ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

新しさの洪水。長谷川白紙とCRCK/LCKSのライブを観ました。

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一日中オフィスに篭って一つでも多く今年の言い訳と来年のはったりを考えねばならない年度末。

それなのに突如ぶち込まれた取引先との打ち合わせ。


うんざりしながら日時を確認すると、3月7日の夕方。場所は新栄…ってことはとうの昔に諦めていたCRCK/LCKSと長谷川白紙のライブ会場の目と鼻の先じゃないですか。

神様っているかもね…と思いながら当日券でアポロベイスに駆け込んだのは開演2分前。

メール大好きな上司に邪魔されないよう携帯は機内モード。2時間消えます。探さないでください。

 

 

先に登場したのは、新鋭・長谷川白紙。

先日リリースされた「草木萌動」のとんでもなさにブッ飛ばされて、一日も早くライブを観たいと思っていた。


Macとキーボードのみが置かれたステージに

現れた長谷川白紙は、挨拶もなく一心不乱にアブストラクトな旋律を奏でたかと思うと、ビートとノイズとメロディーが一体となった音の濁流をフロアに一気に放つ。いきなり洪水状態に。

客席後方にいた私だったが、この音を全身で浴びたい、たとえ鼓膜が破れても。というとても強力な欲望を抑えることができず、瞳孔を開きヨダレをたらしながらフラフラとスピーカーの前へ。


初めて見る長谷川青年は、想像通りいかにも繊細でお日さまが似合わなさそうなルックス。そんな奥手そうな20歳が作り出す音楽は、あまりにも挑戦的で野心的で革新的だった。


もはや感情すら読み取れないほどに細かく引きちぎられ、また集積されて投げつけられる音の塊。

一拍先も予想できないそのサウンドは、まるで超音速の旅客機で、シカゴ、ニューヨーク、デトロイト、ロンドン、ブリストルマンチェスターアムステルダム、ベルリン、東京、京都…すべてのダンスミュージックの聖地を巡る旅のようである。

果たしてその根底にあるのは愛か、憎悪か、無関心か。その感情を読み取ることすらできないほどの情報過多。5Gで音楽を無限に摂取可能な時代を象徴する音楽。


しかしこの40年に亘るダンスミュージック史を3分で駆け抜ける快感も、長谷川白紙の底知れなさの半分未満しか説明していない。

彼のもう一つの魅力は、手がつけられないほど混沌としたリズムを、時に包み込み、時にブーストさせ、時に制圧するような歌を生み出すシンガー・メロディーメーカーとしての側面だ。

例えば、スペーシーな壮大さとサヴダージな余韻が同居した「草木」、発狂したスクエアプッシャーの高速ブレイクビーツをさらに加速させていく「毒」の革新性を前に、いったい過去のどのアーティストを参照して理解をすれば良いか、途方に暮れてしまう。


ここ数年、自分より年下のミュージシャンがつくる素晴らしい音楽との出会いはたくさんあったけれども、音楽の「新しさ」そのものに興奮するなんて一体どれくらいぶりだろう。長生きはしてみるものだ。


ちなみにこの日は「草木萌動」に収録されたYMOの「CUE」のカバー(素晴らしい)も披露してくれた。

コーネリアス高野寛といった偉大な先達もカバーしたこの名曲に耳を奪われながら、YMOの遺伝子を引き継ぐ最新型のミュージシャンがここにいますよーと、ちょうど前日に50年のキャリアを振り返る「HOCHONO HOUSE」をリリースした細野晴臣御大に大声で教えてあげたい気持ちになりました。もうとっくに知ってるかもしれませんが。

 

続いて登場するのは本日のメインアクトCRCK/LCKS。

こちらも初見。音源もほとんど聴いていない完全にはじめまして状態。

東京芸大やらバークリーやら、メンバーの皆様のアカデミックすぎる経歴からスノッブでアートコンシャスな音楽を想像していたのだけれども、意外や意外。

その超絶テクのすべてをポップスの楽しさ、多幸感をぐんぐん拡張させていくために捧げているような音楽だった。

 

特に麗しのODさんの堂々たるディーバ感にはとても驚いた。声も喋り方も完全にプロフェッショナルな上質さ。

そしてそれを支えるメンバーの演奏は、ファンク、フュージョンプログレ、MTVにエピックソニーと、パンクかレイブの洗礼を受けていないものは全てダサいと見なされていた90年代を青春の主戦場を過ごした世代の人間(=俺)としては敬遠しがちな要素を惚れ惚れするほどの手つきで解体・再構築していくもの。

んん?という違和感がいつの間にか、おお!と身体と心が動いてしまっている説得力と新鮮さが気持ちいい。


たぶんそのキモは石若駿の、ディアンジェロ・グラスパー以降のと言えばいいのか、1秒という時間の概念をねじ曲げてしまうような、驚異的なドラムのモダンさにあるような気がしました。

私も宴会ドラマーのはしくれとしてなにかスキルを盗んでやろうと凝視してましたけど、どう手足が動いてどう音が鳴ってるのかまったくわからなかったっすね。(あたりまえ)。


バンドとしての一体感、屈託のない感情の発露。孤独なベッドルームが似合う長谷川白紙とは少なくとも外観上は対照的な音楽。

でもとんでもない情報量のポップス世界遺産をギュッと圧縮して2019年の一曲にしてしまうという意味においては、共通した哲学がある気もする。

北極経由か南極経由か、ポップミュージックをめぐる旅とはかくも自由で多様性と驚きに満ちたものであるかを実感させてもらえた一夜。

サラリーマンとしての責任を投げ捨てでも駆けつけて良かったな、と思いました。

 

もちろん翌朝は「出張先から直帰とはいいご身分だな…」という上司のかわいがりで始まりましたけどね。