ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

大友良英・細田成嗣 対談「内田修ジャズコレクションの価値とは」

私の住む愛知県岡崎市は「ジャズの街」を自称していて、駅前の地下道の壁にジャズを演奏する人が描かれていたり、年に一度ジャズフェスティバルが開かれたりしている。

なぜ「ジャズの街」かと言うと、1960年代から自身が経営する病院の中にスタジオを作るなど、日本のジャズミュージシャンを支援してきた内田修さん、ドクター・ジャズという通称で知られるお医者さんがいたから。なので「ジャズの街」という呼称は正確ではなく、「すごくジャズを好きな人がいた街」という表現の方が正しい。こんな風に書くと揚げ足取りのように思われるかもしれないけど、この根本的な前提が少しずれていることが、内田氏が市に寄贈した貴重な資料がいまひとつ活用されていない状況を生んでいる一因のように思えるのだ。内田氏も亡くなられた今、このままでは資料の陳腐化が進んでしまうのではないか。ジャズ・ファンではないものの、音楽を愛する一市民として、図書館に設置された「内田修ジャズコレクション」の立派な部屋の前を通る度に、勝手にやきもきしていたのである。

 

そんな問題意識から「内田修ジャズコレクションの価値」というテーマによる大友良英氏と細田成嗣氏の講演を聴講した。大友氏は内田先生がサポートしていた高柳昌行の弟子だったという縁から岡崎市に定期的に講演に来てくれている。また細田氏は話題になった『AA 五十年後のアルバート・アイラー』の執筆にあたって、内田コレクションを活用したという。

この日の講演の要旨を超ざっくり要約すると「内田コレクションの価値を市民に理解してもらうための、ジャズの専門家による解説」「コレクションの維持・活用のために必要なこと」という二点。

 

前半の「内田修ジャズコレクションの価値」というパートでは、細田氏が発掘した60年代のプライベート録音を実際に聴かせてもらい、その先進性を大友氏が解説してくれるという贅沢な時間。この日取り上げられた音源は1962年に名古屋で行われた高柳昌行らによるセッションのライブ録音。テンポやコードが緩やかかつ複合的に共有される、フリージャズ的アプローチは世界的にもほとんど演奏されておらず、いかに当時の彼らが最先端だったのかを示す貴重な証拠である、とのこと。さらにこうした先鋭的なジャズミュージシャンが現代の音楽に与えた影響の代表として石若瞬が紹介されて、私の愛するポップミュージックと内田コレクションの距離の近さを示してくれて大変に感動した。

 

講演の後半では、こうした貴重な記録を保存・活用するためのアイデアや課題が観客との質疑応答も含めて語られたが、重要なポイントは「この大いなる遺産と現代の表現をいかに接続させていくか」という点にあるように思った。今の芸術や文化は、過去と無関係にここに存在しているわけではなく、先人の取り組みと現世代のアイデアが組み合わされることによって生まれている。それをオーディエンスが頭と耳と目を通じて実感することが、過去と現代の表現の価値を高めることに繋がるし、その素材としてこのコレクションはまさにうってつけのものだろう。


そのために例えば、このコレクションをベースに音楽評論家・ミュージシャン・DJなどをキュレーターとしてテーマやコンセプトを設定してもらい、それに沿ってトーク・音源のリスニング、ライブをセットにしたイベントを定期的に開催しては面白いのではないか。これだけ膨大なものがあればネタにも困らないだろうし、ジャズから出発してヒップホップ、R&B、ポップミュージックまで射程を広げれば、私のようなジャズの外側にいるリスナー、あるいは若い音楽ファンにもリーチすることができるはず。この日の聴講者を見渡して見ると私が最年少くらいだったので、より若い世代へコレクションの価値を伝えることは喫緊の課題に思える。

また、どんな企画にせよ長く続けるということが「ジャズの街」としての名と実を得る上では大事なことだと思われ、そうなると予算の確保の問題があるだろうけど、一流の専門家、音楽家を起用すれば興行として成立する可能性は高いだろうし、自治体の持ち出しも少ないのではないか。この日講演が行われたホールは、「リゾーム・ライブラリーフェス」の会場として熱心な音楽ファンに知られているわけで、こうしたイベントとの繋がりも活かせれば面白くなるのではないか。

 

以上が「この資料を活かすのも殺すのも、税金を払っている岡崎市民次第」「これは岡崎市、あるいはジャズに限った問題ではなく、高齢化と財政逼迫が進展する日本の文化行政全体の問題である」とお二人が繰り返し語っていらっしゃった真摯なメッセージに触発されて私なりに考えてみたアイデア(配られたアンケートにも書いてきた)。岡崎市役所の人たちに届いたりしたらいいな…。

臆病で利己的な私がこの一週間考えていること。

民主主義とは何か。そんな雑な問いに対して私なりに答えるならば、「永遠に決着のつかない綱引き」となる。

言論という綱を、一定のルールに基づいて、意見や立場が異なる人たちが引っ張り合う。あちらが強く引っ張れば、こちらも強く引っ張らなければならない。こんなことを続けていると疲れるからつい手を放したくなるけど、どちらか一方が強くなりすぎて相手を引きずり回すと怪我をしてしまう。なので、めんどくさいけど均衡が保たれるように力を入れておかなければならない。


プーチン、あるいはプーチン的な権力者というのは、この綱引きのルールを歪めたりズルをしようとする人のことだと思っている。例えば反対側から引っ張っている人間を、脅したり傷つけたり騙したりして減らそうとしたり、審判を買収して判定を変えてしまったり、ルールを都合よく変えてしまおうとする人間。


幸いにして今この国にプーチンはいない、と言っていいと思う。でもプーチン的な思考回路や野望を持った政治家ならたくさんいる。国の資産を友達に横流ししたり、テレビ局に圧力をかけたり、意見の違う国民を敵視してみたり。なぜこういう政治家が選ばれるようになったのかと言えば、みんなが綱引きが面倒くさくなっちゃったからではないか。その確かな理由は分からないけど、プーチン的なものに支配されていた戦前の記憶が薄れてきたことと、日々の生活がどんどん苦しくなっていること、周りの国々の力が相対的に上がってきていること、が大きいような気がしている。綱引きなんてやってる暇はない。なんならゆるやかな独裁が心地よい、と。

 

でも、プーチン的なものは、加速度的に膨らんでいくものだと思う。誰でも経験のあることだろうけど、一つ嘘をついたら、それをごまかすために別の嘘をつかなくてはならない。国の資産を横流しした政治家がどんどん嘘を重ねていって、最終的に公務員が殺されてしまったという事例は、その一端だ。あの政治家は公式に確認されただけでも118回も嘘をついた。それを指摘する、つまり逆の方向から綱を引っ張る野党やマスコミがいなければ、そのことすら明るみにならなかっただろう。そしてこれも会社や組織に身を置いた人なら分かるだろうけど、偉い人が嘘をつけば、それを黙認する人、隠す人の数も膨大なものになる。あのまま彼が政権の座についていれば、共犯者しかいない歪んだ政府が出来上がっていただろう。なので、プーチン的なものの芽はできるだけ早めに摘まなけばならない。軍隊や警察という暴力装置を独占する権力が腐敗して暴走を始めてしまえば、もう私たちにできることほとんどない。そうならないように綱引きを公正で平和的に行えるようにしなければならない。それが大人としての責任だと思い、冷笑ムードを感じながらも、反対側の綱の端っこを握っているつもりだ。

 

それでももしこの国をプーチンのような人間が支配したならば。私はすぐに綱を放す。SNSのアカウントもブログも全部消して、マイナンバーで管理された従順な国民としてひっそり余生を送るつもりだ。心の中で「俺もがんばったんだよそれなりに」と言い訳をしながら。繰り返すけど、暴力装置の暴走の前に、私ができることはほとんどない。

 

そんな臆病で利己的な私なので、もしプーチン的な独裁者に率いられた軍隊が攻めてきたら、すぐに降参するだろう。その代わりにもし自衛隊の人たちが戦わずに逃げたとしてもそれを責めるつもりはない。自分にできないことをやれ、命をかけろというのは無責任だと思うから。だから今この瞬間、ウクライナで戦う人たちを心からリスペクトしているけど、彼らに逃げ出す自由があることも願っている。プーチンが勝ってしまうことは世界にとっても悲劇だけど、それを回避する責任をウクライナの人にだけ負わせることはできない。彼ら一人ひとりの判断というものが尊重されてほしいし、尊重してほしい。

 

この一週間、プーチンに攻められないように日本も核武装をすべきだ、という意見をよく目にする。特に私がプーチン的素養を持つと思っている政治家がその中心にいるようである。彼らは核兵器があればプーチンは攻めてこないと言うけど、本当だろうか。核兵器Amazonのように、注文した翌日に届くというものではない。つくるにしても、買うにしても、何年もかけて準備をする必要があるはず。その間に「日本が核攻撃の準備をしている」と難癖をつけられる可能性はないだろうか。イラクウクライナもそうやって攻め入られたし、イランや北朝鮮経済制裁を受けている。帝国主義の前科がある日本がそんなことを言い出して、あのプーチン金正恩習近平が「日本は平和のために核兵器を持つんだよね」と優しく見守ってくれるとは考えにくい。彼らの「安全確保のため」という大義名分の名の下に尖閣諸島は奪われるし、北方領土に核ミサイルが配備される、というくらいのことは予想しないといけないと思う。そして日本が勝手に仲間だと思っている国の目の色も変わるはず。だって日本はアメリカ・中国・イギリス・フランス・ロシアの5か国以外が核保有を禁止する核拡散防止条約に署名して、それに基づいて北朝鮮やイランやイラクを非難してきたわけだから。「非核三原則は昭和の発想」とか言っている野党の党首がいたけど、これは国内だけの問題ではなく、国際秩序への挑戦と受け止められる可能性があることを分かっていないのではないか。190の署名国から冷たい仕打ちを受ける覚悟が、彼にあるとは思えない。そして覚悟という意味で言えば、もし首尾よく核兵器を手に入れたとして、万が一の時、自分が核ミサイルの発射ボタンを押すということを想像しているのだろうか。一発命中する間に十発打ち込まれるかもしれないという状況で、そんな決断が本当にできるのだろうか。核をぶっ放した後に訪れる地獄と、他国に占領される地獄。臆病な私は迷わず後者を選ぶ。「タブーなき議論を」というのなら、そこまで示すのが責任のある政治家の態度のはず。それを隠して「核があれば大丈夫」と喧伝するのは、綱引きのルールを歪めていることのように思えてならない。


ちなみに「いや保有じゃない。共有だ」という人もいるけど、私の頭が悪いせいか、意味がまったく理解できない。共有ということは自分の意思でそれをコントロールすることすらできない、ということではないだろうか。つまり、共有するためのコストは払うけど、それを打ってほしい時に打ってくれないということもあり得る。「核兵器が平和維持において死活的に大事」ならば、それこそ共有者に生殺与奪を握らせるということになる。果たしてそれが彼らの大好きな「自分の身は自分で守る」という理想に合致しているのだろうか。しかも対外的には実質的な核保有国と見なされるわけであり、周辺国へのインパクトは単独保有と変わらない。

 

私のような素人でもこれくらいの疑問が瞬時に湧くのだけれども、政治家はこれにちゃんと答えてくれるのか、非常に不安である。


だったらどうやってこの国を守るのか、対案を出せと言われるだろう。しかし私の知る限り、「近隣国から身を守るための完璧なメソッド」は歴史上誰も確立していない。つまり特効薬はないということだ。そもそも地理的・歴史的条件によって、その国が現実的に取りうる策というのはほぼ決定しているのではないだろうか。アメリカ、中国、ロシア、そして南北朝鮮と台湾。こうした国々と海を挟んで向き合い、そして太平洋戦争でほぼ主権を失うところまで追い込まれたという経緯から、日本が独力で超強力な軍備を整えることなど、今までもこれからも選択肢として存在しないというのが現実だ。その所与の条件の中でできることは、今の自衛力を保持しつつ、非軍事的な手段で民主主義的価値観を国内外で共有すること。そして経済的・文化的な交流を増やすことによって国民間の相互関係を強化すること。そんな地道なことだけだと思っている。もちろんそれもプーチンのような狂気の前では無効になってしまうし、この30年、西側社会が抱いていた「資本主義の恩恵が行き渡ればロシアも中国も価値観を共有できる国になるはず」という期待はあまりにも牧歌的だったことを認める必要はある。しかしだからと言って、われわれが核兵器を数発持ったところでその状況は変わらない。この無力感を認識するところから議論を始めないといけないように思う。お花畑と批判されても構わないけど、せめてその前に私の質問に答えてほしい。フェアに綱引きをしようじゃないか。

『フレンチ・ディスパッチ』の話

2回目の『フレンチ・ディスパッチ』を近所のユナイテッド・シネマへ。定員500名のスクリーンに観客はわずか5人。杉本博司の劇場シリーズのような光景だった。こんな田舎の映画館で上映してくれてありがとうユナイテッド・シネマさん。

しゃらくさいものが苦手な私だが、ウェス・アンダーソンの映画は大好き。完璧に構築されたセット、大胆なアングルとおしゃれな小道具。目に映る全てがいつも斬新なものであっても、結局いつも言っていることが一緒というところが、どうしようもなく人間味を感じさせるからかもしれない。

今作のテーマもつまるところ、今までの作品でも一貫して描かれてきた「失われたものへの郷愁と、偉大なる父性への憧憬」となるだろう。例えば、一流ライターによる一流の文章を集めた雑誌とそれに付随する文化(ゆるい経費、編集長とライターの信頼関係)。あるいは若者による革命と恋愛それを受け止める成熟した大人たち、愛する息子を取り戻すために力を尽くす父親の勇気…などなど。

ここまで毎回同じだとウェス・アンダーソンは、このテーマだけを描きたいがために、毎回みんなが驚く新しい舞台装置を用意しているのではないか、とすら思ってしまう。しかしアクの強い父親の影響から未だ完全に脱却できていない私としては、特にこのファザコンへの執着には妙な親近感を覚えてしまうのである。この手の映画にまったく興味がなさそうな私の姉が「グランド・ブダペスト・ホテル」が好き」と言っていたが、それは私と同じ親に育てられたが故だろう。

しかし同じようなテーマと言っても、今作は情報量の密度が桁違いだった。わずか2時間の中に『グランド・ブダペスト・ホテル』3本くらいのアイデアと感情が凝縮されているような体感。ストーリーから振り落とされないように脳をフル回転させていたし、途中で「この人はこれを最後の映画にするつもりなのでは」とすら思ってしまうほどのアイデアの大洪水だった(すでに次回作も撮り終えたそうです)。そして最後のセリフが放たれ、カメラが引いていくと同時にエンディングテーマが流れた瞬間、それまで集中力で蓋をしていた感情が一気に解放され、涙がドボドボと溢れてきてしまった。「泣くな」と言われたばかりなのに。

一方、二度目に観た時はちょっと拍子抜けするくらいに、時間の流れが緩やかに感じられた。つまりあの怒涛のスピード感はスクリーンの中のものだけではなく、私の脳内処理速度の問題でもあったわけである。おかげで前回は噛み締めることができなかったそれぞれのエピソードの詩的な美しさを噛み締めて、いちいちホロリとくる余裕かあった。特にエピソード#2の、心と心が不器用に近づき、すれ違い、星になっていく様の美しさときたら…。

目に映ったすべてのシーンを愛していると言えるし、語り出したらキリがないのだが、あえて一番好きなシーンを挙げるならば、ストーリー#3の後半。ネスカフィエとローバック・ライトが二人だけで語り合う場面だろうか。マイノリティとして生きていくことの厳しさを淡々と、しかし過不足なく伝えてくる感じがたまらなかった。しかもあのシーンを描いた原稿がゴミ箱に入っていたという設定も、彼らの困難さがいかに日常的なものであるかということを示唆するようで唸ってしまった。ウェス・アンダーソンらしくないメッセージ性が出たシーンだったようにも思うけど。この間見返した『ライフ・アクアティック』には、2022年の感覚で観ると非白人キャラクターの描き方がちょっと微妙なところもあったので、こういう点もちゃんとアップデートをさせているんだなと感心してしまった。

ちなみに『フレンチ・ディスパッチ』のサントラを流しながら部屋の掃除をするとやけにテキパキと身体が動く、という法則を発見したのでこれからも積極的に活用していきたい。

GEZANとトリプルファイヤーのツーマンを観に行った日。

トリプル・ファイヤーとGEZANという、世にも奇妙な組合せのライブ。

オミクロンと猛烈な寒さを避けるため、浜松までは電車ではなく車で向かう。朝は雪が振ったけど、夕方にはすっかり晴れた。浜松に来るのは20年3月の宇壽山貴久子さんの写真展とトークショー以来。思えばあれがコロナ緊急事態宣言前の最後の県外訪問だったのでとても印象深い。開場前に何か食べようと街を歩いたが、閉店あるいは休業している飲食店がとても多い。特に個人店はほぼ開いていないという印象。結局、商店街のはじっこにある闇市の露店というか小屋というかテントのような店に入る。ドアもなくほぼ野外。ストーブにあたりながら焼酎お湯割りを飲む妻は楽しそうだったが、車で来たので酒が飲めない私はひたすら凍えていた。

 

初めて訪れた浜松FORCE。フロアには番号付きのバミリが施され、感染対策もしっかり。

最初に登場したのはトリプルファイヤー。最後に生で観たのが思い出せないくらいに久しぶり。最初にステージにメンバーが揃って鳴らした音が気持ち良すぎて変な声が出そうになる。サポートのシマダボーイはテルミンまで弾いていて、なんかもうビンテージ感、オーガニック感、つまり本物の風格のようなものすら漂っている。これはもう完全なる完成形なんじゃないだろうか。フェラ・クティも草葉の陰で喜んでいるはず。なので問題は吉田の不謹慎極まりないリリックが真面目でちょっと怖そうなそうなGEZANのファンにどう受け止められるのかということのみ。なんなら途中でステージから引きずり下ろされるのではないか。しかし演奏が始まってもその吉田がいない。しばらくして妻が最前列でモゾモゾやってる人を観て「あれ吉田じゃない?」というのでよく見てみると、フロアー側からステージによじ登ろうとしている吉田がいた。プロレス式の入場で盛り上げようとしたのか、本人がMCで言ったようにウンコしてる間に演奏がはじまってここを通らざるを得なかったのか、真相はよく分からない。とりあえずお客さんにとっては迷惑な登場であったことは間違いない。しかし一たびステージに上がりマイクを握れば、さすがタモリ倶楽部に出る芸能人は一味違うと思わせる声のデカさ。多くがトリプルファイヤー初体験であろうGEZANのファンも、この未知の生命体に戸惑いながらも生暖かい眼差しを送っていたように思う。そして何よりこのすっとぼけたボーカルと鉄壁のアフロビートが一切混じり合う気配がないまま、それぞれの軌道で宇宙空間を飛び続ける様に、ポップミュージックの奥深さ、ダンスミュージックの神秘を感じた。最高。

 

続いてはGEZAN。フジロック以来二回目のライブ。こんな小さい会場で観たら圧死するんじゃないかという微かな恐怖。

私がGEZANの音楽と向き合う時は、巌流島の決闘に挑むような感覚がある。彼らが歌っていることのいくつかには深く同意するし、押し寄せる肉体的な興奮に抗うことはできないのだが、歌詞から透けて見える考え方にどうしても強い違和感を感じてしまうという葛藤。なのでこの日も「やれるもんならやってみやがれ」という謎の反骨心を持ってフロアに立っていた。

フジでは数十人のコーラスを従えていたGEZAN。この日は四人のみ。しかし地鳴りのようなトライバルビートとマヒトが駆使するルーパーによって生み出される迫力は数十人規模の軍勢がいるようにしか思えない。ずるいじゃないか!と思う間もなく、『狂』のナンバーを中心としたメドレーに熱狂した。ここには音楽を超えた何かがあるような気がする。

そしてめちゃくちゃエキセントリックで繊細な人という先入観を抱いていたマヒト氏もMCで「トリプルファイヤーを見てるとなんか励まされる」なんて言ってくれたりするいい兄貴であることも分かった。これからは自分の中の勝手な警戒態勢を緩めることにしたい。


トリプルファイヤーという宇宙と、そこをひた走る彗星のようなGEZAN。そこには何らかのケミストリーがあったのだろうか。いやきっとあったはずだ。今の技術では観測できない何か、ダークマター的なやつが。そんなことを考えながら運転してたらいつの間にか深い山の中に迷いこんでしまい泣きそうになった。

「ミニマル/コンセプチュアル展」を観に行ってPINKMOON RADIOを聴いた日。

愛知県美術館で開催されている「ミニマル/コンセプチュアル」展へ行ってきた。デュッセルドルフギャラリスト・ドロテ&コンラート・フィッシャー夫妻が収集した作品を中心に、60年代から70年代にミニマル/コンセプチュアルアートというジャンルを確立させた、いわば原器のような作品たちが並ぶ。なのでそれはそれはプリミティブかつストイックな、数学と哲学の極北のような作品ばかりが並んで、私の頭はすっかりいっぱいいっぱいになってしまった。が、50年前にこんなにも(俗物視点で見れば)わけのわからないことを真剣に考え、日々切磋琢磨していた芸術家たちの姿を想像すると胸が熱い。そしてフィッシャー夫妻の経営するギャラリーの説明文の中にクラフトワークという文字を見つけ、彼らもまた完全にこの時期・この街の熱量と文脈から生まれたグループなんだなということを実感した。

展示室ひとつをまるまる使われていたギルバート&ジョージの作品たちに、他の作品とは一線を画したユーモアがあったことが印象的だった。「彼らの作品は一貫して「生きる彫刻」として自らの経験と生活に根ざし、その人生全体を芸術として探究するものである」という解説を読んで、小田島等さんと細野しんいちさんのユニット・ベストミュージックを思い出さずにはいられなかった。この展示を見てからインタビューできれば良かったな、と詮ないことを思う。原稿を書かせてもらうたびに、自分の力不足を痛感する。なのにまた書きたいと思ってしまうのだから、本当に愚かである。

 

そういえば、もし私の記憶が確かならば、今回の展示作品のほとんどを所有するデュッセルドルフノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館には、行ったことがあるはず。すごく昔の出張の帰りの飛行機の時間に間に合うように、ダッシュジャクソン・ポロックの作品を観たのだ。でも建物全体の記憶がまったくない。ああなんともったいない。しかしあの時、無理やり付き合わせた上司はとてもいい人だった。「おい、こんな落書きみたいな絵のどこがいいんだ?」と言いながら最後まで一緒に回ってくれた。今はもう会うこともないのだけど、お元気だろうか。

愛知県がコロナ禍でのアーティスト支援のために購入した新蔵コレクション展も素晴らしかった。ちょっと集中力を「ミニマル〜」の方で使い果たしてしまったので、また機会があればこちらだけ見に行きたい。

 

美術館の後はレコードショップZOOさんですばらしか、file underさんでメシアと人人のニューアルバムを受け取って帰宅。そういえばメシアと人人が7インチでリリースした「ククル」には初期クラフト・ワークを想起させるものがあった。60年代のデュッセルドルフと50年後の京都が点と点で結ばれた奇跡(俺の中で)。

 

寝る前に曽我部恵一が2ヶ月に一度パーソナリティを担当しているFM京都「PINK MOON RADIO」を聴く。毎回めちゃくちゃ面白いんだけど、ココナッツディスク吉祥寺の矢島店長を迎えた今回は本当に良かった。はたから見ればいい大人がひたすらレコードをかけて「いいねぇ…」って唸っているだけの番組なんだけど、CMもないのでお二人と一緒の部屋にいるような気分になるし、曲と曲の合間にポロリとこぼれる会話が沁みる。

今回も曽我部さんが「銀杏BOYZをすがるように聴いているキッズには自分はなれなかった。でもそうなりたいと思って始めたのが曽我部恵一BANDだった」という金言があった。しかし一番印象に残ったのは、矢島さんがかけたピチカートファイブの「マジック・カーペット・ライド」。矢島さんは「恋人のような、そうじゃないような関係性の歌詞が未来的で不思議だ」とおっしゃっていたけど、私もこの曲の歌詞というか曲全体から漂ってくる多幸感とふわっとした寄るべなさが子供の頃から不思議だった。リリースから30年近くが経って「いつの間にか年をとった」大人として久々に聴いたこの曲は、やっぱりめちゃくちゃドリーミーなんだけど、あっという間に過ぎ去っていく人生というもののつかみどころのなさも感じさせてきて、ちょっと心細くなった。

ちなみにこのアルバムのプロデューサーはまだ20代の小山田圭吾小西康陽をプロデュースするというのはどんな気分だったんだろうか。

有休の日の散歩。

本日有休。しかし休演ではない。

案の定、朝から上司からしょうもない用事でメールやらチャットやら電話が来てうんざり。別にそんなに休みたいわけではないのだが、休みを邪魔されるということ自体がストレスなのだ。


このまま家にいると結局仕事をしてしまいそうだったので、あとは勝手にやってくれいとパソコンを閉じて外に出る。車に乗るのが億劫だし天気もいいので日記を書きながら近所を散歩することにする。いつもの川沿いで鵜と鷺、そして鴨ファミリーという野鳥フレンズたちに挨拶してからお城の方まで足を伸ばす。BGMは折坂悠太「心理」。こないだ妖怪に刺激された余韻が残っている。


あてどもない散歩だが「Quiet Village Tapes」というミックステープを手に入れるという目的は決めていたので、そのリリース元であるハンバーガー屋さんでランチを決めて、まずはミッション達成。


そして近くにあるMasayoshi Suzuki Galleryの軒先にある古本を物色。今このギャラリーでは「Borderless」というグループ展をやっていて、小池喬ことこいけぐらんじさんも作品を出しているということで、土曜日に来たばかり。こいけさんの作品は瀬戸の個展で観たものが多かったけど、その時に我が家にお迎えした小さな犬のシリーズが何枚か飾ってあって、うちの犬の兄弟たちに会ったような気持ちになった。観る角度やこちらの心境によって微妙に表情を変える犬の顔。たまらない。ギャラリーオーナーの鈴木さんは音楽好きなとても気さくな方で、岡崎の音楽シーンについて興味深い話を聞かせてもらった。松井みどり「芸術が終わった後のアート」とダニエル・グラネ&カトリーヌ・ラムール「巨大化する現代アートビジネス」の二冊を買わせてもらう。


ここまで来たのだからと久しぶりにバナナレコード岡崎にも立ち寄る。Blue beat playersの超名盤「Eastern Leo」に遭遇。確か20年くらい前に隣町の野外フェスでライブを観た記憶があるのだけど、アナログ盤が出ていることすら知らなかった。とても嬉しい。そしてカゼノイチで一緒にDJをやっていた店長のえりさんにご挨拶。「インスタ、川の投稿ばっかりですね」と言われた。いつかまたパーティーをやれる日が来たら、このレコードもかけようと思います。


家に帰って早速ミックステープをかける。めちゃめちゃに良い!と興奮。今まではあまりにも自分が住んでいる街のカルチャーに疎かったので、今年は積極的に飛び込んでいきたい。

 

 

どついたるねんを聴きながら豊田市美術館「絶対現在」展を観た日のこと。

百鬼夜行」を観に行った次の日。英検を受けたいという娘の勉強に付き合いながら、豊田市美術館でもらったパンフレットを眺める。昨日は時間がなくて断念したコレクション展に河原温杉本博司の作品が展示されてたのか…。行きたい。しかし時間がない。と一瞬だけ迷ったフリをして、わりとあっさり豊田市を目指す。


車の中でどついたるねんの先輩をゲストに迎えたスカートの「NICE POP RADIO」を聴く。おすすめの曲紹介だけで秘孔のような深いツボをついてくるセンスは尋常ではない。そして結成初期にCD-Rを金網に挟んで売っていたというエピソードには、レコードを裸で売ったというクリスチャン・マークレーと同じじゃん!と興奮した。スカート澤部氏が常々彼らを「天才アーティスト集団」と呼ぶのはこういうことだったのかとようやく合点する。もちろんこれは冗談でもアーティストという称号の安売りではない。


豊田市美術館に到着し、最終日を迎えてさらに混んでいる「百鬼夜行」を横目に、コレクション展「絶対現在」へ。「歴史に竿刺す時間をどう捉えるか」という視点というテーマに沿って展示された名作たち。中には何度も観たものあるけれども、新鮮な気づきや新しい謎を投げかけてくる。私もそれに呼応する感情や感覚を探し出そうと頭と心を動かしてみるのだが、私の乏しい語彙力では応答がおぼつかない。とは言えこの拙いコミュニケーションに没頭している間だけは、次から次へとやってくる浮世の雑事をシャットアウトすることができる、切実に貴重な時間。


まるっと1ヶ月分が展示された河原温の「デイト・ペインティング」も、杉本博司の劇場、海景シリーズといった大名作ももちろん素晴らしかったけど、初めて観る下道基行の「torii」がホー・ツーニェンとの相乗効果で興味深いものになっていると感じた。大日本帝国が旧植民地に建立した神社の鳥居の現在を撮影した写真たち。鳥居は言うまでもなく国家神道の象徴であり、ホーが妖怪として描いた「国体」の一部を担ったものである。下道が撮影した鳥居は、戦後70年を経て、あるものは忘れ去られて雑草に囲まれ、あるものは神性を失った上で公園の一部と化しており、もはや大東亜共栄圏の面影はどこにもない。しかし建立の動機となった帝国主義の幻影は、まだこの建物のどこかに妖怪として存在しているわけで…。そう考えるとどうしようもない禍々しさと同時に、芸術的なスリルも感じる。

またホー・ツーニェンの軍国主義に対する厳しい評価という軸を取り出して、杉本博司と並べてみれば、また別の緊張関係も浮かび上がってくる気もする。杉本博司を極右主義者と短絡的に断じるつもりはないけれども、戦犯とされた日本の指導者に対して彼が一定のシンパシーを抱いていることは間違いなく、そこだけを切り取ればホーとは真逆の位置に立っていると言ってもいいだろう。ホー・ニーツェン、杉本博司、そして下道基行。この日まで同じ建物に展示されていた作品には、ビザールなトライアングルが浮かび上がってくるような気もして、キュレーションの妙というものを感じた。昨日に引き続き、豊田市美術館すげぇという気持ちに。


そんなこんなで帰宅すると、娘がまったく勉強もしないで妻の化粧品で遊んでいたことが発覚。私も連日遊んでいる身だから大きなことは言えないが。どうしてそんなに簡単に自分の中の暗黒面に負けてしまうのか若きジェダイよ…。


ヤング・ダースベーダーが塾に行った後、ホー・ツーニェンが一般の観客からの質問に答えるオンライン・インタビューを観る。とにかく質問のレベルが高い…と言うかそれを聞いてくださってありがとうございますというものばかりだったし、ホー氏の応答も熱心かつ丁寧で、とても素晴らしいやり取りだった。特に北朝鮮のプロダクションにアニメーションを依頼していたことに驚いた。シンガポールのアーティストが日本で開催する展示のために中国経由で北朝鮮のスタジオと協業していたというところがすでにコンセプチュアル。そして歴史認識に関する質問では、ホー氏が「ギャップがないこと自体が危険なこと。ギャップをめぐって対話を続けることが重要」「自分はそのための問いを投げかけている」という主旨のことをおっしゃっていて、コレクション展のキュレーションはそれを体現したものなのかもしれないな…と思ったりした。いずれにせよ、我々は杉本博司でもホー・ツーニェンでも、アーティストからの問いかけを感じ、考え続けるということが大切なのだろう。そしてその問いの純度、切実さ、斬新さこそが、その作品の芸術的価値なのかもしれない…などと生意気なことを思った。


それにしても、今日も余計なことを書くならば、作品を通じて向けられる自国の歴史に対する厳しい問いを侮辱だと受け止める一部の人たちの気持ちが私にはよく分からない。私は国家を構成する一部ではあるかもしれないけど、国家は私ではない。そもそも国家とは人格ではなく機能(しかも時々暴走する)なのだから、問いを受け止めて、更新していけばいいだけだと素朴に思う。

本来拳を上げること必要がないはずのものになんとなく腹を立ててしまう、立てさせられてしまう状況は、誰かに仕組まれたものなのではないだろうか。