている真のレジェンドなんだよな…と改めて尊敬の念を深めた。

otonanoweb.jp

このレビューをマイアイドル・北沢夏音さんが読んで下さったようで、Twitterでこんなリプライをくれた。私がうんうん唸って書いた400字を射抜いてしまう慧眼よ…。

 

 

 

安保法案へのカウンターの真ん中にいた若者たちと言えばSEALDs。その中心メンバーだったUCDはヒップホップ・バンドTha Bullxxxtでラッパーとして活動しており、残された2枚のアルバムは自分にとっての名盤だった。その後間もなく活動休止してしまったけど、さとうもか、GUIRO、トリプルファイヤーに思い出野郎Aチーム、mei ehara など、自分にとって大切なアーティストばかりをサポートしているキーボーディスト・沼澤成毅がそのバンドメンバーだったと知った時は大変驚いた。そんな彼が初めてソロ名義でリリースした「結晶」という素晴らしい楽曲のレビューをTURNに書かせてもらったのも、自分の中ではこの7年が繋がったような感慨があった。

turntokyo.com

 

そして2015年に起きた極めて個人的な変化。それは再び熱量をもって音楽を聴き出したこと。あれからいろいろなライブを観たけど、あの時期に目撃したアーティストは今でも特別な存在だ。そのきっかけになったミツメのライブを、初めて観た時と同じ名古屋クアトロで観ることができたことも今月の嬉しいイベント。

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コロナの影響もあってすっかりご無沙汰してしまっていたミツメは、涼しげな佇まいこそ変わっていなかったけど、鳴らしている音の確信のようなものが一段と増しているようだった。空白と余韻を聴かせるスタイルは変わらないが、一つひとつの音がピタッと脳と筋肉のスイートスポットをより正確に刺激してくるし、音像全体から受け取る情報量が増しているように感じたのだ。ひんやりした空洞感はそのままに、歌謡曲的な情緒を一切の雑味なく重ねている様は妖術感すらあった。肉体がないのに気配があるのである。そういえば前作のアルバムタイトルは『Gohsts』でしたね…。

そして対バンのDYGLを観るのは2016年に渋谷7th floorで観たマイカ・ルブテのリリースパーティー以来。彼らもまたあの時と同じように青くて熱かった。ある意味ではミツメとは正反対のスタイルだけど、自分のやりたいことだけをやる、やりたくないことはやらない。この線を自分で引けるという意味で、二つのバンドには本物のインディースピリットを持っているという共通点があるということだと思う。そして「こんな厳しい時代にライブにきてくれるお客さんはもう客じゃない。バンドやスタッフと一緒に音楽を鳴らす場をつくるチームメンバーだと思っている」という秋山信樹の言葉に泣きながら頷いた。

そういえば、DYGLSEALDsdommuneと主催した選挙権の棄権防止を呼びかけるイベント「Don’t trush your vote」にTha Bullsxxtと共に出ていた。10年代でも20年代でも、常にリアルな空気を感じとって行動できるアーティストはカッコいい。

日経新聞を解約した理由

少し前に映画館で「アイの歌声を聴かせて」というアニメ映画の巨大なポスターを目にした。どこからどう見ても健全そうな雰囲気で、声優も名の知られた俳優が起用されていたので、かなり大きな資本が投じられた作品という印象を受けた。しかしそのポスターをよく見ると、主人公が着ている制服の短いスカートの裾の下から下着がちらっと見えている。全体的な雰囲気からこのイラストが、見る側の劣情を煽ろうという明確な意図があるわけではないことはわかる。おそらく「少女→制服→短いスカート」という半ば無意識のパターンの中で描かれたものなのだろう。しかしなぜこんなにスカートが短くなきゃいけないのか。そしてなぜ下着まで当たり前のように書かなきゃいけないのか。男子学生の下着は当然描かれていないのに。多くのスタッフが関わったであろうこの作品のポスターにおいて、その必然性を誰も考えないまま、性的イメージが慣習としてバラまかれているところに日本のアニメ業界の業のようなものを感じた。


それに比べると4月4日の日本経済新聞に全面広告が掲載された「月曜日のたわわ」という漫画の意図は明確だ。胸部を極端に強調した女子高生が男性の性的妄想を煽り、満足させるということに特化した確信犯的ないかがわしさがある。清々しいくらいに。こんな作品が大手の出版社から発売されている時点で子どもをモデルとした性表現に対して寛容すぎやしないか日本社会という個人的な思いはあるが、それはいったん置いておく。

 

日本にはイギリスのような大衆紙と高級紙という明確な棲み分けはない。しかし強いて分けるなら、日本経済新聞が唯一高級紙にカテゴライズされるものではないだろうか。財界の広報誌、企業のプレスリリースを集めただけと揶揄する声もあるけど、私の社会生活においては日経の記事や論調というのは知ってて当たり前の常識であり共通言語のようなもの。なので私もこの新聞の「常に強い者の味方」というスタンスに辟易しながらも購読を続けている。

 

おっさんをメインターゲットとした経済紙とエロマンガ。まったく顧客層が異なる場所に広告を出した講談社の動機はそれにより実売数を上げるというよりも「いかがわしいエロマンガが一流経済紙をジャックする」ということによる話題づくりを狙っていたのだろう。よって当然ハレーションが起きることも想定済み。むしろ私のような良識を振りかざしてキーキー言う人間がいてこその炎上商法である。しかし、このいかにもクソガキ的なやってやったぜウェーイって感じの軽薄さには、「大企業に勤めてる大人がやっても全然おもしろくねーよバカ」と言わなければならない。

 

一方の日経側の動機はもっとシンプル。金である。財界の広報誌としてダイバーシティの旗を振っている立場でありながら、目先の現金にあっさり転んだだけというだけの話。しかもよりによって女性の社会進出を促す「女性面」が掲載される日の紙面で。あっちのページでジェンダーギャップの解消を訴えながら、こっちの広告で男性の性的欲求を押し付けられた未成年を主人公とする漫画の販促に手を染める。こんなに分かりやすく読者をバカにした話があるのかよ、と誰でも思うはずなのだが、それでもこの会社は「日本一のクオリティーペーパーが少女ポルノの販促に一役買った」という講談社が描いた筋書きに易々と乗っかったのである。手続きが面倒くさかったけど、お客様センターに解約の旨を伝え、しばらくは他紙を取ることにした。


しかし音楽でも映画でも小説でも、いかがわしいものが大好きな私なので、こういうマンガは社会から消えるべき、と言っているわけではない。むしろ、いかがわしいものが社会から完全に排斥されないためにも一定のルールは守るべきだろ、と考えている。そういう意味で今回驚いたのは、講談社日経新聞を批判する側を批判する、マンガ・アニメファンの多さだ。

あたりまえのことだけれども、人間は常に欲情しているわけではない。あるモードにいる時には楽しめる表現であっても、タイミングによってはまったく許しがたいものと思えてしまう時がある。少なくとも日経新聞を眉間に皺を寄せて読んでいる時の私や多くの読者は、いかがわしいモードではない。完全にセーフティーゾーンの中にいる。突然そこに性的搾取を助長するような表現が飛び込んでくれば、怒られるのは当たり前。公道のど真ん中でパンツを脱ぐ権利なんて存在しないことと同じなのである。つまりこの新聞の読者である私には、見たくないものを見ない権利があったし、日経新聞にはそれを侵さない義務があったはずなのだ。


そしていかがわしい文化を愛する者としてさらに付け加えるならば、いかがわしい光を放つ表現は、暗いところでしか生きていけない、とも思う。明るい場所に出た瞬間に、その光は見えなくなってしまうから。その作品のことを思うのなら、なんでも大通りに引っ張り出せばいいというものではないし、大通りに出られないことを嘆く必要もないと思う。例えば俺はルースターズの「恋をしようよ」をMステやNHKで聴きたいとは思わない。あれはそんな安全なものじゃないはずだし、あの曲が一番輝くのはそんなまぶしい場所ではないと思うから。俺は日陰でその光を存分に浴びていたい。